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十五話
しおりを挟む勿論、妻問いは済ませてある。
と、尋がそう口にした事で里長の怒りは最高潮に達したのだろう。
里長は緋色を真っ直ぐに睨み付け、怒りに顔を真っ赤に染め上げて緋色を怒鳴りつける。
「──霊力があるなど、嘘をつきなさいますな! 名無し! お前から籘原様にお断りをしろ……! 役立たずのお前のような物が帝都に行って何になる!? 籘原様のお役に立つ事も出来ず、周囲に迷惑を掛け続けるだけになる! お前は死ぬまで一生この里で生活する事が一番幸せだ!」
「や……っ、違うっ、違います……っ、私は役立たずなんかじゃ……っ」
瞳いっぱい涙を溜めて、里長の言葉に緋色は震える言葉で否定の言葉を返す。
ぶんぶんと首を横に振り、このかくりよの里に縛り付けようとする里長のまるで鎖のような言葉から何とか逃げ出そうと藻掻く。
尋は、緋色には霊力があると言っていた。
そして緋色自身の境遇に胸を痛め、帝都に一緒に来るか、と提案してくれた。
皆が見捨てた緋色を、尋だけが緋色に手を差し伸べてくれたのだ。
そして、緋色が必要だと言ってくれた。
今まで十六年間生きてきて、緋色は初めて他人に必要とされたのだ。
──必要としてくれた尋の手助けをしたいのだ。
まさか緋色が拒絶するなど思いもよらなかったのだろう。
「はい」と素直に頷かない緋色に里長は怒りで目の前が真っ赤に染まる。
名無しなんかを里の外に出しては、このかくりよの里の恥。
末代までの恥となる。
「──っ、こんな事ならお前が霊力無しと判明した時に……っ」
「……っ」
里長が言いたい事を察したのだろう。
里長の非情な言葉に、それまで耐えていた緋色の瞳からはぼろぼろと涙が零れ落ちる。
「──緋色っ」
声も出せずにただ涙を流し続ける緋色に、尋は駆け寄り優しく緋色の肩を抱いてやる。
「何故、ここまで酷い事が出来るのか……。緋色には虐げられる理由など無い。霊力だってしっかりと備わっている。緋色の霊力も分からず、まだ十代の女性をここまで傷付けるとは……。今日にでも、緋色を連れて我々は帝都に戻る」
「──……ここまでお伝えしてもまだ分からぬか……。籘原家もお終いですな……。そのような人間のなり損ない、連れて行って籘原家が被害を被っても我がかくりよの里とは無関係ですぞ」
「望む所だ。緋色は帝都で幸せに暮らす」
「……朱音、戻るぞ。名無しなどを欲しがるとは……このような家よりお前に相応しい家はまだ山程あるのだからな」
緋色のみならず、尋すら侮辱するような言葉を吐き捨て、里長は廊下で戸惑い立ち尽くす朱音に声を掛けて戻って行く。
緋色は涙で霞む視界の先に、焦がれていた背中を映しながら掠れる声で小さく呟いた。
「──……う、様……っ」
「──!?」
咽び泣く緋色の呟きを隣で聞いた尋は、信じられないものを見るように去って行く里長の背中を見詰め続けたのだった。
里長と朱音が去り、帝都に戻る支度を終えた尋はちらり、と緋色を見やる。
泣き過ぎて腫れてしまった目元は菖蒲に冷やさせたが、それでもまだ泣き腫らした跡が赤く残っていて、見ていて痛々しい。
(それに……先程緋色が去る里長の後ろ姿に向けて掛けた言葉……あれが本当であれば、どれ程惨い事を……)
ぼうっと窓から里の町並みを見詰める緋色に近付くと、尋は緋色の頭に手を乗せて優しく何度か撫でる。
「……、籘原様?」
「……支度は終わった。緋色も家の荷物を纏めた方がいいだろう。行こうか?」
「分かりました……」
のそり、と緩慢な動きで立ち上がり、緋色は尋に手を引かれながら部屋を出る。
昼近くになり、太陽が真上にある時間帯。
里でも人が多く動き出しており、緋色の姿を見た里の人間達は皆一様に眉を顰めた。
(これ程、里の中では緋色の存在がよくないものだと浸透しているのか……。信じられないな……これだから閉鎖的な里はっ)
苛立ちを感じるが、それを里の人間にぶつける訳にはいかず、尋はもどかしい気持ちを抱く。
里の人間達は緋色の姿を見るなりひそひそと話していて、風に乗って聞こえて来る言葉達はどれも緋色を貶め、侮辱する言葉達ばかりだ。
こんな状態でずっと耐えていたのか、と尋は怒りを覚える。
こんな状態、ちっとも普通では無い。
それなのに緋色は自分が悪いのだから蔑まれても仕方ないといったような考え方だ。
そう考える事が普通なのだと恐らく幼少期からそう育てられているのだろう。
(名無し、となれば血縁すらなくなるのか……)
「着きました……。すぐに支度をしてしまいますね、籘原様」
「──ああ。手伝おう」
すぐにでも倒壊してしまいそうなぼろぼろの小屋は、緋色の家で。
こんな場所で暮らしていたのか、と尋は更に胸を痛める。
手伝う、と言う尋の申し出を申し訳なさそうにする緋色の頭を撫でてやりながら、尋は緋色の家に足を踏み入れた。
ぼろぼろの外観と同じく、家の中もそれは同様で。
壁はひび割れ、隙間風は入り放題。床も端の方は抜けてしまっているのだろう。その穴から雑草が室内に侵入している。
尋は、思っていたよりも緋色の酷い暮らしに眉を寄せながらふと位牌が目に止まった。
「──あ、それは……祖母の位牌です」
「緋色のお祖母様の?」
「はい……。数年前に亡くなってしまいましたが……ここでの生活の仕方や、最低限字の読み書き、などを教えてもらいました……」
「そうか……」
尋は祖母の位牌だ、と言う位牌の前にしゃがみ込み、手を合わせる。
位牌には湖里まつ、と名前が掘られていて。
尋は先程緋色が呟いた言葉を思い出して奥歯が砕けてしまいそうな程歯を食いしばった。
このかくりよの里の里長。
里長の苗字も、位牌と同じ「湖里」である。
自分の子供に対して、惨い仕打ちをし続けていた里長を、尋は許せそうになかった──。
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