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ゲストルームの扉の向こうで 2
しおりを挟む「…っ誰だ!」
レオンは自分のすぐ側から聞こえた媚びたような女の声にぞわり、と背筋を震わすと声の主を確認しようと壁際で見つけた照明のスイッチを指先で押し、明かりを点ける。
明かりの灯った室内に、レオンはすぐさま声の主である女の顔を確認しようと振り返り、そしてその顔を見たが自分に見覚えのある女ではなかった。
「──君は」
レオンは訝しげに眉を顰めると、何故この場所にこの女が1人で佇んでいるのかわからず、目の前で微笑む女に薄ら寒さを感じる。
どこか狂気を孕みながらも、虚ろとしているその瞳に既視感を抱いた。
どこかで見た。あれは、そうだニック・フレッチャーの瞳と同じだ、と思い至った。
「君は、もしやキャロン・ホフマン嬢か…」
レオンのその言葉にキャロンはにたり、と肯定するように笑う。
自分の元へと届いてた手紙。その送り主であるキャロン・ホフマンが自分の目の前にいる事に気持ち悪さを感じながらも、レオンは周囲を見渡す。周囲に他の人間がいなさそうな事を確認し、安心してミュラーをソファにそっと下ろした。
ぶるぶると震えるミュラーに、まだ解毒薬が効いてきていない事を悟るとレオンはミュラーのすぐ側に立ち、キャロンから守るように一歩程キャロンに近付く。
「何故君が空いていたはずのゲストルームにいるんだ。そしてその状態…、君は何か良くないものを服用しているな?」
「嬉しい、レオン様。やっと私を迎えに来て下さったのですね。ずっとずっとずっと待っていましたの。お遊びでその子に付き合っているのはわかってましてよ?けれど、もういいのではないですか?早く私たちの式を上げましょう?」
「………今の君に言っても無意味かもしれないが、私は君とは結婚しないし、する予定もない。それに私は今日正式にミュラー・ハドソン嬢に結婚を申し込んでいる」
自分にはミュラー以外に結婚したい女性はいない。とレオンが言い放つと、キャロンはぎりっとミュラーを強く睨み付ける。
殺意の籠ったその視線からレオンはミュラーを守ろうと動こうとした。
目の前のキャロンを拘束し、外で控えているアウディをこの部屋に呼び込み衛兵へと突き出そうとしたがレオンが動くより早く背後から忍び寄る人物が動く方が早かった。
気配に気付いたミュラーがふ、と顔を上げた瞬間後ろからにゅっ、と伸びてきた男の腕がレオンへと向かっているのに気付き、ミュラーは悲鳴じみた声音でレオンの名前を叫ぶ。
「レオン様っ!」
「…っ!」
ミュラーの危険を知らせる声に反応すると同時、後ろからレオンの首元に腕が絡み付いて来て、体当たりするように勢いの乗った体がぶつかると、レオンの体がソファの前にあるローテーブルに倒れ込む。
「…っ、!」
「ミュラーは俺のだ、俺のだ、俺のだ!お前のじゃないっ!」
「ニック、遅いですわよ。早くレオン様に薬を飲ましてちょうだい」
薬の服用によって力が増しているのか、自分の体を拘束しているニックを振り解くのが難しい。
背後から油断していた所を襲われ、前方に倒れ込んだ自分の今の状態では簡単に振りほどく事が出来ずレオンは自分の詰めの甘さを反省した。
室内にはキャロン・ホフマンしかいないと思い込んでしまっていたのだ。
わざと1人だけ先に姿を表し、他に人がいないと安心した頃合でニックが姿を表した。
10分もすればアウディが鍵のかかったゲストルームに気付き近衛兵に異変を知らせてくれるだろうが、近衛兵が来るまでにどちらかでも無力化しておかなければ、と焦る頭で考える。
媚薬のせいで無抵抗のミュラーをニックに触れさせる訳にはいかない、と頭に血が上るのが自分でも分かる。
レオンは背後からのしかかり、拘束するニックに何とか抵抗しようとニックの襟首を拘束されていない腕で掴んだ。
ニックはレオンの抵抗を察知すると、キャロンに向かって吼える。
「拘束を解かれる…っ!お前が早く飲ませてしまえ!」
「…っ!」
そのニックの言葉にキャロンは慌ててこちらへ駆け寄ると、レオンの唇に「何か」を強く押し付けて来る。
レオンは必死にその手から逃れるように顔を背けると、握ったニックの襟元を力尽くで引き寄せバランスを崩したニックの腕から力が抜けた。
ふ、と力が緩んだニックを勢いのまま前方へ投げ飛ばすとレオンはキャロンの手を払い除け倒れた水差しから勢い良く水を自分の口に含むとその場に吐き出した。
ミュラーの前で行儀が悪いとかそんなものどうでもいい。今は自分の口内へと微量ながら入り込んでしまった粉状のそれを多少なりとも体内に吸収したく無かった。
「…くそっ、少し吸収したか…?」
粉状の物は口内に入れられてしまえば、溶けて体内に吸収されてしまう。
全てが溶ける前に、と水で薄め外へ吐き出したが今自分に飲ませようとした物は以前パトリシア・フィプソンが自分に盛った禁止薬物と同じ物だろう。
派手な音を立てて前方へ倒れ込んだニックを牽制しながら、急ぎレオンは自分の内ポケットにある解毒薬を取り出すと即座に飲み干した。
もうそろそろアウディに話した約束の10分が経つ頃だろう。
鍵がかかっている事に気付いたアウディは近衛兵を呼んできてくれる。
それまでミュラーをどうにか守ろうと愚かにも一瞬意識をゲストルームの扉の方へ向けてしまった。
その瞬間、レオンの後頭部にガツンと大きな衝撃が走った。
「──ぐっ、」
くらり、と意識が揺れる。
霞む視界には泣き笑いの表情を浮かべるキャロンが、先程レオンが投げ捨てた水差しを両手に持っていた。
固く分厚い硝子で作られたそれで、レオンの後頭部を力任せに殴り付けたのだろう。
キャロンは笑い声を上げながら水差しを地面に落とし、痛みと衝撃でふらつくレオンを力任せに押し倒し、体に覆いかぶさってくる。
揺れる視界の隅で、体を起こしたニックがミュラーに向かって歩いているその姿を見て、怒りで頭の中が真っ白になる。
「ね、レオン様。媚薬苦しいでしょう?その苦しさを私が解放して差し上げますわ、ね?ね?自分の欲望に忠実になって宜しいのよ?」
私が全部受け止めて差し上げますわ。とキャロンが媚びた声音でレオンの腹の上に跨ると、厭らしく腰を押し付けてくる。
レオンの体に好き勝手に指を這わすキャロンにレオンは嫌悪感に表情を歪めると、ただただニックのその動きを凝視した。
自分の下半身をまさぐるその気色の悪い感触に吐き気を催しながらも、レオンは視界の揺れが収まるや否や素早く上体を起こし、キャロンを力尽くで横に振り払う。
べしゃり、と床に倒されたキャロンは小さく悲鳴を上げるのが分かったが、レオンは素早くニックの方へ駆け寄った。
ソファから逃げ出そうと藻掻くミュラーにニックが抱き着いた瞬間、レオンは自分の頭の中で何かがプツンと音を立てて切れた感触を感じた。
駆け寄る勢いのまま、嫌がるミュラーとニックがソファから縺れあい転がり落ち、ミュラーに覆い被さるニックに狙いを定め、レオンは力任せにニックの襟首を掴むと勢い良くミュラーから引き剥がす。
驚きに目を見開くニックの胸ぐらを掴み直し、上へと引き上げると背負い投げる様にして地面へと勢い良く叩き付けた。
「ぅっぐっ!…げほっ!」
「………」
叩き付けられた衝撃で大きく咳き込んでいるニックを見下ろしながら、レオンはニックに向かって唇を開く。
「愚かにもミュラーを抱き締めたその両腕と、ミュラーを呼び捨てで呼んだその唇はいらないよな?」
折るぞ?とレオンがニックの腕を踏みつけ、体重を掛けていくとニックの腕からミシミシと嫌な音が鳴り始める。
「あぁあああっ!」
「唇はどうする?削ぎ落とす事は今は出来そうにない…喉を潰す?」
レオンは痛みで叫ぶニックを煩わしそうに顔を顰め一瞥すると、外から数人の慌ただしい足音がこのゲストルームに近付いて来ている音に気付く。
レオンはぱっとニックの腕から足を退かすと、自分の着ていたコートを脱ぎ、ミュラーの元へと足を向けた。
突然自分から興味を無くしたレオンに、ニックは激しい痛みに震える腕を庇いながら、涙の滲んだ瞳でレオンの動きを追った。
「ミュラー、大丈夫、大丈夫だ。もう大丈夫だからおいで」
「…っ、レオン様っ」
レオンはミュラーの頭に自分のコートを掛けて表情を隠すようにすると、ミュラーを抱き上げてソファへと一緒に腰を下ろした。
ミュラーを落ち着かせるように頬、額、瞼へと順に口付けを落としているのがニックの視界に入ってくる。
先程まで自分に向けられていた殺気の籠った瞳を思い出してニックはぶるり、と体を震わせる。
レオンの突然の態度の変化に末恐ろしさを感じていると、ゲストルームが乱暴に蹴破られる音と共に、男の叫び声が聞こえた。
「兄上…っ!無事ですか!」
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