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2・美少女と蝶
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水の記憶がある。水に落ちた記憶。
いや、落ちたのは僕ではなかっただろうか? だって僕はこうしてここに無事に存在している。
それとも誰かに助けられたのだろうか?
だとしたらその誰かにお礼を言わないといけない。
その人は誰だっただろう?
僕を助けてくれた人。命の恩人。僕はその人にお礼を言いたい。
あれ、でもその人は無事だったのだろうか?
もし無事でなかったのだとしたら?
僕はその人にどうやって、お礼を言ったら良いのだろう?
人ではなくなってしまった、その人に・・・…。
僕は人ではないモノが見えるらしい。
そう言われてみると、なんとなくだけど思い当たる事があった。
入学式で見た、生徒会長の加賀美ヒロミさんの側を飛びまわる蝶。
それに校舎の中を飛翔する鳥。
そう言えば中学時代にも同じような事があった気がする。
蝶に囲まれた男子生徒。
その時は教室に蝶がいても誰も騒がないのを、みんな真面目だなと思った。
同じく中学の窓から外を見ると、木の上に人が座っていた事があった。
怖くないのかなと思いながら、僕は気にしないでいた。
お店でご飯を食べる時に、テーブルの砂糖瓶の上に小人が見えた事もあった。
一瞬で消えたので、ちょっと疲れたんで一瞬眠って夢をみたんだな、位に思っていたんだけど、もしかしたらそれらはみんな、人ではないモノだったのかもしれない。
研坂さん達に説明をされて最初は動揺した。
でも考えてみれば今までと何か変わるわけでもないし、それはそういうものかとなんか納得してしまった。
それに何か困ったとか怖かったとか、今まで経験した事はなかった気がする。
まあ、僕は鈍いらしいので、困っていても、怖い事があっても気付かなかっただけだったかもしれないけれど。
百合彦と廊下を歩いていると、一匹の蝶を胸につけた男子生徒をみつけた。
その隣には笑顔の女の子がいる。
彼女は楽しそうに彼に話しかけているけど、その蝶について何も疑問に思ってないようなので、あれは僕にしか見えないもののようだと思った。
「百合彦」
「ん?」
小声で横を歩く百合彦に聞く。
「あそこの男子の胸にさ、蝶とか止まってる?」
「え?」
百合彦は彼の事を見た。
「いや、いないよ、蝶なんか」
「丁度心臓の上あたりだと思うけど、蝶のブローチとかもしてない?」
「いやいや、男子生徒で蝶のブローチはないだろう」
「だよね、なんでもない」
彼らの横を通り過ぎた。
蝶の正体が何かは分からないが、誰か一人に限定されるわけではなく、いたるところで僕にしか見えない蝶は存在するようだった。
放課後は委員会に出る事にした。
昨日までは行きたくないなって思ってたけど、今は人ではないモノの話をもっと聞いてみたいと思った。
あの三人も何かが見えるのだろうか、それが知りたかった。
「あれ、今日は委員会にでる事にしたんだ?」
百合彦に聞かれて僕は頷く。
「うん、おやつも出してもらえるしね」
「食べ物目当てか。でも良いんじゃない? 先輩とかいろんな人と知り合いになって、見識を広めるの」
「見識か」
ちょっと違う気もしたが、人ではないモノの話を聞くのも大事だろうと思った。
部屋に着くと、すっかり定位置となった席に座った。
「今日はサボらずに来たんだな」
椅子に行儀悪く片足を乗せた姿勢で、水橋さんが言った。
「そうだよな、この人が普通の風紀委員のわけないよな。品行方正とは程遠いもんな」
「お前目の前で悪口言うとは良い度胸だな」
水橋さんはグリグリと僕の頭をしめあげた。
「い、痛いです、それに心の声が聞こえるなんて流石ですね」
「心の声じゃなくて、口に出して言ってただろうが」
「う、すみません、痛いからやめて下さい」
僕が暴れて腕を振り回し、水橋さんがそれを押さえこむという攻防を繰り広げた。
「暴れて備品を壊すなよ」
研坂さんがつまらなそうに僕達を見て言った。
「だったら水橋さんを止めて下さい!」
「ん、それは放っておく。君が殺虫剤をかけられた虫のようにもがき苦しむ様は面白いからな」
鬼だ。
「はいはい、お茶が入ったよ」
フミヤさんの発言に、水橋さんが僕を放す。
「やった! 今日のおやつ何?」
水橋さんは嬉しそうだ。もしかして彼は僕と同じ理由でここに通っているんだろうか?
みんなの所にフミヤさんがお茶とお菓子(今日はいちごのクラフティだった。クラフティってなんだ?)を置き終わってから、僕は口を開いた。
「あの、ここが人じゃないモノが見える人の集まりだって言うのは分かりましたが、みなさんは何が見えるんですか?」
僕の問いに研坂さんは片肘をつく。この人、顔だけは良いなと改めて思う。
「俺は君に近いというか、妖怪みたいなよく分からないモノが見える」
「妖怪? 河童とか天狗とか、のっぺらぼうとか、番傘のお化けみたいなのですか?」
「ああ、まぁ、だいたい近い物だな」
「ええ!? すごいですね、そんなのが見えるなんて!」
「いや、君も見えてるだろう……気付いてないだけで」
「ええ? 僕見た事ないですよ。河童とか、番傘のお化けとか。あ、でも前に傘さした男の人が片足で不自由そうだったから、手を貸しましょうかって聞いて断られた事があります」
「気付けよ! それが妖怪だろう!?」
水橋さんに怒鳴られた。そんなにむきにならなくても良いのに。
「そう言う水橋さんは何が見えるんですか?」
「俺か? 俺は幽霊が見える」
「幽霊?」
マジマジと水橋さんを見つめる。赤っぽい髪に着崩した制服、乱暴な座り方。
「いやいや幽霊なんて、そんな哀愁漂う繊細なモノが水橋さんに見えるわけありませんよ。きっと学校行くのが嫌で、幻覚見たんですよ。子供がお腹痛くなって病院行くのと同じで、心療内科に逃げ込もうとしたんでしょうって、あ、何するんですか? なんで首に手をかけるんですか?」
「暴れるなよ、お茶が零れる」
研坂さんは、お茶の心配しかしてくれない。相変わらずドエスだ。
「秀人もそれ位にしてくれないと話が進まないよ」
フミヤさんが助けてくれて、僕は水橋さんから解放された。そしてそのままフミヤさんは話し出す。
「僕は昨日もちょっと言ったけど、君と同じようなモノが見えるよ。ただ君よりも能力が低いから、見えたり見えなかったりする」
「あの、僕が見ているモノって何なんですか? 昨日は猫が女の子に見えたワケですけど、今日は蝶を見ました。でもその蝶は何かが蝶に見えているって感じじゃなかったんですけど」
「蝶か……」
顎に手を添え呟いた後でフミヤさんは言う。
「多分それは人の思念だね」
「思念?」
「うん、僕も多少おかしなモノが見えたという経験があるからね。蝶というのは君のイメージなんだろうけど、誰かの思念がその蝶という形で見えるんだよ。僕が見えた時は、ただの塵みたいな光だったけどね」
「思念……妖怪でも幽霊でもなく、思念?」
僕が呟くと研坂さんが言った。
「人ではないモノが見えると言ったが、その多くは妖怪でも八百万の神でも妖精でも幽霊でもない。人の思念だよ。誰かが誰かに向けた強い思い、愛や嫉妬や殺意、それらが何かしらの形を持って君には見えている。そういう事だよ」
僕が見た蝶。あれは誰かの思いなんだろうか?
「ま、大方が思念ではあるが、他の存在、幽霊や神様なんて言うのもいるからな、見極めは難しいし、見極める必要は基本的にはない」
「見極めなくて良いんですか?」
「昨日も言ったと思うが、問題があれば解決するが、問題がないなら放置だ。だってそうだろう? 花の精が見えましたって言って、そいつを退治するのか? しないだろう? それはそのままそこにあれば良い。何か害意を持つモノ、有害なモノだけを適当に始末するのが風紀委員の仕事なんだ」
研坂さんの言葉に納得した。
「今の発言で気になったんですが、やっぱり神様って存在するんですか?」
僕は期待に満ちて聞いた。だって神様がいたら、成績が良くなりたいとか、かわいい彼女が欲しいとか、お願いする甲斐があるじゃないか?
いないと思ってお願いするのと、いると知っていてお願いするのでは本気度が違う。
けれど研坂さんは冷たく言い放った。
「神様というのは、妖怪や幽霊と同じだよ」
「え?」
首を傾げる僕に、紅茶を一口飲んだあとで研坂さんは話し続ける。
「ツクモガミというのはモノが長く生きて神になる。菅原道真や平将門も怨霊だったモノが神として崇められた。妖怪カマイタチも神様だって言われてる。長く生きれば神になる。たくさんいるから八百万。付喪神だって本来は九十九髪って書くって話だ。99年生きて髪も白髪になるって意味らしい。日本の神様っていうのはそういうモンなんだよ」
感心してしまった。
「そうなんですか。じゃあアレですね。100歳のお婆ちゃんとか十分神様ですね」
僕の発言に研坂さんは黙り込んだ。そしてフミヤさんはクスリと笑った。
「良いね、君の発想は」
「良いって言うか、バカじゃないのか? つーか単に天然!」
フミヤさんが褒めてくれたのに、水橋さんが僕の頭をグリグリしながらそう言った。
「まぁとにかく、そういうワケで問題が起こった時は、このメンバーに相談しろ。あんまり問題があるモノには今まで出会っていないが、君は規格外だから、何を見つけ出してしまうか分からないからな」
「はい、了解です」
僕は研坂さんに元気良く返事をした。
そしてすっかり食べ忘れていたケーキに手を伸ばした。
僕の視界は、もしかしたら他の人が見えている世界とは違うのかもしれない。
何かよけいなモノが映り込んでいる。でも今まで生きてきて、それであまり困った事はなかった。
ただ思い出してみると確かに変だなって思うモノがあった。
校舎の中を飛ぶ鳥や、例の蝶もそうだ。
蝶をつけた人や周りにたくさん飛ばしている人を何人か見かけた。
あの蝶は一体何を示しているのだろう? 思念と言っていたがそれにはどんな意味があるのだろう。
そう考えてぼうっとしていると、教室が急にザワついた。
「ちょ、ちょっとアスカ!」
百合彦が珍しく焦ったような声を出した。
いつも割と淡々としているのに珍しい。そう思って振り返り、僕は椅子から転げ落ちそうになった。
そこには絶世の美女、生徒会長の加賀美ヒロミ様が立っていた。
「貴方が立川アスカ君ね」
「は、はい!」
上ずった声がでた。
近くで見るヒロミ様は本当に美しかった。この美貌にはクレオパトラもリリーナ様も真っ青なんじゃないかって感じだ。
そして彼女の周りには今も蝶がたくさん舞っている。前は遠目だったけど、今は蝶も近くに見える。
それはほとんどが赤い蝶だった。若干他の色の蝶も混ざっているが、でも明らかに赤い蝶が多い。
すると彼女は蝶を追う僕の視線に気付いたように、手で蝶を払いのけた。
「え?」
彼女の行動に驚いていると、サラリと言われた。
「私も若干の力があるの。でも貴方ほどの能力はないから、何か見えているワケじゃないの。ただちょっとした気配を感じるのよ。今は貴方の視線が気になったからなんとなく空気を叩いただけ」
空気と彼女は言った。僕の目には蝶を叩くように見えたのに。
「今日は近くまできたから、挨拶にきたの。そのうち生徒会室にも遊びに来てちょうだい。風紀委員とは協力関係にあるし、貴方がどんな働きをしてくれるか楽しみだから」
「そ、そんな期待されるような働きが出来るとは思えないんですが」
謙遜と言うか、思ったままを口にした。
「別に良いわよ。ただ貴方の見えている世界がちょっと興味があるの。まあ、風紀委員は変な人が多いから、何か困ったらその相談に来てくれてもいいわ」
「あ、はい、ありがとうございます」
僕がそう言うと、ヒロミ様は微かに笑って廊下に向かった。その背中を無数の蝶が追いかけていく。
ついドアまで出て、そんな彼女を見送った。そして気がついた。
彼女の周りにいた蝶の数が、教室の中より減っていた。
「あれ、なんで?」
そう思いながら教室に戻る。するとクラスメイトの田沼が瞳を輝かせて近寄ってきた。
「すげーな、アスカ! ヒロミ様の知り合いなのかよ!」
「いや、知り合いというか、今が初対面だけど、なんか委員会頑張ってねとか、そんな感じのセリフを言われた」
少し濁して言ったが、田沼は夢見るような顔でお祈りするようなポーズを取った。
「はあ、良いなー、ヒロミ様、マジで恋しそう」
そう言った瞬間、田沼の身体から赤い蝶が浮かびあがってきた。
「え?」
驚く僕の目の前で蝶はふわふわと動き、廊下へと飛んでいった。それはヒロミ様を追いかけるかのように。
その時、僕の中である仮説が立った。
次の休み時間に、教えられていた研坂さんの携帯に連絡した。
するとすぐに彼は僕の教室までやってきた。またも教室が騒然とした。
女子の黄色い悲鳴も聞こえた。よし、想像通りだ。
そう思っていると研坂さんがツカツカと僕の席に近寄ってきた。
「何か起きたか?」
真剣な顔で彼は訊ねた。その顔はやはりどこからどう見ても男前だった。
そう思っているそばから、たくさんの赤い蝶が彼の周りに集まった。
ヒロミ様の時とは違って青い蝶も多かったが、僕はその結果に満足した。
「すみません、なんでもないです。後で風紀委員室で話します」
研坂さんは怪訝な顔をしたが、わかったと呟くと教室を出ていった。
その後ろ姿をたくさんの赤い蝶が追いかける。
僕が分かった事、それはあの蝶が恋心を表しているという事だった。
クラスメイトの田沼のお陰でわかった。
彼がヒロミ様に恋、まあ憧れかもしれないがを抱いた時、その思いが蝶の形をして、思い人のヒロミ様の側に飛んでいった。
おそらく本人が目の前にいる間は、蝶として思いが目に見えるのだろう。
だから超絶美少女のヒロミ様には、あれだけたくさんの蝶がいつもまとわりついていたんだ。
まさにお蝶夫人じゃないか。
研坂さんでも実験したので間違いない。
彼を見つめる女子からたくさんの赤やピンクの蝶が飛んでいた。
そして男子からの嫉妬の表れである、青い蝶も飛んでいた。
放課後、僕が廊下を歩いていると、以前にブローチのように蝶をつけていた少年と出くわした。
廊下奥から彼の事を呼んでいる少女の姿も見えた。彼女の顔には笑みが浮かんでいた。
そしてそこから赤い蝶が飛び立ち、彼の元へまっすぐに飛んでいった。彼の方からも紅い蝶が飛んでいく。
僕はその光景を見て微笑んだ。この二人は恋人同士なんだな。
恋の蝶の飛ぶ様子を、とても美しいと思った。
いや、落ちたのは僕ではなかっただろうか? だって僕はこうしてここに無事に存在している。
それとも誰かに助けられたのだろうか?
だとしたらその誰かにお礼を言わないといけない。
その人は誰だっただろう?
僕を助けてくれた人。命の恩人。僕はその人にお礼を言いたい。
あれ、でもその人は無事だったのだろうか?
もし無事でなかったのだとしたら?
僕はその人にどうやって、お礼を言ったら良いのだろう?
人ではなくなってしまった、その人に・・・…。
僕は人ではないモノが見えるらしい。
そう言われてみると、なんとなくだけど思い当たる事があった。
入学式で見た、生徒会長の加賀美ヒロミさんの側を飛びまわる蝶。
それに校舎の中を飛翔する鳥。
そう言えば中学時代にも同じような事があった気がする。
蝶に囲まれた男子生徒。
その時は教室に蝶がいても誰も騒がないのを、みんな真面目だなと思った。
同じく中学の窓から外を見ると、木の上に人が座っていた事があった。
怖くないのかなと思いながら、僕は気にしないでいた。
お店でご飯を食べる時に、テーブルの砂糖瓶の上に小人が見えた事もあった。
一瞬で消えたので、ちょっと疲れたんで一瞬眠って夢をみたんだな、位に思っていたんだけど、もしかしたらそれらはみんな、人ではないモノだったのかもしれない。
研坂さん達に説明をされて最初は動揺した。
でも考えてみれば今までと何か変わるわけでもないし、それはそういうものかとなんか納得してしまった。
それに何か困ったとか怖かったとか、今まで経験した事はなかった気がする。
まあ、僕は鈍いらしいので、困っていても、怖い事があっても気付かなかっただけだったかもしれないけれど。
百合彦と廊下を歩いていると、一匹の蝶を胸につけた男子生徒をみつけた。
その隣には笑顔の女の子がいる。
彼女は楽しそうに彼に話しかけているけど、その蝶について何も疑問に思ってないようなので、あれは僕にしか見えないもののようだと思った。
「百合彦」
「ん?」
小声で横を歩く百合彦に聞く。
「あそこの男子の胸にさ、蝶とか止まってる?」
「え?」
百合彦は彼の事を見た。
「いや、いないよ、蝶なんか」
「丁度心臓の上あたりだと思うけど、蝶のブローチとかもしてない?」
「いやいや、男子生徒で蝶のブローチはないだろう」
「だよね、なんでもない」
彼らの横を通り過ぎた。
蝶の正体が何かは分からないが、誰か一人に限定されるわけではなく、いたるところで僕にしか見えない蝶は存在するようだった。
放課後は委員会に出る事にした。
昨日までは行きたくないなって思ってたけど、今は人ではないモノの話をもっと聞いてみたいと思った。
あの三人も何かが見えるのだろうか、それが知りたかった。
「あれ、今日は委員会にでる事にしたんだ?」
百合彦に聞かれて僕は頷く。
「うん、おやつも出してもらえるしね」
「食べ物目当てか。でも良いんじゃない? 先輩とかいろんな人と知り合いになって、見識を広めるの」
「見識か」
ちょっと違う気もしたが、人ではないモノの話を聞くのも大事だろうと思った。
部屋に着くと、すっかり定位置となった席に座った。
「今日はサボらずに来たんだな」
椅子に行儀悪く片足を乗せた姿勢で、水橋さんが言った。
「そうだよな、この人が普通の風紀委員のわけないよな。品行方正とは程遠いもんな」
「お前目の前で悪口言うとは良い度胸だな」
水橋さんはグリグリと僕の頭をしめあげた。
「い、痛いです、それに心の声が聞こえるなんて流石ですね」
「心の声じゃなくて、口に出して言ってただろうが」
「う、すみません、痛いからやめて下さい」
僕が暴れて腕を振り回し、水橋さんがそれを押さえこむという攻防を繰り広げた。
「暴れて備品を壊すなよ」
研坂さんがつまらなそうに僕達を見て言った。
「だったら水橋さんを止めて下さい!」
「ん、それは放っておく。君が殺虫剤をかけられた虫のようにもがき苦しむ様は面白いからな」
鬼だ。
「はいはい、お茶が入ったよ」
フミヤさんの発言に、水橋さんが僕を放す。
「やった! 今日のおやつ何?」
水橋さんは嬉しそうだ。もしかして彼は僕と同じ理由でここに通っているんだろうか?
みんなの所にフミヤさんがお茶とお菓子(今日はいちごのクラフティだった。クラフティってなんだ?)を置き終わってから、僕は口を開いた。
「あの、ここが人じゃないモノが見える人の集まりだって言うのは分かりましたが、みなさんは何が見えるんですか?」
僕の問いに研坂さんは片肘をつく。この人、顔だけは良いなと改めて思う。
「俺は君に近いというか、妖怪みたいなよく分からないモノが見える」
「妖怪? 河童とか天狗とか、のっぺらぼうとか、番傘のお化けみたいなのですか?」
「ああ、まぁ、だいたい近い物だな」
「ええ!? すごいですね、そんなのが見えるなんて!」
「いや、君も見えてるだろう……気付いてないだけで」
「ええ? 僕見た事ないですよ。河童とか、番傘のお化けとか。あ、でも前に傘さした男の人が片足で不自由そうだったから、手を貸しましょうかって聞いて断られた事があります」
「気付けよ! それが妖怪だろう!?」
水橋さんに怒鳴られた。そんなにむきにならなくても良いのに。
「そう言う水橋さんは何が見えるんですか?」
「俺か? 俺は幽霊が見える」
「幽霊?」
マジマジと水橋さんを見つめる。赤っぽい髪に着崩した制服、乱暴な座り方。
「いやいや幽霊なんて、そんな哀愁漂う繊細なモノが水橋さんに見えるわけありませんよ。きっと学校行くのが嫌で、幻覚見たんですよ。子供がお腹痛くなって病院行くのと同じで、心療内科に逃げ込もうとしたんでしょうって、あ、何するんですか? なんで首に手をかけるんですか?」
「暴れるなよ、お茶が零れる」
研坂さんは、お茶の心配しかしてくれない。相変わらずドエスだ。
「秀人もそれ位にしてくれないと話が進まないよ」
フミヤさんが助けてくれて、僕は水橋さんから解放された。そしてそのままフミヤさんは話し出す。
「僕は昨日もちょっと言ったけど、君と同じようなモノが見えるよ。ただ君よりも能力が低いから、見えたり見えなかったりする」
「あの、僕が見ているモノって何なんですか? 昨日は猫が女の子に見えたワケですけど、今日は蝶を見ました。でもその蝶は何かが蝶に見えているって感じじゃなかったんですけど」
「蝶か……」
顎に手を添え呟いた後でフミヤさんは言う。
「多分それは人の思念だね」
「思念?」
「うん、僕も多少おかしなモノが見えたという経験があるからね。蝶というのは君のイメージなんだろうけど、誰かの思念がその蝶という形で見えるんだよ。僕が見えた時は、ただの塵みたいな光だったけどね」
「思念……妖怪でも幽霊でもなく、思念?」
僕が呟くと研坂さんが言った。
「人ではないモノが見えると言ったが、その多くは妖怪でも八百万の神でも妖精でも幽霊でもない。人の思念だよ。誰かが誰かに向けた強い思い、愛や嫉妬や殺意、それらが何かしらの形を持って君には見えている。そういう事だよ」
僕が見た蝶。あれは誰かの思いなんだろうか?
「ま、大方が思念ではあるが、他の存在、幽霊や神様なんて言うのもいるからな、見極めは難しいし、見極める必要は基本的にはない」
「見極めなくて良いんですか?」
「昨日も言ったと思うが、問題があれば解決するが、問題がないなら放置だ。だってそうだろう? 花の精が見えましたって言って、そいつを退治するのか? しないだろう? それはそのままそこにあれば良い。何か害意を持つモノ、有害なモノだけを適当に始末するのが風紀委員の仕事なんだ」
研坂さんの言葉に納得した。
「今の発言で気になったんですが、やっぱり神様って存在するんですか?」
僕は期待に満ちて聞いた。だって神様がいたら、成績が良くなりたいとか、かわいい彼女が欲しいとか、お願いする甲斐があるじゃないか?
いないと思ってお願いするのと、いると知っていてお願いするのでは本気度が違う。
けれど研坂さんは冷たく言い放った。
「神様というのは、妖怪や幽霊と同じだよ」
「え?」
首を傾げる僕に、紅茶を一口飲んだあとで研坂さんは話し続ける。
「ツクモガミというのはモノが長く生きて神になる。菅原道真や平将門も怨霊だったモノが神として崇められた。妖怪カマイタチも神様だって言われてる。長く生きれば神になる。たくさんいるから八百万。付喪神だって本来は九十九髪って書くって話だ。99年生きて髪も白髪になるって意味らしい。日本の神様っていうのはそういうモンなんだよ」
感心してしまった。
「そうなんですか。じゃあアレですね。100歳のお婆ちゃんとか十分神様ですね」
僕の発言に研坂さんは黙り込んだ。そしてフミヤさんはクスリと笑った。
「良いね、君の発想は」
「良いって言うか、バカじゃないのか? つーか単に天然!」
フミヤさんが褒めてくれたのに、水橋さんが僕の頭をグリグリしながらそう言った。
「まぁとにかく、そういうワケで問題が起こった時は、このメンバーに相談しろ。あんまり問題があるモノには今まで出会っていないが、君は規格外だから、何を見つけ出してしまうか分からないからな」
「はい、了解です」
僕は研坂さんに元気良く返事をした。
そしてすっかり食べ忘れていたケーキに手を伸ばした。
僕の視界は、もしかしたら他の人が見えている世界とは違うのかもしれない。
何かよけいなモノが映り込んでいる。でも今まで生きてきて、それであまり困った事はなかった。
ただ思い出してみると確かに変だなって思うモノがあった。
校舎の中を飛ぶ鳥や、例の蝶もそうだ。
蝶をつけた人や周りにたくさん飛ばしている人を何人か見かけた。
あの蝶は一体何を示しているのだろう? 思念と言っていたがそれにはどんな意味があるのだろう。
そう考えてぼうっとしていると、教室が急にザワついた。
「ちょ、ちょっとアスカ!」
百合彦が珍しく焦ったような声を出した。
いつも割と淡々としているのに珍しい。そう思って振り返り、僕は椅子から転げ落ちそうになった。
そこには絶世の美女、生徒会長の加賀美ヒロミ様が立っていた。
「貴方が立川アスカ君ね」
「は、はい!」
上ずった声がでた。
近くで見るヒロミ様は本当に美しかった。この美貌にはクレオパトラもリリーナ様も真っ青なんじゃないかって感じだ。
そして彼女の周りには今も蝶がたくさん舞っている。前は遠目だったけど、今は蝶も近くに見える。
それはほとんどが赤い蝶だった。若干他の色の蝶も混ざっているが、でも明らかに赤い蝶が多い。
すると彼女は蝶を追う僕の視線に気付いたように、手で蝶を払いのけた。
「え?」
彼女の行動に驚いていると、サラリと言われた。
「私も若干の力があるの。でも貴方ほどの能力はないから、何か見えているワケじゃないの。ただちょっとした気配を感じるのよ。今は貴方の視線が気になったからなんとなく空気を叩いただけ」
空気と彼女は言った。僕の目には蝶を叩くように見えたのに。
「今日は近くまできたから、挨拶にきたの。そのうち生徒会室にも遊びに来てちょうだい。風紀委員とは協力関係にあるし、貴方がどんな働きをしてくれるか楽しみだから」
「そ、そんな期待されるような働きが出来るとは思えないんですが」
謙遜と言うか、思ったままを口にした。
「別に良いわよ。ただ貴方の見えている世界がちょっと興味があるの。まあ、風紀委員は変な人が多いから、何か困ったらその相談に来てくれてもいいわ」
「あ、はい、ありがとうございます」
僕がそう言うと、ヒロミ様は微かに笑って廊下に向かった。その背中を無数の蝶が追いかけていく。
ついドアまで出て、そんな彼女を見送った。そして気がついた。
彼女の周りにいた蝶の数が、教室の中より減っていた。
「あれ、なんで?」
そう思いながら教室に戻る。するとクラスメイトの田沼が瞳を輝かせて近寄ってきた。
「すげーな、アスカ! ヒロミ様の知り合いなのかよ!」
「いや、知り合いというか、今が初対面だけど、なんか委員会頑張ってねとか、そんな感じのセリフを言われた」
少し濁して言ったが、田沼は夢見るような顔でお祈りするようなポーズを取った。
「はあ、良いなー、ヒロミ様、マジで恋しそう」
そう言った瞬間、田沼の身体から赤い蝶が浮かびあがってきた。
「え?」
驚く僕の目の前で蝶はふわふわと動き、廊下へと飛んでいった。それはヒロミ様を追いかけるかのように。
その時、僕の中である仮説が立った。
次の休み時間に、教えられていた研坂さんの携帯に連絡した。
するとすぐに彼は僕の教室までやってきた。またも教室が騒然とした。
女子の黄色い悲鳴も聞こえた。よし、想像通りだ。
そう思っていると研坂さんがツカツカと僕の席に近寄ってきた。
「何か起きたか?」
真剣な顔で彼は訊ねた。その顔はやはりどこからどう見ても男前だった。
そう思っているそばから、たくさんの赤い蝶が彼の周りに集まった。
ヒロミ様の時とは違って青い蝶も多かったが、僕はその結果に満足した。
「すみません、なんでもないです。後で風紀委員室で話します」
研坂さんは怪訝な顔をしたが、わかったと呟くと教室を出ていった。
その後ろ姿をたくさんの赤い蝶が追いかける。
僕が分かった事、それはあの蝶が恋心を表しているという事だった。
クラスメイトの田沼のお陰でわかった。
彼がヒロミ様に恋、まあ憧れかもしれないがを抱いた時、その思いが蝶の形をして、思い人のヒロミ様の側に飛んでいった。
おそらく本人が目の前にいる間は、蝶として思いが目に見えるのだろう。
だから超絶美少女のヒロミ様には、あれだけたくさんの蝶がいつもまとわりついていたんだ。
まさにお蝶夫人じゃないか。
研坂さんでも実験したので間違いない。
彼を見つめる女子からたくさんの赤やピンクの蝶が飛んでいた。
そして男子からの嫉妬の表れである、青い蝶も飛んでいた。
放課後、僕が廊下を歩いていると、以前にブローチのように蝶をつけていた少年と出くわした。
廊下奥から彼の事を呼んでいる少女の姿も見えた。彼女の顔には笑みが浮かんでいた。
そしてそこから赤い蝶が飛び立ち、彼の元へまっすぐに飛んでいった。彼の方からも紅い蝶が飛んでいく。
僕はその光景を見て微笑んだ。この二人は恋人同士なんだな。
恋の蝶の飛ぶ様子を、とても美しいと思った。
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“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
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