150 / 507
【過去編】情愛と幸福のノスタルジア
第138話 情愛と幸福のノスタルジア⑨
しおりを挟む侑斗が差し出してきたそれは、そこそこ分厚い茶封筒だった。
だが、その封筒を目にした瞬間、ゆりは眉間にシワをよせ、侑斗を見つめ返す。
「……なにこれ」
「今日、確認したらミサから治療費が振り込まれてたんだけど、指定した金額より多めに振り込まれたんだ。多分、君への示談金だと思う」
──示談金。
その言葉にゆりは更に表情を曇らせる。
「……いらない」
「なんで?」
「なんでって、治療費だけ払ってくれたらいいっていったじゃん! それに、親に連絡されたくないからって、示談にしてもらったに。大体、ケガも大したことなかったし、奥さんに、そこまでしてもらう必要なんてない!」
「大したケガだろ! それに、ミサだって昔……っ」
だが、そう言いかけて、侑斗はハッと言葉を噤んだ。バツが悪そうに視線を落とすと、ひと呼吸おいた後、侑斗は、再びゆりに視線を向ける。
「とにかく、これは君にだよ。これから一人暮らしするとなると、なにかとお金はかかるし、あって困ることはないだろ。それに、これはアイツの気持ちだから、どうか受け取ってやってほしい」
「……」
あれ、なんだろう。なんか……
ゆりの心には、モヤモヤと複雑な感情が入り交じる。
「もしかして、まだ……好きなの?」
「え?」
絞り出すように放ったその言葉に、侑斗は一瞬、なんのことだと頭に?を浮かべた。
だが、ゆりは、そんな侑斗を真っ直ぐにみつめると、心に引っかかる言葉を次々と吐き出し始めた。
「もう、別れてるのに、お兄さん、奥さんにやけに優しいよね? この前だって、奥さんの代わりにうちの親にも謝りに行こうとしてし、治療費だって、奥さんが払えなければ、代わりに払うつもりだったんでしょ? もしかして、まだ未練があったりするの……ミサさんに……」
「──え?」
突然放たれたその言葉に、侑斗は思わず目を見開いた。室内は静寂に包まれ、侑斗はゆりの顔を見つめて困惑する。
未練──?
「いやいや、未練はないよ」
「え?」
だが、侑斗は、まるで当然とでも言うようにハッキリとその言葉を口にした。
それは、一切の迷いのない言葉だった。
「はは、俺、未練あるように見えてた? それは驚いたな~。大体、離婚つきつけたの俺の方だし、未練があったら、そんなことしてない」
「え? そうなの?」
「あぁ、でも確かに、別れたのに、少し世話焼きすぎかもな。なんていうか、離婚した今になって改めて考えてみると、俺がミサを、あそこまで追いつめたのかなって、思うところもあって……」
自虐混じりに、だが、目を細め、どこか遠くを見つめ話す侑斗のその瞳は、とても悲しい色をしていた。
ゆりは、その表情を見て、なんとも言えない気持ちになると、膝に置いた手に無意識に力をこめる。
「説得力はないだろうけど、これでも俺たち、結構仲が良かったんだよ。飛鳥が生まれてからは、本当に幸せで……毎日楽しかった」
「……」
「だけど、俺が部署を移動して、仕事が忙しくなりだしてから、お互いすれ違うようになって、あまり会話もしなくなって……そしたら、いつのまにか、浮気してるんじゃないかって疑われてた」
きっかけが何だったのかは、わからない。
だけど、一度、ヒビが入ったグラスは、どんなに水を注いでも満たされることがないように
どんなに仲が良くても
どんなに愛していても
一度、亀裂が入ってしまえば、その傷は、どんどんどんどん深くなる。
歯車が狂い始めると、それはあっという間で
次第に話をしたくなくなって、口論になることも増えて、目を合わせることすら避けるようになって、いつしか、不満や憤りが疑心にかわり、相手を信じられなくなったころには
──もう、家に帰るのすら嫌になった。
「今更、どうしようもないけど、俺も仕事ばかりで家庭をかえりみなかったのは確かなんだよ。ミサはミサで慣れない育児にかかりっきりだったし、お互いに微妙にすれ違って、こんな結果になったんだと思う」
「……」
「ただ、俺の母親、浮気ばかりの最低な人だったから、俺『浮気だけは絶対にしない』って誓って、ミサと結婚したんだ。だから……アイツに浮気を疑われたのは……一番……辛かったかも……っ」
信じてくれると思っていた。
そんなことするような人間じゃないって
だけど、ミサは信じてくれなかった。
全く身に覚えの無いことを疑われた瞬間、自分の中から、何かがサーっと引いていくようだった。
家族を守るために、仕事だって頑張っていたはずなのに、それが駄目だったんだろうか?
無条件に信頼していた「絆」は
守りたいと思っていた「家族」は
たった一言の亀裂から始まって、呆気なく終わりを迎えた。
そのあとは、心の中にポッカリ穴が空いたように「虚しさ」だけが残った。
欲していたものは
こんな「空っぽの心」では
なかったはずなのに──
「まぁ、とにかく! 未練はないし、俺とミサはもう終わったんだよ。それに、どのみち俺には、結婚なんて向いてなかったんだ。これからは飛鳥と二人、男だけで、つつましく暮らしていくよー」
まるで、暗い気持ちを振り払うように明るく笑うと、その後、結月は、ゆりの前に手にしていた封筒をそっと置いた。
するとゆりは、目の前に置かれた、その封筒を見つめて、思考を巡らせる。
(未練はないけど……後悔はしてるって、ことかな?)
笑う侑斗の姿は、いつもどおりだった。
いつもの明るい笑顔に、明るい声色。
だけど、どこか寂しそうにもみえて、その明るさが逆に、空元気のようにも見えた。
(そっか……でも、未練は……ないなら)
だが、その侑斗の言葉を聞いて、ゆりは少しだけホッとした。
奥さんに未練がないのなら、このまま好きでいてもいいのかな?
侑斗さんのこと───
「それより、もう遅いし、早く寝ろよ」
「っ……ちょっと、さっきからなんなの、その子供扱い」
「いや、だって子供だし」
「…………」
子供───
「っ……なに、それ」
瞬間、トン──と床に手をつく音がしたかと思えば、侑斗とゆりとの距離は一気に縮った。
腕に触れた柔らかな感触。
それに気づき、侑斗が目を向ければ、ゆりがその身体をグッと押し付けてきたのだとわかった。
視線の先には、今にもキスできそうなくらい近くに、ゆりの顔がみえた。長い睫毛と、さらりと甘い香りが漂う長い髪。
薄く開いた唇はとても艶やかで、胸元にわずかに開いた隙間からは、白く柔らかそうな肌が見えた。
「ちょっ……」
目の前の光景に、侑斗は僅かな焦りを覚えた。
慌てて、ゆりから離れようとその場から退くが、ゆりはその距離をつめるように、またゆっくりと近づいてくる。
猫のように身体をしならせながら、どこか色めくような艶のある視線で見つめられた。そして、不意に見せた、ゆりのその姿は、あまりにも刺激的で──
「ちょ、ゆりちゃ……」
「……私、もう、子供じゃない!!」
「え!?」
0
お気に入りに追加
168
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
兄貴がイケメンすぎる件
みららぐ
恋愛
義理の兄貴とワケあって二人暮らしをしている主人公の世奈。
しかしその兄貴がイケメンすぎるせいで、何人彼氏が出来ても兄貴に会わせた直後にその都度彼氏にフラれてしまうという事態を繰り返していた。
しかしそんな時、クラス替えの際に世奈は一人の男子生徒、翔太に一目惚れをされてしまう。
「僕と付き合って!」
そしてこれを皮切りに、ずっと冷たかった幼なじみの健からも告白を受ける。
「俺とアイツ、どっちが好きなの?」
兄貴に会わせばまた離れるかもしれない、だけど人より堂々とした性格を持つ翔太か。
それとも、兄貴のことを唯一知っているけど、なかなか素直になれない健か。
世奈が恋人として選ぶのは……どっち?
百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
伊賀忍者に転生して、親孝行する。
風猫(ふーにゃん)
キャラ文芸
俺、朝霧疾風(ハヤテ)は、事故で亡くなった両親の通夜の晩、旧家の実家にある古い祠の前で、曽祖父の声を聞いた。親孝行をしたかったという俺の願いを叶えるために、戦国時代へ転移させてくれるという。そこには、亡くなった両親が待っていると。果たして、親孝行をしたいという願いは叶うのだろうか。
戦国時代の風習と文化を紐解きながら、歴史上の人物との邂逅もあります。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
純喫茶カッパーロ
藤 実花
キャラ文芸
ここは浅川村の浅川池。
この池の畔にある「純喫茶カッパーロ」
それは、浅川池の伝説の妖怪「カッパ」にちなんだ名前だ。
カッパーロの店主が亡くなり、その後を継ぐことになった娘のサユリの元に、ある日、カッパの着ぐるみ?を着た子供?が訪ねてきた。
彼らの名は又吉一之丞、次郎太、三左。
サユリの先祖、石原仁左衛門が交わした約束(又吉一族の面倒をみること)を果たせと言ってきたのだ。
断れば呪うと言われ、サユリは彼らを店に置くことにし、4人の馬鹿馬鹿しくも騒がしい共同生活が始まった。
だが、カッパ三兄弟にはある秘密があり……。
カッパ三兄弟×アラサー独身女サユリの終始ゆるーいギャグコメディです。
☆2020.02.21本編完結しました☆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる