僕だけのペット

さとう

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 《ユウキside》

「それじゃあ……また、夜に来ます。」

 少し硬いけれど、柔らかさの残る声。そんな声が聞こえなくなったと共に、重く閉じられた玄関の扉。その扉を数秒…十数秒見つめたあと、僕は長い息を吐く。

「ふぅ……。はぁ……。」

 息を吸って、吐く。吸って…吐く。
 心も、体も落ち着かせるように。一旦、冷静な考えができるように。しばらく深呼吸を続けながらも、僕の脳内ではとっくに高速緊急会議が始まっていた。

 やらかしてしまった。完全に、レイさんに嵌められてしまった。そう思ったときには時すでに遅し。次の会う約束を取り付けられてしまった。
 どうしたら挽回できるだろうか。レイさんのペースに巻き込まれずに、距離を置くことができるか。


 昨日は、僕が一度も着ていない服をわざわざ着てもらった。無理言って、寝室で寝てもらった。僕が変な気を起こさないように、自分に抑制剤まで打って寝た。
 今朝だって、レイさんが中々起きてこないことに違和感を抱きつつも、起こしに行かずに朝食の準備をしていた。レイさんが起きてきてからも、向かい合って食べているときも、今まで以上に距離を取ったはずだったのに。

「昨日のこととか……。もちろん、このご飯のこともお返ししたいから、今夜…会えませんか。」

 朝食を口に入れ始めて約1分…いや、ほんの数十秒だった。
 几帳面でしっかりしているレイさんのことだから、お返しの相談はされると思っていた。だが、あまりにも誘いが早すぎて、危うく持っていた箸を落とすところだった。僕の耳も尻尾も正直だから、箸を落とさなくたって動揺していたのはバレていただろうけど。

(こんなにすぐだとは……。)

 呆気にとられていたが一瞬で我に返ると、自分の前髪を手櫛で整えながら、当たり障りのない言葉と共に断った。気持ちだけ受け取る、万が一バレることがあったらレイさんに迷惑をかけるから、と。
 しかし、僕のことを好きな人は、必然的に頑固者であることが確定してしまう。今までも、もちろん今も当てはまることだ。レイさんも例外ではない。僕が無理やりレイさんを寝室で寝かせたように、彼も簡単に諦めようとしない。

「お礼くらいはさせてください。もし行けない事情があるなら、何か持っていきますから。」

 半ば脅しのようなその言葉に、昔悩まされていた厄介な追っかけのことを思い出して背筋がぞくりとした。
 レイさんにばかり負担もかけられないし、早いうちにアイドルとオタクの距離感に戻らなければいけない。一種の使命感のようなものに駆られながら、渋々頷いた。

「…分かった。今日は一日フリーの予定だから、準備が出来たらまたここにおいで。その時のタクシー代も出すし。」

 それからは色々ありすぎて、何があったのか正直覚えていない。
 ただ、俺の家にタクシーを呼び寄せて、レイさんを帰らせたことだけは覚えている。レイさんが着ていたスウェットと、家まで帰れるようなコーデも一着用意して、プレゼントした。レイさんは服もタクシーも遠慮していたけれど、このまま匂いを残しておくのも気が進まない僕は、甘い言葉を囁きながら持たせておいた。これは不可抗力だから仕方ない。


 そんな出来事を経て、今この状況だ。
 今度こそ、レイさんに話をしなければならない。アイドル活動に集中するためにも、レイさんの中のを保っていくためにも。

 僕はダイニングテーブルに置いていた自分のスマホを取ると、メッセージアプリを開く。
 仕事に関する連絡もあれば、メンバーや知人との何気ない会話、更にはよく分からない広告まで一斉に表示される。
 新着順から表示されているそれを少しスクロールして、目当ての人物とのトーク画面へとたどり着く。最後に連絡を取ったのはつい最近で、相手から無愛想な猫のスタンプで会話を終えていた。だが、そんなことは気にしない。

『距離置きたい子と、どうやって距離を置けばいいと思う?』

 簡潔にそう打ち込むと、少し躊躇いながらも送信ボタンを押す。
 彼の話し方はぶっきらぼうだし、一見素っ気ない人だと思われる。だけど、本当に困っているときは誰よりも親身に話を聞いてくれる。僕は、それこそが彼の人気の要因だと知っている。レイさんと同じオメガという立場でも、にはいいアドバイスをもらえるのではないかと思ったから連絡した。

 かといって、零央も有名人だ。ソロの仕事に関しては、僕よりももらっているだろう。夜まで時間もあるし、返信を待つ間に皿でも洗っておこうか。
 そう思いながらスマホをテーブルに置いてリビングに向かおうとすると、スマホが小さく震えた。

 ブブッ。そんなバイブレーションと共に表示されたのは、メッセージアプリの通知。しかも、相手は零央だった。
 急いでスマホを手に取り、内容を確認する。

『急に何?』

 最初はその一言だったが、立て続けにメッセージが飛んでくる。

『お前がそんなこと相談してくるの初めてじゃね?彼女?』

 まず先に「彼女?」と聞いてくれるところがあまりにも零央らしい。自分が思った答えを言うだけではなく、その人の状況に合わせて一緒に考えてくれるところ。あくまで聞き役として相談に乗ってくれるところが零央のよさだろう。

『ううん。ファンの子。偶然が重なって、少し関わるようになっちゃって』

 少し悩んだ末に、そう送信した。
 どこまで話してもいいことなのか悩んでしまったが、これくらいの情報量でも大意は伝わるだろう。間違っても、発情期のレイさんに会ってしまったことは言えない。
 僕が嫌っている子、という風にも取られてしまうのではないかと一瞬の不安がよぎった。だが言い訳した方がややこしくなってしまうと思ったので、送信取り消しもせず大人しく反応を待つことにした。

 意外にも、零央のメッセージは数分もかからずに帰ってきた。

『ファンの子なら悩む必要もないだろ。素直に言えばいいじゃん。その人はお前の幸せを一番に願ってるんだろうし、本当に好きだったら受け入れてくれるよ』

 いつものようにぶっきらぼうな言葉だったが、僕の心に妙に染み込んでいった。

 そうか。素直に言えば、よかったのか。
 「ユウくんが幸せならそれでいい」と、レイさんが何度も言ってくれている。
 それなのに伝え方に悩んで、ましてや誰かに相談までしてしまうなんて。まるで、レイさんを信用していないみたいで、何よりレイさんに失礼なことをしてしまうところだった。
 いつもの僕らしく伝えたらいいんだ。そう、いつもの僕のように自信を持って。

『ありがとう』

 短いながらも心を込めて返信をすると、すぐにスタンプが返ってきた。いつもの無愛想な猫のスタンプに笑みを漏らし、スマホを置いて立ち上がる。

「よしっ。頑張ろう」

 自分に喝を入れた僕は、慣れない家で慣れない家事をこなしながら、今夜のことを悶々と考え続けていた。
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