僕だけのペット

さとう

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 《レイside》

「○○までお願いします。」

 簡潔に場所だけ伝えると、そのままタクシーに乗り込む。「はいよ!」と答える、運転手にしては元気なおじさんの声にも、今は反応できる余裕はなかった。


 ユウくんを、傷つけてしまったただろうか。

 オタクにとって最悪なパターンが脳裏を掠めるほどに、ユウくんとの距離が一気に変わっていた。

 朝食を準備してくれていたときの会話も、朝食を食べているときも。どんなときも人と目を合わせて話すユウくんが、俺と目を合わせなかった。いや、合わせてくれなかった。
 女の子のファンばかりだった握手会のときでさえ、男の俺と目を合わせて話してくれたのに。

 そう思うと、心臓が止まってしまいそうなほどの不安に襲われて、「お返しがしたい」と頭で考えていたことがポロッと口から出てしまった。
 ユウくんは自然に断っていたけど、ふさふさの耳や尻尾は警戒するように毛が逆立っていた。そして、前髪も触っていた。
 そのユウくんの反応が、俺の不安を裏付ける。
 ユウくんが前髪を触るのは、嘘をつくときの癖。俺のせいで、ユウくんに嘘をつかせてしまった。

 ねえ、俺はユウくんのオタクだよ。オタクどころか、発情期の自分の身をユウくんに預けたいって思うほど、好きなんだ。ユウくんの存在が俺の生きる理由になるくらい、大好きなんだ。嘘くらいは見分けられるよ。
 そう本人に伝えたいくらいだったが、いざ口を開くと言葉が出なかった。でも、頭も心もぐちゃぐちゃで、何かを吐き出さないと爆発してしまいそうなほどだった。

 結局、ユウくんを怯えさせるような脅しじみた誘い方で、無理やり了承させてしまった。ユウくんが厄介な追っかけに悩まされていたことは、知っていたはずなのに。
 俺は、ユウくんのことなど、何も考えたいなかった。名前を覚えてもらえたからって、発情しているときに構ってもらえたからって、俺はただのファン。ユウくんが優しいから許されたのであって、ユウくんの許しももらわずに襲ったことは立派な犯罪だ。
 何に関しても、俺はユウくんの優しさに甘えて自分のエゴを押し付けた。そんな自分に、ファンを名乗る資格はあるのだろうか。


「お客さん。着いたよ。」

 さっきとは打って変わった落ち着いた運転手の声に、一気に現実に引き戻される。慌ててバッグから財布を出そうとして、動きを止める。

(ライブから、まだ一日も経ってないのか。)

 財布を取り出したバッグは、ライブに参戦するために作った痛バ。ユウくんにとって大事な節目のライブだったから、あまりにも楽しみで随分前から準備していたものだった。
 こんなことになってしまうくらいだったら、無理してライブに行かない方がよかったのだろうか。オメガらしくいたら、こんなことにならなかったのではないか。

「あ、すみません。いくらですか?」
「1万2000円だよ。」

 悪い思考を吹き飛ばすように軽く頭を振ると、運転手から聞いた金額を支払った。すると、番号が書かれた領収書に、何かが包まれた状態で一緒に手渡された。
 不思議に思い中身を確認すると、そこにはオメガ専用の抑制剤。

「あの……これって…。」

 運転手に恐る恐る確認する。何が目的で抑制剤を渡してきたのか、よく分からなかった。

「君、今発情期中なんじゃないか?さっきからフェロモンが強くなってきていてね。」
「え……?あ、あぁ…。気分を悪くされていたのなら、申し訳ないです。」

 なるほど、と思うのと同時に少し申し訳なくなってくる。自分が他人のフェロモンで体調を崩しやすいから、どうしても迷惑をかけていないか心配になってしまう。こんな狭い密室で発情期のフェロモンなんか出されたら、俺には耐えられない。

「気にしなくていい、私もオメガだから。困った時はお互い様だからね。それと、その領収書に番号が書いてあるだろう?私の電話番号だから、発情期が収まるまで、タクシーを使うときはこの番号に連絡してくれ。」

 正直、驚いた。そして、少し疑った。
 同じオメガだからといって、ここまで親切にされたことなどなかったから。オメガは自分のことに精一杯なのは当たり前だし、俺だって自分のことしか考えられていないから。
 親切にしてくれるのはいつだって、下心のあるアルファだけだった。俺の中で、それが常識だった。

「…最近は、アルファがオメガを狙って事件を起こすことが増えているんだ。強制発情剤はもちろん、無理やり項を噛んで自分の番にしたりな。」
「っ……!」

 その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。
 光景が、突如としてフラッシュバックする。

 腹を突き刺されるような鈍痛。肌を引き裂かれるような痛み。脳髄まで響く甲高い笑い声、罵声。鎖で完全に拘束された体。本能に決して逆らえない苦痛。
 まるで、パンドラの箱を開けるかのように次々と感覚が引き出され、身の毛がよだつ恐怖に支配される。

(い……やだ、いやだ…いやだ、いやだ…いや……。)

 気づけば、微かに違和感の残る項を引っ掻いていた。引っ掻いたって何も変わらないのは気づいているはずなのに、やめられなかった。やめれるわけが、なかった。

 全身が心臓になったと勘違いしてしまうほどに、激しく鼓動する。心臓が鼓動するように、俺の身体も痙攣していく。異常な程に汗をかき、手足の感覚が消えていく。
 体は異常反応を示しているのに、俺の頭の中は記憶でいっぱいだった。

「ヒュ……ひ…ぁ…ヒュッ……。」

 誰かに喉元を掴まれているかのように、呼吸が出来なくなっていく。
 吸え。吸え。酸素を吸え。吸え。何してるんだ、俺。早く吸え……。

「お客さん?どうしたんだい?」
「ヒィッ……ぅ…はっ……ぐ……。」

 気遣いの言葉だって解っていた。俺を心配していることも解っていた。
 だが、パニックに陥った今の俺には全てが攻撃的に感じてしまう。

「ごめ……っ、なさ……カヒュ……ごめ…。」

 俺は震える手でカバンを手に取ると、慌ててタクシーから降りて、逃げるように駆け出した。
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