華燭の城

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 暖かな陽気だった一日が終わり、外はまた風が出てきたのか、鉄格子の外でカタカタと音がし始めていた。
 だが、どれ程時間が経っても痛みが薄れるという事はなかった。

 それに加えて度々襲う痙攣。
 体中の傷から、トロトロと流れていく生温かい感触。

 それが自分の血であるとシュリは判っていた。
 それが流れ続けるという事は……まだ自分は生きているのか……そう思った。

 いつまでも続く、この灼け付く痛みはあの薬のせい……。
 そして、あの時見た自分の体……。
 ガルシアに灼きつけられた、あれは……。



 痛みで霞むシュリの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。

 あれは、父王に手を引かれ、連れて行かれた教会の小部屋。
 そこに、厳重に保管された一冊の書物があった。

 まだ文字さえよく判らなかったが、父はそれを開いてこう言った。

『シュリ、これは神と対極に在る物。
 信仰在る者は、決してこれに触れてはならない。
 だがお前は神の子。その使命を果たすために知らねばならない。
 一度だけ見せておく。
 しかし、これから先は如何なる事があっても、これに近寄ってはいけない。
 これはおぞましき物……。
 不浄にて禁忌たる物……。
 これは……悪魔の印……』

 朦朧とする意識の中で、懐かしい父の声が途切れ途切れに聞こえ、取り留めない霧が渾沌と渦巻く。



 その時、シュリは耳元にラウの声を聞いた。
 幻聴幻覚ではない。
 実際のラウの声だった。

「シュリ、部屋に薬を取りに行ってきます。
 すぐに戻りますから……」

 静かに扉が閉まる音がすると、シュリは現実世界でゆっくりと目を開けた……。

「……っツッ……ぁああああっ……!」
 途端に襲う激しい痛みに思わず声を上げた。

 それは残夢に似た偽りの世界ではなく、現実の激痛だった。
 あの石牢で受けた時のまま、体中が灼けつく鋭い痛みだ。

 仰向けのまま身を捩り、胸を押さえた。
 ラウが巻いてくれたのか、包帯らしきものの手触り……。

 あれは……夢……ではない……。

 そう自得した瞬間に、シュリはハッと目を見開き、渾身の力で体を起こしていた。

 再び裂けるような激痛が襲う。

「ンンッッ…………っ……!!」

 そのままうつ伏せに倒れそうになる体を、咄嗟に腕を付き、その身を支えた。
 右手の骨は砕けていた。

「……ンくッッ……っっ!」

 思わず右手を押さえ、その痛みに耐えながら体の向きを変え、ベッドから降りようと脚を伸ばす。
 太腿に灼き付けられた傷がビリと裂ける。

 それでもシュリは立ちあがった。
 シュリにはどうしても確かめなくてはいけない事があった。

 胸を左手で押さえ、脚を引きずり、一歩一歩、部屋の壁に向かって進む。
 右手は動く気配さえなく、ダランと垂れたままだ。
 途中でガシャンと音がしたのは、テーブルの上のグラスでも落としたのだろう。

 ようやく壁際の、天井まで届く大きな鏡の前に立った時には、痛みで再び意識が朦朧とし始めていた。

 だめだ……。
 ここで倒れるわけには……。

 力の入らない手で、ラウの巻いてくれた血の滲む包帯をむしるようにして、覚束おぼつかない手で解いていく。

 そして、ハラハラと床へ落ちて行く包帯の下から現れた自分の体に……鏡の中の自分自身にシュリは絶句した。

 あの時見たのは、やはり現実だった……。

 灼けた鉄針が押し当てられ、それがゆっくりと肉を削ぎ、垂らされた薬が灼き広げ描いた形。
 聖なる十字架が、逆天地にされた文様……逆十字……。
 そして、それを中心に、左右に引かれる幾筋もの直線。
 複雑に入り組んだ線が、一見、鳥が大きく羽を広げたようにも見える。

 今もまだ陰惨な傷口から、赤い血を流し続けるそれは、余りにも禍々まがまがしく、シュリを嘲笑う。

「……召魔……滅神の……印……」

 それが今、自分の胸に、ハッキリと目の前にあった。

 文字通り悪魔を信仰し、悪魔召喚を目論もくろむ者に聖印として崇められる印。
 それだけに留まらず、神を否定し、その滅びをも願う印。
 そう呼ばれる印が、くっきりと自分の胸に灼き付けられていた。


 人々は、悪魔崇拝のシンボルとされていたこの印を目にしただけで恐れおののき、それがどんな偶然であったとしても、全く意図せぬ事故であったとしても、そのような物と関わりを持ってしまうに至った自分を責め、それが故に地に平伏し神に許しを乞うた。
 まして自ら身につけるなど、神への冒涜・裏切り・反逆以外の何ものでもなかった。

 それほど皆を恐怖に陥れ、絶対に許されない忌物たるその印が、今、自分の胸に灼き付いている。

 それは、神国の皇子、神の子として生きてきたシュリには、万死に値する罪だった。


「……ガルシア……ッーーーー!!!!!」

 叫んだつもりだったが、まともに声は出ていなかったかもしれない。
 激しい痛みと乱心で喉が塞がれていた。
 呼吸ができなくなった。

 苦しさに思わず胸を鷲掴む。
 灼かれた傷が、頭の先まで雷土のような激痛を引き起こす。
 立って居られなくなり、そのままガクンと床へ膝をついた。

 その時、痛む右手指に何かが触れた。
 それは自分が落としたグラスの、小さな破片……。

 無意識にシュリは、それを左手で握り取っていた。

 そのまま尖ったガラス片をグッと握り締め、その悪魔の印へ……。
 自分の胸の中央へと突き立て、薙ぎ払うように手を引いた。


「……ンッッツァアアアアアァアアアアアッ……!!」
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