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第一部『悪魔と人』

二本松秀明の場合ーその⑥

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真紀子の拘束が解けた理由は至極単純なものであったのだ。それは志恩の意識が途絶えてしまった事にあったのだ。志恩は姉の体が動けなくなったのを見てすっかりと安心しきってしまい、そのまま意識を失ってしまったのだ。
志恩の暴走する姉のみを止める能力には一つだけ弱点があった。それは彼が意識を失えば効力を失ってしまうというものなのだ。真紀子の拘束が一瞬のみであったのはその事に由来する。
だから、真紀子は今現在自由自在にその体を動かせるのだ。真紀子はそのまま機嫌よく千凛を殴り続けた。
その時に浮かべる真紀子の表情は狂気染みていた。笑い声が響いていくたびに千凛を殴る音も聞こえてくるのだから。
兜を被っているのは不幸中の幸いであったかもしれない。そうでなければ真紀子に顔を殴られていたであろうから。
その様子を見て秀明は自分が情けなかった。男ならばここで中世ヨーロッパの騎士道物語に登場する騎士のように格好良く飛び出して、千凛を助けるべきだろう。秀明はこの現実は上手くいかないものであると痛感させられた。

秀明がこの後にどうすればいいのかと頭を悩ませていた時だ。彼は先程腹違いの妹の背中に喰らわせた剣の傷跡の事を思い返す。
あの傷跡の上に更なる傷を負わせる事ができれば、流石の怪物も死んでしまうのではないだろうか。
秀明は自分の考えを信じる事にしたのである。彼は念じる事によって捨ててしまったサーベルを再度手の中に召喚し、千凛を殴り続けている真紀子に向かって一直線にサーベルを放り投げたのであった。真紀子の背中に大きくサーベルが突き刺さり、真紀子は悲鳴を上げて地面の上に倒れ込む。幸か不幸か、サーベルは浅く突き刺さっており、そのまま這いながら真紀子は退却しようとしたが、千凛がそれを許さない。サーベルの柄を握り締め、真紀子を恐怖へと追い込んだのである。

「逃げるなよ……最上真紀子……お前はこのままここにいるんだ」

真紀子の顔いっぱいに冷や汗が垂れていく。顔中に汗が生じていき、彼女がこれまでに見た事がない程に焦っている事に気がつく。

「ま、待てよ……あんた幾らで雇われた?あたしはその倍の金額であんたを雇うよ。だからさぁ、あたしを殺す様に依頼した奴をその金で殺してくんないかな?」

真紀子の声が震えている。余程焦っている様だ。だから典型的な手段で殺し屋を懐柔しようとしているのだろうが、千凛はそんな真紀子を冷ややかに見下ろしているだけであった。

「じゃ、じゃあさぁ!気持ちの良くなる薬があるんだよッ!欲しいだろ?なぁなぁ?」

「……私が、文室千凛がそんなものを嗜むとでも思うのか?」

「じゃあ家をあげるよ!あたしの持っている金ならば家の一軒くらい……なぁ、悪くねー条件だろ?」

「なぁ、少し落ち着いたらどうだ?貴様の処分はあそこで倒れている女の子に決めてもらおうと思っているから」

千凛は倒れていた姫川美憂を指して言った。真紀子は顔を青ざめさせる代わりに千凛を鋭い目で睨む。

「……あたしに何をさせる気だ?」

「あの子にトドメを刺してもらうのも悪くはないと思ってな」

「姫川ならやりかねんけどな……んで、姫川にあたしを脱落させたいのかい?」

「まぁ、待てよ、貴様の処分はあの子が来てから決めるから……おい、あんた!」

千凛はここで秀明を手招きして言った。

「あの子を起こしてきてくれ、この人の皮を被ったアノサキスをどうするのかをあの子に決めてもらいたいんだ」

秀明は快く了承し、意識を失っていた美憂を起こし、満身創痍ともいえる状態で千凛の前に連れてきたのだ。
ふらふらの足取りで秀明の肩を借りながら歩いて来る姿にはさしもの殺し屋も心にくるものがあったのだろう。
憐憫の念をやって来た美憂に向けていた。美憂は暫くの間地面の上でサーベルが突き刺さったまま、それでも意識を保って倒れている真紀子を見下ろしていたのだが、すぐに目線を挙げると千凛に向かって言った。

「……あたしがこの女を殺してもいい……さっきの言葉は本当でしょうか?」

「私に二言はない。キミの宿敵なんだろ?ならばキミの手でこの女の首を刎ねたまえ」

それを聞いて美憂は沈黙を貫いていたのだが、周囲の視線が集中していくと、ようやく城門の様に固く閉ざされていた口を開いていく。

「……あたしの言い分としてはこいつに猶予を与えたいと考えています」

「猶予?どうして?」

「ヘッヘッ、こいつはァ傑作だぜェ、まさかあの姫川があたしを見逃すなんて意見を出すなんてよぉ、しかしどういう風の吹き回しだい?あたしを助けたいなんて」

真紀子の意見はその場に居合わせた全員の意見を代弁するものであった。
その意見に対して美憂は特段慌てる事もなく淡々とした口調で言ってのけたのであった。

「……大した理由じゃあない。お前を今ここで殺したくないそれだけだ」

「正気か?」

千凛が低い声で尋ねる。

「正気です。私は狂ってなどいません……」

「もしかして、あんたさぁ勘違いしてるのかい?あんたにトドメを刺さなかったあたしがいい人間だとでも……残念だけどさぁ、あれは弟が突然乱入してきたからトドメを刺せなかっただけなんだぜ」

「その通りだ。ここで生かしておけば必ずこの女はまたキミの命を狙うと思うが」

千凛の言葉は正論であった。真紀子は命ある限り、人を傷つけ続け、ゲームに参加して多くの人を殺し続けるだろう。
それでも今の美憂は殺すつもりにはなれなかった。返答の代わりに彼女は背中を向けて一足早く戦いの場から抜け出していく。
三人はその場から去っていく美憂の背中を眺めていたが、やがて完全にその姿を消すと、再びサーベルを喰らってその場に倒れている真紀子へと視線を集中させていく。
真紀子は顔に愛想笑いを浮かべていたのだが、その笑いはこれ以上ない程に引き攣っている。

秀明はその笑みが不愉快だった。本当は怖いのに無理して取り繕っている形の笑顔が彼の怒りを招いたのである。
秀明は怒りに任せてそのまま刺さったサーベルを一気に引き抜いていく。同時に真紀子の口から絶叫が轟いていく。
それでも真紀子は最期の力を振り絞って起き上がり、拳銃を作り出して千凛と秀明の足下に向かって銃弾を放ち、二人が怯んだ隙を見てその場から慌てて走り去っていく。
千凛は追い掛けようとしたのだが、秀明は首を横に振って千凛を静止させた。

「なぜだ!?貴様はどうして私を止める!?」

「これが最善の選択だからだよ……あのままにしておくのがいいんだ」

「ッ!わけがわからないッ!」

千凛はそう叫んだもののなんとか剣を引っ込めて踵を返すと、そのまま来た道を戻っていく。
彼女が戦いの場から去っていくのを見届けると、秀明は意識を失っている弟の元へと戻っていく。
秀明は弟を優しく起こすと、そのまま彼を抱き抱えていく。
戦いの傷は致命傷ではない限り、悪魔の力によって自然と治っていくものであるが、今夜の志恩は余程深くまで銃弾を喰らったのか悪魔の力による回復が遅かったのだ。

志恩は公園のベンチの上で酷く魘されていた。本当ならば病院に連れて行きたいところなのだが、傷の原因を問われればゲームの事を答えなくてはなるまい。それに加えて志恩の両親に連絡が届けば志恩は動けなくなってしまうだろう。
それだけは避けたかった。秀明は兄として幼い弟の看病を必死に行っていた。
そして、時計の針が深夜に差し掛かった時志恩はようやく目を覚ました。

「おっ、志恩……ようやく目を覚ましたのか」

秀明の表情を見て安心したのか、志恩も顔に可愛らしい笑顔を浮かべていく。

「うん、兄さん……それで戦いはどうなったのかな?」

「なんとか終わったよ、安心しな」

秀明は自分から見ればまだまだ幼い弟を安心させるために優しくその頭を撫でていく。
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