お隣さんはセックスフレンド

3-1.夜に走る

3

「リョウ、まだいたのか」
　岸の声で、遼は資料の束から顔を上げた。腕時計で時間を確認すると、十時を過ぎたところだった。
　遼は事務所の会議室にいた。先ほどまで、大晦日のカウントダウンライブの打ち合わせをしていた。大晦日まであと一ヶ月と少しで、大まかなライブの演出は決まっていたので、細部をつめていく段階になっていた。カズとタスク、他のスタッフは先に帰ったので、会議室には遼一人だけだ。
「すいません、閉めますよね？」
「まぁ、そろそろ」
「すぐ帰ります」
　机の上に散らばった資料を片付ける遼に、岸は「急がなくていいぞ」と声をかけた。
　遼が見ていた資料は、打ち合わせで配られたものだった。次の打ち合わせまでに確認しておけばいいものだったが、遼は先に確認してしまおうと会議室に残っていた。
「岸さんは？今日はもう終わりですか？」
　カバンに資料を入れながら、遼は尋ねた。岸はいつでも事務所にいるので、いつ帰っているのか、遼にとっては不思議だった。
「うん。帰るついでに送るよ」
「え、いいです、岸さんも疲れてるのに」
「俺のことは気にするなって」
　岸の有無を言わせない雰囲気に、遼は頷くしかなかった。遼がカバンに荷物を詰め終わるまで、岸は待っていた。
　会議室から地下駐車場へと移動し、二人は岸の私用車に乗りこんだ。遼は助手席に座る。一応免許は持っている遼だが、普段運転することはほとんどない。
「どこか寄るところあるか？買い物は？」
「大丈夫です」
「じゃあマンションまでだな」
　岸はエンジンをかけ、遼のマンションに向けて道路を走る。
　金曜の夜のせいか、道路にはタクシーが多い。混雑している道もあったが、概ねスムーズに車は走った。
「そういえば、ケーキ美味しいところ知ってますか？」
　遼はハンドルを握る岸に尋ねた。岸は差し入れや土産に、美味しいものを買ってきてくれることが多い。有名店から、どこで知るのだろうという無名店まで様々だ。BloomDreamのメンバーは岸が買ってくるものに間違いはないと確信していた。
「ケーキ？うーん、ケーキなら…」
　岸は心当たりの店名を二、三軒口にした。聞きなれない店名に、遼は「すいません、もう一回教えてください」と慌てる。
「あとでメールで送っとくから」
「ありがとうございます」
「でもなんでケーキ？」
　岸に尋ねられて、遼は答えるのを躊躇った。二十歳を超えた大人二人で、ホールケーキを食べるなんて恥ずかしいのではないかと思い至る。
「えっと、クリスマスに食べようかと思って」
「あぁ、クリスマスなら予約しないと買えないしな」
　真面目に取り合ってくれた岸に、心の中で謝罪しつつ、遼は「そうですね」と曖昧に答えを返した。
　ふいに車内にスマホの着信音が鳴り響いた。岸は反射的に、スーツの内ポケットに手を入れ、スマホを触る。着信音と同時にバイブも設定しているが、スマホは静かなままだった。
「リョウ、スマホ鳴ってるぞ」
　遼は岸に言われて、初めて自分のスマホが鳴っていることに気づいた。普段あまり聞かない着信音を認識できなかった。慌ててカバンからスマホを取り出し、画面を確認すると「今ヶ瀬」と表示されていた。一瞬誰のことかわからず、数秒後に王輝のことだと思考が追い付く。しかし、メッセージではなく電話の着信だったため、遼は再び思考が止まった。
　王輝からの電話は初めてだった。お互いの電話番号は知っていたが、今まで通話をしたことはなく、メッセージのやり取りのみだった。それほど急ぎの要件なのだろうかと訝しむと同時に、胸騒ぎもして、遼はじっと画面を見つめた。
「電話だろ？でないのか？」
　黙ってスマホを見つめる遼に、岸は促す。車内で通話することを遠慮しているのかと思ったからだった。
　躊躇うように、遼の視線が岸の顔とスマホを何度か往復した後、「すいません」と遼は一言謝って、通話ボタンに触れた。通話中になり、画面の通話時間がじわじわとカウントアップされていく。
　スマホを耳元へと移動させ「もしもし」と電話の向こうの王輝に声をかける。ざわざわと雑踏の音が聞こえるが、王輝の声は聞こえない。「今ヶ瀬？」と呼びかけると、電話の遠くで声が聞こえた。
「今ヶ瀬？ どうした？」
　遼はもう一度呼びかける。その様子を岸は運転しながら、心配そうに横目で見つめた。
『…佐季…？』
「今ヶ瀬？」
『佐季』
「何？どうした？」
『 …っ…たすけて』
　微かに聞こえた王輝の言葉に、遼の心臓はどくんと跳ねた。