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3・放課後のキノコ狩り
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水の記憶がある。
そこで誰かと一緒にいたように思う。
その人は誰だったんのか。友人だったような気もするが、肉親だったような気もする。
僕はその人と一緒に遊んでいたのではなかっただろうか。
水の流れの音。飛沫の音。
その人はどうなったのだろう。
その時以来、僕はその人と会った記憶がない。
その人は今も存在する人なのだろうか?
あるいは最初からその人は、ヒトとして存在していなかったのではないか?
僕にだけ見える存在。
その人はもしかしたらそんな存在ではなかったのか。
研坂さんに言われるまで、自分の事を普通だと思っていた。
おかしなモノなんか見えない。そんなモノが見えた記憶もない。
だけど、そう。
もしも僕が彼らからいろいろ聞かされていなかったとしても、今回の事で僕は自分が普通ではないと気付いた事だろう。
何故なら、その日、僕の目にはおかしなモノが見えた。
教室の中に生える巨大なキノコが。
ゴールデンウィーク、僕は百合彦と二人で町に遊びにきていた。
5月というのは日によっては真夏日になる。
今日はそんな感じの暑い日だった。
「やっぱり連休だけあって、映画館込んでるんだろうね」
「それはそうでしょ。でも良いじゃん、席はネット確保してあるし」
僕達は映画館にむかって、駅前から移動していた。
映画館は少し離れた場所にある。
地下街を抜けたり、どう歩いて行っても良いんだけど、たまたま地上を歩いていた。
映画館まであと少しという時、人だかりの出来ている建物に気付いた。
大きな建物だけど、映画館とかそういうおしゃれな雰囲気ではない。
役所にしては人だかりが多すぎる。
「あの建物ってなんだろう?」
好奇心で口を開くと、百合彦がそちらを見た。
「ああ、江南ホールだよ」
「江南ホール?」
「地域の催しものとかが行われる場所」
「じゃあ、あの人だかりは?」
「なんか掲示板に書いてあるんじゃない?」
僕は掲示板を覗き込んだ。すると今日の日付のポスターが目に入った。
「江南狂言祭、「清水座頭きよみずざとう」、「鱸庖丁すずきぼうちょう」、「附子ぶす」、「茸くさびら」出演野々村万万作」
「狂言の舞台みたいだね」
百合彦は呟いた。
狂言というのは言葉としては知っていたが、実際にはどういうものか実はよく分からなかった。
「これ、タダで見れるのかな?」
呟くと百合彦は嫌そうな顔をした。
「ええ? だって俺達今から映画見に行くんだから無理だよ」
「そうだけど、遅くまでやってるんなら、後半は見られるのかなって」
「却下です。映画終わったら、洋服見に行くんだから」
「うん、まあ、別に良いけど……」
そう言いつつも狂言に未練たらたら、僕は人だかりの方を見た。
「あ、あれ? あそこにいるのって同じクラスの松方じゃない?」
歩き去ろうとする百合彦の袖を引っ張った。
「え、本当だ。もしかして狂言見るのかな? 孤高の優等生って感じだし、やっぱ見る物も崇高な趣味って感じだね」
松方は僕達と同じクラスだったが、会話はした事がなかった。
僕はいつも百合彦とばかり話していた。そういえば彼はどこのグループにいただろうか?
記憶にない。孤高の優等生と百合彦は言ったが、確かに彼は超絶した空気を持っていた。
「俺達のような庶民とはやっぱり違うよね。ほら、アスカ、映画に遅れるから行くよ」
百合彦に引っ張られて歩き出した。
あそこにいるという事は、彼はこれから狂言を見るのだろう。
ちょっと羨ましく思った。
百合彦は興味がなさそうだった狂言に、興味を持っている松方。
僕はちょっと彼と話がしてみたいなと思った。
映画の後、軽くお昼を食べてから、百合彦に付き合って洋服を見にファッションビルに入った。
外はあんなに暑いのに、映画館もビルの中も涼しくて快適だった。
百合彦の目当ての店に行くまでに、ブラブラと他の店を覗いていたら、急に大声で呼び止められた。
「アスカじゃんか!」
その異常に大きな声で相手が誰だかわかった。
そこにはいつもガサツな水橋さんといつも穏やかなフミヤさんがいた。
「おいおい、ゴールデンウィークに男二人で、ラブラブデートか? もしかしてそっちの彼はアスカちんのおホモダチかな?」
「男二人で、ゴールデンウィークに出かけるって、そちらも同じ状況のように見えますが?」
僕が冷静に対応する横で、百合彦が小声で言った。
「この人、頭悪そうだね」
僕は無言で頷く。
「ち、俺達はいーんだよ。風紀委員同士だからな」
まったく意味不明だ。でも突っ込んでもしょうがない。
水橋さんは次元の違う思考で生きてそうだからな。
「お買いものですか?」
僕は心のオアシスのフミヤさんに話しかけた。
「ああ、でも別に委員会ガラミではないよ」
「はい」
フミヤさんは百合彦に視線を向けると、やさしく微笑む。
「初めまして、風紀委員の本田史也です」
「あ、高橋百合彦です!」
「アスカと仲がいいのかな? ごめんね、彼を風紀委員に入れてしまったから、たまに委員会の仕事で、君との時間を奪ってしまうかもしれない」
「いえ、それは構いませんよ。それにアスカがいろんな人と付き合うの、勉強になって良いと思いますし」
「そう言ってくれると嬉しいよ。なんだか君はアスカの保護者みたいだね」
「そうですか? でもまあ、中学からの付き合いなので」
二人は意気投合したようだった。僕の保護者が百合彦か、じゃあフミヤさんと水橋さんもそんな関係なんだろう。
そう思って水橋さんを見た。
「いや、この場合は飼い主だ。猛獣使いに違いない」
「おい! なんの話だ!?」
水橋さんにすごまれてしまった。
「しまった、心の声が漏れてしまった」
「お前、俺にケンカ売ってるよな、ああ!?」
水橋さんは僕の頭をヘッドロックした。
「ちょ、やめて下さい、痛いです!」
「この二人、結構良いコンビなんですね」
百合彦が呟き、フミヤさんは微笑して頷いた。そんな会話より先に助けて欲しいと思った。
そのまま四人で服を見て、お茶までしてしまった。
百合彦は二人の先輩と仲良くなったようで、なんとなく嬉しくなった。
連休が終わり憂鬱な平日がやってきた。
学校に行くだけで、もう気が重い。別に特に嫌な事があるわけではない。
授業が嫌だと言えば嫌だけど、耐えがたい何かがあるわけでは決してない。
そんな気分の中、教室に入って声を上げた。
「うわ!」
ドアの前で一歩足を引いた僕に、中にいた人たちが怪訝な顔を向ける。
「おはよう、アスカ、何してるの?」
百合彦が普通に話しかけてくる。
「何してるって、その……」
教室中を見渡した。
えっと、窓際前方の席の前に一個、いや一本て数えるのか? それはまぁいいや、とにかく窓際後ろにも一個、教壇脇に一個、いやもうとにかくいたる所に巨大キノコが生えていた。
これはどう見てもキノコだ。ナメコなのかシイタケなのか種類は分からない。
とにかくキノコにしか見えない物体が、教室の床から生えていた。
いくら鈍感な僕でもこれは尋常ではないと気付く。明らかに普通じゃない。
「えっと、百合彦、教室にヘンなモノが生えてない?」
「変なモノ?」
百合彦は首を傾げる。
「いや、うん、なんでもない」
そうだよ、見えているワケがない。見えていたら突っ込まずにはいられないだろう。
だって巨大キノコだよ、キノコ。
いや、これが巨大じゃなかったとしても教室にキノコが生えたら、衛生的な面で大問題だけど、でもこの場合はそういう事ではない。
僕は恐る恐る教壇の脇にあったキノコに触れてみた。
「あれ、触れる」
キノコはムニュムニュしていた。良い弾力だ。なんか椅子に丁度良い大きさじゃないか?
そう思って腰かけようとしたら、床にドスンと落ちた。
「……アスカ何やってるの?」
ドン引きした顔で百合彦に言われてしまった。
周りの生徒もそんな僕を奇異な目で見ている。その中に連休中に見かけた松方の姿もあった。
ちょっと恥ずかしさを感じながら立ちあがった。
キノコはまだ目の前にあった。触ってみると触れるのに、座ろうとすると座れない。
おかしなキノコだ。僕はキノコを避けるように通路を進んだ。
「アスカ、その微妙な動きは何?」
またも百合彦に怪訝な顔をされてしまった。
キノコを避ける僕の姿は、何もない場所で横歩きするような奇妙な姿だったんだろう。
透過するようだから突っ込んでも良いんだけど、なんとなく障害物は避けて通りたい気分になる。
だって万が一に本物のキノコがあった時に、ぶつかったら危ないからね。
授業中もキノコが気になってしょうがなかった。
生徒が真面目に授業を受け、静かな教室に先生の書くチョークの音だけが響く中、そこにキノコが「こんにちは!」って感じで生えているんだ。
シュールというか、おかしいだろう。ついうっかり笑ってしまった。
それにしても、このキノコには一体どんな意味があるのだろう?
僕は笑ってしまったが、笑いごとではないのかもしれない。
万が一にも毒の胞子を吐き出したりしたらシャレにならない。
これは放課後を待たずに、風紀委員のメンバーに知らせた方が良いだろうか。
やっぱり頼りになるのはフミヤさんという気がしたが、会長である研坂さんを無視したら、後でどんな目に遭わされるかわからないので、二人に連絡をしようと思った。
休み時間に連絡を入れた所、研坂さんとフミヤさんの二人がそろって教室にやってきた。
目立つ二人に一瞬教室はザワついたが、研坂さんが来るのは二回目のせいか沈静化は早かった。
僕からしたら顔だけは良いけどドエスな研坂さんより、やさしいフミヤさんの方がおススメなのにな、女子って分かってないなって感じだ。
「あ、この間はどうも!」
百合彦がフミヤさんに挨拶すると、研坂さんがチラリと見る。
「なんだよ、お前、アスカの友達と知りあい?」
「この間、四人でお茶したんだ」
「四人?」
「秀人も一緒にね」
「ふうん」
興味なさそうに頷くと、研坂さんは僕を見た。
「それで、事件って?」
僕は教室を見渡してみた。キノコは変わらずそこに生えている。
「あの、何か見えませんか?」
「何も」
「僕も今回は特には……」
二人の回答に、やっぱり見えているのは僕だけかと悲しくなる。
「ごめん百合彦、ちょっと委員会の話してくる」
「うん、了解」
話が分からず横で首を傾げていた百合彦に断りを入れて、二人を廊下に誘った。
「教室に巨大キノコが生えているんです」
「は?」
眉を顰めて怒ったように呟く研坂さんと、言葉もないフミヤさんに僕は廊下で説明をした。
「巨大キノコか、おもしろいな」
話を聞くと研坂さんはそう言った。
「僕達に見えないキノコね、一応、秀人を呼ぼうか?」
「そうだな」
答えると、研坂さんはスマホを持って電話をかけだした。
1分も待たずに水橋さんはやってきた。口によっちゃんイカを銜えて。
「どうしてそんなモノ口にしてるんですか!?」
僕の全力の突っ込みに水橋さんは平然と答える。
「腹が減ったからだ」
「でも僕達風紀委員ですよ!? 風紀乱してどうするんですか!?」
「いや、だって俺らの場合、目的はそんなんじゃないし。んで、何が見えるって?」
水橋さんはイカを片手に教室を覗き込んだ。
「おお!」
声を上げると、水橋さんはドアに手をついて寄りかかり、ニヤニヤ笑った。
「これはこれは、なかなか面白い事になってんなー」
「見えるんですか!?」
水橋さんは楽しそうに言う。
「見えるね、でっかいキノコだ」
「本当にキノコなのか……」
研坂さんが眉間に皺を寄せて呟いた。
「あれ、食えないのかな?」
「食べる気ですか!?」
僕は全力で水橋さんに突っ込んだ。
「だってあんだけデカイんだぜ。食べがいがありそうじゃん」
「絶対毒キノコですよ」
あんなモノを食べようと思う人の気がしれない。というかむしろ、アレを食べて水橋さんがどうなるのかを見てみたい。
笑いころげるのか、はたまた巨大化するのか。
その時、休み時間修了のチャイムが鳴った。
「おっと、時間切れか」
呟くと水橋さんは、廊下にいる二人に向かう。
「次の休み時間か、放課後、行動するならどっち?」
「放課後だな」
研坂さんが即答した。水橋さんは頷くと僕の方に向き直った。
「そんなワケで放課後のキノコ狩りの決定だ。お前はここで箸洗って待ってろ」
そう言うと先輩三人は自分の教室に帰っていった。僕はキノコの生える教室に戻る。
箸を洗って待ってろとは上手すぎる。
思わず僕まで食べたくなってしまった。
そこで誰かと一緒にいたように思う。
その人は誰だったんのか。友人だったような気もするが、肉親だったような気もする。
僕はその人と一緒に遊んでいたのではなかっただろうか。
水の流れの音。飛沫の音。
その人はどうなったのだろう。
その時以来、僕はその人と会った記憶がない。
その人は今も存在する人なのだろうか?
あるいは最初からその人は、ヒトとして存在していなかったのではないか?
僕にだけ見える存在。
その人はもしかしたらそんな存在ではなかったのか。
研坂さんに言われるまで、自分の事を普通だと思っていた。
おかしなモノなんか見えない。そんなモノが見えた記憶もない。
だけど、そう。
もしも僕が彼らからいろいろ聞かされていなかったとしても、今回の事で僕は自分が普通ではないと気付いた事だろう。
何故なら、その日、僕の目にはおかしなモノが見えた。
教室の中に生える巨大なキノコが。
ゴールデンウィーク、僕は百合彦と二人で町に遊びにきていた。
5月というのは日によっては真夏日になる。
今日はそんな感じの暑い日だった。
「やっぱり連休だけあって、映画館込んでるんだろうね」
「それはそうでしょ。でも良いじゃん、席はネット確保してあるし」
僕達は映画館にむかって、駅前から移動していた。
映画館は少し離れた場所にある。
地下街を抜けたり、どう歩いて行っても良いんだけど、たまたま地上を歩いていた。
映画館まであと少しという時、人だかりの出来ている建物に気付いた。
大きな建物だけど、映画館とかそういうおしゃれな雰囲気ではない。
役所にしては人だかりが多すぎる。
「あの建物ってなんだろう?」
好奇心で口を開くと、百合彦がそちらを見た。
「ああ、江南ホールだよ」
「江南ホール?」
「地域の催しものとかが行われる場所」
「じゃあ、あの人だかりは?」
「なんか掲示板に書いてあるんじゃない?」
僕は掲示板を覗き込んだ。すると今日の日付のポスターが目に入った。
「江南狂言祭、「清水座頭きよみずざとう」、「鱸庖丁すずきぼうちょう」、「附子ぶす」、「茸くさびら」出演野々村万万作」
「狂言の舞台みたいだね」
百合彦は呟いた。
狂言というのは言葉としては知っていたが、実際にはどういうものか実はよく分からなかった。
「これ、タダで見れるのかな?」
呟くと百合彦は嫌そうな顔をした。
「ええ? だって俺達今から映画見に行くんだから無理だよ」
「そうだけど、遅くまでやってるんなら、後半は見られるのかなって」
「却下です。映画終わったら、洋服見に行くんだから」
「うん、まあ、別に良いけど……」
そう言いつつも狂言に未練たらたら、僕は人だかりの方を見た。
「あ、あれ? あそこにいるのって同じクラスの松方じゃない?」
歩き去ろうとする百合彦の袖を引っ張った。
「え、本当だ。もしかして狂言見るのかな? 孤高の優等生って感じだし、やっぱ見る物も崇高な趣味って感じだね」
松方は僕達と同じクラスだったが、会話はした事がなかった。
僕はいつも百合彦とばかり話していた。そういえば彼はどこのグループにいただろうか?
記憶にない。孤高の優等生と百合彦は言ったが、確かに彼は超絶した空気を持っていた。
「俺達のような庶民とはやっぱり違うよね。ほら、アスカ、映画に遅れるから行くよ」
百合彦に引っ張られて歩き出した。
あそこにいるという事は、彼はこれから狂言を見るのだろう。
ちょっと羨ましく思った。
百合彦は興味がなさそうだった狂言に、興味を持っている松方。
僕はちょっと彼と話がしてみたいなと思った。
映画の後、軽くお昼を食べてから、百合彦に付き合って洋服を見にファッションビルに入った。
外はあんなに暑いのに、映画館もビルの中も涼しくて快適だった。
百合彦の目当ての店に行くまでに、ブラブラと他の店を覗いていたら、急に大声で呼び止められた。
「アスカじゃんか!」
その異常に大きな声で相手が誰だかわかった。
そこにはいつもガサツな水橋さんといつも穏やかなフミヤさんがいた。
「おいおい、ゴールデンウィークに男二人で、ラブラブデートか? もしかしてそっちの彼はアスカちんのおホモダチかな?」
「男二人で、ゴールデンウィークに出かけるって、そちらも同じ状況のように見えますが?」
僕が冷静に対応する横で、百合彦が小声で言った。
「この人、頭悪そうだね」
僕は無言で頷く。
「ち、俺達はいーんだよ。風紀委員同士だからな」
まったく意味不明だ。でも突っ込んでもしょうがない。
水橋さんは次元の違う思考で生きてそうだからな。
「お買いものですか?」
僕は心のオアシスのフミヤさんに話しかけた。
「ああ、でも別に委員会ガラミではないよ」
「はい」
フミヤさんは百合彦に視線を向けると、やさしく微笑む。
「初めまして、風紀委員の本田史也です」
「あ、高橋百合彦です!」
「アスカと仲がいいのかな? ごめんね、彼を風紀委員に入れてしまったから、たまに委員会の仕事で、君との時間を奪ってしまうかもしれない」
「いえ、それは構いませんよ。それにアスカがいろんな人と付き合うの、勉強になって良いと思いますし」
「そう言ってくれると嬉しいよ。なんだか君はアスカの保護者みたいだね」
「そうですか? でもまあ、中学からの付き合いなので」
二人は意気投合したようだった。僕の保護者が百合彦か、じゃあフミヤさんと水橋さんもそんな関係なんだろう。
そう思って水橋さんを見た。
「いや、この場合は飼い主だ。猛獣使いに違いない」
「おい! なんの話だ!?」
水橋さんにすごまれてしまった。
「しまった、心の声が漏れてしまった」
「お前、俺にケンカ売ってるよな、ああ!?」
水橋さんは僕の頭をヘッドロックした。
「ちょ、やめて下さい、痛いです!」
「この二人、結構良いコンビなんですね」
百合彦が呟き、フミヤさんは微笑して頷いた。そんな会話より先に助けて欲しいと思った。
そのまま四人で服を見て、お茶までしてしまった。
百合彦は二人の先輩と仲良くなったようで、なんとなく嬉しくなった。
連休が終わり憂鬱な平日がやってきた。
学校に行くだけで、もう気が重い。別に特に嫌な事があるわけではない。
授業が嫌だと言えば嫌だけど、耐えがたい何かがあるわけでは決してない。
そんな気分の中、教室に入って声を上げた。
「うわ!」
ドアの前で一歩足を引いた僕に、中にいた人たちが怪訝な顔を向ける。
「おはよう、アスカ、何してるの?」
百合彦が普通に話しかけてくる。
「何してるって、その……」
教室中を見渡した。
えっと、窓際前方の席の前に一個、いや一本て数えるのか? それはまぁいいや、とにかく窓際後ろにも一個、教壇脇に一個、いやもうとにかくいたる所に巨大キノコが生えていた。
これはどう見てもキノコだ。ナメコなのかシイタケなのか種類は分からない。
とにかくキノコにしか見えない物体が、教室の床から生えていた。
いくら鈍感な僕でもこれは尋常ではないと気付く。明らかに普通じゃない。
「えっと、百合彦、教室にヘンなモノが生えてない?」
「変なモノ?」
百合彦は首を傾げる。
「いや、うん、なんでもない」
そうだよ、見えているワケがない。見えていたら突っ込まずにはいられないだろう。
だって巨大キノコだよ、キノコ。
いや、これが巨大じゃなかったとしても教室にキノコが生えたら、衛生的な面で大問題だけど、でもこの場合はそういう事ではない。
僕は恐る恐る教壇の脇にあったキノコに触れてみた。
「あれ、触れる」
キノコはムニュムニュしていた。良い弾力だ。なんか椅子に丁度良い大きさじゃないか?
そう思って腰かけようとしたら、床にドスンと落ちた。
「……アスカ何やってるの?」
ドン引きした顔で百合彦に言われてしまった。
周りの生徒もそんな僕を奇異な目で見ている。その中に連休中に見かけた松方の姿もあった。
ちょっと恥ずかしさを感じながら立ちあがった。
キノコはまだ目の前にあった。触ってみると触れるのに、座ろうとすると座れない。
おかしなキノコだ。僕はキノコを避けるように通路を進んだ。
「アスカ、その微妙な動きは何?」
またも百合彦に怪訝な顔をされてしまった。
キノコを避ける僕の姿は、何もない場所で横歩きするような奇妙な姿だったんだろう。
透過するようだから突っ込んでも良いんだけど、なんとなく障害物は避けて通りたい気分になる。
だって万が一に本物のキノコがあった時に、ぶつかったら危ないからね。
授業中もキノコが気になってしょうがなかった。
生徒が真面目に授業を受け、静かな教室に先生の書くチョークの音だけが響く中、そこにキノコが「こんにちは!」って感じで生えているんだ。
シュールというか、おかしいだろう。ついうっかり笑ってしまった。
それにしても、このキノコには一体どんな意味があるのだろう?
僕は笑ってしまったが、笑いごとではないのかもしれない。
万が一にも毒の胞子を吐き出したりしたらシャレにならない。
これは放課後を待たずに、風紀委員のメンバーに知らせた方が良いだろうか。
やっぱり頼りになるのはフミヤさんという気がしたが、会長である研坂さんを無視したら、後でどんな目に遭わされるかわからないので、二人に連絡をしようと思った。
休み時間に連絡を入れた所、研坂さんとフミヤさんの二人がそろって教室にやってきた。
目立つ二人に一瞬教室はザワついたが、研坂さんが来るのは二回目のせいか沈静化は早かった。
僕からしたら顔だけは良いけどドエスな研坂さんより、やさしいフミヤさんの方がおススメなのにな、女子って分かってないなって感じだ。
「あ、この間はどうも!」
百合彦がフミヤさんに挨拶すると、研坂さんがチラリと見る。
「なんだよ、お前、アスカの友達と知りあい?」
「この間、四人でお茶したんだ」
「四人?」
「秀人も一緒にね」
「ふうん」
興味なさそうに頷くと、研坂さんは僕を見た。
「それで、事件って?」
僕は教室を見渡してみた。キノコは変わらずそこに生えている。
「あの、何か見えませんか?」
「何も」
「僕も今回は特には……」
二人の回答に、やっぱり見えているのは僕だけかと悲しくなる。
「ごめん百合彦、ちょっと委員会の話してくる」
「うん、了解」
話が分からず横で首を傾げていた百合彦に断りを入れて、二人を廊下に誘った。
「教室に巨大キノコが生えているんです」
「は?」
眉を顰めて怒ったように呟く研坂さんと、言葉もないフミヤさんに僕は廊下で説明をした。
「巨大キノコか、おもしろいな」
話を聞くと研坂さんはそう言った。
「僕達に見えないキノコね、一応、秀人を呼ぼうか?」
「そうだな」
答えると、研坂さんはスマホを持って電話をかけだした。
1分も待たずに水橋さんはやってきた。口によっちゃんイカを銜えて。
「どうしてそんなモノ口にしてるんですか!?」
僕の全力の突っ込みに水橋さんは平然と答える。
「腹が減ったからだ」
「でも僕達風紀委員ですよ!? 風紀乱してどうするんですか!?」
「いや、だって俺らの場合、目的はそんなんじゃないし。んで、何が見えるって?」
水橋さんはイカを片手に教室を覗き込んだ。
「おお!」
声を上げると、水橋さんはドアに手をついて寄りかかり、ニヤニヤ笑った。
「これはこれは、なかなか面白い事になってんなー」
「見えるんですか!?」
水橋さんは楽しそうに言う。
「見えるね、でっかいキノコだ」
「本当にキノコなのか……」
研坂さんが眉間に皺を寄せて呟いた。
「あれ、食えないのかな?」
「食べる気ですか!?」
僕は全力で水橋さんに突っ込んだ。
「だってあんだけデカイんだぜ。食べがいがありそうじゃん」
「絶対毒キノコですよ」
あんなモノを食べようと思う人の気がしれない。というかむしろ、アレを食べて水橋さんがどうなるのかを見てみたい。
笑いころげるのか、はたまた巨大化するのか。
その時、休み時間修了のチャイムが鳴った。
「おっと、時間切れか」
呟くと水橋さんは、廊下にいる二人に向かう。
「次の休み時間か、放課後、行動するならどっち?」
「放課後だな」
研坂さんが即答した。水橋さんは頷くと僕の方に向き直った。
「そんなワケで放課後のキノコ狩りの決定だ。お前はここで箸洗って待ってろ」
そう言うと先輩三人は自分の教室に帰っていった。僕はキノコの生える教室に戻る。
箸を洗って待ってろとは上手すぎる。
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