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第三章

89 連行

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 ミモザは緊張の面持ちで水が入ったグラスを眺めた。
(息苦しい……)
 空気がとても重い。洒落たレストランの個室には鋭い威圧感が満ち、生きた心地がしない。
 主に目の前にいる人が放っているプレッシャーのせいで。
(忘れてた……)
 ここ最近仲良くしてもらっていたため忘れていたが、この人は獰猛な肉食獣だった。
 ただの小鼠に過ぎないミモザのことなどサクッと殺せてしまうのである。
「それで? 話というのは何かな?」
 彼が腕を組んで微笑む。
 にっこり。
 さらりと波打つ藍色の髪がその動きに合わせて流れ、片方しか見えない黄金の瞳がこちらを射抜いた。
 その表情は格好だけは笑っているが、全然笑っていなかった。


 待ち合わせよりもかなり早い時間にレオンハルトは準備を済ませて屋敷のエントランスに正装で立っていた。彼にはそういうところがある。なんというかせっかちなのだ。それにしても早すぎる時間に首を傾げながら、ミモザは慌てて適当な仕事で使ったことのあるドレスを着て駆け寄った。
「お、お待たせしました」
「…………」
 彼は無言でミモザのことをじっと見た。そして小さく息をつく。
「行くぞ」
 言うと扉へと歩き出す。外に出ると用意のいいことにもうすでにレオンハルトの黄金の翼獅子の紋が入った馬車が待機していた。
 レオンハルトは馬車に近づくと無言で手を差し出した。どうやらエスコートしてくれるらしいと気づいてミモザは大人しくその手を取ると馬車へと乗った。続いてレオンハルトも乗り込み御者に「出せ」と短く声をかける。
「あ、えっと、場所がですね」
 レオンハルトにはもう伝えていたレストランの場所を一応御者にも伝えようと口を開いたところで、
「その店はキャンセルした」
 とレオンハルトに言われてミモザは思わず口をあんぐりと開ける。
 彼は腕を組んで常の気難しい表情のまま淡々と
「店はエーデルに変更した」
 とこともなげに言う。
「え!」
「だがその前に服屋だ」
「え?」
 先ほどからミモザは驚き通しだ。エーデルといえばこの王都でも屈指の名店であり、屈指の高級店でもある。ミモザの予約したレストランなど比べものにならないほど高い。
「お、お金が……」
 ミモザは震えた。さすがにミモザから取り付けた約束だったので今夜は奢るつもりだったのだ。これまでミモザがこつこつとレオンハルトの仕事のお手伝いで貯めたお金が一夜で吹っ飛ぶどころか足りるかどうかもわからない。
 しかしそんなミモザの不安をレオンハルトは鼻で笑った。
「俺が払うに決まっているだろう」
「で、でも……」
 今日のは完全にミモザの都合なのだ。渋るミモザにレオンハルトは呆れたように「ならば止めるか」と言う。
「え」
「エーデル以外なら帰る。今日は解散だ」
「うえええええ」
 思わず蛙が潰された時のような声が出た。レオンハルトはこちらの返答を無表情に待っている。
 そうこうしている間にも馬車は進み、やがてある店の前で停まった。
 外を見るとメインストリートの高級なブティックだった。
「どうする?」
 彼が首を傾げるのに、
「ご馳走になります」
 としかミモザは言えなかった。
「よし」
 満足そうに目を細めて彼は頷くと、扉を開けて馬車から降りた。

(一体何をしているんだろう……)
 ミモザはうつろな目で鏡を眺めた。
「あら、こちらのドレスもお似合いですね」
「でしたら合わせるのはこちらのイヤリングと髪飾りが……」
 きゃいきゃいと女性店員がとっかえひっかえドレスと装飾品とついでに靴も持ってくる。
 ミモザは棒立ちでそれを合わせられていた。
「一つ前のにしよう。その藍色のだ。合いそうな小物をとりあえず全部出して並べてくれ」
 レオンハルトはその様子を近くで椅子に座って眺めている。愉快そうな面持ちであれこれと指示を出していた。
 よくわからないがとりあえずドレスは決まったらしい。ぼんやり眺めていると並べられたネックレスやらイヤリングやらから彼はいくつかピックアップした。
 どうやらアクセサリーも決まったようだ。
「着替えてこい」
 言われてミモザは店員に試着室へと連行される。気分は市場へと売られていく子牛である。
 店員に一人では着るのも脱ぐのも大変そうなドレスを着せられる。アクセサリーをつけられ髪も整えられた。
「……どうでしょう?」
 試着室から出てとりあえずレオンハルトに問う。
 今、ミモザは深い藍色のドレスを着ていた。シックなデザインで要所要所に金糸で草花の刺繍がされたものだ。その上にはグレーのショールを羽織っている。耳元には黄色いトパーズのイヤリングだ。首元にはいつものレオンハルトからもらったベルベットのリボンを巻いており、その黄色い石と合わせたのだろう。髪飾りは金をベースにしてドレスに色味を合わせたラピスラズリがふんだんにあしらわれていた。
 それにレオンハルトは満足そうに頷く。
「それでいい」
「はぁ……」
 ミモザはもう半ばぐったりしている。しかしこの程度でレオンハルトの機嫌が取れるならば安いものだろう。一体どれほどの品なのかミモザにはお高いということしかわからないが、レオンハルトが支払うのをぼんやりと眺めてミモザは再び馬車へと連行された。

「ありがとうございました」
 店員は二人を見送ってふぅ、とひとごこちついた。
「ねぇねぇ、先輩、すごかったですね」
 そんな彼女に後輩の店員が弾んだ声で話しかける。
「何が?」
「何がって! 見事にドレスと装飾品の色合いが聖騎士様と一緒だったじゃないですか!」
 独占欲丸出し! と後輩ははしゃぐ。
「ああ」
 彼女はそれに軽く頷いた。
「以前の時もそうだったじゃない」
「以前?」
「ほら、殿下の婚約披露パーティーの時」
 あの時も聖騎士レオンハルトは夜空色のドレスを注文していたのだ。
「彼女自身はこの店には来なかったけど、サイズが一緒よ」
 ほら、と過去の履歴を見せると、後輩はそれを覗き込んで「あらやだー」と声を上げた。
「ガチじゃないですか」
「ガチでしょ」
 うんうんと頷き合う。
「わたしも玉の輿乗りたーい」
「それ口に出して言う子は乗れないんじゃない」
「えー」
「ほら、片付けるわよ。次の予約のお客様が来る前に」
 はーい、と返事をする元気な後輩とともに、彼女は広げた商品を一つ一つ丁寧に片付け始めた。
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