63 / 199
- 62
しおりを挟む
「シュリ様、そろそろ昼食に……ここはもう……」
墓地から出ようと促すラウに、
「いや、昼食はここで食べよう」
シュリが立ち上がる。
「ここに亡者など居ない。
皆、神に召された安楽の場だ。
あ……しかし、さすがに墓標の前では不謹慎か……」
周囲を見回したシュリの目線の先、丘の先端に大きな岩があった。
「あそこにしよう」
先導してシュリが歩き始めると、
「シュリ様、ご注意ください。
この先の崖は柵もなく危険です」
ラウが慌てて後を追った。
崖傍まで行くと、そこはラウの言った通りの断崖絶壁だった。
遥か眼下に広がる湖は青く澄み、一見するだけならとても美しかったが、その底は果てを知らぬほど、どこまでも暗い深淵に続いているように見える。
「ここから落ちた者は、その遺体さえ上がりません。
故に、その底を見た者もおらず、この湖は底無しと言われているのです」
そう言いながらラウは、大岩に腰を下ろそうとするシュリを一度制した後、岩の上に自らの上着を掛け、広げた。
そして「どうぞ」と座るよう促し、袋の中から少年にもらったパンを取り出す。
ハムやサラダを器用に挟むと、ナイフで食べやすく切り分けシュリの前に置き、飲み物も準備していくと、岩の上が、あっと言う間にランチテーブルになっていく。
「ラウは、何をさせても完璧だな」
切り分けられたパンの半分を、シュリはラウの前に置いた。
「パンはこれだけですので、私は結構ですよ」
そう言って微笑むラウの顔をシュリがじっと見つめる。
「どうかされましたか? 何かお嫌いな物でも?」
「いや、そうじゃない。
ラウは優しいなと、そう思っただけだ」
その言葉にラウは不思議そうな顔をした。
「私が優しい……ですか?」
「ああ、他の食材同様、パンを余分に持って来ようと思えばできたはず。
だがそれをしない」
ラウは、ああ……と言った様子で、少し照れた笑みを浮かべる。
少年が下りたすぐ後にパンを取りに行けば、それを見た少年はどう思うだろう。
やはり大きい方を渡すべきだった……と、心優しいあの子は後悔するかもしれない。
だからパンだけは、敢えて持って来なかった。
シュリはさりげないラウの気遣いに微笑みながら、もう一度、ラウにパンの半分を差し出した。
今度はラウも断る事はせず、クスリと笑みを浮かべてそのパンを受け取った。
遅めのランチは少し焦げの味がしたが、シュリの心は今までになく満たされていた。
そして緑風に髪を揺らすそのシュリの顔は本当に嬉しそうで、今までで最高の笑顔を、ラウも見る事ができていた。
「ラウ、あのロジャーはいくつだ?
あんなに小さな子も、ここではたくさん働いているか?」
食事を終え、紺青の湖を見つめながらシュリが尋ねた。
「あの子は10歳のはずです。
今は他の使用人達と一緒に、城内の使用人専用の棟に住んでいます。
両親が亡くなり、町で路頭に迷っていたのを、役人の誰かが連れて来たと聞いています」
「10歳でたったひとり……」
「はい。ですが、町で家も食べ物も無い時に比べれば、城にいる方が幸せです。
ここにいれば暖かい部屋もあり、食べ物にも困りません。
学校へも通わせてもらえますし、幼くても、働いた分はきちんと給金も出ます。
15歳で学校が終わり、独立できる年になっても城を出ず、そのままここで働く者がほとんどです。
皆、ここが好きなのです」
シュリは、あの地下室でも楽しそうに働いていた人々の顔を思い出していた。
辛い仕事だろうが、その顔は皆楽しそうで、活気に溢れていた。
そしてあのロジャーも、明るく元気だった。
ラウの言う通り、城での皆の暮らしや待遇は、自分が思う程、悪くはないらしい。
「そうか……良かった」
シュリが安堵の表情を見せる。
「シュリ様……。
陛下は……懸命に咲いた草花を一掃しろと言われ、死者を忌み……。
そして神国を攻め、シュリ様にあの様な酷い事を……。
それでも……。
それでも城は、この国の “王” という存在は、城で働く者にとっても、国民にとっても、無くてはならないものなのです」
ガルシアを語るラウの声は重かった。
ガルシアの所業に納得ができないのは、ラウ自身が一番、身をもってわかっているはずだ。
“だが、それでも……”
そう言うラウの気持ちがとても痛かった。
「わかっている、ラウ……」
ガルシアが、自分やラウに対してどんなにおぞましい行為をしようと、その本質がどんな王であろうと、今、この大国が、そこに暮らす多くの民が、戦さもなく平和に、豊かに暮らせている事だけは確かだった。
シュリは静かに湖面を見つめた。
薄い陽に映る湖は何事もなかったかのように、静かに、ただそこにあった。
ガルシアのあの醜行も、夢だったと思わせてくれる程に……。
墓地から出ようと促すラウに、
「いや、昼食はここで食べよう」
シュリが立ち上がる。
「ここに亡者など居ない。
皆、神に召された安楽の場だ。
あ……しかし、さすがに墓標の前では不謹慎か……」
周囲を見回したシュリの目線の先、丘の先端に大きな岩があった。
「あそこにしよう」
先導してシュリが歩き始めると、
「シュリ様、ご注意ください。
この先の崖は柵もなく危険です」
ラウが慌てて後を追った。
崖傍まで行くと、そこはラウの言った通りの断崖絶壁だった。
遥か眼下に広がる湖は青く澄み、一見するだけならとても美しかったが、その底は果てを知らぬほど、どこまでも暗い深淵に続いているように見える。
「ここから落ちた者は、その遺体さえ上がりません。
故に、その底を見た者もおらず、この湖は底無しと言われているのです」
そう言いながらラウは、大岩に腰を下ろそうとするシュリを一度制した後、岩の上に自らの上着を掛け、広げた。
そして「どうぞ」と座るよう促し、袋の中から少年にもらったパンを取り出す。
ハムやサラダを器用に挟むと、ナイフで食べやすく切り分けシュリの前に置き、飲み物も準備していくと、岩の上が、あっと言う間にランチテーブルになっていく。
「ラウは、何をさせても完璧だな」
切り分けられたパンの半分を、シュリはラウの前に置いた。
「パンはこれだけですので、私は結構ですよ」
そう言って微笑むラウの顔をシュリがじっと見つめる。
「どうかされましたか? 何かお嫌いな物でも?」
「いや、そうじゃない。
ラウは優しいなと、そう思っただけだ」
その言葉にラウは不思議そうな顔をした。
「私が優しい……ですか?」
「ああ、他の食材同様、パンを余分に持って来ようと思えばできたはず。
だがそれをしない」
ラウは、ああ……と言った様子で、少し照れた笑みを浮かべる。
少年が下りたすぐ後にパンを取りに行けば、それを見た少年はどう思うだろう。
やはり大きい方を渡すべきだった……と、心優しいあの子は後悔するかもしれない。
だからパンだけは、敢えて持って来なかった。
シュリはさりげないラウの気遣いに微笑みながら、もう一度、ラウにパンの半分を差し出した。
今度はラウも断る事はせず、クスリと笑みを浮かべてそのパンを受け取った。
遅めのランチは少し焦げの味がしたが、シュリの心は今までになく満たされていた。
そして緑風に髪を揺らすそのシュリの顔は本当に嬉しそうで、今までで最高の笑顔を、ラウも見る事ができていた。
「ラウ、あのロジャーはいくつだ?
あんなに小さな子も、ここではたくさん働いているか?」
食事を終え、紺青の湖を見つめながらシュリが尋ねた。
「あの子は10歳のはずです。
今は他の使用人達と一緒に、城内の使用人専用の棟に住んでいます。
両親が亡くなり、町で路頭に迷っていたのを、役人の誰かが連れて来たと聞いています」
「10歳でたったひとり……」
「はい。ですが、町で家も食べ物も無い時に比べれば、城にいる方が幸せです。
ここにいれば暖かい部屋もあり、食べ物にも困りません。
学校へも通わせてもらえますし、幼くても、働いた分はきちんと給金も出ます。
15歳で学校が終わり、独立できる年になっても城を出ず、そのままここで働く者がほとんどです。
皆、ここが好きなのです」
シュリは、あの地下室でも楽しそうに働いていた人々の顔を思い出していた。
辛い仕事だろうが、その顔は皆楽しそうで、活気に溢れていた。
そしてあのロジャーも、明るく元気だった。
ラウの言う通り、城での皆の暮らしや待遇は、自分が思う程、悪くはないらしい。
「そうか……良かった」
シュリが安堵の表情を見せる。
「シュリ様……。
陛下は……懸命に咲いた草花を一掃しろと言われ、死者を忌み……。
そして神国を攻め、シュリ様にあの様な酷い事を……。
それでも……。
それでも城は、この国の “王” という存在は、城で働く者にとっても、国民にとっても、無くてはならないものなのです」
ガルシアを語るラウの声は重かった。
ガルシアの所業に納得ができないのは、ラウ自身が一番、身をもってわかっているはずだ。
“だが、それでも……”
そう言うラウの気持ちがとても痛かった。
「わかっている、ラウ……」
ガルシアが、自分やラウに対してどんなにおぞましい行為をしようと、その本質がどんな王であろうと、今、この大国が、そこに暮らす多くの民が、戦さもなく平和に、豊かに暮らせている事だけは確かだった。
シュリは静かに湖面を見つめた。
薄い陽に映る湖は何事もなかったかのように、静かに、ただそこにあった。
ガルシアのあの醜行も、夢だったと思わせてくれる程に……。
0
お気に入りに追加
84
あなたにおすすめの小説

男子寮のベットの軋む音
なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。
そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。
ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。
女子禁制の禁断の場所。

身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。




サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる