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第四章『この私が狼の牙をへし折ってご覧にいれますわ』

番犬は狂犬へと変貌して

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目の前に差し出されたのは酒場の中において最高級とも称される酒である。上等なラベルが貼られたグラスの中に注がれた赤色の液体は酒が好きな人間であるのならば、誰でも頼みたくなるようなものだ。事実、この酒場に来る人間はカーラの目の前に差し出された酒を飲むことを目標に日々の仕事を頑張っている。
カーラとしても本当であるのならば目の前に高価な酒が出されている事実を素直に受け止め、心の底から喜ぶべきなのだ。

だが、目の前にいる怪老の顔がチラついて酒を運ぶ手が止まっている。
緊張と恐怖で震えて、思い通りに酒を口元へと運ぶことができないのだ。
困惑した様子のカーラを怪老はニコニコと笑いながら見つめていた。まるで、小さい孫と共に飲食店を訪れ、小さい孫に甘いものをご馳走して、喜ぶ祖父のような慈しみを含んだ笑顔を浮かべている。

不気味な笑顔からこの怪老が何を企んでいるのかカーラには想像することもできない。
故に酒を飲む手が止まってしまっているのだ。このまま逃げ出そうかともカーラは考えたが、相手は仮にも番犬。
駆除人の総会から選ばれて派遣された腕利きの駆除人である。逃げようとした場合に背中からどのような攻撃を喰らわされるのかは想像もできない。

剣でバッサリと斬り捨てられるのかもしれない。はたまた、自分の得物である針のようなものを用いて、延髄にそれを突き刺され、血流の動きを阻害させられて、息の根を止められてしまうかもしれない。

何せ、自分はルーラルランドの駆除を終えた帰り道なのである。そのことを見抜いて、自分に脅しを掛けてきており、事と次第によっては自分を始末するつもりだろう。

いや、『事と次第』などという生ぬるものではあるまい。最初から始末する算段なのだろう。
どのような理由があるにしろ、アルコールを摂取するのは危険だ。
アルコールが体に回れば、体が脳の命令に逆らい、いざという時に機敏な動きを行うことができず、窮地に陥ってしまうのだ。

だが、目の前の老人はカーラが酒を飲むことを望んでいる。そうでなければわざわざ店の中で一番高い酒を自身の金で注文することなどないだろう。断ればどのような難癖を付けてくるのかわからない。

やむを得ずにカーラは儀礼として、一杯だけ口にすることを決めた。
薬を守られる可能性も考慮して、老人にはボトルを触らさせず、自身でボトルを傾けて、グラスの中へと注いでいく。そして、間髪を入れる間もなく一気に酒を飲み干す。

カーラにとっては文字通り命懸けの行動であった。
グラスの中に注いだ酒を一気に飲み干したものであるから、口の周りに水滴を持参したハンカチで上品に拭き取り、頭を下げて、丁寧にお礼を述べた。

「それでは失礼しますわ。そろそろ年明けも近いので、私準備をしないといけませんので」

その後は何も言わずにその場を立ち去ろうとしたのだが、それを怪老が手を握って強制的に引き止めた。
それから気色の悪い笑みを浮かべてカーラを見つめた。年の割にはギラギラとした気色の悪い視線にカーラは耐え切れなくなり、腕を振ったが、老人はあくまでも離さない。

皺の生えた腕で強く握っていく。皺の入った腕が触るたびにカーラは眉を顰めた。仮にも何十年も過ごしてきたというのにこの悍ましい老人は女性に対する扱いも知らないのだろうか。

「離してくださいませ」

カーラは嫌悪感に満ちた表情で吐き捨てた。顔の中には「死ね」と言わんばかりの表情で睨んでいたが、老人は気にする様子も見せずに大きな声で笑っていた。
声こそ「カッカッカッカ」と快活なものであるが、その表情は不快極まる表情で笑っていた。

「まぁ、良いではないか。どうだ?このまま宿屋にでも行かんか?そこで、わしのお供がどうなったのかという事と、ルーラルランド様がどうなったのかを知りたいからのう」

気色の悪い笑みを浮かべながらも、その言葉の中には脅迫めいたものがあった。
困惑しながらも、嫌悪感を隠そうとしないカーラにその一言は効いた。
このまま脅迫に屈することしかない自分が不甲斐なかった。
だが、宿屋に行くなど御免だ。カーラは歯を軋ませながら無言で、怪老の向かい側にある席へと座る。
怪老はそれを見て、朗らかな笑みを浮かべた。

「そうか、そうか、なら、このままここで話を続けてやるとするか」

怪老はボトルを持って、カーラのグラスの中へと注ぎ、そのまま自分のグラスの中へと注いでいく。

「少し前にな、宿屋に務めるある男がウィリアムが空き家に潜んで、待ち構えているという話を噂しておったのよ。それで、テオドアとハンターはその話を聞き、信じ込んで今日、空き家へと向かったんじゃ。そろそろ、帰ってきてもいいのではないかのう。まさか、殺されたかのう?」

怪老は思わせぶりに酒場の入り口を見つめてから、無言でカーラを見つめていく。目の前にいる気色の悪い老人は何を考えているのだろう。

カーラが嫌悪感を滲ませながら怪老を見つめてた時だ。怪老は口元を大きく開けて、大きな声で笑った後に番犬と呼ばれるのに相応しい圧を漂わせた顔でカーラを見つめながら言った。

「だが、わしも愚かではない。こうなることもあろうかと、ルーラルランド様に頼んで、メイドの一人をわしに貸してもらった」

嫌な予感がした。カーラは反射的に席の上から立ち上がり、切羽詰まった表情で老人を見つめていた。

「そのメイド……まさか、探偵小説がお好きだったりしますの?」

「ふむ、少し前に流行りの探偵小説を買いに行っておったな」

その言葉を聞いて、確信した。やはり、自分と手が触れ合ったあの愛らしい姿のメイドだ。

「そのメイドはな、『ローズマリー』という宿におるぞ」

「……返していただくにはどうすればいただきますの?」

「そうだな。愚かにもわしを殺そうとしたこの街のギルドマスターを標的にするか、もしくはお前さんがわしのものになるか……の二択じゃ」

怪老は好々爺めいた笑みを浮かべてカーラに選択肢を与えたが、その選択肢はあってないようなものだ。こちらの心境を見透かして、そのような意地悪な二択を与えたのだろう。

それらのことを理解したカーラは機嫌を悪くし、低い声で吐き捨てるように答えた。

「……すぐには決められることではありませんわ。どうか、考える時間を与えてくださいませ」

「まぁ、いいじゃろう。明日のこの時間にまで考えてきなされ」

老人は席の上からひどくのんびりとした調子で、腰を上げて、立ち上がり、快活な笑みを出して、その場を立ち去っていく。
カーラは一人酒場の中で酒を啜り、店の中に柔らかい赤みを帯びた光が差し込む頃合いになって、ようやく席の上から立ち上がり、そのまま店を後にしたのだった。
店を出た後に向かったのは自宅ではなく、この時間帯から営業を開始するギルドマスターの酒場。

カーラはそこそこは人が入っている酒場の中へと足を踏み入れ、カウンター席に腰を掛けると、ギルドマスターに『ブラッディプリンセス』の酒を注文する。
『ブラッディプリンセス』が注文された以上は相手が誰であったとしても、酒場のマスターではなく、ギルドマスターとして用件を聞かなければならないために、カウンターの向かい側から顔を覗かせたギルドマスターに向かってこっそりと耳打ちを行う。

カーラの苦労話を耳にしたギルドマスターは首を縦に動かし、店が閉まってからレキシーと共に酒場を訪れるように指示を出す。
カーラは了承し、ギルドマスターの言葉を受け入れ、レキシーの待つ自宅へと戻っていく。
自宅の方ではレキシーが立腹した様子で待ち構えていたが、カーラがわけを話すと、すぐに怒りを解き、ギルドへと向かう準備を始めていた。

レキシーはカーラが仕事を終えてから帰るタイミングを計算して夕食を作っていたために、すっかりと湯気や温かみが消え去り、冷や飯と化していた。
だが、二人は気にすることなく食事を平らげ、各々の部屋へと向かうと、夜遅くに開かれる会議に備えて、仮眠を取り、駆除人ギルドへと向かう。

ギルドの中には締め作業を終えたギルドマスターと、そのギルドマスターに集められたヒューゴとギーク、それにクレイトンというお馴染みの面々が待ち構えていた。
既に三名の駆除人には酒が差し出されており、三人はそれを飲んで、カーラを待っていたらしい。
カーラが扉を開けて現れると、真っ先にクレイトンがカーラの元へと駆け付けた。
「お嬢様ッ!」

血相変えた様子でカーラの前に跪いたかと思うと、その前で大きな声を上げて泣き始めたのだった。

「ご無事で……ご無事で何よりでした」

「頭をお上げなさいな。幸いなことに私はまだ何も危険な目には遭っておりませんわ」

「これが落ち着いてなんていられますかッ!大事な……大事なお嬢様に……あのクソジジイ……」

クイントンは全身をプルプルと激しく震わせていた。そればかりか、顔には憎悪の色さえ見えた。
クイントンがここまで、自分を想っていてくれるなんて嬉しい限りである。
令嬢として忠臣には礼を尽くすべきだろう。カーラはクイントンの右手を優しく取り上げ、もう片方の手で摩っていく。まるで、宝石でも扱うかのような丁寧な仕草である。

「クイントン……あなたは私の大切な騎士ナイト……それ故、あなたには危険な目には遭ってもらいたくありませんの」

「で、ですが、お嬢様!」

クイントンはカーラに縋り付かんばかりの勢いで、懸命に懇願した。自分にとっての大事な淑女レディであるカーラを辱めた怪老を討伐することは騎士ナイトである自分の本懐である、と。

だが、激昂する騎士を淑女は優しい口調と仕草で宥めたのである。

「それはいけませんわ。私の騎士ナイトたるもの、その手を血に染めるなどということはあってはなりませんの」

「で、ですが」

「ご心配なく、淑女レディというものは自らの名誉が傷つけられた場合においては騎士ナイトの手助けなく動くものですの」

未だに何かを言おうとするクイントンをレキシーが肩を優しく叩いて言った。

「同じお姫様でもカーラは『血吸い姫』だからねぇ。その点に関しては心配しなくてもいいよ」

「そういうこと、きみは手助けを頑張ってくれればいいんだ」

ギークはどこか冷めた目でクイントンを見つめながら言った。

「ギークさん、そのような言い方はあんまりですわ」

「言い方が悪かったんなら謝るけど、二人の恋愛劇めいたやり取りに耐えられなくてさ」

「げ、劇ってなんだッ!オレは真剣だぞッ!」

クイントンが激昂しながらギークの元へと迫ろうとしたのをヒューゴが間に入り、その場を収めたのであった。

ギルドマスターは場が落ち着いたのを見計らい、空咳を行って、完全に駆除人たちが言葉を発することがなくなったのを確認してから、酒場の中から物音が一つも聞こえなくなるのを確認してから、集まった駆除人たちを見渡していく。
全員が自分の元に視線が集まっているのを確認し、ギルドマスターは会議を始めた。

「さてと、今夜お前たちを集めたのはただ一つ……オレたち駆除人の裏切り者であるゴーグなる男を確実に始末するための計画を話すためだ。いいか、絶対に聞き漏らすんじゃあねぇぞ」

ギルドマスターの言葉に全員が首元を縦に動かす。準備は万端のようだ。
ギルドマスターは口元に微かな笑みを浮かべた。














あとがき
本日は更新が遅れて誠に申し訳ありませんでした。いつもでしたらもっと早い時間に投稿させていただくのですが、本日はどうしても外せない用事がございまして、投稿が困難でした。
このような体たらくで自分が情けなく思いますが、今後も見放すようなことがなければ幸いです。
また、遅くなりますが、もう一話も更新させていただく予定です。
本日もお付き合いいただければ幸いです。
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