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第一章

12 狂化個体

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 何が起きたのか分からなかった。
 ちりちりと何かが焼けこげているような熱と臭気に包まれながら、それを呆然と見上げる。
 熊達の首から上が吹き飛んでいた。
「そのまま伏せていろ」
「ひぇっ」 
 声と共に熱波が頭上を掠める。おそるおそる顔を上げると、残りの熊達の首も跳ね飛ばされているところだった。
「……くびちょんぱだ」
 どさどさと音を立てて首なしの遺体が目の前に積み上がる。
「無事か?」
 その悪夢のような光景を一瞬で作り上げた人物は、状況にそぐわぬ落ち着いた声でのんびりと聞いてきた。一応疑問形はとっているがその口調は無事を確信している。
「……レオンハルト様」
 そこにはまごうことなき最強の精霊騎士の姿があった。

「どうしてここに……」
「うん?時々様子を見に来ると言っただろう」
 差し出された手をとり立ち上がる。どうやら彼は忙しい仕事の合間を縫ってミモザの様子を見に来てくれたようだった。
 てっきりミモザのことなどもう忘れてしまったか相手をするのが億劫になってしまったかと思っていたので驚く。その表情からこちらの気持ちを察したのだろう。レオンハルトは少々気分を害したように眉を顰めた。
「別に忘れていたわけでも投げ出したわけでもない」
「え、へへへ、もちろんです。そんなこと思ってませんよ!」
「まったく…、まぁ、出していた課題はきちんとこなしていたようだな」
 ミモザの服から出ている筋肉のついた腕や足を見て、「そこは褒めてやろう」と鷹揚に頷いた。
「そこに着けたんだな」
  ふと気がついたように彼が言う。視線を辿るとそれはミモザの首元、レオンハルトにもらった黄色い宝石のついたリボンに向いていた。
「ああ」と頷いてミモザは遠い目になる。大変だったのだ、色々と。
 最初は見えないように服の中、腕や足につけようとした。なぜならこんな高価そうなものを持っていれば母や姉に何かを言われることは必至だったからだ。
 しかしこの魔導具、どうやらこの宝石部分を隠してしまうと効果がないらしかった。そのためなんとか目立たず宝石が隠れない場所を模索したが、そんな場所は思いつかなかったのである。
 仕方なくレオンハルトを真似して髪につけようとして、髪が短くて断念した。次に腕につけたがいつ汚れるか壊してしまうかとハラハラしてしまい落ち着かず、最終的に落ち着いたのが首にチョーカーのように巻くという現状である。
 当然のことながら、母には「そんな高そうなものどうしたの?」と心配げに聞かれ、姉には「いいなぁ、わたしもそういうオシャレなの欲しい」と詰め寄られた。
 それに対してミモザは「誕生日プレゼントにもらった」「これあんまり高くないよ!宝石じゃなくてイミテーションだって」で無理矢理押し通した。実は春生まれでレオンハルトに出会う1ヶ月前に12歳になったばかりだったミモザは「少し遅めの誕生日プレゼント」と言い張った。相手に関しては「時々遊んでくれる近所のお兄さん」だと母にだけこっそりと告げた。納得はしていないようだったがそれ以上は話したがらないミモザに母はひとまず様子を見ることにしたらしい。姉はあまり高価な物ではないと聞いて欲しがるのをやめた。元々レオンハルトが着けていただけあって男性向きのデザインのため好みじゃなかったのだろう。
「えっと、他につける場所が思いつかなくて……」
 しかしそれを言っても仕方がないのでミモザは前半部分だけを割愛して伝えた。
 レオンハルトはそんなミモザの様子に気づいていないわけではないのだろうが、「ふうん」と気のないふうに流す。
 そして手を伸ばしてリボンの位置をちょいちょいと直し始めた。どうやら熊とやり合っている間にズレていたらしい。それだけでは直らなかったのか、彼は一度結び目を解いて綺麗に巻き直してくれた。
 巻き直すために顔が近づき、長い藍色のまつ毛が伏せられているのが間近に見える。
「よし。ああ、よく似合っているな」
 巻き終わったのかそのまま顔を上げて彼が微笑んだ。
「……はぁ、どうも」
(ドアップに耐えうる美形すごいな)
 そして紳士である。初対面の時は垂れ流しになっていた黒いオーラが今は見えないため、さらに美形に拍車がかかりその顔はきらきらと輝いて見えた。
 リボンに手で触って確認するとミモザが巻いた時よりもずっと綺麗に結ばれているように思う。
「前回会った時、落ち合う場所を決めていなかっただろう。君と初めて会った場所に行けばいいかと思っていたら、大量の野良精霊が村に向かって走っているじゃないか。放っておくと障りがありそうだったからそいつらを片付けながら様子を見に来たら君がいたんだ」
 そのまま素知らぬ顔で彼は話題を戻した。惚けていたミモザは一瞬話題についていけずぱちぱちと瞬く。そんなミモザには構わず「まさかこの森でもこんなことが起きるとはな」とレオンハルトは続けた。
「この森で『も』?」
 その言葉に引っかかりを覚えてミモザは首をひねった。それを横目でちらりと流しみて「ああ」と彼は頷く。
「数はそう多くないが他の場所でも同様の事例が見られていてな。なんの前触れもなく局地的に狂化個体が大量発生するんだ。その対応と原因調査でなかなか手が離せなかった」
「原因、わかったんですか?」
 彼はその質問には答えず肩をすくめてみせた。わからなかったということだろう。
(ゲームの状況と似てる)
 主人公のステラが最終的に聖騎士の地位を賜ることになる事件。あれは確かボス精霊が狂化したことによる暴走を止めるというものだったはずだ。そしてその前兆は主人公が故郷を旅立った頃からすでに見られていた。
 この3つ目の熊はその前兆のうちの一つだ。
(ゲームが始まる前からすでに前兆があったのかな)
 もしくは本当に展開が早まってしまっているのか。
 いずれにしても、ゲームでその原因が語られていたのかどうかすらミモザには思い出せなかった。
「随分と頑張ってくれていたね」
「え?」
 思考の海にもぐっていたミモザはその声に我に帰る。見上げるとレオンハルトは微笑んだ。
「君がここで抑えてくれていたから俺が間に合った。君がいなければ村に被害が出ていただろう」
「そんなことは……」
「あるさ。謙遜は美徳だが卑屈は害悪だ。自身の功績は素直に誇りなさい」
 そう言って背中を叩く手は力強く、ミモザを明るい方へと後押しするようだ。
「あ、りがとう、ございます」
 胸が熱くなる。涙が溢れそうでミモザは俯いた。
 努力を認められるということがこんなに得難いことなのだと、生まれて初めて知った気がした。
「さて、俺はもう少し奥の方を調べてみるつもりだが、君はどうする?」
「ご一緒させてください!」
「足を引っ張るようなら置いていくぞ」
 意気込むミモザにレオンハルトは笑顔で釘を刺す。
 わりと本気の声音だった。

 結論から言うとまるで原因となるようなものは見つからなかった。
 先ほど暴れ回っていた熊達が寝ぐらにしていたのであろう巣穴は見つかったのだが、レオンハルトによるとその巣穴自体にも周辺にも特に狂化に繋がるような不自然な点は見当たらないらしい。
「基本的には野良精霊が狂化することは非常に少ないんだがな」
「そうなのですか?」
「ああ、通常狂化というのは人間の感情に引っ張られてなるものだ。抑圧されたストレスが爆発する形で起こる。しかし野生動物はストレスが加えられても抑えるということをせずその場で威嚇という形で発散するものだ。よって狂化しにくい」
「それは…、野生動物でも追い詰められるような状況に長くさらされれば起きるということでしょうか」
 ミモザの鋭い指摘に意外そうにひょい、と眉を上げてレオンハルトは頷く。
「そうだな。そう考えてもらっていい。多くは自然災害や人間が住み家を踏み入り荒らすことで起こる。しかしこの場所は平和そのもので災害などが起こった痕跡も森が開拓された様子もない」
 これは他の場所と同じくこれ以上探っても何も出ないだろうな、とレオンハルトはぼやいた。
「それって……」
 言いかけたミモザに、皆まで言うな、と彼は手を振る。
「推測の域を出ん。迂闊なことは言うものではないよ」
 そのセリフが彼もミモザと同じ可能性を思い浮かべているのだと物語っていた。
 天災でないのならばこれはきっと人災だ。レオンハルトが何件も調査していずれも痕跡がないというのならば、それは意図的にその痕跡を隠蔽しているとしか思えない。
 誰かが人為的に狂化を起こしている。
 単純に人知れず虐待などを行った結果として偶然狂化が起こっているのならばいいが、狂化を起こすことを目的としていた場合は厄介と言うより他にない。
「まぁ、この話はここまでだ。時間もないし本題に入るとしようか」
「本題?」
 首を傾げるミモザに「何のために俺がここに来たと思っている」と彼は呆れたように言った。
「君の修行をつけるためだろう」
「あ」
 すっかり頭から抜けていた。そんなミモザに彼は再びため息をつくと、
「ところで自己紹介を忘れていた。俺はレオンハルト・ガードナーという。守護精霊の名はレーヴェ。君の名前は?」
 となんとも今更なことを聞いてきた。
「えっと、有名なので存じています。ミモザと、この子はチロです……」
 ミモザもすっかり忘れていたので人のことを言えなかった。
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