華燭の城

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 シュリを迎えに来いとラウに連絡が来たのは、一睡もできず見ていた東の空が、わずかに橙味を帯び始めた頃だった。
 不自由な脚を急かすようにして、扉番の開けた長い廊下を行き、部屋の前で声を掛けたが返事はない。
 
 人の気配のない部屋に入ると、いつもとは違う微かな匂い……。
 これは……。
 ラウは思わず顔を顰めた。
 そして奥に見える開け放たれたままの石牢の扉。
 急いでそこへ向かうと、その匂いは益々強くなっていった。
 
 窓もなく、広くもない室内は白い煙状の甘い空気が満ちている。

「シュリ……!」
 
 嫌な予感が頭をよぎり、ラウは思わず名前を呼んだ。
 それだけで、その嫌味な匂いが口内を満たし、ラウは咄嗟に口元に手を当て中を見回した。

 立ちこめる精の臭いと血の匂い。
 それとは真逆の、妙に甘ったるい匂いとが不快に混ざり合う部屋で、台横の冷たい石の床に、全裸で倒れているシュリの姿があった。
 
 台の上には無造作に解かれたロープが血に染まり、床にも血だまりがある。
 きっと開放された後、痛みで苦しみ、床へ落ちたのだ。

「……シュリ!」

 駆け寄ってその体を抱きかかえると、
「……ンッ……!」
 小さく震えながらもシュリが声を上げた。

 生きてる……。  
 安堵しながらも、とりあえず外へ……と気持ちが騒いでいた。
 この匂いの正体に、確信はないが心当たりはある。
 日々薬を扱う者の本能が、ここは危険だと警告していた。
 
 横に落ちていた石牢の鍵を掴むと、ラウはシュリを抱きかかえ立ち上がり、急いで部屋を出た。
 その間にも、シュリの震えは益々酷くなっている。
 一刻も早く部屋に戻らなければ、人目に付く。

 ――夜が明ける。


 部屋へと戻ったラウは温かなベッドにシュリを横たえると、手元に灯りを引き寄せた。
 そこで改めて見たシュリの体は惨たる状態だった。
 腕と脚には縛られた跡。
 体前面にある細かい出血。
 何か細い金属で刺されたのは確かだ。
 酷いのは両肩の傷だった。
 ガルシアにナイフで付けられていた割創、やっと塞がりかけていた傷が、どれも無残な傷となってまた口を広げ、ゆっくりと血を吐き続けている。

 だが今は傷よりも、痙攣に似た震えの方が深刻だった。
 呼吸が余りにも早く浅い。
 このまま放っておけば、体に血液が廻らなくなる……。

『報いを受けさせる』と言ったガルシア。
 こんな状態になるまで、いったい何をしたのか……。

 ラウは唇を噛み、ベッドの傍らの、あの箱から錠剤をひとつ取り出すと、指で擦るように潰した。
 元々は液体を粉末に、粉末から個体へと固めていただけの薬は、ラウの指の上で簡単に元の粉状になる。

「シュリ様……シュリ……」

 小さく呼びかけると、シュリは震えながらもその声にピクンと反応した。

「私がわかりますか? 
 薬です、少しだけ口を開けて……」

 指で唇に触れ、小さく開けさせて、そこから指ごと咥えさせるようにしてシュリの柔らかな舌に触れた。

「んっっ……」
 粉になった薬は苦かったのか、反射的にシュリは嫌がり顔を顰める。

「飲み込んでください」
 そう言って、冷たい頬に指の甲を当てると、シュリはようやく、ゆっくりと薄く目を開けた。
 そのままラウを見つめ、そして小さく息を吐き頷く。
 ラウが差し出した水差しの、ほんのわずかな水と共に喉がコクンと動いた。



 次にシュリが目を開けたのは、もう夕刻になろうかという頃だった。

「シュリ……気が付かれましたか?」
 ベッドの横に椅子を引き、ずっと傷の手当てをしていたラウが声を掛ける。

「……ラウ……。
 ……ここは……。 
 ……そうか……終わったのか……」

 そう問う言葉に、ラウは胸が詰まった。

「……ええ、もう終わりました。
 よく……頑張りましたね」

 ただじっと、されるがまま。
 耐えて耐えての終わりを待つしかないシュリに、ラウはやっとそれだけの言葉を絞り出した。

「……本当に……」
 自嘲するようにシュリが言い、目を閉じる。

「今、水を……」と、ラウが側を離れると “いつまでこんな事が続くのだろうな……” シュリはそう問いかけていた。

 言葉にはせずに……。
 誰に向かってかも、わからずに……。
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