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第一話 皐月

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 あらためて考えてみる。
 もともとゲームのはじまりは、俺、楊史琉ようしりゅうがこの楼にやってくるところからだった。華やかな妓楼の建物を見上げて「よし、がんばるぞ!」というところから。
 それが事故スタートになっている。それはおそらく、現世の俺が事故で……考えたくないけど……死んでしまったからなのかもしれない。
 俺の名前とリンクした名を持つこちらの主人公も、何かしらの影響を受けてしまったのだろう。この世界で俺が知る物語は、俺の選択で変わっていくものでしかない。なので、イベントが発生しないこともあるだろう。ゲームでは何度でもやり直して違うルートも試せるが、この世界で俺が選べるのは1ルートだけ。心してかからねば。

 ……布団が硬い。寝づらくて何度も寝返りを打つ。疲れきっているはずなのに、眠りは一向に訪れてくれなかった。
「眠れないの?」
 鈴のような声。ふと見ると、薄闇のなか、隣に横たわる秋櫻が俺を見つめていた。
「……うん。なんか、色々考えちゃって」
「そうだよね。環境が一気に変わって」
 その声に労りの色が混ざる。優しい子だ。
「……でも、秋櫻のお陰で助かった。頑張ろうって思う」
 それは本心だった。俺を助け、気遣ってもくれ。彼がいなければもっと早くに心折れていたかもしれない。すると彼が首を振った気配がした。
「それならよかった。僕もここに来た時は不安で。その時助けてくれたの、皐月こうげつ兄さんだったんだよ」
 ……まただ。俺はこのシーンを知ってる。今のセリフはゲームでもあった。
「元々この部屋は、僕と皐月兄さんで使っていたんだ。でも、兄さんが18になったから、お客を取る準備を始めて。それで僕ひとりになった。今は皐月兄さんもまだ僕らの仕事してくれてるけど」
 18でデビューする皐月。準備というのは性的な指導なのかもしれない。
「皐月兄さんはね、花祭りの夜に『孵化ふか』するんだ。でも最近元気がなくて。やっぱり……いろいろ不安なのかな」
 孵化、そして…………花祭り。
 そのワードに記憶を呼び起こされて、急に全身の血の気が引いた。
 皐月は確か……心中するはずだ。
 猛スピードで記憶をたぐり寄せる。皐月は秋櫻の純愛ルートに登場するのだが、名前と、1枚2枚スチルがあるだけの存在だった気がする。声もなく、ストーリーを動かすモブの1人だったので、名前も覚えていなかった。
 彼には恋人がいて、客を取る前にここを脱走しようとするが逃げられず、川で遺体となってみつかるのだ。男妓の過酷な運命を表すエピソードだった。
 そして、その傍で泣き崩れる秋櫻を慰めるスチルがあった。もちろん遺体の顔は見えないのだが、彼の一張羅である皐月の花の刺繍がされた衣装が、むしろの端からちらりと見える切ない場面だった。
 ……嘘だろ。
 きっと俺の運命は俺の選択によって変わっていくのだろう、これはそういうゲームだし。もしかしたらシナリオにない展開も目指せるかもしれない。
 でもモブは? 俺と関係のないモブは、定められた運命を辿るしかないんじゃないか?
 なんとなく、今は秋櫻ルートに入っている気がする。実はこれは一番入りやすいルートなのだ。そしてこのストーリーでは、皐月の死はデフォルトだった。
 ……おいおい嘘だろ、死ぬとわかっている人を放っておくとかマジで無理だ。俺は焦って目元を手で覆った。
 すると。
「大丈夫?」
 黙っていた秋櫻が聞いた。そして、手を伸ばし、俺の手を取る。そしてぎゅっと握った。
「……ごめん。こんな話したら、雪柳も不安になるよね。雪柳にとってはまだ先の話だし、あまり心配しないで」
 優しい声に泣きそうになる。不安なのは、もっと他のことで。
 しかし、繋がれた手はあたたかかった。人の温もりってこんなにほっとするんだな。
「……ありがとう、秋櫻」
 うん、と秋櫻が頷く。
 その夜、俺たちは手を繋いだまま、眠りに落ちた。
 これはきっと秋櫻ルートのシナリオだから、この手を振り払わないといけない、と思ったのだが。
 ……振り払うことなど、できなかった。


 翌朝から、俺は皐月をマークすることにした。彼が死んだら秋櫻が悲しむ。そこから展開する純愛ルートなんてゴメンだし。
 悲劇は花祭りの夜に起きる。皐月はその夜姿をくらませ、翌朝変わり果てた姿で発見されるはずだ。とりあえず俺にはそれを止めるミッションがある、気がする。
 とはいえ俺の仕事は相変わらず先輩方の雑用とか洗濯とかまさに下っ端の仕事ばかりだ。まあバイト二日目と思えばこんなもんか。なにしろ俺は無一文で、衣食住全て頼っているわけだし。
 皐月はテキパキと動き、仕事をこなしていく。俺がわたわたしていた仕事も難なくこなし、俺は昨日よりも随分楽になった。「タン」は皐月を入れると秋櫻と俺の3人しかいない。それで先輩方の雑用をすべてこなすのは無理ってものだ。妓楼には使用人もいるので、彼らにも手伝ってもらっているようだが。
 そうしてあっという間に朝は過ぎ、昼飯の時間になった。一度部屋に戻るという秋櫻と別れ、皐月と二人で厨房に向かう。
 厨房に入った瞬間、漂う香りに目を見開いた。
「肉!」
 思わず呟く。鼻をくすぐるのは肉の焼けるにおいだった。これは羊、ラムのにおいだ。
「昔の知り合いが羊肉をたくさんくれたんだよ。お客にはなかなか出せないから、君たちが食べるといい」
 七輪の上でじゅうじゅうと肉を焼きながら、天才料理人の孟さんが言った。
「羊! 俺大好きなんです!」 
 興奮を隠せず、孟さんに近寄った。彼は頷き、よく焼いた肉を薄く焼いたナンにはさみ、皿に乗せて出してくれた。青菜の炒め物も一緒に出してくれる。この世界では生野菜はあまり食べないようだ。きっと火を通したほうが安全だからだろう。
 テーブルにつくやいなや、目の前の皿からナンで巻いた肉を取り上げた。先輩たち…皐月と秋櫻だが、が席に着くのも待たずに食らいつく。香ばしいナンの中に挟まれた肉から肉汁があふれ、口中に広がる。ラムは柔らかく、くさみもほとんどなかった。というのも、胡椒はじめ複雑なスパイスの風味が立って、独特の味わいを醸し出していたからだ。
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