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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』

年越しの日にはレンズ豆のスープが一番ですのよ

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ギルドマスターの立てた計画は単純なものであった。
それはカーラを囮にして、老人と引き合わせ、その隙を利用し、レキシーとギークが囚われているメイドを救出するというものである。
囚われ先の『ローズマリー』という宿屋には朝と昼の時間を利用して、クイントンを潜り込ませて、情報を探らせ、決行の時間になって、駆除人ギルドへと戻り、それを受けて待機していた二人が宿屋へと向かうという手筈になっていた。

だが、ここでレキシーは怪しまれないように朝の時間のみの診療所での治療を提案し、それを受け入れたことで朝は駆除人たちにとってギルド内での待機時間から自由な時間へと変更された。
もっとも自由時間と言えるのは普段は宿屋を根城に気ままに暮らしているギークのみであり、ギルドマスターとヒューゴは酒場の準備などを行わなければならないことは明白だ。

裏稼業の忙しさを理由に表稼業を疎かにしては怪しまれてしまうのだ。
会議を終え、カーラ、レキシー、クイントンの三名は夜の闇に紛れながら各々の居場所へと戻っていく。
カーラとレキシーは家の窓からけぶったような青白い夜明けの光が部屋の中に差し込む頃に職場である診療所へと向かって行く。

二人が診療所を開き、患者たちを受け入れていたのとほぼ同時刻にクイントンはゴーグという老人に閉じ込められているという宿屋へと向かっていた。
クイントンは『ローズマリー』に辿り着くと、自分たちを見下ろすように聳え立つ二階建ての建物を見上げていく。宿屋というよりは小さな巨人が寝そべって、街行く人々を見下ろしているかのようだ。
あまりの荘厳さに思わず立ちすくみそうになったが、臆することなく宿屋へと入ると、適当な部屋を一晩だけ借りた。

部屋は上等なものであり、部屋の中央には巨大なベッドが置かれており、その下には赤色の絨毯が敷かれていて、ベッドの中に潜り込もうとする人の足を心地良くさせることは間違いない。
ベッドの左端には身支度を整えるためのドレッサーと丸椅子、それに衣装棚が置かれている。右端には物を書くためや本を読むために必要な小さな机と肘掛けの椅子が置かれていた。椅子の上には金色のベル。

クイントンは何の躊躇いもなく、ベルを手に取り、それを鳴らして、従業員の男性を呼び出す。
そして、現れた男性に酒を注文する。それから酒を渡しに来た男性に代金とチップを手渡してから情報を聞き出したのだった。

「そういえば、この宿に奇妙な老人が泊まっていると聞き付けたんだが、本当かい?」

「奇妙な老人?あぁ、お客様がお泊まりになっている部屋の向かい側の部屋に滞在されてあります。確か、お方は高明なる騎士だとお伺いしましたよ」

その言葉にクイントンは思わず片眉を上げながら問い掛ける。

「高明なる騎士?本当にそう言ったんですか?」

「えぇ、確かにそう仰られておりましたよ」

男性従業員の真剣な表情からその言葉が嘘や冗談で発したものだとは到底考えられない。どうやら本当にゴーグは騎士だと名乗って、この宿屋に潜伏しているらしい。
どうやらゴーグはカーラに対してあのような悍ましいことを、罪のないメイドを監禁するなど騎士や紳士たる存在とは真逆なことをしておいて、自分は騎士だなどと偽っているのだ。
「ふざけるな!」とクイントンは心の中でゴーグに向かって叫んだ。

本来ならば本当に声を出して叫びたかったが、ここで余計なことを叫んでしまえば作戦は台無しになってしまう。
クイントンは噴火寸前の火山の中から徐々に込み上げてくるマグマのような怒りを堪え、従業員に向かって、もう一度金を差し出し、引き続き重要となる情報を探っていく。

クイントンは疑われないために雑談を重ね、向こうの従業員も油断を始めたところでクイントンは囚われているはずのメイドに対する話を口にした。
男性従業員はその話題に触れらるのと同時に両手の拳を握り締めて、どこか興奮した様子で話していく。

「やっぱり噂になってましたか~、そりゃあ、あんだけ部屋から妙な声が聞こえてたら他のお客様も噂にしますよねぇ」

「妙な声?」

「えぇ、何か重いものが壁にぶつかる音だったり、助けを求める声だったりと、よくない声なんですよ」

間違いない。話に聞いていたメイドだ。老人の部屋は自分がとった部屋の向かい側にいる。残念ながら今のところは老人が自分の部屋にあるものと同じ椅子の上にでも腰を掛けながら、女性を見張っているに違いない。
恐らく、カーラが浴びた屈辱と同じ以上のものを味合わせているのだろう。
ますます許せない男だ。クイントンは『ローズマリー』の中を頻繁に歩き回り、机に向かって、宿屋の見取り図を記していく。

そして、腹の虫が鳴る頃に書き上げた見取り図を懐の中へと仕舞い込み、部屋を出て、近くにある茶店の中へと入った。
クイントンは茶店の中で軽食を注文し、それを食べ終えてから昼間のために客の姿が見えないギルドへと向かっていく。
既にギルドの中には他の駆除人たちの姿が見えた。

クイントンは代表してギルドマスターに見取り図を手渡す。
ギルドマスターは『ローズマリー』の見取り図を一通り目を通し、それを救出係の任を司ったギークとレキシーの両名に手渡し、二人に図を覚えるように指示を出していく。
二人は文字通り穴が開くほど図を読んでいた。

二人が図の内容を頭の中へと入れていた時だ。ライトブルーのドレスを着たカーラと地味な灰色の上着を羽織り、ズボンを着たヒューゴの両名が扉を開けて、外へと出て行く。
どうやらゴーグと約束していた時刻が近付いてきたのだろう。
二人はどこか真剣な顔を浮かべて昨日の酒場へと向かう。

相手が腕利きの駆除人であるということも考慮して、念の為に酒場の近くで護衛を務めることになるヒューゴとは別れ、カーラは一人で行くことになっていた。
酒場に入ると、既にあの怪老は席の上に座り、手を振って、カーラを待っていた。
怪老は人の良い笑顔を浮かべながら、カーラに酒の入ったグラスを手渡し、昨日の返事を問い掛けた。

「さて、今日こそあんたから色良い返事を聞かせてもらいたいんだ。わしをガッカリさせるなよ」

「もちろんですわ。色良い返事とやらをさせていただきます」

その言葉を聞いて、怪老は絶頂へと至った。場所が酒場でなければ彼は今すぐにでも小躍りをしていたに違いない。
歳の割に子どものように浮かれている老人の耳元でカーラは囁くように言った。

「私があなた様のような下劣な御老人に靡くはずがありませんわ。冗談も休み休みにしてください」

言葉こそ令嬢に相応しい丁寧な物であったが、その言葉の節々にはカーラが怪老に抱いている怒りともいうべき感情が滲み出ていた。
怪老は激昂し、杖の中に隠していたはずの剣を手に取ろうとしたが、それよりも前にカーラは手刀を用いて、首の後ろに強烈な一撃を喰らわせた。

女性であろうともカーラは駆除人である。ましてや裏の世界では『血吸い姫』というあだ名さえもらうような腕利きなのだ。そこを見くびったことが自分のために項垂れてしまった老人の敗因なのだ。女性だと見くびっていたからこそ、あのように情報を教えることができたのだろう。

酒場の中に集まっていた人々は突然机の上に倒れ、酒を机の上に思いっきりこぼし、大きな水たまりを作った老人に対して奇異の目を向けたが、カーラは令嬢に相応しい上品な笑顔を浮かべながら穏やかな口調でその場を宥めていく。
倒れた老人は飲み過ぎだということになり、カーラはそれを介抱すると伝え、ちょうど店に足を踏み入れようとしていたヒューゴに小さな声で耳打ちを行う。

「本当にこの人を山奥へと運んでいくんですか?」

ヒューゴの呆れたような口調の問いかけに対し、カーラは黙って首を縦に動かしてからその理由を語っていく。

「このお方は私やあのメイドのみではなく、大勢の人たちを不幸にしてきた男……悪の首魁と称しても構いませんわ。そのようなお方に同情など無用です」

どうやら、この老人の運命は決まったらしい。ヒューゴはここまでくると、老人がひどく哀れに思えた。
カーラに意識を奪われ、朦朧としている老人はこれから死んだ方がマシだと思えるような目に遭うのだ。

人目の付かない場所で『血吸い姫』の恐ろしさを直で味わう羽目になる老人をヒューゴはどこか憐れむような目で見つめていた。
ゴーグに対する恐ろしい制裁を終えた二人が街へと戻る頃にはちょうど空の上に曇った銀のような薄白い明るみが広がる頃だった。

二人は街中で別れ、各々の家へと戻っていく。相変わらずの寒い風が吹き遊び、スカートの真下からカーラの全身を撫でていく。
カーラはスカートの下に寒さを紛らわせるようなものが欲しいと考えた。
今は無理かもしれないが、遠い未来にはそんなものが発明されるかもしれない。

カーラは普段、そうした未来予想図とは無縁の生活を送っているが、こういう時だけはありもしない未来予想図を広げ、生涯見ることが叶わないであろう商品を夢見るのである。
未来予想図を広げて寒さを誤魔化して帰宅したカーラを待ち構えていたのは機嫌良さげに木製のスプーンを手に持ったレキシーの姿だった。

ご機嫌な様子からギークと二人で実行した救出作戦は成功に終わったに違いない。
そのことからカーラはレキシーと同じように機嫌の良い声で話し掛けた。

「あら、レキシーさん。随分とご機嫌良さげなご様子ですけれども、何か良いことでもありまして?」

「良いこと?何を言っているんだい?今日は一年で最後の日じゃあないか。こういった日くらいは表の稼業も裏の稼業も全部忘れて、パァーッとやっちまいたいのさ」

レキシーのどこか大袈裟とも取れる答えを聞いて、カーラが台所を探すと、普段飲食をするために使う机の上には十二個の大きな粒が載った葡萄が置かれており、大きなお鍋の中にはレンズ豆のスープが入っていた。中にあるのは豆ばかりではない。仕留めたばかりの鶏の肉までもが入っていた。
カーラは思わず目を輝かせながら養母の元へと詰め寄っていく。

「れ、レキシーさん!どう致しましたの?この豪華なお料理はッ!今日が年越しの日だということを考慮したとしても、随分と豪華ではありませんの?」

「そりゃあ、今年一年もあたしたちが死ななかった記念とあんたがこの家の娘になった記念もあるからねぇ。少し、値は張るけど、豪華にしたのさ」

「す、素晴らしいですわ!」

「まぁ、食べるのは今夜だからねぇ。取り敢えず、今日のところはマスターに駆除の報告に行こうかい?」

「えぇ、そうしましょう。美味しいものは最後に食べた方がより一層、旨みが増しますもの」

カーラの言葉を聞いて、レキシーは満面の笑顔のまま首肯する。
それから頭を掻いて、

「いけないねぇ。一年間あんたと過ごすうちにあたしもあんたに随分と感化されたもんだ」

カーラもそれに釣られて笑う。どうやら、今年の年越しは楽しい年越しになりそうだ。

祖父が亡くなって以来、実の家族に嫌われて、年越しの際にはいつも寂しい思いをしていたカーラであるが、久しぶりに楽しい年越しを過ごせるということで、今から温かい心持ちになっていた。
ギルドマスターに報告を終え、鍋を温め直し、レキシーと共に一年の反省を振り返るということを行うのがカーラには今から楽しみだった。
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