偽装溺愛 ~社長秘書の誤算~

深冬 芽以

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2.偽装契約

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「う~っ!」

 手の甲にピリッと痛みが走り、そこでようやく力登の耳を塞いだままだったと気づく。

 顔をくしゃっと歪ませ、離せと俺の手を掴み、小さな爪が皮膚に食い込む。

 耳から手を離すと、力登がふうっと肩を上下させた。

「モテすぎるのも困りものですね」

 さっきまでとは別人のような、如月さんの無表情に冷めた視線。

「どちらかといえば、俺も被害者ですよ」

 如月さんが息子に向けて、手を伸ばす。

「力登、おいで」

 息子は母から顔背けた。

「やっ!」

「り~き!」

「い~やっ!」

「パン、買いに行くんでしょ」

「パパンッ!」

 手で俺の肩を押し、足をバタつかせる。

 俺は膝を曲げてしゃがみ、力登を降ろす。

「パパンッ!」

 力登は俺の腕にぶら下がっているビニール袋を掴んだ。

「こら、引っ張んな」

「パパンッ」

「パパン?」

「室長、パン買いました?」

 如月さんに聞かれて、袋を覗く。

「ああ」

 バターロールが5個入った袋を取り出すと、力登が勢いよく飛びついてきた。

「パパンッ!」

「こら、りき!」

 パンの袋を抱きしめ、エレベーターの隅にしゃがみ込む。

「りきのじゃないでしょ」

 如月さんが息子の横にしゃがみ、パンに手を伸ばす。

「やっ!」

 息子は抵抗し、壁に向かってうずくまる。

 パンはすでに押し潰されているだろう。

「如月さん、いいですよ。助けてもらったお礼です」

「え?」

「本当に助かりました。ありがとう」

「いえ、私は何も――」

「――いぇいぇ!」

 力登が如月さんの横をすり抜けて、俺の足にタックルしてくる。

 俺は力登に目線を合わせて、もう一度言った。

「ありがとう、助かったよ」

 頭を撫でると、彼が目を爛々とさせた。

「いぇいぇ!」

『いぇい』と聞こえるが、おそらく『いえいえ』と言っているのだろう。

 得意げな力登に、思わずふっと吹き出してしまった。

「パン、好きか?」

「うん!」

「そっか」

「好きか?」

「俺? まぁ、普通に?」

「あげっか」

「え?」

「りき、もらっておいてあげるはないでしょ」



『あげようか』ってことか?



 俺は、はははっと笑い、もう一度力登の頭を撫でた。

「ママと食べな」

「やっ」

 力登が俺の腕を掴む。

 力登と俺の腕の間に挟まれて、パンがどんどんぺしゃんこになっていく。

「みんなで~」

「力登。室長は忙しいの。ママと一緒に食べよう?」

「や~だ~」

「りき! 駄々っ子しないの」

「しっちょー!」

「しっちょー?」

「しっちょも~!」

 小さな箱の中に、大きな泣き声が響く。

 そう言えば、階数ボタンを押していないから、上昇していない。

 誰かが開けたら、まだ只野さんが中を窺っていたら。

 俺は立ち上がり、七階のボタンを押した。

 エレベーターが動き出す。

「買い物はパンだけ?」

「いえ、お昼ご飯とか」

「お好み焼きじゃダメですか」

「え?」

 俺は買い物袋を持ち上げて見せる。

 そういえばさっき袋を落としたが、卵は無事だろうか。

「材料は揃ってるはずだから」

「でも、室長が食べたくて買ったんでしょう?」

「買い物に出られなくさせてしまったお詫びです」
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