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結婚二年目となると、義母からはちくちくと子供の催促を受けるようになる。
それも、とても遠回しなやり方で。


『これ、とても身体に良いからね。』


と、夫の前で渡されたのは、妊婦に良いとされる、刺激成分のない薬草茶や食べ物。夫は何も気付かず、『母さんは優しいな、ありがとう。』と呑気に笑っていた。

義母との会話ではどこそこの嫁は二人目も妊娠した、と、ベルフィーナの友人の名前を上げられたり、『やっぱり一人目は女の子ね、男の子は二人目の方が育てやすいわ。』などど、一人息子しかいない義母に言われる筋合いのない事も言われた。

それらは全て、ウォルターにとっては子育て経験者による親切なアドバイスとして聞こえるらしく、義母の襲来を億劫がるベルフィーナは軽く嗜められるばかり。

義母の、一見優しさに見える催促。ウォルターは真の意味に気付くことは無い。

自分ばかりピリピリしているような気がしていた。

ベルフィーナが逆立ちしたって一人で妊娠が出来る訳もない。かといって義母に言って直接ウォルターを嗜めてもらうなどということは絶対に出来なかった。

義母に言えば、間違いなくベルフィーナが悪いと言うだろうと確信していた。義母にとって息子は高級文官になれるほど賢く、反抗などしたことのない良い子。そんな可愛い僕ちゃんが悪いわけがない。

ベルフィーナの魅力不足。妻として力量不足だと言われるだろうし、一度打ち明けたが最後、会うたびにチクチクと言われ続けるだろう。

だからベルフィーナは黙って耐える他無かった。












慎ましくあれと育てられたベルフィーナにとって、自分から閨を誘うのは非常に、大変、人生の根幹を揺るがすほど困難だった。

しかし誘わなければ、夫から言い出す事は無いのだ。
モーティス伯爵家の次期当主夫人として、貴族に生まれた女として、世継ぎを授からなければならない。

できる限り身体を磨き、装った上で、口を開いては、閉じ、心臓はバクバクと破裂しそうな中、からからに乾いた喉の奥から搾り出すようにして言った、


『……今夜、どうかしら?』


その言葉に、ウォルターはこう、あっさりと返した。

『ごめんね、今日は疲れているから、また今度ね。』

軽く目を細め、くるりと背を向けられ、数秒後には何でも無かったように、安らかな寝息が聞こえてきた。




悔しかった。悲しくて、胸の奥は凍えて冷たくなり、痛みさえ走った。
夫はすぐ近くにいるというのに遠くて、声を噛み殺して泣いた。




学生時代は、様々な男性から言い寄られて困り、婚約したことで止んでホッとしていたくらいだったのに。

今や、唯一ベルフィーナを抱ける権利のある筈の夫から、拒否されている。
その事実は、ベルフィーナの女性としての尊厳を粉々に打ち砕き、踏み躙られるのに十分だった。

男性にとって女性と寝ることは、『ご褒美』のようなものだと認識していた。だから女性は容易く与えず、結婚まで大事にとっておく。男性は男を磨き、愛を囁き、なんとかして女性の身も心も手に入れようとする。それは、ウォルターには当てはまらなかったようだった。

これではご褒美どころか、『残飯』ではないか。









夫のことばかり考えるから悪いのだ、とベルフィーナは思い返して、執務に邁進し、また、魔術の腕を上げるのに没頭した。


珍しい空間属性持ちのベルフィーナは、日常あまり使う機会のない魔術を日常的に使えるまで腕を磨いた。

その結果、ペンは自動的に動かせ飛躍的に業務効率は上がる上、空間収納の量は限界の分からない程。短い距離であれば自在に転移すら可能となった。長距離移動も魔術陣を設置すれば可能。

それは弛まぬ努力を続けてこそ至れる境地。常人では不可能な、ある意味狂気とも言うべき並々ならぬ努力があった。

それを生かして、領地に出る魔物の討伐すら代行した。死角から不意打ち出来るのは大きなアドバンテージだ。

モーティス伯爵家の私兵はまだまだ育成中で心もとなく、領内に腕の確かな冒険者は少なかった為だ。
……決して、ストレス解消ではない、とベルフィーナは自身に言い聞かせて。



それから、数回ウォルターを誘ってみたものの、返事はいつも同じ、『疲れているから、また今度。』であった。


疲れている?私もそうよ、屋敷の維持管理の他、領主の仕事、社交に義母の対応もこなしている。

今度って?その今度は永遠に来ることはないのに。言うだけで満足しないで。

この頃になると、悲しみよりも怒りが強かった。なぜ、こんなにも尽くしているのにと。



食事の時間も滅多に合わず、顔を合わせば業務的連絡事項のみの会話。

それでも、穏やかな口調に優しげな風貌の夫を、ベルフィーナは愛していた。

夫のことは元々性欲の薄い、淡白な種族だと思えばいい。子作りは多分、向いてない人なのだ。ハーレム王みたいな人がいれば、その逆の人もきっと存在して、それがたまたま夫だったということ。

だから、二人の関係をこれ以上悪くさせないために提案したのだ。


『せめて、お休みのキスを。』


それは、性生活を諦めても、夫からの愛情を感じたかった、ベルフィーナの可愛らしい願いだった。

それを聞いたウォルターは、承諾した。承諾はした。

ウォルターは、口をむっ、と引き結んで硬くし、それでベルフィーナのぷるりとした唇へちょんとぶつけ、ぷはと息をついて、『……おやすみ。』と言った。

もぞもぞと毛布に隠れるようにくるまった夫の背中は、心底憎らしかった。
呪う能力があれば呪いたい程、その背中を睨みつけた。

自分が醜くなるのも承知した上で、心が裂けるような怨嗟の念を込めずにはいられなかった。

その、接地面積を最小限にするようなキスは。
息を止めて、匂いも嗅ぎたくない、舌や唾液を絡ませるなんてもっての外、そんなキスは。

そんなもの、要らない。

怒りが、失望に変わった瞬間だった。
それ以降、ベルフィーナは夫に歩み寄りを強要することは辞めた。

お休みのキスもしなくていいと言ったベルフィーナに、ウォルターは気まずそうにするどころかほっとしたように微笑んだ。





ベルフィーナの誕生日には宝石やドレスも買う。しかし、それはベルフィーナの見立てたもので、ウォルターは精算を行っただけ。
ウォルターの帰りはより遅くなり、夫婦の会話はたまに参加する夜会のみ。

それでも、表面上は仲の良い夫婦のフリをした。
それが夫人としての義務だと思ったから。

自分のことを、仕事をこなすだけの道具のように感じた。時々襲い掛かる虚無感は、魔術の訓練をすることで誤魔化して、夜は夫の背中を見て情緒不安定になり泣くこともあった。

それでも、なんとか笑顔で社交し、領主としての執務もこなし、義母をあしらい、なんとかこうにか、生きていた。

そのようにして、ベルフィーナは、結婚4年目、22歳になった。





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