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4.合鍵
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しおりを挟む「梓」
「はい?」
膝の上に顎をのせて課長を見る。
手を拭いて、キッチンから出てきた。
「冗談抜きで、引っ越せ」
「でも――」
「――天谷と寝たベッドでお前が寝てるってだけでムカつく」
「……はい?」
「そのソファでは?」
「――――っ!」
課長が言った『寝た』の意味が就寝を指していないと気づき、反射的に顔がかあっと熱くなる。
「全部買い替えるか」
私の反応にムッとした表情で、課長が言う。
「この部屋のもの全部捨てて、身体一つで引っ越せ」
「無理に決まってるでしょ!」
「全部、俺が買ってやる」
「なんでそんな――」
「――ベッドやソファだけじゃない。その服を天谷に脱がされたことは? 今着けてる下着は? そもそも持ち物で天谷にプレゼントされたものは? そういうの全部、許せない」
真顔でずんずんと近づいてきて、両手をソファの背について私を囲う。
顔同士の距離がグッと近くなる。
「本気だぞ」
たとえ本気で思っていても、現実的には元カレに関わるすべての物を入れ替えるなんて不可能だ。不可能なのに、それをやってのけてしまいそうな課長の真剣さと、財力が怖くなる。
切れ長で怖い印象になりがちな目で見つめられ、思わずごくりと喉を鳴らした。
「かちょ――」
「――名前」
「え?」
「いつまで俺を役職で呼ぶ?」
「それは――」
「――いつまで天谷を名前で呼ぶ?」
いつまで、呼ぶつもりだったのだろう。
こうして指摘されなければ、きっとずっと気づかなかったかもしれない。
だって、二年間ずっと直は『直』だった。
きらりは『直くん』と呼んでいた。
直はきらりをなんて呼んでいた……?
『林海さん』と呼んでいたのは、私の前だったからだろうか。
こういうところから、変えていくべきなんだろうなと思った。
「おう……すけさ――」
「――あいつは呼び捨てで、俺はさん付けとか、距離を感じるんだけど」
さらに顔が近づく。
否応なく意識してしまい、顔を背けた。
「そんなこと――」
ピンポーン
インターホンの音に、一瞬時間が止まったように瞬きすら忘れた。
来た……。
チッと小さく舌打ちが聞こえ、課長が私と距離を取る。
「どうする?」
ピンポーン
私ははっと短く息を吸うと、立ち上がった。
「ここにいてください」
課長が納得できていないのは表情で分かったけれど、もしかしたら何事もなく、荷物の交換で終わるかもしれないと思った。そうなってほしいと思った。
インターホン越しに「どうぞ」と言ってオートロックを解除した。
予め玄関に置いておいた直の荷物を持ってドアの外に出ると、課長が追ってきた。
その表情は、苛立っているというよりも、心配そう。
「梓」
「大丈夫です。あ、念のためにロックで少しドアを開けておいてください」
「ああ」
課長が部屋に入り、ドアを開けたままロックをして、ドアに隙間を作る。
すぐに直がエレベーターから下りてきた。
「梓」
「お疲れ様」
「うん、お疲れ」
直の手には、小さな紙袋だけ。彼の部屋には着替えや洗面用品も置いてあったから、その袋に入っているとは思えない。
「ごめん、梓。荷物なんだけど……」
すごく言いづらそうに、紙袋に視線を落とす彼を見て、察してしまった。
「林海さん?」
「……うん」
私の私物は、彼女の手によって処分されたのだろう。もしかしたら、直が仕事に行っている間にでも。
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