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ゲストルームの扉の向こうで 1
しおりを挟むざわめく舞踏会のホールからミュラーの表情を隠すように、背中に回していた腕でぐっと抱え込み、レオンは自分の胸元にミュラーの顔を周りから見られないように抱き込んで隠す。
具合の悪くなったミュラーを連れている、という印象を周囲に抱かせないといけない。
熱で火照った頬も、朦朧として蕩けている瞳も、潤いの乗った唇も見られてはいけない。
(こんな状態のミュラーを俺がゲストルームに運んだらあらぬ噂を立てられる…!)
レオンは急ぎ足でホールを横切ると、心配して着いてくるミュラーの父親やホーエンス、アウディに視線をやる。
「ハドソン伯爵、いつもミュラーの側にいるラーラという侍女は?馬車にいるか?出来れば彼女を連れてきてもらいたい」
「─っ!わかった、私が行って連れてくる」
レオンに話しかけられたミュラーの父親ははっとしたあと、ラーラが待つ舞踏会の馬車停めへと向かうべく踵を返して足早にこの場を去って行く。
「ホーエンス、君はこの舞踏会にいる衛兵に事の次第の説明を。オリバーから宰相へ報告してもらっているから恐らく陛下の耳にも禁止薬物の件は入っているだろう。犯人はまだこの会場に潜んでいる可能性がある事を説明して来てくれ」
「…っわかりました!」
レオンからそう言われたホーエンスは、大きく頷くと、その場から走り去る。
後ろを着いてきていたアウディが、視線で「俺はどうします?」と聞いてきているのがわかり、レオンは奥歯を噛み締めた。
「…俺は解毒薬をまだ飲んでいない…。媚薬ではない禁止薬物を使用された時の為に、まだ解毒薬は残してある」
「…はい?」
「アウディ、お前は俺を殴って止める役目だ」
レオンの放つ言葉を聞いてアウディはぎょっと瞳を見開くと、まさか手を出すんじゃないでしょうね!?と悲鳴じみた声を出す。
「誰が聞いているかわからない廊下でそんな言葉を出すなよっ」
「いえっ、だって、えぇ!?」
レオンはゲストルームに続く王宮の廊下を歩きながら、周囲に人がいないかさっと視線をやり確認すると、憎々しげに唇を開いた。
「10分だ、10分。俺がミュラーのゲストルームから出てこなかったら殴って止めに来てくれ」
「…何か、本当にそうなってたら入るの凄く嫌なんですけど…」
「…手を出さない自信ならある…多分」
視線を泳がしてそう答えるレオンに、アウディは嫌な視線を向けると、わかりましたよ。と答える。
そのアウディの言葉にほっとしたように息を吐き出すと、レオンは些か緊張した面持ちで唇を開いた。
「冗談はさておき…真面目な話だ。…鍵は開けたままにしておく。10分俺が出てこなくて、アウディが入ろうとした時にもし、鍵が掛かっていたら…舞踏会の会場にいるだろう近衛兵を連れてきてくれ」
「近衛兵!?」
「ホーエンスには衛兵を頼んだ。恐らく俺の元へも事情を確認しに来るはずだ。そしてアウディが鍵が掛かり、ゲストルームに入れなかった場合近衛兵の誰でもいい、近衛兵を呼んできてくれれば部屋に押し入る事が出来る。…先程からニック・フレッチャーの姿を見ていないからな」
近衛兵も、流石に衛兵までその場に来ていたらただ事じゃないとすぐさま踏み込んでくれるだろう?と笑う。
「だからって兄上…考えすぎでは…?」
「何事も、物事を考える時には最悪の事を想定して動くんだ。物事の先を考える癖を付けておけ」
そこで、レオンはゲストルームが並ぶ廊下に到着すると近くにいた王宮で働く使用人を見つけ、声をかける。
「すまない、ゲストルームで二部屋空いている場所はあるか?出来れば隣通しがありがたいのだが」
「あ、っはい!」
声を掛けられた使用人は、ゲストルームの空きを確認する。
使用中の場合はゲストルームの扉、ドアノブの付近に美しく刺繍されたベロア生地の細いタイのような物が掛かっている。
それで使用中か未使用か判別しているのだろうか。
明らかに使用しているという事が外から判別出来ないように気を使いこのような判別方法にしているのだろう。
(まあ…婚約者同士や夫婦でゲストルームを使用する事もあるから…)
今回のように具合が悪くなったり、数人でお喋りをする為にゲストルームを利用する事もある。
その場合は不躾に誰かが入ってこないようにと配慮をする為。
それ以外では、夫婦や婚約者同士が人目を気にせず2人きりで時間を過ごす事を目的として利用する人へかち合って気まずい雰囲気にならないよう考えられて目印のような役割を持っているのだろう。
レオンがちらり、とゲストルームの扉達を横目で見ていると王宮の使用人が空いている部屋の前へと案内してくれる。
「そちらのご令嬢、体調が悪そうですが大丈夫ですか?ゆっくり休まれて下さい」
「ああ、ありがとう。彼女の侍女を今呼びに行っているから見てもらうよ。君はこの舞踏会中ずっとここに?」
「いえ、先程交代しましたが大丈夫ですよ、しっかり前任の者から使用中の部屋と未使用の部屋を言付かってますので」
「…そうか、ありがとう。助かったよ」
レオンが笑顔で答えると、使用人はレオンとアウディに一礼して廊下の入口へと戻っていく。
ああして、彼はゲストルームを利用する者達を案内する役目なのだろう。
レオンとアウディはその使用人の後姿を暫し見つめた後、案内されたゲストルームへ向き直った。
「兄上、俺も一緒に入りましょうか?」
アウディはレオンとミュラー2人の身を案じてそう伝えるが、レオンはそのアウディの言葉に首を横に振る。
「いや、もし2人で室内に入って身動き出来ない事態になったらいけない。アウディは外で10分待っていてくれ」
ぐったり、と自分にもたれ掛かるミュラーを力強く抱きしめ直すと、レオンはアウディに向かって声を掛け、そっとゲストルームの扉のドアノブを掴んだ。
「10分だ。頼んだぞアウディ」
「─わかりました」
何も無ければいい。
自分の考え過ぎで、本当にこの先のゲストルームが無人であればいいのだ。
あの場でミュラーを連れ出せなかったニック・フレッチャーが諦めてくれていればいい。
そうすれば自分はミュラーをソファに横たわらせ、室内が無人か確認し終わったらそのままゲストルームを出て彼女の侍女であるラーラと、ハドソン伯爵が戻るのを扉の前で待っていればいい。
レオンの頭の中にはニック・フレッチャー1人の事しか頭になかったのだ。
相手が1人であれば自分1人で抑えられる。時間が経っても出てこないレオンに気付いたアウディも外から踏み込んでくれるはず。
万が一鍵が閉められ、自分が動けない状態になってもアウディに近衛兵を呼びに行くよう頼んである。
全て、出来るだけの手は打てた。
レオンは自分の腕の中のミュラーの苦しそうに喘ぐ息遣いに心配そうに目を向けると頬をするりと撫でてから強く抱き直し、ゲストルームに足を踏み入れた。
「……」
ゲストルームの中は、照明がほぼ落とされていてやや薄暗い。
レオンはまず灯りを点けようと壁にある照明のスイッチを壁伝いに歩き、探した。
手に触れた馴染みのある照明器具のスイッチの感触にほっと安心したように吐息を零すと、それと同時にゲストルームの扉の鍵が中から「カチリ」と音を立てて閉まった小さな音を耳が拾った。
「…っ誰かいるのか!」
レオンが叫ぶのと同時に、レオンの耳元で聞きなれない媚びた女の高い声が聞こえた。
「お待ちしておりましたわ、レオン様。約束通り私と結婚致しましょう?」
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