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2.偽装契約

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 ギリッと只野さんの歯ぎしりが聞こえるようだ。

 実際に奥歯を噛み締めたかもしれない。

 そんな表情。

「只野さん、そういうことですから」

 俺は彼女の勘違いを生かして、畳みかけた。

「家族を大切にしたいんです」

 嘘は言っていない。

 俺の言う『家族』が、具体的に誰を指しているかなんて、彼女にはわからない。

 思惑通り、只野さんは唇をへの字に曲げて、如月さんを睨みつけている。

 只野さんが俺と如月さん、そして彼女の子供を見て何を想像しているのか、知りたいようで知りたくない。

 足元の買い物袋を拾おうと腰を曲げると、視界に真っ赤な靴のつま先が飛び込んできた。

 尖っていて、蹴られたら、ヒールで踏まれるのと同じくらいめり込んで痛そうだ。

 そのつま先が、ビニール袋の持ち手を踏みつけた。

「あなたは騙されてます! その子は理人さんの子供ではないわ! ちっとも似ていませんし! 養育費が欲しいのでしょう? 他にもそう言って騙している男がいるんじゃありません? 子供の本当の父親がわからなくて、手当たり次第に――」

「――やめろ!」

 考えるより身体が動いた。

 只野さんの足元の袋を勢いよく拾い上げると、彼女もまた反射的に後退あとずさる。

 俺は袋を腕にぶら下げ、反対の腕に抱いたままの子供の顔を胸に押し付け、手のひらで耳を塞いだ。

「子供の前でなんてことを――」

「――理人さん」

 我慢ならず、只野さんに大声を張り上げた時、背中を優しく撫でられた。

 次いで、名前を呼ばれてハッとする。

 如月さんが、穏やかに微笑み、その微笑みを保ったまま、只野さんと向き合う。

「只野さん、お願いします。理人さんを諦めてください」

 如月さんがゆっくりと深く頭を下げる。

「若くてお綺麗で他人を思いやれる優しいあなたはきっと、男性からのアプローチが絶えないと思います。でも、私には……、私と息子には理人さんしかいないんです。どうか、どうか私たちから理人さんを奪わないでください! お願いします」

 秘書という職業には、演技力も必要だっただろうか。

 顔を上げたら、瞳を潤ませているのではと思うような、熱のこもった、けれど震えた声。

 そこへ、電子音と共にエレベーターの扉が開いた。

 如月さんの子供――力登と同じくらいの男の子とその両親らしい男女が、目の前の光景に一瞬表情を固めた。

「ママ、ごめんなさい?」

 男の子が母親に聞く。

 そう見えても仕方がない。

 偉そうに仁王立ちしている女と、その女に頭を下げる女。

 流石に、自分たちの姿が親子にどう見えているか気づいて、只野さんが親子から顔を背けた。

 そして、フンッと鼻息を荒くしてマンションを出て行った。

 如月さんが顔を上げ、エレベーター前の親子を見た。

「お騒がせして、すみません」

 親子は子供の手を引いて、ささっと出て行った。

「さ! 帰りましょ」

 如月さんが俺の背中を押して、エレベーターへと促す。

「如月さ――」

「――只野さんがまだ外にいます」

「え?」

 足を止めずにチラッと外を見ると、自動ドアの向こうの柱から、派手な赤いスカートと靴がチラリとのぞいている。

 俺は無意識に速度を上げ、エレベーターに乗り込んだ。

 扉が閉まる瞬間、只野さんが柱から顔だけ真横に出して長い髪を揺らす姿が見えた。

 夢に出そうだ。

 目を逸らさなければと思うのに、恐怖のあまり瞬きもできない。

 扉が閉まってようやく、はっと息を吐いた。
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