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第一話 皐月

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 意外にも、湯屋には男妓たち専用の場所があった。考えてみれば、商売道具でもある身体を、易々と一般の人たちに見せるわけにはいかないからだろう。一般とは隔てられており、広々として気持ち良かった。大きな木製の浴槽は和風の温泉旅館などにあるようなものだ。源泉かけながしというのか、壁ぎわの竹の筒からコポコポとお湯が流れてくる。基本的にゲームを作ったのは現代日本人なので、和中折衷の世界観とでもいうのか、やはり馴染みのある風呂だ。
「あー、気持ちいい!」
 思わず声が出た。ちょこまかと動き疲れ、まさに棒のようになった足の先に力が戻ってくるようだ。
 風呂に入るとき、しみじみと自分の体を見たけれど、少年と大人の男のあいだの体つきだった。……まぁいろいろと。
 足を揉みながら秋櫻を見る。こちらは少年らしい細い首となだらかな肩、そしてつやつやのお肌をしている。なんだか見てはいけないものをみた気がして目を逸らした。
 そういえばこのシーンもスチルで見たな。その後もっといろいろするシーンあった。公共の場所でそんなことしちゃだめだってば……。
「喜んでもらえてよかった! 気持ちいいよね。宿のお風呂は基本的にお客さんと兄さんとのふたり用だから狭いんだよね」
「お、おお、うん」
 ……そうだった。そういう風呂でのアレなシーンもあった。客室まで湯を運ぶのは大変なので、離れに湯殿があるのだ。実に合理的だが、一番位の高い「玉羽ぎょくう」、二番手の「錦鶏きんけい」の部屋には、二階だが風呂があるそうだ。その数は妓楼で合わせて4人しかいないという。
 ………この子もいずれ、男妓になるのか。
 てのひらでお湯をすくい、流れ落ちるのを見ている秋櫻は、極めて美しいことを除けば、年相応の少年そのものに見える。定められた運命を、この子はどう思うのだろうか。
「………なに?」
 見つめているのに気づかれたのだろう、秋櫻が小首を傾げて俺を見た。慌てて首を横にふる。
「………いや、なんでもありません」
 とりあえず、今は貴重なお湯を楽しもう。俺は鼻までお湯につかって、ぶくぶくと湯の中に泡を吐きだした。すると秋櫻はじっと俺を見つめて、言った。
「雪柳。敬語は無くていいよ。僕と君は同い年らしいし、気安く話してもらえたら嬉しいな」
 にこっと笑う。値千金の笑みだ。もちろん異論などなくて、俺は大きく頷いた。

 風呂から上がり、熱が引くのを待つ。残念ながらコーヒー牛乳などないが、冷たい水はもらえたので、水で喉を潤した。一気に身体の温度が下がるのを感じる。
 さらに外に出ると、肌寒さにぶるりと震えた。今は三月らしいが、まだ冬の気配が残っている。
「あ! 忘れ物した。ちょっと待っててね」
 秋櫻がそう言って中に戻っていく。俺は頷いて、とりあえず辺りを見回した。
 湯屋の入り口は二つあるが、男湯と女湯、ではなく、男妓と一般に別れているという。この街に男しかいないのはゲームの設定のためだろうが、秋櫻によると、もっともらしい理由があった。
 ここはもともと辺境警備の兵士たちのための遊興の場として作られたのだそうだ。そして陰陽の考え方では男は陽、女は陰。本来は陰陽が合わさり調和が保たれるのだが、こと戦となれば、陽と陽が合わさることで力が一時的に増大するのではと考えられたらしい。
 あくまで一時的な力だが、勝利を得るためには重要だ。そのためここはほぼ政府公認で作られた街なのだという。陽と陽が合わさる……なんだか直接的だが。
 そういうわけで、湯屋の前を行き交う人々も男しかいない。なんとも奇妙だ……と思ってぼんやり通りを眺めていると。
「お待たせ! ……あ」
 隣に戻ってきた秋櫻が言った。
皐月こうげつ兄さん」
 その視線のさきを見ると、一般の風呂の入り口の陰に、華奢な体格の少年がいた。身長は秋櫻より高く、俺より少しくらいか。切れ長で顎も細く、どことなく鋭角な、整った顔だちをしている。今日はずっと体調が悪いと伏せっていたはずだが……。
 彼は風呂の入口の傍に身を潜めるようにして佇んでいた。なんだろう、既視感のある光景だ。……いや聞いたことのあるの間違いか。銭湯で先に出た女が男を待つっていう懐メロの歌詞。
「にいさーん!」
 明るく秋櫻が声をかけると、皐月ははっとしたような表情でこちらを見た。そして眉間にしわを寄せる。
「……秋櫻」
「具合のほうはもう大丈夫なんですか?」
 にこにこしながら秋櫻が聞くと、皐月は俯いた。
「……うん、大丈夫だ。もうよくなったから、明日は働くよ」
 ……その声に違和感があった。聞いたことのない声だ。ということは彼もまたモブなのか。声が当てられていないということは、ゲームの主要キャラではない、ということで。皐月……そういえば記憶にないな。
「よかったあ! あ、紹介しますね。彼は楊史琉。ここでは雪柳って名前です。天佑さんの恩人の息子で、今日からここで働いてるの。皐月兄さんの仕事もやってくれたんですよ」
「あ。どうも。……雪柳、です」
 拱手をすると、皐月はうん、と頷いた。
「ありがとう。君のおかげでゆっくりできた。礼を言うよ」
「いえ……」
 首を振ると、皐月はふいと横を向き「じゃ、僕は先に帰るから」と言って足早に歩き去ってしまった。
「皐月兄さん、桶、持ってなかったけど、借りたのかなあ」
 秋櫻がぽつりとつぶやいた。その右手には濡れた手ぬぐいが入った小さな桶を抱えている。そうだ、この街では湯屋に行くには桶を持っていくか借りなければならず、男妓たちは桶を持っていくのが通例なのだと風呂の中で言っていた。
 もしかしてやはり誰かを待っていたのではないかと、昔懐かしい曲の歌詞を思い出しながら、俺は思った。
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