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4.合鍵
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私が自信をもって作れる料理は数少ない。
その一つが、お好み焼き。
それも、だいぶ手抜きだが。
作る時はたくさん作って、冷凍してある。
それを課長が知っているのは、彼が私にお粥を作ってくれた時に、ひと通り冷蔵庫の中身を見たから。
とは言っても、一枚ずつ冷凍してあるお好み焼きを焼いたのが誰かまでは分かるはずもなく、直の手作りじゃないかと気になったことを思い出したのは、食事はどうするかと話していた時。
「今度は焼き立てが食いたいな」
レンチンしてからフライパンで表面をカリッとさせたお好み焼きを食べながら、課長が言った。
「作っているところを見ないのなら、いいですよ」
「なんで」
「すっごい手抜きなんで」
「お好み焼きってどうやって手を抜くんだ?」
「教えません」
ハハッと笑って、課長が割り箸で次のひと切れをつまみ上げる。
カウンターで並んで食べようとしたら、リビングで食べたいと言われた。
座って食べるのは足が痛いだろうと思ったのに、構わないからと私をソファに座らせ、自分はラグの上で胡坐をかく。
座布団のようなクッションか小さな座椅子のようなものを買おうかなんて考えて、それは課長がこれからもこの家に来ることが前提のようで恥ずかしくなった。
「課長」
「ん?」
「直が来たら、とりあえず玄関前で話しますから」
「は?」
「荷物の受け渡しだけで済めば、課長が出る必要はないでしょう?」
「いや、話がしたいって言われてるんだろ?」
「そうですけど、もしかしたら、コレとコレは処分しとくから、みたいな話かも――」
「――んなわけあるか」
ですよね、と心の中で呟く。
そして、はぁとため息をつき、大きく深呼吸をした。
覚悟を持って、口を開く。
「直、合鍵を持ってるんです」
課長の咀嚼が止まる。
「……は?」
「それを返してもらおうと思って――」
「――バカか! なんでもっと早く言わないんだよ! それじゃ、いつ天谷が部屋に入ってきてもおかしくないってことだろ。なんで何日も放っておいたんだよ」
なんて、予想通りの反応。
「だから、今日返して――」
「――さすがにそんなことは――」
「――わかるか!」
直はそんなことをするような人じゃないと思いながらも、毎晩鍵だけじゃなくロックもし忘れていないか確認していることは言わずにいよう。
「仕事じゃ抜かりないくせに」
はあっと特大のため息をつかれてしまった。
「引っ越しだな」
「そこまでしなくても」
「鍵のことがなくてもな、天谷との思い出がある部屋に置いときたくない」
ドキッとすることをサラッと言われて、反応に困る。
最後のひと切れを咀嚼し、ウーロン茶で流し込んだ課長が箸を置き、姿勢を正し、両手を合わせて「ごちそうさまでした」と言った。
すでに食べ終えていた私も同様にする。
「本気だぞ」
自分のお皿と私のお皿を重ねて持ち、課長が立ち上がる。空いている手でコップも持つ。
あ、と腰を浮かせた私に手の平を見せて制止し、さっさとシンクに持っていく。そして、そのままお皿とコップを洗い始めた。
御曹司様に洗い物をさせるなんて、と今更ながらに申し訳なくなる。
直の時もそうだったが、こういう時に自分の気の利かなさというかズボラなところを痛感する。
ソファの上で膝を抱えていると、水が流れる音が止まった。
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