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第一話 皐月
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翌朝。俺と秋櫻はいつものように洗濯をしていた。洗濯の時間はおしゃべりの時間でもあって、この世界に疎い俺には貴重な情報収集の機会だ。
結局秋櫻は朝まで起きず、起きたあともいつもと変わらぬ様子だったので、きっと昨夜のことには気づいていないだろう。話題はもっぱら、近づいてきた花祭りについてだった。
「僕達は街から出られないでしょ。満開の桃花を見る機会なんてないの。だからすごく楽しみなんだ」
秋櫻は目をきらきらさせながら言った。花祭りは、たいそう盛大に行われるらしい。花といっても桜ではなくて桃なんだそうだ。とはいえ美味しい果実が成るほうではなく、花が美しいものらしい。しかも満開に近い木を運んできて、街の大通りに植えるのだという。よって花祭りの前には街に植木職人が多くやって来て、静かな昼の街が賑わうのだそうだ。
「今日から桃花を搬入するらしいよ! お客様が来る時間まで作業するんだってさ」
「へえ……それは大仕事だな」
それはゲームの設定にもあって、シナリオライターがかつての吉原の風習なのだと言っていた。もっともあちらは桜だそうだが。
花が満開の木を移植するなんて、人間の傲慢だろうと思うが、そもそもこの妓楼に連れて来られた子たちも、その花と同じようなものかもしれない。花に自分を投影することもあるのだろうか。
……ざばあ、と水から手ぬぐいを上げながら、秋櫻が言った。
「花祭りでは、僕らも忙しいよ。いつもよりお客さんも多いしね。兄さん達の宴席についたりすることもある」
「えっ」
思わず洗い物の手を止めた。今俺が洗ってるのはふんどし的なやつだ。たぶん鶴天佑のものだが、もう慣れた。
すると秋櫻はひらひらと顔の前で手を振った。
「あはは、雪柳はまだ大丈夫だよ。さすがに入って数日の君を宴席につかせたりしないって」
「そっか、そだよな、あはは」
ほっとする。宴席なんて何をすればいいかわからない。声優として活動し始めてからは合コンにも行ったことないのに!
「……皐月兄さん、大丈夫かな……。やっぱり負担なのかも」
秋櫻がふうと溜息をつきながら言った。
皐月は今日も具合が悪いと伏せっている。昨日あんな冷たい水を浴びたせいだろう。
「……負担って?」
仕上げにタライでふんどしをざばざば洗いながら聞くと、うん、と秋櫻は頷いて目を伏せた。
「僕たちは、お客さんを取るまでに、房事を習うんだ」
「ぼうじ」
一瞬漢字に変換出来なかった。すると秋櫻は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「お客さんに奉仕する方法、だよ」
「ほうし……」
はっとした。なるほど。濁点取ったら奉仕になるな、なんてのはどうでもいい。
「えっと、それはあれとかあれとかか…」
「うんうん、あれとかあれとかあれだね!」
なんて意味のない会話だ! 秋櫻は具体的にはまだ知らないのか、言わないようにしているだけなのか。
「仕事のあと、夜に天佑さんに教わるんだって」
「えっ!!」
鶴天佑の人好きのするイケメン顔を思い浮かべた。なんと………彼が指導役とは。
「……じゃ、皐月兄さんも?」
秋櫻が頷く。昨日の夜、皐月は天佑のレッスンのあとだったのだろうか。そして「清めたい」と思ってあの井戸にいた。それはおそらく、自分の身体が汚れたと思ったから。彼には意中の人がいるという設定のはずだから、その相手に対しての罪悪感だったのかもしれない。
「……腹をくくるしか、ないのにね」
ぽつりと秋櫻が言った。それはいつも朗らかな彼には似合わぬ低い声音で。はっとして彼を見ると、彼はいつもの笑顔で俺を見た。
「さっ。そろそろ干しにいかないと、今日中に乾かなくなっちゃうよ!」
一日の仕事が終わって、短い自由時間が訪れた。俺はもらった小銭を持って、秋櫻とまた湯屋にいくことにした。秋櫻のお陰で金を貰うことができたので、お礼と共に借りた湯銭を返そうとしたら、あれは奢ったからいいと拒まれた。男気のある子だ。
街に出ると、妓楼に入る人々の波はもう退けていて、代わりに桃花の搬入をしている業者たちの姿が目に付いた。
それと共に、丈の長い青い衣装に、幅広の帯、そして額にハチマキを巻いた男たちがいた。あれは真波さんと似た格好だ。ちょっと重ね着が少ない気がするが。
「あれ……」
ふと足を止めて呟くと、秋櫻が俺の視線の先を見た。
「ああ、青鎮軍の兵士さんだよ。今日から桃花の植え替えがあるから、たくさん人が街に来る。その監視と、力仕事のお手伝いで、この時期は街にたくさん入るんだ」
「青鎮軍って……」
首を傾げて聞くと、秋櫻はにこっと笑って続けた。
「州軍の中でも主に辺境警備を担当してる。辺境警備ってかなり重要だから、精鋭なんだって」
「へえ……」
知らなかった。真波さんはそこの将軍なんだな、まだ若そうなのに。
「兵士さんの中には休みの日にこの街に遊びに来る人も多いよ。通行証も出やすいっていうし、どこの妓楼も兵士さんには甘いしね」
「ふうん……」
今日の仕事は終わりなのか、植え替えのための道具を片付けたり、辺りを掃除したりする職人と、それを見守る兵士を見ながら歩いていると、不意に声をかけられた。
「楊史琉!」
「ハイ?」
ふっと声の方向を見ると、まさに思い浮かべていた人がそこにいた。ひときわ長身でスタイルもいいので目立つ。手を上げてこちらに合図するのに、手を振って応えた。
結局秋櫻は朝まで起きず、起きたあともいつもと変わらぬ様子だったので、きっと昨夜のことには気づいていないだろう。話題はもっぱら、近づいてきた花祭りについてだった。
「僕達は街から出られないでしょ。満開の桃花を見る機会なんてないの。だからすごく楽しみなんだ」
秋櫻は目をきらきらさせながら言った。花祭りは、たいそう盛大に行われるらしい。花といっても桜ではなくて桃なんだそうだ。とはいえ美味しい果実が成るほうではなく、花が美しいものらしい。しかも満開に近い木を運んできて、街の大通りに植えるのだという。よって花祭りの前には街に植木職人が多くやって来て、静かな昼の街が賑わうのだそうだ。
「今日から桃花を搬入するらしいよ! お客様が来る時間まで作業するんだってさ」
「へえ……それは大仕事だな」
それはゲームの設定にもあって、シナリオライターがかつての吉原の風習なのだと言っていた。もっともあちらは桜だそうだが。
花が満開の木を移植するなんて、人間の傲慢だろうと思うが、そもそもこの妓楼に連れて来られた子たちも、その花と同じようなものかもしれない。花に自分を投影することもあるのだろうか。
……ざばあ、と水から手ぬぐいを上げながら、秋櫻が言った。
「花祭りでは、僕らも忙しいよ。いつもよりお客さんも多いしね。兄さん達の宴席についたりすることもある」
「えっ」
思わず洗い物の手を止めた。今俺が洗ってるのはふんどし的なやつだ。たぶん鶴天佑のものだが、もう慣れた。
すると秋櫻はひらひらと顔の前で手を振った。
「あはは、雪柳はまだ大丈夫だよ。さすがに入って数日の君を宴席につかせたりしないって」
「そっか、そだよな、あはは」
ほっとする。宴席なんて何をすればいいかわからない。声優として活動し始めてからは合コンにも行ったことないのに!
「……皐月兄さん、大丈夫かな……。やっぱり負担なのかも」
秋櫻がふうと溜息をつきながら言った。
皐月は今日も具合が悪いと伏せっている。昨日あんな冷たい水を浴びたせいだろう。
「……負担って?」
仕上げにタライでふんどしをざばざば洗いながら聞くと、うん、と秋櫻は頷いて目を伏せた。
「僕たちは、お客さんを取るまでに、房事を習うんだ」
「ぼうじ」
一瞬漢字に変換出来なかった。すると秋櫻は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「お客さんに奉仕する方法、だよ」
「ほうし……」
はっとした。なるほど。濁点取ったら奉仕になるな、なんてのはどうでもいい。
「えっと、それはあれとかあれとかか…」
「うんうん、あれとかあれとかあれだね!」
なんて意味のない会話だ! 秋櫻は具体的にはまだ知らないのか、言わないようにしているだけなのか。
「仕事のあと、夜に天佑さんに教わるんだって」
「えっ!!」
鶴天佑の人好きのするイケメン顔を思い浮かべた。なんと………彼が指導役とは。
「……じゃ、皐月兄さんも?」
秋櫻が頷く。昨日の夜、皐月は天佑のレッスンのあとだったのだろうか。そして「清めたい」と思ってあの井戸にいた。それはおそらく、自分の身体が汚れたと思ったから。彼には意中の人がいるという設定のはずだから、その相手に対しての罪悪感だったのかもしれない。
「……腹をくくるしか、ないのにね」
ぽつりと秋櫻が言った。それはいつも朗らかな彼には似合わぬ低い声音で。はっとして彼を見ると、彼はいつもの笑顔で俺を見た。
「さっ。そろそろ干しにいかないと、今日中に乾かなくなっちゃうよ!」
一日の仕事が終わって、短い自由時間が訪れた。俺はもらった小銭を持って、秋櫻とまた湯屋にいくことにした。秋櫻のお陰で金を貰うことができたので、お礼と共に借りた湯銭を返そうとしたら、あれは奢ったからいいと拒まれた。男気のある子だ。
街に出ると、妓楼に入る人々の波はもう退けていて、代わりに桃花の搬入をしている業者たちの姿が目に付いた。
それと共に、丈の長い青い衣装に、幅広の帯、そして額にハチマキを巻いた男たちがいた。あれは真波さんと似た格好だ。ちょっと重ね着が少ない気がするが。
「あれ……」
ふと足を止めて呟くと、秋櫻が俺の視線の先を見た。
「ああ、青鎮軍の兵士さんだよ。今日から桃花の植え替えがあるから、たくさん人が街に来る。その監視と、力仕事のお手伝いで、この時期は街にたくさん入るんだ」
「青鎮軍って……」
首を傾げて聞くと、秋櫻はにこっと笑って続けた。
「州軍の中でも主に辺境警備を担当してる。辺境警備ってかなり重要だから、精鋭なんだって」
「へえ……」
知らなかった。真波さんはそこの将軍なんだな、まだ若そうなのに。
「兵士さんの中には休みの日にこの街に遊びに来る人も多いよ。通行証も出やすいっていうし、どこの妓楼も兵士さんには甘いしね」
「ふうん……」
今日の仕事は終わりなのか、植え替えのための道具を片付けたり、辺りを掃除したりする職人と、それを見守る兵士を見ながら歩いていると、不意に声をかけられた。
「楊史琉!」
「ハイ?」
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