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第一章 一回目の結婚生活
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嵐が過ぎ去った後の、荒廃した村。
今のリスティアの気持ちはこれだ。
機械のように執務をこなす。頭は重く、鈍い痛みを抱えていても、仕事はリスティアを待ってはくれない。
「こちらは総務室へ。この数枚だけ王太子殿下にお願いします。あとは期日順に並べてあちらの箱へ」
「はい、畏まりました」
補佐をしてくれる文官に指示を出す。いつだって目は合わない。落ち目の王太子妃だ。……もう、慣れきっている。
「……っ!」
ぐらり。よろめいた身体を、側にいたベータの護衛騎士が支えてくれた。
リスティアの発情期明けは、いつもこうだ。最高に体調が悪い。
マルセルクの異質な魔力が未だ残っているかのよう。ぐるぐるぐるぐると、下腹、鳩尾、胸の方に這い上がって侵食していく。そして何回か吐いてやっと、収まるのだ。
「……大丈夫ですか、妃殿下」
「あり、がとう。助かった」
彼に支えられるようにして、椅子に座ると、もう立ち上がれなくなりそうだった。ふう、と息を吐けば、文官は見なかったように目を逸らし、そそくさと立ち去った。
ぐるぐる。ぐらぐら。
頭の痛みも復活して、常備している丸薬を追加で取り出し、噛み砕いて飲み下す。これでいくらかマシだろう。
しばらく頭を抱えるようにして休めば、痛みは引いていった。執務をするのに最低限回復したところで、また鬱々と書類に向き合っていると。
「リスティア。具合はどうだ?見舞いに来た」
「マルセルク様」
立ちあがろうとしたリスティアを制し、マルセルクが駆け寄る。
まさに妻を労わる夫だ。心配そうにリスティアの顔を覗き込み、髪を撫でながら額にキスを贈られて、何の不満を言えようか。
「昨日発情期から開けたばかりだから、辛いだろう。フィルも心配をしていた」
「そうですか」
「ああ。今日の茶会はお前の身体を慮って、フィルが代わりに出る。その間、ゆっくり休んでくれ」
「……しかし、今日の客は公爵夫人ですよ。フィル殿では少々心許無く……」
「まさか。フィルも毎日学んでいるんだ。茶会の話し相手くらいは務められる。安心していい。お前の身体が第一優先だ」
「……」
リスティアは押し黙った。フィル、フィル、と何回言うのか、と。茶会の何から何まで、全てを手配したのはリスティアなのに、何故一番良いところだけ渡さなくてはならないのか、と。
最近、こういう事が増えてきたのだ。まるでリスティアの領分を、じわじわ奪おうとしているよう。
むきになったリスティアは、体調不良を無視して茶会に出て、フィルを追い返す。
しかし無理が祟り、公爵夫人が帰った後には倒れてしまった。
それからというものの、リスティアは発情期云々の関係なく、常に体調を崩すことになる。
リスティアとフィルの役割は決して重なり合わない。
正当な血筋である公爵家から産まれた、より優秀なアルファを生むオメガ。腰まで伸びた白銀の髪に、紫水晶の瞳。豊富な魔力を持ち、王太子妃になるに相応しい能力。公式な茶会や夜会でのパートナーとして、恥じることのない所作を身につけているし、各国との交渉の場にも出るし、いざとなれば戦術を組むことも出来る、そんなリスティアと。
最低限男爵令息の礼儀は教わっているはずなのに、ほとんど平民のような振る舞いしか出来ないフィル。学生時代は色んな生徒と関係があったようだが、今は王家の影から見張られて、相手はマルセルクだけ。可愛らしい容貌のオメガ、という点では誰にも引けは取らないが、それだけ。
それでいい。なぜなら彼は、ただマルセルクの有り余る性欲を発散させる為だけの担当で、彼との子供に継承権は無い。
それが表向きの姿。
しかしもう、リスティアには、分かっていた。
つまるところ、マルセルクはフィルを愛しているのだ。
だからこそ、リスティアと婚姻し、リスティアを表向き大事にし、手のひらの上で転がし、公務をさせる。その間に、何度も何度も、フィルが眠れなくて困るほどに抱くのだ。
(完全に割り切っているんだ。愛しているフリは国民も欺ける程なんだもの。王になるのに相応しい、抜け目のなさだ)
フィルの妊娠中ですら、リスティアを放置しフィルを優先するのがいい例だ。
発情期のリスティアが苦しい思いをしている間、マルセルクはフィルの部屋でお楽しみの時間。
それほど愛しているのなら、番になってしまえばいいのに、二人は頑ななまでに番にはならない。
愛妾という不安定な立場で、番になるのは控えているのだろう。もし万が一フィルが誰かと婚姻を望む時、マルセルクと番になってしまっていると都合が悪い。思いやり、配慮。
……美しい愛を見せつけられているようで、殺意すら湧く。
マルセルクは決して、フィルと一緒にいる姿を公に見せない。それは自分への配慮だと思っていたが、仲睦まじい姿をリスティアや皆に見られると、相思相愛の設定に支障が出て困るから。
言い換えれば、リスティアを王太子妃として置き続けるために。
もちろん、リスティアは心からマルセルクを愛していた。なんなら今も気持ちが残っている。どうしても、マルセルクは格好良いし、これ以上なく惹きつける魅力を持つ。
リスティアの花紋が花開かないのは、きっと魔力の相性が悪いから。自分のせいではない。
その魔力の相性が悪いのも、マルセルクのせいではない。誰のせいでもない。
しかしフィルのお腹が日々膨らんでいく度に、それをこれ見よがしに撫でさすっているのを見るたびに、嫉妬で気が狂いそうになった。
いっそ嫌いになりたいのに、リスティアの身体は、番を求めてしまう。
寂しさはいつも心に巣食い、虚しさが纏わりつき、何をやっても無駄だと小声で囁かれている。
二年と半年が経っていた。リスティアはとうとう、マルセルクの子供を授からなかった。奇跡を信じて、妊娠しやすいというお茶やお守りも手に入れられるだけ手に入れて、発情期には義務でも抱かれているのに、ダメだった。
あと半年で、孕まなければ、マルセルクは第二妃を娶らなければならなくなる。フィルとは違う、貴族から正式に選ばれる人が。
(けれど、あの子猫が大きな顔をするくらいなら、もう少し良識のある人の方がいいかもしれない)
そう思えるほどに、リスティアは疲弊していた。
今のリスティアの気持ちはこれだ。
機械のように執務をこなす。頭は重く、鈍い痛みを抱えていても、仕事はリスティアを待ってはくれない。
「こちらは総務室へ。この数枚だけ王太子殿下にお願いします。あとは期日順に並べてあちらの箱へ」
「はい、畏まりました」
補佐をしてくれる文官に指示を出す。いつだって目は合わない。落ち目の王太子妃だ。……もう、慣れきっている。
「……っ!」
ぐらり。よろめいた身体を、側にいたベータの護衛騎士が支えてくれた。
リスティアの発情期明けは、いつもこうだ。最高に体調が悪い。
マルセルクの異質な魔力が未だ残っているかのよう。ぐるぐるぐるぐると、下腹、鳩尾、胸の方に這い上がって侵食していく。そして何回か吐いてやっと、収まるのだ。
「……大丈夫ですか、妃殿下」
「あり、がとう。助かった」
彼に支えられるようにして、椅子に座ると、もう立ち上がれなくなりそうだった。ふう、と息を吐けば、文官は見なかったように目を逸らし、そそくさと立ち去った。
ぐるぐる。ぐらぐら。
頭の痛みも復活して、常備している丸薬を追加で取り出し、噛み砕いて飲み下す。これでいくらかマシだろう。
しばらく頭を抱えるようにして休めば、痛みは引いていった。執務をするのに最低限回復したところで、また鬱々と書類に向き合っていると。
「リスティア。具合はどうだ?見舞いに来た」
「マルセルク様」
立ちあがろうとしたリスティアを制し、マルセルクが駆け寄る。
まさに妻を労わる夫だ。心配そうにリスティアの顔を覗き込み、髪を撫でながら額にキスを贈られて、何の不満を言えようか。
「昨日発情期から開けたばかりだから、辛いだろう。フィルも心配をしていた」
「そうですか」
「ああ。今日の茶会はお前の身体を慮って、フィルが代わりに出る。その間、ゆっくり休んでくれ」
「……しかし、今日の客は公爵夫人ですよ。フィル殿では少々心許無く……」
「まさか。フィルも毎日学んでいるんだ。茶会の話し相手くらいは務められる。安心していい。お前の身体が第一優先だ」
「……」
リスティアは押し黙った。フィル、フィル、と何回言うのか、と。茶会の何から何まで、全てを手配したのはリスティアなのに、何故一番良いところだけ渡さなくてはならないのか、と。
最近、こういう事が増えてきたのだ。まるでリスティアの領分を、じわじわ奪おうとしているよう。
むきになったリスティアは、体調不良を無視して茶会に出て、フィルを追い返す。
しかし無理が祟り、公爵夫人が帰った後には倒れてしまった。
それからというものの、リスティアは発情期云々の関係なく、常に体調を崩すことになる。
リスティアとフィルの役割は決して重なり合わない。
正当な血筋である公爵家から産まれた、より優秀なアルファを生むオメガ。腰まで伸びた白銀の髪に、紫水晶の瞳。豊富な魔力を持ち、王太子妃になるに相応しい能力。公式な茶会や夜会でのパートナーとして、恥じることのない所作を身につけているし、各国との交渉の場にも出るし、いざとなれば戦術を組むことも出来る、そんなリスティアと。
最低限男爵令息の礼儀は教わっているはずなのに、ほとんど平民のような振る舞いしか出来ないフィル。学生時代は色んな生徒と関係があったようだが、今は王家の影から見張られて、相手はマルセルクだけ。可愛らしい容貌のオメガ、という点では誰にも引けは取らないが、それだけ。
それでいい。なぜなら彼は、ただマルセルクの有り余る性欲を発散させる為だけの担当で、彼との子供に継承権は無い。
それが表向きの姿。
しかしもう、リスティアには、分かっていた。
つまるところ、マルセルクはフィルを愛しているのだ。
だからこそ、リスティアと婚姻し、リスティアを表向き大事にし、手のひらの上で転がし、公務をさせる。その間に、何度も何度も、フィルが眠れなくて困るほどに抱くのだ。
(完全に割り切っているんだ。愛しているフリは国民も欺ける程なんだもの。王になるのに相応しい、抜け目のなさだ)
フィルの妊娠中ですら、リスティアを放置しフィルを優先するのがいい例だ。
発情期のリスティアが苦しい思いをしている間、マルセルクはフィルの部屋でお楽しみの時間。
それほど愛しているのなら、番になってしまえばいいのに、二人は頑ななまでに番にはならない。
愛妾という不安定な立場で、番になるのは控えているのだろう。もし万が一フィルが誰かと婚姻を望む時、マルセルクと番になってしまっていると都合が悪い。思いやり、配慮。
……美しい愛を見せつけられているようで、殺意すら湧く。
マルセルクは決して、フィルと一緒にいる姿を公に見せない。それは自分への配慮だと思っていたが、仲睦まじい姿をリスティアや皆に見られると、相思相愛の設定に支障が出て困るから。
言い換えれば、リスティアを王太子妃として置き続けるために。
もちろん、リスティアは心からマルセルクを愛していた。なんなら今も気持ちが残っている。どうしても、マルセルクは格好良いし、これ以上なく惹きつける魅力を持つ。
リスティアの花紋が花開かないのは、きっと魔力の相性が悪いから。自分のせいではない。
その魔力の相性が悪いのも、マルセルクのせいではない。誰のせいでもない。
しかしフィルのお腹が日々膨らんでいく度に、それをこれ見よがしに撫でさすっているのを見るたびに、嫉妬で気が狂いそうになった。
いっそ嫌いになりたいのに、リスティアの身体は、番を求めてしまう。
寂しさはいつも心に巣食い、虚しさが纏わりつき、何をやっても無駄だと小声で囁かれている。
二年と半年が経っていた。リスティアはとうとう、マルセルクの子供を授からなかった。奇跡を信じて、妊娠しやすいというお茶やお守りも手に入れられるだけ手に入れて、発情期には義務でも抱かれているのに、ダメだった。
あと半年で、孕まなければ、マルセルクは第二妃を娶らなければならなくなる。フィルとは違う、貴族から正式に選ばれる人が。
(けれど、あの子猫が大きな顔をするくらいなら、もう少し良識のある人の方がいいかもしれない)
そう思えるほどに、リスティアは疲弊していた。
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