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第二章『瑞花繚乱編』
第九十五話 幼鳥の行方【後】
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仙桃は、口にすれば強大な力を得ることができるという。
その桃の実が熟す数千年に一度、金玲山では神々をまねき、宴がひらかれる。
それが『翠桃会』だ。
貴賓をまねく祭典とあって、晴風も平生は後頭で無造作にたばねている翡翠の髪で髷をつくり、簪でとめる。
服装も動きやすさを重視した袖のみじかい袍ではなく、袖がひろい大円領の長袍をまとう。
仙名にふさわしい、あざやかな青藍色の衣だ。
『桃花四仙』という肩書きをいただいているからには、正装の有無を判断する分別はある。
「あら青風真君、見違えますわね。普段もそうしていればよろしいのに」
「お褒めいただき光栄です、玄鳥元君。そんなこたぁしなくたって男前だからいいんですよ、俺は」
「はいはい、私の兄さんは普段も格好いいわねぇ。黙っていれば美男子だわ。黙っていればね」
「燕燕、こいつ!」
軽口を叩きあう兄妹のすがたは、金玲山の西、金王母のおわす宮にあった。
玄い鳥の名を冠する静燕も、漆黒の襦裙で慎ましくも着飾り、品のある美しさを際立たせていた。
「ほかのふたりは?」
「白雲元君は、下界放浪旅にでてからおもどりになっていないわ。気が向いたら、いらっしゃるんじゃないかしら」
「さすがだな」
「朱天元君は……まだ体調がすぐれないようだから、宮に」
「となると、ばあちゃんのお伴は俺たちがやるしかねぇか。はぁ、挨拶まわりより酒が飲みてぇわ」
「がまんしてちょうだい。宴も落ち着いてきたら、お酌してあげるから。それとも、私じゃご不満?」
「むかしは後宮にいただけあるな。男心をつかむのがお上手なことで」
「正しくは兄心ね。あなたの心しか、つかみたいと思ったことはないわ」
「そうかい」
渾身の一撃を繰りだしたところ、あっさりとした返事に肩透かしを喰らう静燕ではあったが。
「そういや言い忘れてた。──今日は一段ときれいだ、静燕」
ふいに肩を抱かれ、そっとほほへ落とされる口づけに、瑠璃の瞳を見ひらく。
「……おばあちゃんなのに」
「髪が白くなっただけで、おまえはおまえだ。素敵だよ」
「もう……」
仕返しとばかりに畳みかける晴風。いたずらっぽい笑みを浮かべた兄に、静燕はさっと顔を赤らめた。
晴風か、静燕か。
どちらが先だったのかは、重要ではない。
たしかなのは、長い長い別離を経て、彼ら兄妹があまく愛し合うようになったという事実だ。
やさしげなほほ笑みを浮かべて吐息を近づける晴風へ静燕も身をゆだね、唇をついばまれる幸福に感じ入った。
「青風真君、玄鳥元君!」
急激に夢から引き戻される感覚。
瞬間的に静燕から胸を押し返された晴風は、舌打ちをもらして声の主をふり返る。
「てめぇはどっちだ……黒嵐か、黒雲か」
「双子の兄です、黒嵐です!」
「そうか。恨むぞ、嵐坊……空気読めや」
「呼んだだけなのに!? おれなんかしました? 玄鳥元君!」
八つ当たりにもほどがある。静燕は袖の裏で熱の冷めやらない顔に笑みをはりつけ、「なんでもないのよ」と返しながら晴風をなだめる。
「それより、どうかしたのかしら? お客さまがなにか?」
「いえ、お迎えしたみなさまはこちらにご案内して、問題なく宴をはじめられそうです。ただ、小慧が……」
「慧坊がどうした? はりきってお手伝いしてたろ」
「そうなんですが、ひととおり準備をしてから休憩をさせていたら、どこかに行ってしまって」
「どこにもいないのか?」
「会場のまわりと、『翠桃園』のほうはさがしました。疲れて室にもどったのかな。でも小慧が、だれにもなにも言わないなんて……」
黒嵐の言うとおり、奇妙な話だ。
黒皇をはじめとした兄たちに礼儀正しくそだてられた利口な黒慧が、無断でいなくなるとは信じがたい。
(……妙な感じがする)
先日の占いの件もある。胸にざわめきをおぼえた晴風の判断は、はやかった。
「静燕、おまえはばあちゃんについて、『翠桃会』をはじめてくれ」
そうとだけ告げれば、聡明な静燕は、兄の言わんとすることを理解する。
「こっちは女仙にまかせてちょうだい。宴の場で妙なことは起きないか、目を光らせておくわ」
「たのんだぞ。嵐坊、ほかの兄弟もあつめろ」
「はい。……あの、青風真君、皇兄上には、まだ」
「わかってる。あいつは休ませとけ。寝起き早々禿げ烏にさせちまうからな」
余計な心労はかけたくないという黒嵐の気持ちを汲み取る。杞憂であるなら、それでいい。
「慧坊が行きそうなところは……」
先陣をきって駆けだしながら、黒慧の行動を推測する。
晴風はこのとき、知らなかった。
幼い足でそう遠くへは行けないはずだと、高をくくり、油断していたのだ。
「──たいへんですっ! 小慧が、小慧がっ!」
それが甘い考えだったと思い知らされるのは、しばらく後。
取り乱した様子で駆けてきた黒雲が、手にしていたものを目にしてからだ。
「瓏池のほうをさがしたんです……そうしたら、崖のほうに、小慧の沓が片方だけ落ちていて!」
晴風から、たちまちに血の気が引く。
「なんだって……まさか慧坊は、金玲山の外に……『七彩雲海』に落ちたのか!?」
「あぁ、どうしよう……小慧はまだ、上手く飛べないのに!」
なぜだ。なにがどうして、こうなった。
「──どういうことですか、青風真君」
くしゃりと前髪を乱した晴風の頭上に降りかかる、低い声音がある。
「小慧が……なんですって?」
確認するまでもない。けれど、ふり返らねばならなかった。
おのれがついていながら、嗚呼。
「説明してください、青風真君」
感情を削ぎ落とした面持ちで背後にたたずむ黒皇へ返す言葉を、晴風は、すぐには見つけられなかった。
その桃の実が熟す数千年に一度、金玲山では神々をまねき、宴がひらかれる。
それが『翠桃会』だ。
貴賓をまねく祭典とあって、晴風も平生は後頭で無造作にたばねている翡翠の髪で髷をつくり、簪でとめる。
服装も動きやすさを重視した袖のみじかい袍ではなく、袖がひろい大円領の長袍をまとう。
仙名にふさわしい、あざやかな青藍色の衣だ。
『桃花四仙』という肩書きをいただいているからには、正装の有無を判断する分別はある。
「あら青風真君、見違えますわね。普段もそうしていればよろしいのに」
「お褒めいただき光栄です、玄鳥元君。そんなこたぁしなくたって男前だからいいんですよ、俺は」
「はいはい、私の兄さんは普段も格好いいわねぇ。黙っていれば美男子だわ。黙っていればね」
「燕燕、こいつ!」
軽口を叩きあう兄妹のすがたは、金玲山の西、金王母のおわす宮にあった。
玄い鳥の名を冠する静燕も、漆黒の襦裙で慎ましくも着飾り、品のある美しさを際立たせていた。
「ほかのふたりは?」
「白雲元君は、下界放浪旅にでてからおもどりになっていないわ。気が向いたら、いらっしゃるんじゃないかしら」
「さすがだな」
「朱天元君は……まだ体調がすぐれないようだから、宮に」
「となると、ばあちゃんのお伴は俺たちがやるしかねぇか。はぁ、挨拶まわりより酒が飲みてぇわ」
「がまんしてちょうだい。宴も落ち着いてきたら、お酌してあげるから。それとも、私じゃご不満?」
「むかしは後宮にいただけあるな。男心をつかむのがお上手なことで」
「正しくは兄心ね。あなたの心しか、つかみたいと思ったことはないわ」
「そうかい」
渾身の一撃を繰りだしたところ、あっさりとした返事に肩透かしを喰らう静燕ではあったが。
「そういや言い忘れてた。──今日は一段ときれいだ、静燕」
ふいに肩を抱かれ、そっとほほへ落とされる口づけに、瑠璃の瞳を見ひらく。
「……おばあちゃんなのに」
「髪が白くなっただけで、おまえはおまえだ。素敵だよ」
「もう……」
仕返しとばかりに畳みかける晴風。いたずらっぽい笑みを浮かべた兄に、静燕はさっと顔を赤らめた。
晴風か、静燕か。
どちらが先だったのかは、重要ではない。
たしかなのは、長い長い別離を経て、彼ら兄妹があまく愛し合うようになったという事実だ。
やさしげなほほ笑みを浮かべて吐息を近づける晴風へ静燕も身をゆだね、唇をついばまれる幸福に感じ入った。
「青風真君、玄鳥元君!」
急激に夢から引き戻される感覚。
瞬間的に静燕から胸を押し返された晴風は、舌打ちをもらして声の主をふり返る。
「てめぇはどっちだ……黒嵐か、黒雲か」
「双子の兄です、黒嵐です!」
「そうか。恨むぞ、嵐坊……空気読めや」
「呼んだだけなのに!? おれなんかしました? 玄鳥元君!」
八つ当たりにもほどがある。静燕は袖の裏で熱の冷めやらない顔に笑みをはりつけ、「なんでもないのよ」と返しながら晴風をなだめる。
「それより、どうかしたのかしら? お客さまがなにか?」
「いえ、お迎えしたみなさまはこちらにご案内して、問題なく宴をはじめられそうです。ただ、小慧が……」
「慧坊がどうした? はりきってお手伝いしてたろ」
「そうなんですが、ひととおり準備をしてから休憩をさせていたら、どこかに行ってしまって」
「どこにもいないのか?」
「会場のまわりと、『翠桃園』のほうはさがしました。疲れて室にもどったのかな。でも小慧が、だれにもなにも言わないなんて……」
黒嵐の言うとおり、奇妙な話だ。
黒皇をはじめとした兄たちに礼儀正しくそだてられた利口な黒慧が、無断でいなくなるとは信じがたい。
(……妙な感じがする)
先日の占いの件もある。胸にざわめきをおぼえた晴風の判断は、はやかった。
「静燕、おまえはばあちゃんについて、『翠桃会』をはじめてくれ」
そうとだけ告げれば、聡明な静燕は、兄の言わんとすることを理解する。
「こっちは女仙にまかせてちょうだい。宴の場で妙なことは起きないか、目を光らせておくわ」
「たのんだぞ。嵐坊、ほかの兄弟もあつめろ」
「はい。……あの、青風真君、皇兄上には、まだ」
「わかってる。あいつは休ませとけ。寝起き早々禿げ烏にさせちまうからな」
余計な心労はかけたくないという黒嵐の気持ちを汲み取る。杞憂であるなら、それでいい。
「慧坊が行きそうなところは……」
先陣をきって駆けだしながら、黒慧の行動を推測する。
晴風はこのとき、知らなかった。
幼い足でそう遠くへは行けないはずだと、高をくくり、油断していたのだ。
「──たいへんですっ! 小慧が、小慧がっ!」
それが甘い考えだったと思い知らされるのは、しばらく後。
取り乱した様子で駆けてきた黒雲が、手にしていたものを目にしてからだ。
「瓏池のほうをさがしたんです……そうしたら、崖のほうに、小慧の沓が片方だけ落ちていて!」
晴風から、たちまちに血の気が引く。
「なんだって……まさか慧坊は、金玲山の外に……『七彩雲海』に落ちたのか!?」
「あぁ、どうしよう……小慧はまだ、上手く飛べないのに!」
なぜだ。なにがどうして、こうなった。
「──どういうことですか、青風真君」
くしゃりと前髪を乱した晴風の頭上に降りかかる、低い声音がある。
「小慧が……なんですって?」
確認するまでもない。けれど、ふり返らねばならなかった。
おのれがついていながら、嗚呼。
「説明してください、青風真君」
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