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第一章 幽霊花魁
桧山の願い
しおりを挟むなにも答えない自分に咲夜が言う。
「意外にやさしい人ね、お坊様。
私にもわかるわ。
何故、桧山姉さんが貴方を呼んだのか」
桧山が殺してくれ、と言った『幽霊花魁』はほんとうに階段下の霊のことなのか。
霊を成仏させてくれと頼んだと見せかけて、別のことを俺に頼んできたのではないのか?
自分のことをお糸から聞いたという桧山が俺に期待したのは、霊を祓う能力の方ではない可能性がある。
「貴方はかなりの手練れだとお糸が言っていたそうね。
桧山姉さんもそれを知っていた。
姉さんが殺したかった幽霊花魁は、霊じゃなくて、私の方じゃない?」
自分が呑み込んだ言葉を咲夜はすべて吐き出してきた。
「……桧山にお前を殺したい理由があるのか?」
咲夜は少しだけ、道具屋で見せたような子どもっぽい顔にかえり、うーん、と唸って見せる。
「まあ、心当たりはないでもないわ。
でも、それで殺されるとか、今更って感じもするわね」
「何が原因だ」
桧山に狙われる理由、と那津は訊いたが、咲夜は軽く笑って言ってくる。
「それ話したら、生きて帰れないわよ、お坊様。
ところで、どうやって、桧山姉さんを買うほどのお金を工面したの?」
「隆次が貸してくれたんだ」
ああ、なるほどね、と咲夜は頷く。
桧山と同じく、あの道具屋の何処にそんな金があったのか、と不思議がることもなく。
「そうなの。
兄さまが。
貴方が何かを動かしてくれそうだったからかしらね」
私たちはもう、この中にはまり込んでて動けないから。
そう咲夜は言った。
「隆次はお前の兄ではないんだったよな?」
「そう。
血の繋がりはないわ。
でも、もうずっと、見守ってくれているから」
そんな言い方を咲夜はした。
「左衛門が俺を此処に近づけまいとしたのは、桧山がお前を狙っていると知ったからなのか?」
「さあ、そこはわからないわ。
彼には貴方に此処に近づいて欲しくない別の理由もあるからね」
幽霊花魁のことを桧山が俺に頼んでいたと知って、左衛門は俺にもう来ないよう言ったんだったな。
咲夜と桧山のゴタゴタ以外の理由があるとしたら。
それはもしかしたら、『生きていない幽霊花魁』のことで、妓楼の外の人間に探られたくないなにかがあるということなのではないか?
そう思い至ったとき、咲夜が自分を追い払おうとした。
「さあ、もう帰った方がいいんじゃないの? お坊様。
此処は魔窟よ。
その肩にのっている幽霊花魁以外の霊までのっかってくるわよ」
ああ、此処では生きた女の方が怖いか、と言って咲夜は笑う。
まあ、あまり長居しても悪いかと思い、立ち上がりかけたが、足を止めた。
「咲夜、お前、ふらふら外を出歩いているようだが、一人で吉原周辺をうろつくなよ。
辻斬りが出るそうだから」
「ああ、聞いたわ。
揚屋町の誰かも斬られたらしいわよ。
えーと、肘だったかな」
肘、なんだってまた、そんなところを。
斬り損ねたのだろうか、と那津が思っていると、咲夜は誰かから得たらしい噂話を披露してくれる。
「頭巾を被った着流しの男に、夜道でやられたみたいよ。
巾着を振って抵抗したら、逃げてったみたい」
巾着でねえ、と思いながら、
「お前には供の者が居るんだったな。
手練か?」
と那津は訊く。
「まあ、そうね。
拷問から殺しまで、なんでも請《う》け負える人よ」
いや、そこまでの奴でなくていい……と思ったのだが。
悪に対抗するには、こちらも悪である方が確実だったりもする。
そのくらいの迫力がなければ、斬り負けるからだ。
「じゃあ、外に出たときは、必ずそいつと動け」
「なに隆次兄さまみたいなこと言ってるの」
と咲夜は笑う。
そのとき、咲夜の背後から気配を感じた。
咲夜も自分の視線に気づいたように振り返る。
彼女の後ろにある襖の隙間から、うっすら隣の部屋が見えた。
その暗がりが、こちらから窺えるように。
恐らく、あちらからも見えている。
そっと近づいてみたが、咲夜は止めなかった。
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