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実戦の時!

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刑務所の中で一番楽しい時間を問われれば大抵の囚人から返ってくるのは食事の時間だそうだ。
かつての私がその意味を知っても、知識として知っておくことしかできなかっただろう。

しかし、今は違った。囚人の放つ言葉の意味がハッキリと理解できた。
もちろん、今は兵士としての訓練を受けている私の境遇は囚人の待遇とは異なるだろうが、一日の大半に休みがないという点では共通していた。
剣の鍛錬、乗馬、座学というこの国の幼年兵に課せられる一日の訓練の後に疲れた体をスープにパンというありきたりの食事で癒す。

当初はこんなメニューで体を休ませることができるのかと思ったのだが、スープを一口掬った途端にそのエキスが体全体へと行き渡っていく。
体が活性化するというのは今のこの瞬間を指し示すのかもしれない。

私がその美味しさに思わず頬を落としていた時だ。握っていた手からスプーンが落ちたことに気がつく。慌てて取ろうとした私の前にティーの小さな手が私にスプーンを渡す。
私がお礼を言うと、ティーはちゃんとスプーンを握ってスープを啜っていることに気がつく。

途端に自分よりもティーの方がしっかりとしていることに気が付き、自分が恥ずかしくなってしまった。
隣で幼いティーが小さくパンをちぎり、ちゃんとスプーンを持ってスープを啜っていることに気が付いた。

「ティーちゃんはちゃんと食べれて偉いね」

私は自分の隣に座る幼い女の子の頭を優しく撫でながら言った。
気分は年上のお姉さんといったところだろう。幼い戦士も褒められて嬉しいのか、照れ臭そうに両頬を赤く染めている。

「ティーは私が躾けたんだからね。上手くなるのも当然だよ」

私の前で食事を摂っていたマリアが誇らしげに胸を張りながら言った。

「へぇ、じゃあ魔法もマリアさんが教えたんですか?」

「ううん。魔法はブレードが教えたんだ」

どうやらここにきた少年少女から魔法を引き出すのはブレードの役目であるらしい。
マリアの話によれば、ブレードもその実の父親から魔法を引き出されたのだという。

「ただ、魔法ってね、不平等なシステムだよね。与えられる人にはどんな悪い人にも与えられるのに、欲しい人がどれだけ願ったとしても与えられないんだ。現にここに来ても、上手く魔法を実戦に用いることができない人も大勢いたし」

マリアの声のトーンが下がった。同時に少しばかり寂しげな表情を見せた。

「マリアさんはそういった人々を見てきたんですか?」

「うん。そういった人たちの悲痛に満ちた顔を見るのはやっぱり辛かったかな。なまじ使えるって思わせておいて、実際には使えないんだから性質が悪いよね」

気まずい沈黙が流れる。私が慌てて、話の流れを変えようとした時だ。

「いいんだよ。そいつらは所詮、才能がなかっただけの話なんだ。マリアが気に病む必要なんてない」

ポイゾ・プラントがパンを噛みながら話に割り込んできた。
彼は馴れ馴れしい口調でマリアに話し掛けたかと思うと、私たちの席の中に割り込んできた。
ポイゾは相変わらずのニヤニヤとした笑顔を浮かべてマリアに話し掛けているが、マリアは苦手そうな表情を浮かべている。

「それよりも、今度、エンジェリオンが現れた際にあの子も連れて行くって正気なのかい?」

「そうだよ。とおさんがそう決めたじゃん」

「でも、ぼくはどちらかといえば反対かなぁ。神聖なエンジェリオンとの戦争にハルのような可愛い子は似つかわしくないと思うんだ。もちろん、キミもだ。マリア」

「余計なお世話だよ!言っておくけど、あたしはあんたよりも長い間、兵士としてエンジェリオンと戦ってきたんですからね!」

「けど、似つかわしくないのは事実だ。キミがボクよりも年上で、ぼくよりも強いことはわかる。けど、たまにはぼくに守らせてくれないか?」

ポイゾは既に我を忘れていた。マリアの元へと迫ろうとした時だ。
「何をしているんだ?」と背後から声が聞こえた。私たちが声をした方向を振り向くと、そこには釘を刺すような視線でポイゾを見つめるブレードの姿が見えた。
ブレードが既に空のお盆を両手で抱えている様子から彼は食堂の厨房に食べ終えた料理を運んでいたらしい。
その間際にポイゾが自身の恋人に擦り寄っている姿を見つけたから注意したのだろう。
だが、肝心のポイゾは動じた様子も見せずに相変わらずニヤニヤと陰湿な笑顔を浮かべている。
ブレードはその態度に気分を害したらしい。ポイゾの肩を強く叩いてポイゾを転倒させた。

「いい加減にしろ、ポイゾ。ぼくがいつまでも子供のやることだからと大目に見てると思ったら大間違いだぞ」

「痛いなぁ、これ怪我だよ。とおさんの大事な子供になんてことをするのさ」

と、ポイゾは自身の非も認めようとせずにニヤニヤとした笑みを浮かべたままであった。反省してその態度を引っ込めようともしない。
その態度にブレードの堪忍袋の尾も切れてしまったに違いない。
ブレードはポイゾの胸ぐらを掴み上げると、怒りに満ちた剣幕でポイゾを睨む。
もし、このタイミングでタンプルが止めに入らなければブレードはポイゾを殴りつけていたに違いない。
二人はタンプルの仲介によって一時休戦を余儀なくされ、そのまま引き下がることになった。
私が感謝の言葉を告げると、タンプルはぶっきらぼうな態度で答えた。

「別にお前のためじゃねぇし、あいつらが仲違いしたままだと今後のエンジェリオンとの戦いに支障が出ると思ったから止めただけだ」

「でも、止めてくれたことは事実だ。ありがとう、タンプル」

マリアが優しく微笑むと、タンプルが少し照れていたのが可愛かった。
その時だ。急に鍛錬所の鐘の音が鳴り響いた。
同時に外の方から阿鼻叫喚とも言える悲鳴が轟く。
そして、その声の中に「エンジェリオン」という単語が混じっていたことを私たちは聞き逃さなかった。
私たちは武装を整えて馬に乗り、エンジェリオンの討伐へと向かう。
逃げ惑う人々の話を聞くと、エンジェリオンが現れたのはここから数キロメートル先にある平原であるらしい。
運の悪いことに夜である。平原を歩いていた人々はエンジェリオンの餌にされてしまったらしい。
エンジェリオンが出たという平原で私が見たのは天使の姿そのものであった。
前の世界で見た絵本や絵画に出てくる神の使いとされる天使。
そんな神々しい存在が鎧を着て武器を持って私たちを待ち構えていたのだ。
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