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第三話 雪柳

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 結局その晩は、それ以上色っぽい空気にはならず(当然だ)、彼は翌早朝、出かけていった。俺はなんとか目を覚まして彼を見送ったが、別れ際、彼はそっと軽い口づけを残していって。その甘さに俺はちょっとどぎまぎしたりした。昨日一晩で、真波さんとの身体的距離はかなり近づいたのかもしれない。てかどぎまぎって初めて使ったわ。
 彼がいなくなったあと、俺は右手をひっくり返して何度も見てみたが、ひよこが現れることはなかった。今後俺がえっちなことをするときに、毎回あのひよこが現れるんだろうか。それはちょっと、いやかなり困る。普通に営業妨害だし、出家するしかないんじゃないだろうか。
 ………などと考えていると、扉をノックする音がして、秋櫻が現れた。
「おはよう、昨日は大変だったね」
「あ……うん」
「雪柳を取り合ういい男二人……。物語になりそうだよねえ」
 はあ、と秋櫻がため息をつく。ちょっと……待て。
 秋櫻に詳しく聞くと、真波さんとの時間に割り込んできた洸永遼のことは、俺をめぐる恋のさや当て、と捉えられているようだ。廊下でもみ合っていたので、きっと一部の兄さんには聞こえていただろう。真実は言えないので、もやっとはするがそのままにしておく。
「結局洸さんは先に帰ったみたいだけど、大丈夫だったの?」
「……うん、大丈夫。ちょっと話したらすっきりしたみたいだよ」
 ……何をだよ、と自分でも突っ込みたくなるが、秋櫻は訳知り顔で頷いた。
「なるほどね……。宣戦布告、みたいな感じかな? 雪柳は俺のものだ!みたいな。へへへ」
 ……へへへじゃないよ全く。でもその解釈はありがたい。そういうことにしておけば、真実を言わずに済むから。
 俺は彼の笑みにすこし明るい気持ちになって、笑い返した。
「そんないいもんじゃないけどさ、まあそんな感じ。さあ、朝飯、食べに行こうか」

 この鳥籠の中では、正直外のことはわからない。洸永遼の隊商がどうなったのか、真波さんは「砂条」の仲間と連絡が取れたのか。気にはなるが、彼らの訪いがない限り、俺には不明なのだ。なのでいつものように妓楼の仕事に力を入れるほかはない。
 それに加えて、月季のとレッスンも加わった。夜、ドキドキしながら彼と時を過ごす。正直俺は28だがそっちの方はほぼ18で止まっているので、大人なレッスンはありがたいといえばありがたい。内容は……割愛するが。
 そして4日が経ったころ。洸永遼が妓楼を訪れた。いつものようにホールで客に配膳をしていると、入り口から入ってきた彼に呼び止められた。
「……雪柳。洸さんのお席に着いてくれ」
 鶴天佑に耳打ちされ、慌てて洸永遼に拱手した。相変わらずのいい男だが、目の下にややクマができているような気もする。寝ていないのだろうか。
 急いで化粧直しをして、いつもの部屋で待っていると、ホールで時間をつぶしていたらしい洸永遼が入ってきた。
「……雪柳。先日は、すまなかった。もっと早く謝りたかったんだが」
 深々と拱手する。慌てて手を振って返事をした。
「いえ! 僕はなんのお役にも。あの……その後、どうですか?」
 聞いていいものかと思いつつ聞いてみる。すると洸永遼は、うん、と頷いた。
「……程将軍のおかげで、『砂条』に情報は届いたようだ。しかし……」
 そして表情を曇らせる。首を横に振って、小さくため息をついた。
「……やめよう。今日は君とゆっくり過ごしたい。日頃の憂鬱を忘れて」
 もっと聞きたい、と思ったが、彼の顔があまりに疲れて見えたので、俺も口をつぐんだ。
 ――お客さんの望みを叶えるのが、僕たちの仕事だよ。この部屋にいる間だけは、その人の望む関係になる。
 月季兄さんの声が脳内に響く。彼が今求めているのは癒しだ。ならば。
「ゆっくりしましょう。ここにいる間は、何にも気にしなくていいですよ」
 すると彼ははにかむように笑って、俺を抱き締めた。慣れた彼の香りがして、一緒にいるのが洸永遼であることを確認する。
「すべてが片付いたら、君を抱きたいな」
 ストレートな口説きにぎょっとする。彼は俺の首筋に顔を埋めて口づけた。
「最後まではしないよ。それは『孵化』に取っておく。でも……君がかわいくてしかたない。だから……謝りたい。程将軍へのつなぎとして君を使ったこと」
 思わず唾を呑み込んだ。慌てて首を横に振る。
「そんなこと。お役に立てたなら……よかったです」
 すると洸永遼は苦し気に眉を寄せて言った。
「……最初は。程将軍の秘密を見つけたいと思って、君に近づいた。でも……こんなに君にはまるとは思わなかった。……違う出会い方をすればよかった」
 不自然すぎた洸永遼からの接触は、やはり最初から程将軍目当てで仕組まれたものだったらしい。けれど今では、俺といたいと思ってくれている。欲されているというのは、やはり嬉しいことだと思う。
「早く……仕事抜きで、君と過ごしたい」
 耳に吹き込まれる低音。くらくらしそうなほどセクシーなその声に流されてしまいそうだ。抱きしめられる力が強くなって、至近距離で目があった。そして……。
 ……額に口づけられた。前と全くおなじ場所に。
「……これ以上したら、止まらなくなりそうだから。今日はこれくらいにしておくよ」
 照れたように、彼が笑う。初めて会ったころの彼は強引だったのに、今ではまるで真逆だ。彼は「純愛に興味がある」と言ったけど、それはほんとうのことなんだろうか。

 その夜、彼は俺を抱き締めて眠った。眠りにつくまで、彼はまるで恋人のように甘く、俺の髪に、額に口づけて。それは妙に気恥ずかしく、俺はせわしない胸の鼓動に眠ることもできなかった。 
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