あやかし吉原 ~幽霊花魁~

菱沼あゆ

文字の大きさ
上 下
10 / 58
第一章 幽霊花魁

油さしの男

しおりを挟む


 那津が、すうっと襖を開けてみると、暗闇に男が端座たんざしていた。

 こちらを見上げるが、そのまま動かない。

 それは、あの油さしの男のようだった。

「その男は控えてるだけ。
 長太郎ちょうたろうと言うの」

 那津は静かに襖を閉めて、戻る。

 こいつがあのとき咲夜と待ち合わせていた草の者だな、とわかった。

 先程、うっかり気配をさらすまで、そこに居ることが全くわからなかったからだ。

 辻斬りも物騒だが、この男も物騒だし、桧山も物騒だ。

 そう思いながら、那津は訊く。

「おい、咲夜。
 お前、さっき、桧山には自分を狙う理由があると言ったな」

「今更だとも言ったけどね」

 自分が桧山に狙われているかもしれないというのに、特に動じもせずに咲夜は言う。

「では、他に何か思い当たる節はないのか?」

「そうねえ。
 私のこの状況を特別扱いだと言って、うらやむ人も居るけど。姉さんはそんな人じゃないし」

「こんな小部屋に押し込められてるのをうらやましいと思う人間が居るのか」

「窒息しそうになるのと、客をとらされるのと、どっちがマシだと思う?」

 そう言ったあとで、
「ま、女じゃないから、わからないか」
と咲夜は笑う。

 だが、この吉原の鬱屈した空気に彼女らの想いは、はっきり現れていた。

「昔居た遣手やりてがね。
 私を囲っている若旦那の金もいつまで続くかわからないからと内緒で私に客をとらせようとしたことがあるの。

 遊女の管理をする遣手は、自分も遊女だった人がなるものだから、私の特別扱いが許せなかったようよ。

 それで、自分の馴染みの男を連れてきたみたいなんだけど。

 用意させた布団を開けた男は驚いたそうよ。

 布団の中に私が居たから。
 血塗れの。

 悲鳴を上げて、男は逃げて、二度と来なかったわ。

 余程、恐ろしかったんでしょうね。

 以来、吉原には顔を出さずに、真面目に商売をしているらしいわ」

「その血塗れのお前と言うのは――」

「私じゃないのは確かだけど。
 さあ、……誰かしらね」
と咲夜は笑って見せる。

「その遣手はどうなったんだ?」

「居づらくなって、どっか行ったわ。
 ま、あの人たち、常日頃から、小金を貯め込んでるからね」

「お前は子供の頃から、その若旦那に買われていたのか?」

 今の話で、まだ誰も彼女に触れていないようだと気づき、訊いてみた。

「あの人、私が此処に来たとき、たまたま居合わせたのよ。それで」

「此処に来たとき?」

「そう。
 私は此処に来て、すぐ振袖新造になったの」

 禿かむろたちは新造になるとき、振袖新造と留袖新造に分けられる。

 美しく見込みのあるものは、振袖新造に。

 将来の稼ぎ頭候補となるのだ。

 咲夜のようにある程度大きくなってから吉原に来たものは、禿の時代を経験しない。

 ちゃんと仕込まれていないということで、留袖新造になるのが通例のようだった。

 だが、咲夜は禿をずして、振袖新造になったと言う。

 まあ、この美貌と才と気品からして、当然と言えば当然か、と那津は思った。

 言動に、いささか難ありな気もするが、それでも品良く見えるところが凄いと言えば、凄い。

「信頼のある客ならば、新造でも買えるのよ。

 手は出せないけどね。

 私は最初からずっと若旦那に買われてる。

 もうずっと他の客の目にさらされることなく、此処に居るの。

 だから、もう新造の歳を越えているのに、なんのお披露目もないまま、このままなのよ」

「その若旦那が幾ら払っているのか知らないが、お前ならもっと稼げるだろう。

 なのに、あの左衛門が何故、お前を此処に閉じ込めっぱなしにしているのか。
 不自然に感じるが」

「さあ、なんでだと思う?」

 笑う咲夜の側、衝立てに赤い着物が掛けられている。

 その前で、しどけなく脇息に寄りかかる彼女には、いつもとは違う色気がある。 
  
 この空間はいけない、と思った。
 切り離された場所とは言え、此処にも吉原の匂いがある。

 くらりと来そうになる感覚を抑え、
「帰る」
と那津は立ち上がった。

「そう。また来てね」

 咲夜は脇息に肘をついたまま、おざなりに手を振っている。

 やる気のない遊女だな、と思ったとき、咲夜は独り言のように言った。

「満足してるのよ。
 若旦那にも感謝してる。

 私がこの吉原にありながら、遊女であって遊女でないのは、あの人のお陰。

 でも、ときどき息が詰まりそうになる。

 そして、思うの。

 誰か私を此処に居られなくしてくれないかしらって。

 誰か――

 あの人が怒って私を解き放ってくれるように」

 咲夜が自分を見つめる。

 だが、それは一瞬のことだった。

 すぐに、
「ま、そしたら、普通に店に出されるだけだけどね」
と咲夜は笑った。

「莫迦なこと言ったけど。
 早く帰った方がいいわよ。

 此処はひとりに見えて、ひとりじゃないから」

 はっと振り返る。

 あの襖はまだ、うっすらと開いていた。

 そこには、先程のまま、あの油さしの男が居るのだろうと思われた。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした

迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

あやかし吉原 弐 ~隠し神~

菱沼あゆ
歴史・時代
「近頃、江戸に『隠し神』というのが出るのをご存知ですかな?」  吉原と江戸。  夜の町と昼の町。  賑やかなふたつの町に、新たなる事件の影が――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一大事!

JUN
歴史・時代
 国家老嫡男の秀克は、藩主御息女との祝言の話が決まる。なんの期待もなく義務感でそれを了承した秀克は、参勤交代について江戸へ行き、見聞を広めよと命じられた。着いた江戸では新しい剣友もでき、藩で起こった事件を巡るトラブルにも首を突っ込むことになるが、その過程で再会した子供の頃に淡い恋心を抱き合っていた幼馴染は、吉原で遊女になっていた。武家の義務としての婚姻と、藩を揺るがす事件の真相究明。秀克は、己の心にどう向き合うのか。

銀の帳(とばり)

麦倉樟美
歴史・時代
江戸の町。 北町奉行所の同心見習い・有賀(あるが)雅耶(まさや)は、偶然、正体不明の浪人と町娘を助ける。 娘はかつて別れた恋人だった。 その頃、市中では辻斬り事件が頻発しており…。 若い男女の心の綾、武家社会における身分違いの友情などを描く。 本格時代小説とは異なる、時代劇風小説です。 大昔の同人誌作品を大幅リメイクし、個人HPに掲載。今回それをさらにリメイクしています。 時代考証を頑張った部分、及ばなかった部分(…大半)、あえて完全に変えた部分があります。 家名や地名は架空のものを使用。 大昔は図書館に通って調べたりもしましたが、今は昔、今回のリメイクに関してはインターネット上の情報に頼りました。ただ、あまり深追いはしていません。 かつてのテレビ時代劇スペシャル(2時間枠)を楽しむような感覚で見ていただければ幸いです。 過去完結作品ですが、現在ラストを書き直し中(2024.6.16)

処理中です...