華燭の城

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 精神が崩壊しそうなほどの叫びを上げながら、シュリは何度も自分の胸を斬りつけた。

「……ンッ…………ッ!!
 ……!! …………ンッッーーー!!」

 あの神儀の双剣で、百鬼を切り裂いたのと同じように、忌々しいこの印と、印に巣食う魔を消滅させる為に……。
 
 感覚はあった。
 胸にも左手にも、確かに手応えはあった。
 だが不思議と痛みは感じない。

 どう……して……。 
 …………なぜ……。

 そう呟きながら、シュリは痛みを感じないまま、何度もそのガラス片を自分の体に突き立てる。

 ……なぜだ……。
 この程度のガラスでは、この悪魔には傷もつけられないのか……?
 あの自分の双剣でなければ無理なのか……?

 いや……違う……。

 これは、自分にその資格ちからが無いから……。
 ガルシアにけがされたこの体では、もうそれさえも叶わないのだ……。

 ……くっ……ッ……!!

 床に飛び散る自分の血を漠然と見つめながら、シュリは全て流れ出てしまえば良い……そう思った。
 
 穢れた血など要らない。
 穢れた魔の血は、それに近付く他者をも、その暗黒の淵に引き摺り込んでいく。

 自分が魔に堕ちたのなら……。
 その存在はあってはならない……。
 
 印が消えないなら、自分ごと消えてしまわなければ……。

 塞がった喉で叫びながら、何度も何度も斬り続けた。





 自室へ戻ったラウは、必死に医学書を探していた。
 あの時、ガルシアは男に「劇薬を出せ」と確かにそう言った。

 劇薬……。

 もちろんラウも薬師だ。
 劇薬と呼ばれる物の事は知っている。

 薬について学んだ時も、その危険性については幾度も繰り返し教わった。

 人体に対し非常に高い脅威を持つ薬。
 その取扱い、保存には最大限の注意を要する。
 もし皮膚に付着した場合は、すぐに清潔な布で拭き、水で洗い流す事。
 だが時に、洗い流して良い物といけない物がある。
 中には水と反応し、更に酷い損傷を負わせる物もある……。

 部屋に連れ帰ったシュリの傷……。
 あの苦しみ方から、傷の中にはまだ薬が残っていて、浸潤し続けている事は明確。
 先に、使用された薬が何なのか、それを特定しなくては……。

 ラウがシュリの部屋で、傷を洗い流さなかった理由がそれだった。
 それさえ判れば、対処できる方法があるかもしれないのだ。

 しかし、あの時使われていたのは無色で匂いも無かった。
 どんなに記憶を引き出しても、あの石牢での記憶はそれだけだ。

 勿論、探す書物の中には不明な薬物の判別方も書いてある。

 だがそれらのほとんどは、
『鑑定したい薬品を清潔なガラス皿に取り分け、判別専用の薬剤と混合させた後、その反応の変化と速度、色を慎重に見極めて……』
 ……等々と書き連ねてある。

 しかしそれは机上で、しかも整った環境での実験の事。
 “すでに人体に使われた薬” を “無色無臭” という、たった二つの情報だけで知る方法など、どこにも書いてはいなかった。

 クソっ……! どうすればいいんだ!

 小さな本棚を上から下までひっくり返し、隣の薬品部屋でも、ありとあらゆる書物を物色し尽くした後、ラウは苛立ち、思わず机を拳で叩きつけていた。
 机の薬瓶が音を立てて倒れ転がる。

「おい、ラウか? 戻ってるのか?
 たまに戻ったと思えば、真夜中だぞ。
 頼むから静かにしてくれ……」
 壁が薄い使用人部屋で、隣の部屋の男の声がした。

「……すまない。
 少し探し物をしている。すぐ終わる……」

 唇を噛み、そう返事をしながらも気持は焦るばかりだった。
 乱雑に倒れた薬瓶の事など気にしている余裕はない。

 だが、一本の小瓶だけは別だった。
 褐色の液体の入った瓶に目を留め、その小瓶を指で持ち上げ、電灯にかざした。
 
 中の液体はかなり減っている。

「……あと、これだけ…………」

 改めてその量の少なさを実感し、そう呟きながら思わず目を逸らした。

 だが、それも一瞬だった。
 今は自らの感傷に浸っている場合ではない。
 何を置いてもシュリを助けるのが先決。
 今、こうしている間にもシュリが……。

 瓶を机に置き直し、大きく息を吐く。

 ダメだ。
 こんな小さな書棚では、目指す高度な専門医学書など見つからない。
 薬を特定できる要素も少なすぎる。
 他にシュリを救える方法は……。


 ラウは治療に必要と思われる薬瓶を何本か選ぶと、コートのポケットに捻じ込み部屋を出た。
 
 杖を付きながらも焦る思いで使用人棟から公用の館へと入る。
 高位の役人達の執務室が入るこの館、その長い廊下はシンと静まり返り、人の気配さえない。
 
 それを確かめながら、足音を忍ばせたラウは、その中の、左右にズラリと並ぶ扉のひとつで足を止め、薬と一緒に持って来た鍵で扉を開ける。

 入った場所は、ポツンと執務机があるだけの部屋だったが、その壁には一面に……さながら図書館のごとく分厚い本が並んでいた。
 その中から記憶だけを頼りに、目当ての医学書を選び出す。
 ゆっくり読んでいる暇はない。

 片腕に抱えられるだけ抱え、ラウはシュリの部屋へと向かった。
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