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5.月夜
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「お食事はいかがでしたでしょうか」
コックコートを着た、四十代半ばくらいの男性に問われ、私は背筋を伸ばす。
「とても美味しかったです。うまく表現できませんけど、こんなに美味しいお料理は初めてです。特に、ローストポークがとても気に入りました」
「ありがとうございます。地産豚を使っておりますので、鮮度には自信があるんです」
私と皇丞のカップにコーヒーを注いだ支配人は、一礼して先に部屋を出て行く。
コックコートの男性が残っていることが不思議で、思わず彼と顔を見合わせる。
「彼から聞いていませんか?」
「え?」
「私、平井美嘉の兄です」
「え? 平井さん!?」
「はい。妹がいつもお世話になっております」
「いえっ、こちらこそ」
言われてみれば、笑った顔が似ていると思わなくもない。
「皇丞には顔を出すなと言われたんですけどね? あいつが無理を言うなんて初めてだったので、どんな女性を連れてくるのか楽しみだったんですよ」
「知り合い……ですか? でも、ここは友達のお兄さんの奥さんの――、あれ?」
皇丞が言ったことを復唱しようにも、こんがらがる。
平井さんがククッと笑う。
その表情は、確かに妹さんに似ている。
「皇丞の友達って言うのは栗山のことですね」
「栗山……課長?」
確かに二人は友人だ。
「栗山の兄の嫁が、美嘉です。そして、その兄が私」
「え!? でも、平井さんは――」
「――職場ではずっと旧姓を使ってますし、多分、社内で栗山と親戚関係にあることを知っているのは皇丞と数人くらいじゃないかな」
旧姓……。
そう言われてみれば、私が入社した時には既に彼女は結婚していて、『平井』が旧姓だなんて思いもしなかった。
いや、そもそも皇丞はどうしてそんな回りくどい言い方をしたのか。
平井さんのお兄さんと言われれば、すぐにすっきりわかったものを。
「皇丞のこと、よろしくお願いします。栗山とは幼馴染なので、その友達として皇丞が中学生の頃からの付き合いなんです。女にはモテたけど、自分から好きになったり、別れを惜しむような付き合いをしたのは見たことも聞いたこともない。そんなあいつが、初めて自分から手を伸ばしたあなたを喜ばせたいと、俺に頼み込んできたんです。面倒くさい奴ですけど、どうか見捨てないでやってください」
「そんな、私なんて」と、思わず顔の前で両手をぶんぶん振る。
「バラの花ことばをご存じですか?」
平井さんがテーブルに飾られたバラを見る。
「情熱とか愛情を表現しているのでは?」
「らしいです。私も詳しくないのですが」
平井さんは笑って、今度は皇丞を振り返る。
「じゃあ、切るぞ」と電話を終えるところで、彼もまたこちらを振り返った。
平井さんが少し腰を屈めて、私の耳元で囁く。
「本数の意味を検索してみてください。あ、このバラはお持ち帰りできますから」
「え?」
「おい、晋太! なに、梓にこそこそと――」
「――いや? 俺に乗り換えない? って口説いてた」
気安い口調で平井さんが言うと、わかりやすく皇丞が不機嫌になった。
つかつかと戻ってきて、私の横に立つ。
「てめぇ」
「おや? 可愛い坊ちゃんがそんな言葉を使ってるなんて知ったら、静江さんが泣くぞ?」
「静江さん?」
「こいつの実家の家政婦さん。皇丞の育ての母親も同然なんだけど、特技が泣き落としなんだ」
「晋太、余計なこと――」
「――可愛い坊ちゃんがそんな汚い言葉を使うなんて、私の育て方が悪かったのでしょうか」
甲高い裏声でそう言いながら、平井さんは手で涙を拭う真似をする。
コックコートを着た、四十代半ばくらいの男性に問われ、私は背筋を伸ばす。
「とても美味しかったです。うまく表現できませんけど、こんなに美味しいお料理は初めてです。特に、ローストポークがとても気に入りました」
「ありがとうございます。地産豚を使っておりますので、鮮度には自信があるんです」
私と皇丞のカップにコーヒーを注いだ支配人は、一礼して先に部屋を出て行く。
コックコートの男性が残っていることが不思議で、思わず彼と顔を見合わせる。
「彼から聞いていませんか?」
「え?」
「私、平井美嘉の兄です」
「え? 平井さん!?」
「はい。妹がいつもお世話になっております」
「いえっ、こちらこそ」
言われてみれば、笑った顔が似ていると思わなくもない。
「皇丞には顔を出すなと言われたんですけどね? あいつが無理を言うなんて初めてだったので、どんな女性を連れてくるのか楽しみだったんですよ」
「知り合い……ですか? でも、ここは友達のお兄さんの奥さんの――、あれ?」
皇丞が言ったことを復唱しようにも、こんがらがる。
平井さんがククッと笑う。
その表情は、確かに妹さんに似ている。
「皇丞の友達って言うのは栗山のことですね」
「栗山……課長?」
確かに二人は友人だ。
「栗山の兄の嫁が、美嘉です。そして、その兄が私」
「え!? でも、平井さんは――」
「――職場ではずっと旧姓を使ってますし、多分、社内で栗山と親戚関係にあることを知っているのは皇丞と数人くらいじゃないかな」
旧姓……。
そう言われてみれば、私が入社した時には既に彼女は結婚していて、『平井』が旧姓だなんて思いもしなかった。
いや、そもそも皇丞はどうしてそんな回りくどい言い方をしたのか。
平井さんのお兄さんと言われれば、すぐにすっきりわかったものを。
「皇丞のこと、よろしくお願いします。栗山とは幼馴染なので、その友達として皇丞が中学生の頃からの付き合いなんです。女にはモテたけど、自分から好きになったり、別れを惜しむような付き合いをしたのは見たことも聞いたこともない。そんなあいつが、初めて自分から手を伸ばしたあなたを喜ばせたいと、俺に頼み込んできたんです。面倒くさい奴ですけど、どうか見捨てないでやってください」
「そんな、私なんて」と、思わず顔の前で両手をぶんぶん振る。
「バラの花ことばをご存じですか?」
平井さんがテーブルに飾られたバラを見る。
「情熱とか愛情を表現しているのでは?」
「らしいです。私も詳しくないのですが」
平井さんは笑って、今度は皇丞を振り返る。
「じゃあ、切るぞ」と電話を終えるところで、彼もまたこちらを振り返った。
平井さんが少し腰を屈めて、私の耳元で囁く。
「本数の意味を検索してみてください。あ、このバラはお持ち帰りできますから」
「え?」
「おい、晋太! なに、梓にこそこそと――」
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つかつかと戻ってきて、私の横に立つ。
「てめぇ」
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「静江さん?」
「こいつの実家の家政婦さん。皇丞の育ての母親も同然なんだけど、特技が泣き落としなんだ」
「晋太、余計なこと――」
「――可愛い坊ちゃんがそんな汚い言葉を使うなんて、私の育て方が悪かったのでしょうか」
甲高い裏声でそう言いながら、平井さんは手で涙を拭う真似をする。
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