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第一話 皐月
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彼を連れて、とりあえず部屋に戻った。彼はいま一人部屋を貰っているはずだが、二階にある彼の部屋より一階の俺たちの部屋の方が近い。秋櫻はたとえ起きたとしても皐月の味方だから大丈夫だろう。
部屋に戻り、まずは彼の濡れた衣を脱がせた。少年らしい線の細い体つきに胸が痛む。手ぬぐいで体をぬぐおうとすると、自分でやる、と手ぬぐいを奪われた。
濡れた衣を、部屋の片隅に渡した洗濯ロープみたいな紐にかけた。次いで火鉢に近づき、灰を退けて、炭に火を灯らせる。一酸化炭素中毒とか大丈夫?と思うが、機密性など皆無な木造のこの建物ならば大丈夫なのだろう。
俺の貸した洗い替えの寝巻きに着替えた皐月に、火鉢をおしやる。そして座卓のまえの円座を渡した。彼は俯いたままそれに座り、手を火鉢にかざした。
すう、すうと秋櫻の規則正しい寝息を確かめながら、俺は自分の布団を取って彼の肩の上からかけた。
「……すまない」
彼がぽつりと言った。切れ長の目は伏せられたまま、火鉢の灰を見つめている。
ああ、まだ18歳の子なんだよな。
ふと、3つ下の弟を思い出した。もうすっかり大人になって、最近じゃ可愛くもなんともないが、小さい頃は可愛かった。兄ちゃん兄ちゃんと懐いてきたものだ。まぁ俺の弟は、こんなに華奢でも可憐でもなかったが。……あいつ、元気にしてるかな。
ふいに郷愁にかられながら、彼の斜め後ろに座った。
「……いえ、気にしないでください。たまたま見かけただけだし」
そう言うと、彼は微かに頷いた。細い首に長い黒髪。まだ濡れているそれが寒そうで。
弟の髪を乾かしてやったことを思い出す。小学生位の時、母がどはまりしていたドラマの、美容師の真似事をしてやっていたのだ。そっとその髪に触れると、彼はびくりと肩を震わせた。その大きな動きに驚いて、思わず手を離すと、振り向いた彼の目と目が合った。
「すみません、髪、濡れてる。……拭きましょうか」
手を温めている彼が、髪を拭くのは大変だろう。そう言うと、彼は少し考えたあと、うん、と頷いた。
ドライヤーも何もないので、長い髪を乾かすのは大変だった。もとよりタオルと違って手ぬぐいはあまり水を吸わない。それでも手ぬぐいで何度も髪を挟んで水分を取っていると、手に触れる髪の重みは次第に軽くなっていく。
秋櫻は変わらず寝息を立てている。火鉢は部屋じゅうを暖めるほどの効果はないが、近くにいればそれなりに温かい。黙ったまま髪を乾かしていると、彼が「もういい」と言った。
「ありがとう」
礼の言葉に、少し心が温かくなる。手を止めて、温かい茶を入れようと、火鉢のうえの鉄瓶に手を伸ばすと。
「……聞かないのか」
「え」
驚いて彼を見た。彼は床を見つめたまま微動だにしない。なぜ水を被っていたか、教えてくれるんだろうか。
「……いえ」
しかし聞くのは違う気がして、首を振った。すると彼は口角を上げて、わずかに笑った。
「……清めたかったんだ」
……まだ寒い真夜中に、水で? 何を?
「……でも、寒いでしょう? きっとお湯でも、汚れは取れます」
「……取れない!」
きっと彼は俺をにらみつけた。驚いて彼を見つめる。
「……取れないんだ。それは、ぼくの……」
そう言って、俯いた。薄い肩が震えている。その姿がひどく可哀想で。
俺はそっと、自分の来ている上着を脱いで、彼の肩の上にかけた。
「……詳しくはわからないけど……。きっと、大丈夫です」
大丈夫。それは、幼いころに母がよく言ってくれた言葉だ。闇が怖い、お母さんがいなくなるのが怖い、子どもならではの恐怖に対して、いつも母親が言ってくれた根拠のない「大丈夫」に、幼い俺は安心したものだった。
彼は何か言いたそうにこちらを見たが、再び目を伏せた。
「大丈夫です。だから……今日はあったかくして、寝てください」
彼はここで寝るんだろうか。そうしたら寝台に三人で寝なければいけないな。そんなことを考えていると。
「……帰る」
彼は立ち上がり、上着とふとんを俺に返した。
「いや、それは着ていってください。明日返して貰えばいいので」
そう言うと、彼は首を振った。
「部屋まではすぐだから」
そして立ち上がり扉を開け、ふり返ると、
「ありがとう」
と言って、微笑んだ。それはとてもきれいな笑みで。
俺はなんだか嬉しくなって、閉じた扉に向かってちいさく手を振った。
部屋に戻り、まずは彼の濡れた衣を脱がせた。少年らしい線の細い体つきに胸が痛む。手ぬぐいで体をぬぐおうとすると、自分でやる、と手ぬぐいを奪われた。
濡れた衣を、部屋の片隅に渡した洗濯ロープみたいな紐にかけた。次いで火鉢に近づき、灰を退けて、炭に火を灯らせる。一酸化炭素中毒とか大丈夫?と思うが、機密性など皆無な木造のこの建物ならば大丈夫なのだろう。
俺の貸した洗い替えの寝巻きに着替えた皐月に、火鉢をおしやる。そして座卓のまえの円座を渡した。彼は俯いたままそれに座り、手を火鉢にかざした。
すう、すうと秋櫻の規則正しい寝息を確かめながら、俺は自分の布団を取って彼の肩の上からかけた。
「……すまない」
彼がぽつりと言った。切れ長の目は伏せられたまま、火鉢の灰を見つめている。
ああ、まだ18歳の子なんだよな。
ふと、3つ下の弟を思い出した。もうすっかり大人になって、最近じゃ可愛くもなんともないが、小さい頃は可愛かった。兄ちゃん兄ちゃんと懐いてきたものだ。まぁ俺の弟は、こんなに華奢でも可憐でもなかったが。……あいつ、元気にしてるかな。
ふいに郷愁にかられながら、彼の斜め後ろに座った。
「……いえ、気にしないでください。たまたま見かけただけだし」
そう言うと、彼は微かに頷いた。細い首に長い黒髪。まだ濡れているそれが寒そうで。
弟の髪を乾かしてやったことを思い出す。小学生位の時、母がどはまりしていたドラマの、美容師の真似事をしてやっていたのだ。そっとその髪に触れると、彼はびくりと肩を震わせた。その大きな動きに驚いて、思わず手を離すと、振り向いた彼の目と目が合った。
「すみません、髪、濡れてる。……拭きましょうか」
手を温めている彼が、髪を拭くのは大変だろう。そう言うと、彼は少し考えたあと、うん、と頷いた。
ドライヤーも何もないので、長い髪を乾かすのは大変だった。もとよりタオルと違って手ぬぐいはあまり水を吸わない。それでも手ぬぐいで何度も髪を挟んで水分を取っていると、手に触れる髪の重みは次第に軽くなっていく。
秋櫻は変わらず寝息を立てている。火鉢は部屋じゅうを暖めるほどの効果はないが、近くにいればそれなりに温かい。黙ったまま髪を乾かしていると、彼が「もういい」と言った。
「ありがとう」
礼の言葉に、少し心が温かくなる。手を止めて、温かい茶を入れようと、火鉢のうえの鉄瓶に手を伸ばすと。
「……聞かないのか」
「え」
驚いて彼を見た。彼は床を見つめたまま微動だにしない。なぜ水を被っていたか、教えてくれるんだろうか。
「……いえ」
しかし聞くのは違う気がして、首を振った。すると彼は口角を上げて、わずかに笑った。
「……清めたかったんだ」
……まだ寒い真夜中に、水で? 何を?
「……でも、寒いでしょう? きっとお湯でも、汚れは取れます」
「……取れない!」
きっと彼は俺をにらみつけた。驚いて彼を見つめる。
「……取れないんだ。それは、ぼくの……」
そう言って、俯いた。薄い肩が震えている。その姿がひどく可哀想で。
俺はそっと、自分の来ている上着を脱いで、彼の肩の上にかけた。
「……詳しくはわからないけど……。きっと、大丈夫です」
大丈夫。それは、幼いころに母がよく言ってくれた言葉だ。闇が怖い、お母さんがいなくなるのが怖い、子どもならではの恐怖に対して、いつも母親が言ってくれた根拠のない「大丈夫」に、幼い俺は安心したものだった。
彼は何か言いたそうにこちらを見たが、再び目を伏せた。
「大丈夫です。だから……今日はあったかくして、寝てください」
彼はここで寝るんだろうか。そうしたら寝台に三人で寝なければいけないな。そんなことを考えていると。
「……帰る」
彼は立ち上がり、上着とふとんを俺に返した。
「いや、それは着ていってください。明日返して貰えばいいので」
そう言うと、彼は首を振った。
「部屋まではすぐだから」
そして立ち上がり扉を開け、ふり返ると、
「ありがとう」
と言って、微笑んだ。それはとてもきれいな笑みで。
俺はなんだか嬉しくなって、閉じた扉に向かってちいさく手を振った。
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