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しおりを挟む一息ついたベルフィーナは疲れていたようで、その後、二晩ほど熱に魘された。
父と母、兄と兄嫁にまで大変に甘やかされた。看病といいつつ常に誰かが部屋にいて甲斐甲斐しく世話を焼いてくる。この暑苦しいまでの愛情に苦笑しながら感謝する。
「お父様お母様。私、貴婦人は向いてないみたい。あの男からも『でしゃばり』と言われてしまったし」
「そんな事ないわよ!わたくしが胸を張って誇りに思う淑女よ、貴方は」
「……ありがとう、お母様。でも、私、思ったの。出しゃばりたいのよ。屋敷にいるだけじゃ足らない。男の人に守られて鳥籠にいるような大人しい娘じゃないみたい」
「あら……」
「自分の手で自分の食い扶持を稼いで生活したいの。だから、お願い。目を瞑ってくれないかしら?絶対に、私に注ぎ込んだお金分は返すと約束するわ」
「………………いいじゃないか。やってみなさい」
そう答えたのは父親だった。厳格な顔立ちだが、慈愛の瞳で見つめている。
「お前は芯の通った……いや、少々通り過ぎている所もあるが、自立した女性だ。やると決めたからには実行しなければ収まらないだろう。失敗したり、挫けそうになっても、我々がいる。頼りにしていいんだ。いいか?ブランドン伯爵家は皆お前の絶対的味方であることは、忘れるな」
「大好きよ、お父様!」
あんまりに父親がいい男すぎるため、淑女を忘れて抱き付いた。
デレっとヤニ下がる父親の顔は残念だったが、あまりそんな機会は無いのだから、今日だけは甘えさせてもらう。
父親は、愛娘を優しく抱き留めながらも、決心をする。
ベルフィーナに来ている縁談は、娘には黙って全て断ろうと。
離縁を知った貴族達はこぞって釣書を送ってきており、その理由はモーティス伯爵領でのベルフィーナの有能ぶりに目をつけていたからだ。
ベルフィーナの友人である王太子妃からも、王太子の第二妃にどうかと打診が来ている。伯爵令嬢では王妃に足る身分では無かったし、瑕疵があっても第二妃ならば十分。能力は言うまでもない。
王太子本人からも熱烈な手紙が届いているが、娘の負担になるだけだ。父親は自ら防波堤となり、愛娘の自由を守護すると決めたのだった。
それから実家でのんびりしつつも、離縁後のウォルターのことを教えてもらった。
彼は貴族籍を剥奪され、平民になっている。しかし王城の文官の仕事は、優秀な平民も働いてはいるためそれだけでクビになることは無かった。
しかし、平民出身の同僚は皆天才と呼ばれるほどの頭脳の持ち主ばかりで、同じ平民と肩を並べるとウォルターの凡庸さは悪い意味で目立つ。
また、素行についても皆の知るところ。すなわち、褒められたものではない。
その肩身が狭すぎてか、ウォルターは自主退職をしていた。
経歴を武器に有名な商家に下働きとして雇われたが、しかし仮採用の段階で些細なミスを繰り返し、悪びれもしないウォルターはすぐに解雇された。
そしてベルフィーナに縋り付いてきたらしい。結果は言うまでも無い。
最終的に、平民の良く使うパン屋の接客で働き始めると言う。いつまで働けるかは本人次第だ。
ベルフィーナの父や母はまだまだ反省が足りないと言って、雇い主周辺に『ウォルターのやった所業』を吹き込もうとしていたが、ベルフィーナはもう十分だと辞めさせた。
もう、溜飲は下がった。いつまでも両親の手を煩わせる程の価値は、ウォルターにはない。暇つぶしにすらならない。
それに、落ちぶれに落ちぶれた者は盗賊になることもある。ベルフィーナは、それだけは避けて欲しかった。
盗賊は冒険者にとって討伐対象。今は微塵も情の残っていない男でも、一度は愛した。この手で命を刈り取りたくはない。
(これはどんな感情なのかしら。年季が入りすぎて『捨てなさい』と言われたくまのぬいぐるみが捨てられないような……?いえ、違うわ。くまさんは私に悪いことはなにもしていないのだもの。)
そう。それは、投資した事業が赤字を出し、泣く泣く損切りした後に残った、証書のようなもの。
どれだけ投資しどれだけ損を出したのか赤裸々に書かれた書類は、見れば見るほど黒歴史なのに、捨てられない。大切にしたい訳でもないのに、金庫の奥に追いやって一生見ないでいれたらいい。
そんな気持ちに似ている。
言わばベルフィーナの人生を一度は賭けたのだ。これ以上人生を台無しにされる前に、切り捨てた。
失った数年は、大きな赤字でもあり、これから失敗しないための貴重な経験とも言える。
そう考えると少しは慰められたような気がする。良く考えればウォルターは盗賊になるような度胸は持たない。パン屋か花屋かは知らないが、平民として慎ましく生きていて欲しい。
家族に惜しまれつつ、転移魔術陣を起動した。
ヒルデの薬屋に戻ってきた。魔術陣の保つギリギリまで実家にいた為、時刻は夕方である。
「ただいま帰りました、ヒルデさん」
「あら!……とってもスッキリした顔ね。良かった。ボコボコにしてきた?」
「ふふふ、死なない程度に。ヒルデさん、まだ薬屋は……」
「もう閉めるところだったのよ。少し待ってて。今日は飲みましょうね!」
「では、私は出来合いのものを買ってきますね」
「よろしくねぇ~」
薬屋から出ると、久しぶりの、隣国王都の匂い。もはや愛着すら抱いてしまった。
屋台で串焼きや具沢山のスープ、パンやら肉やら買い込む。空間収納持ちはこういう時とても便利だ。
美人だからと倍量になるほどオマケされても、困ることはない。さらりと笑って受け取る。
薬屋に戻り、ヒルデと語り合った。強い清酒はヒルデの気に入りのもので、ベルフィーナはちびちびと飲んでいるのに、転移の疲れもあってかいつの間にか酔っ払っていた。
「本当に、今考えれば、一度拒否された時点で頑張らずに切れば良かったわ!無駄な努力ほど無駄なものはないもの!」
「切るって、ヤツのち……粗末なモノを?それはいいわね!粗末すぎて切ってもあまり変わらないかもしれないけど!」
「ぶっふふ、それじゃ意味はないわね」
ヒルデの下品で痛快な合いの手が心地よい。ベルフィーナも涙が出るほど笑う。
「でもベル、努力したものは別のところで生かされるわ、絶対。貴女の身につけた教養、知識、技術は、誰も奪えないんだから。」
「……っ、急にいいこと言うの辞めて、ヒルデさん。酔いが覚めるわ。確かにその通りだけれど」
「なによぉ。あたしだって無駄な時間を過ごしたことはあるわよ。美少年だと思ってナンパして、しばらくしてから女の子だったって気付いた時とか」
「ええっ……そんな事あるの?!」
「それがあるのよねぇ。女の子の格好をしてたら襲われるから、とか。全く。後はねぇ、美少年だと思ってナンパしたらとんでも無いビッチだったとか」
「美少年はブレないわね……」
そうだった。ヒルデは生粋の美少年好き。薬屋に雑用に来れるのも殆どがそれ。
ヒルデが構い倒すのもあるのだが、基本顔採用。
そのため本来彼らの仕事である雑用が進まなくなってしまったが為に、雇われたのが必殺仕事人であるベルフィーナだ。
そこでもブレないヒルデは顔採用をして、結果として大当たりした。
「それはね!まぁ、あたしは美少年を愛でたいだけなのよ。性の対象じゃあない。なんかこう、純情でピュアピュアして、あたしに声をかけられて恥ずかしくて頬を赤らめて俯いちゃったりするそのぷにぷにのほっぺを少し突かせてもらいたいっていうか」
「……犯罪臭がするわ、この辺り……」
「酷いわね!あとは平民はあまり食べられないケーキとかあげるとふくふくと嬉しそうになる笑顔とかたまらないわよね。細くて白くてまっすぐな足とか!」
「それ、成長したらどうするのよ」
「用無しよ。男臭さは要らないの。私より頭ひとつ分は小さくなきゃダメね。それより大きくなったらハイ、さようなら」
つんと一気に熱を失ったヒルデの横顔に、笑いが込み上げる。なんて自分本位に……楽しそうに生きているのか。
「なんて理不尽な。すごい割り切りだわ」
「でも別に恋人って訳じゃ無いし?近所の優しいお姉さんが、まぁ大きくなったら疎遠になった、それだけのことよ」
いや、確実にヒルデによって性癖を歪められただろうな……、と同情に思うと同時に、レイヴィス達の主の一人であろうあの美少年がヒルデに出会わないことを心から祈った。
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