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【五ノ章】納涼祭

第七十三話 奇妙な死闘《後編》

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「……し、死んだ、かな」

 レンガ造りの住宅街が広がる地区の一部で。
 屋根の上から路地裏を見下ろす一つの影があった。
 小柄な男だ。蒸し暑い季節にもかかわらず、厚手の黒い外套を羽織っている恰好は凄まじく怪しい。
 それもそのはず。彼は魔科の国グリモワールで暗躍する暗部組織カラミティの一員。
 構成員の中でも突出した実力を持つ者。幹部に与えられるコードネーム“ナンバーズ”の一人、ファイブ。

 本来であればニルヴァーナに居るべき存在ではない彼が、此処ここに居る理由は一つ。
 。その情報を元に消えた魔剣の適合者であると判明したネームレス──アカツキ・クロトを調査するべくおもむいたのだ。

「あっけない、な。ファーストやセカンドが散々ぼやいてたけど、変に手強かっただけで……魔剣も使わずに死んだ、なんて」

 ファースト曰く“アイツを普通だと思うんじゃねェ。まともな顔した裏で頭のイカレた発想が出てきやがる”。
 “そのくせ本人はクソほど弱いってのに、異常なほど戦いの動きが上手い。相手や自分すら欺いてまで勝ちに来る精神性だ。ふざけてんのか”。
 彼にしては珍しく真剣な面持ちで、それでいて気に食わないと言外に態度で語りながら、なんとも言えない評価を下していた。

 セカンド曰く“目標や目的に対して手段は選ばない、迷わない。自分の持てる全てを使ってでも、自分が成すべき事を成す人、かな”。
 “確固たる芯が揺さぶられないから隙も出来ない。盤外戦術で攻めるならチャンスはあるかもしれないけど……やったらとことん追い詰めてくると思うよ。それこそ、死ぬのが楽に感じるくらい”。
 思慮深く、正確な認識を持って発言してくる彼女が本気で、確信を持った表情で。
 わずかに恐怖を滲ませながら言い切っていた。

 しかし──眼下に倒れ伏す、白衣のような制服を着た男。
 青くなった唇に白い顔。開かれた光の無い眼はまっすぐ前に向けられていて、体はピクリとも動いていない。
 これまでの身辺調査で判明した身近な人物を使う事で動揺を誘い、この場で追い詰め、あらゆる手段を封殺し、仕留めた。
 カラミティにいる適合者たちと比べるまでも無い。
 ガルヴィードとの戦闘は目を見張るものがあったが、所詮はその程度で。道具頼りの戦術、仲間の力が無ければ脅威でもない。
 、“、と。
 外套の下に隠した鈍色のナイフから手を離す。

「ジンが“戦うなら最大限に警戒しろ”って言ってたけど、臆病風にでも吹かれた、のかな」

 一息こぼして、気を取り直して。
 胸元からデバイスを取り出し、共にやってきたナンバーズのメンバーに連絡を取ろうとして。
 ──カラン、と。

「……ん?」

 無駄に響く、空き缶が転がったような軽い音だ。遠くの喧騒に混じって、確かに聞こえた。
 普段であれば気にも留めないのに、嫌に胸騒ぎがして。乾いた音がした方に目を向ける。
 下だ。さっきまで見下ろしてた場所からだ。変わらずアカツキ・クロトが倒れている。
 何もおかしなところは、変化はない……体が動いた形跡も無ければ、目もこちらを見つめているくらいで。

「──は?」

 ……違う、違う! アイツの目は前を向いていた、動いていなかった!
 これまでの肉体的疲労と併せて、空気の無い環境に取り残された人間が満足に動ける訳が無い。
 いや、それどころか確実に死んでいたはずだ。どうして今更になって動けるというのだ!?
 まさか、見誤ったか。自分の目がおかしくなったのかと思い、まぶたを擦り、再度覗き込もうとして。
 凍りついたような、静止した空間の奥で。
 仄かに路地を照らす、赤い妖光が揺らめいて。
 ──

「そこか」
「……ッ!?」

 気味が悪い程の低い声に心臓を締め付けられ、反応が遅れた。
 その場から離れようと踵を返し、直後に吹き上げた風に背中を押され、転がされる。
 かろうじて屋根から落ちずには済んだが、振り返った先では屋根まで一瞬で跳躍したクロトが着地し、風属性の魔力を纏った剣を構えていた。

「むっ、加減が分からん……よくこんな物を軽々と使えるな」
「お、お前、どうして……!」

 ナイフを抜き、突き付けながら問う。
 クロトはどこか無機質な眼でこちらを見据え、同じように切っ先を向けてくる。

「種明かしの必要は無い。そちらが独自の情報を得ているように、こちらにも有益となる情報がある。そも、そういった場面でも問わず、自らで考え抜く胆力も無いおぬ……アンタに先があるとは思えんがな」
「っ、い、言わせておけば!」

 不可解な部分は多いが関係ない! ここで殺す!
 ナイフに視線を寄せておき、腰に差していた魔導銃を引き抜き──。

「遅いな」

 いつの間に間合いを詰められたのか。
 眼前で告げられた、淡々とした評価の声に反応するまでもなく。
 胴体に剣先を当てられ、濃縮された風によって宙を舞う。
 躊躇も油断も無い。付け入る隙が見当たらない。だが、ナンバーズの一員として認められている以上、刺し違えてでも……!
 そうして銃を持った腕に、赤黒い糸が巻き付く。
 出所を視線で辿れば、糸はクロトの手の平から伸びていた。

「悪いとも思わないが、再起不能にさせてもらう」
「何を……」

 がくん、と。
 腕を引っ張られ、視界が落ちる。屋根が迫る。
 その途中で差し込まれた右脚が腹に刺さる。

「お、がっ……!」

 喉奥からせり上がる気持ち悪さを出せずに体が浮き上がり、胸倉を掴まれた。
 直後に硬く、固く。握り締めた拳の乱打が突き刺さる。
 的確に急所を抉り抜き、ダメージを体の芯に残すような。重い打撃の嵐が体を襲う。
 呼吸が出来ない。悲鳴を上げられない。
 血とも唾液とも分からない液体が飛び散って、見える世界が滲む。

「……む、やり過ぎか? ……あと首にもう一発? 分かった」
「や、め……」

 容赦の欠片の無い言葉に抵抗も出来ず。
 振り下ろした拳が首筋を打ち据えて、視界が暗転した。

 ◆◇◆◇◆

「ふむ、気を失ってしまったようだ」
『でしょうね。俺から見ても酷かったもん』
「汝の行動をマネしただけなのだが……で、どうする?」
『自警団に引き渡す前に、ある程度の情報を抜き出したいからね。縛っておこう』

 血液魔法で生成した血のワイヤーでカラミティの男を拘束し、猿ぐつわを噛ませて放置。
 魔導剣を鞘に納めながら辺りを見渡して、不審な影がない事を確認する。

「異能の気配も完全に消えたな。そろそろ変えるぞ」
『オッケー。それじゃ……』
「『交代だ』」

 魔剣を瞬時に召喚し、手に取って
 視界が、世界が変わる。夏の匂いが肺を充満し、疲労の溜まった体に意識が戻った。瞬きを数度繰り返し、仄かに明滅する魔剣を背後に放る。
 横目で粒子化していく様を見つめながら、深く息を吐いた。

 ◆◇◆◇◆

 人格の交代。
 それは異能の特訓中、初めて魔剣を手にした時の人格憑依状態を何か利用できないものか、と思いついたのがきっかけだった。
 異能をより深く理解するのは良い事ではあるが、相手の適合者がどう手出ししてくるか不明瞭な以上、手札が多いに越した事はない。
 敵の虚を突く決定的な切り札ワイルドカードが必要だと感じての提案だった。

 あの状態であれば体が千切れかけていようが、何かの拍子に俺が動けなくなってもレオに体を使ってもらう事が出来る。
 仮に肉体の制御権を奪われ続けたとしても、強引に取り戻せる事は実証済み。……まあ、レオの目的を考えれば、もう二度とやらないとは思うが。
 こうして魔剣に宿る意思と疎通が可能な俺達だからこそ、相手の優位を取れる強力な手札になる。

 普段、味覚やら視覚を共有しているのだから可能なのでは? と。
 休憩中にその事を伝えたら、レオに“簡単にできる事ではない”“気でも狂ったか”と正気を疑われた。
 ぶっちゃけ頭のおかしい話だという自覚はあるが、だったらなんであの場で俺の体を使い潰そうとしたの? 異能の力を上手く使って切り抜ければよかったのに。
 純粋たる疑問を投げかける。ふわふわ浮いてた魔剣がそっぽを向きやがった。
 特に理由は無かったのか、この野郎。

 その後、壮絶な言葉の殴り合いを経て同意を得て。
 現実世界で試行錯誤を繰り返してようやく形になった、とっておきの手札。
 人格を切り替える条件は──魔剣を召喚し、触れた状態である言葉を発すること。
 簡素に、簡潔に。分かりやすく単純な、俺達だけの合言葉。
 “交代”の二文字で戦況を左右させる《パーソナル・スイッチ》。
 それが俺達に許された新しい武器だ。

 ◆◇◆◇◆

 両手を握っては開き、胸を撫で下ろす。
 死に体となりつつあった肉体に生気が戻った事を実感する。

『練習しといてよかったね。異能でどうにかする選択肢もあったけど、手の内を晒さないのも大切だし』
『土壇場で魔剣を顕現させて打倒した、と演出させる為に
魔素マナは大気と一緒に流れてたけど、魔力には作用してなかったからね』

 視界が黒に染まる寸前、耳にした嘲笑から近くに敵がいる事を察知。
 しかし行動不能となるのは避けられない。だが、魔力は関係なかった。
 。国外遠征で使った魔法──《鼓動蘇生リヴァイブ・セル》で。
 普通であれば発動までに時間が掛かり、リアルタイムで相手の肉体に合わせて調節する為、脳や魔力回路に凄まじい負荷が掛かってしまう。生命維持も間に合わない。

 だが、自分の体が対象となれば話は別だ。
 体外に放出するという手間が掛かる《カーディナル・アート》。
 同じ手法かつ武器や液体に付与する《アームズ・カウル》、《レッド・リカバリー》とは違う。
 暇さえあればシルフィ先生の協力を得て血液魔法への理解を深め、エリック達と研鑽を重ねてきた成果として、《リヴァイブ・セル》だけではあるが一寸のラグも無く魔法を発動できるようになったのだ。
 使いどころが非常に限定されている魔法だが、逆に言えばコレさえ使えるなら生存確率は大幅に上がる。

『適合者風に例えると……“食いしばりは神スキル”だな』
『実際その通りなんだけど……ゲームじゃなく、リアルでやらされる身としてはたまったもんじゃないよ』

 やらなきゃ殺されてたのは事実なのだが、それはそれとして普通に怖いのだ。
 とにかく《リヴァイブ・セル》で生命活動を維持させたまま、瞬間的に召喚した魔剣に触れてレオと人格を交代。
 こちらを覗き見ていた敵の位置を割り出し、後は再起不能に追い込んで今に至る、という訳だ。

「さて、と。エルノールさんへ引き渡す前に、色々と調べさせてもらおうか」

 顔が赤く腫れあがった名も知らぬ襲撃者を仰向けに転がし、カラミティのマークが描かれた外套を剥いで所持品を調べる。
 裏に縫い付けられた数本のナイフ。これは最初に飛んできた物と同じだな。
 異能の力を伝播させる厄介な道具だった。おそらく予備の物だろうが異能の気配を感じない。本命は追跡してきたあのナイフのみか。

『持ってると思ってたけど、毒物らしき物が見つからないな。……コイツほんとにカラミティの構成員か? 殺す気ならそれくらい用意してくるべきでは?』
『そこまで手を尽くす程の相手ではない、とあなどられていたのではないか』
『あー、ありえるな。カラミティのアジトへ出向いた時も、見下されてたような視線が多かったし。特殊属性……血液魔法の事もバレてるから、毒は効きにくいと判断されてもおかしくないか』

 協力者有りとはいえ、敵陣に単騎で乗り込んだ時を思い出す。
 思い返せば、似たようなマネはこの世界に来る前にも何度かやった事がある。その度に、あんな恐怖体験は二度としないって反省してる気がするな……まったく改善されてないけど。

『裏組織のアジト、闇売買の取引現場、公安局に連行され交渉……』
『やめて。人の黒歴史を掘り返さないで』

 中学時代のふざけた経歴を読み上げるレオを制し、気を取り直して追い剥ぎ再開。
 これは……殴られまくったせいで、銃身があらぬ方向に曲がった魔導銃。道理で手甲側の指が切れてる訳だ、ちゃんと狙えよレオ。
 鑑定スキルで確認……魔法の込められた弾丸と実弾も撃てる特別製か。弾倉で切り替えられるという利点はサイネのヴァリアント・ローズと同じだが、可変兵装ではない。抜き出した弾に細工が施されているようにも見えない。
 個人所有かカラミティで使われている物かは分からないけど、たった今ゴミと化したし、危険物の押収として袋にまとめておくか。

『あとはデバイスにルーン文字を刻む“刻筆”……? もしかしてコイツ、美術館で魔導銃に劣化させる文字を書いた張本人か』
『襲撃者たちが所持していた物だったな。記憶で見させてもらった』
『ああ。相当腕の立つルーン操術師がいるんだな、って危険視してたんだ。熟練者なら、戦いながらリアルタイムで文字を刻んで相手の武器を破壊する、なんて芸当も出来るらしいからな』
『適合者も出来るのか?』
『無理』

 脳内会話を交わしつつ、衣服以外ほぼほぼ丸裸に剥いた襲撃者の前で腕を組み、ふと呟いた。

「魔剣、無くない?」
『我と同様に粒子化し、姿を隠しているのでは?』

 存在の粒子化は、どの魔剣も備えている基本性能だと前にレオから教わった。
 当然、他の適合者に出来ない道理は無いのだが、前提条件がある。
 粒子化させる・させないの切り替えを行うには適合者だけでは足りず、魔剣の意志に呼び掛ける工程が挟まるのだ。
 つまり、双方で合意を得る──コミュニケーションを取らなくてはならない。

『俺達みたいに自由に会話できる適合者って、そんなにいないんじゃなかったのか?』
『稀な事例だが、魔剣との親和性が高ければ十分可能であろう。異能の力も併せて強力になっていく……しかし、高ければ高いほど
『一長一短だよね。とはいえ、直前まで異能で場を作ってたのは確定してるんだ。魔剣に触れた状態でなければ異能が使えないのも、適合者に共通する条件だ』

 何か見落としてるか? しゃがみ込み、襲撃者の体をポンポンと叩いていく。
 ……野郎の体をまさぐって何が楽しいのか。心が虚無になりそうな感覚を抱きながら、背中側に触れた時──おおよそ人体とは思えない感触に、手が止まる。

「……おい、まさか」

 異能を使う条件は、生身で魔剣に触れていること。
 ……背筋に悪寒が走り、嫌な考えが脳裏をよぎる。
 レオを通して見ていた視界に相手の魔剣は映っていなかった。
 魔剣で迎撃すればいいのに、わざわざナイフで向かってきて。それでもコイツが気絶するまで異能の力は使われていたんだ。
 両手はナイフと魔導銃で塞がれて、他に怪しいと言えば靴くらいで。それも脱がしておかしな所が無いのは確認済みだ。
 深呼吸して、意を決して……手を掛けた服をめくった。

「……ここまでやるか」
『合理的、と判断するが、我としては認めがたい事実だ』

 赤く滲む、痛々しい縫合の痕。
 腰より少し上に、真四角に切り抜かれたような肌の真ん中で。隆起した凸凹でこぼこが不気味に明滅していた。
 魔剣特有の仄かな発光。レオのような赤ではなく、緑というのが怖気を助長させていた。
 使──常人の発想とは思えない、狂気の手段。
 可能とする技術を持つことも、許容して戦う人間がいることも。
 どちらも兼ね備えた集団が、カラミティなのだと理解してしまった。

『適合者、あまり手に力を込めるな。皮膚が切れるぞ』
「っ、ごめん……」
『謝罪の必要は無い。常軌を逸した行動を取る適合者でも、その怒りは正当なものだからな。むしろ適合者の人間らしい反応に、我はホッとしている』
「えっ、けなしてる?」
『フォローのつもりだが』

 淡々と、だけど確かに相手を思っての言葉。
 少し的外れな気遣いにため息を落として、立ち上がる。

「これから戦うのは、こういう連中なんだな」
『改めて実感したな』
「ああ。逃げられない、避けられないなら、やるしかない」

 赤みを取り戻す手のひらを見つめ、また握り締める。
 今日の防衛依頼でも感じたことだ。身構えていても、用意周到に備えていても理不尽はいつも向こうからやってくる。
 守りたいモノを守りたくても、すくった手からこぼれて落ちていく。
 どれだけ手を伸ばしても掴まらなくて、届かない場所まで行ってしまう。
 だったらもう、そうならないように──やられる前にやるしかない。
 だけど。

「……今度はちゃんと仲間の力を借りよう」
『結局、アカツキ荘の面々に伝える約束を反故にし、一人で解決してしまったからな』
「絶対めっちゃ怒られる……しょうがない、って納得してくれるといいんだけど。というか、下ですごい叫んでるエルノールさんに事情説明しなきゃいけないじゃん……」
『予期せぬ事故とはいえ、巻き込む形になってしまうな』
「やっぱりカラミティってロクなことしないな」

 認識を再確認して、青みがかった空を見上げてから。
 ぬるくなった風に押されるように、襲撃者を抱えて屋根から飛び下りた。
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