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旅行編──第十章『浮いて飛んで羽ばたいて』──

その79。旅行の予定を組んだ

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 ※ ※ ※ ※ ※

 そうしていつものコンビニに駐車していた脩一しゅういちの車へスーツケースを載せ、申し訳程度ではあるが店内にも立ち寄る。
 美鈴みすずが選んだのはいつものいちごオレで、脩一はアイスコーヒーだ。朝食を食べた後なのでと、他には何も購入せずに車へ戻る。
 これから一度脩一の家へ向かい、車を置いてから公共交通サービスで空港へ向かう事になっていた。──ちなみに目的地は、列島三番目に大きな島の北部である。
 以前公園で美鈴が『海に行きたい』と言っていた為、脩一が盆休みの長期休暇に合わせて旅行の予定を組んだのだ。目的地自体は海ではないのだが、日程にきちんと海辺は組み込まれている。

「私が地下鉄で脩一さんの家に行くって言っても、がんとして聞き入れてくれないしぃ」
「だからそれ、何度も話し合っただろ?美鈴の家からじゃ、俺の所へ来るまでに乗り換えが必要じゃないか。大きなスーツケース持って、そんな重労働させられるかっての。だいたい、前日に俺の所へ泊まれって言うのを拒否し続けたのは美鈴だろ。互いの妥協案がこれなんだ。いつまでも拗ねてんじゃねぇ。襲うぞ?」

 車内で不満そうに呟く美鈴だが、信号で停車した隙を見て、脩一がわざとリップ音を立てながら彼女へ口付けた。
 彼へ顔を向けていた美鈴は不意をつかれた事もあり、瞬時に赤くなった顔のまま唇を片手で隠す。

「っ~~~、公共の場だもん!」
「くくくっ……、かぁわぃ。何度もキスしてるじゃん?」
「そ、そうだけどもっ」

 助手席側のドアに身体を寄せるようにして、美鈴はキャンキャンと抗議をしていた。
 だがそんな彼女に対して、脩一は柔らかく笑みを返すだけである。

 あの暴行事件の後から、脩一は周囲をはばかる事なく美鈴へ愛をささやいていた。隠そうが控えようが、結局のところ何も変わらないのだと思い知らされたからである。それならば、本能を抑える方がストレスになると判断されたのだ。
 周りの人間がどう思っているかなど、脩一にとって何の興味もない事だった。──悪意よりは好意の方が良い、ただそれだけだ。
 それでも今回、脩一へ向ける好意の裏返しが、悪意となって美鈴へ向けられる事実を突き付けられる。『頭のおかしいストーカー』だけではなく、『普通であると思っていた異性』達が・・だ。
 不特定多数の複数人に悪意を向けられた美鈴は、その異常に気付かない柳のような女性だっただけである。
 しかしながら、いくら柔軟性があってもダメージは蓄積されるのだ。竹だって柳だって、過度な力には折れてしまうのである。

 そして今回、脩一が知る事が出来た暴力事案の結末。
 加害者側へ損害賠償や刑事告訴、懲戒処分は今回はなし。次に同じ様な事がないようにと、厳重注意となった。対する目撃者も同じで、見て見ぬふりは加害者側へ加担する事と同意であると注意を受ける。
 加害者側には更に追加で、一週間のカウンセリングと教育研修がおこなわれた。──ちなみに対象者は十四名。
 そうして全社員には今後、年一回のハラスメント講習が課せられる。実際に今回名指しにはならなかった者達へ、今後は知らないでは済ませないという会社としての立場を知らしめた形だ。
 結果的に脩一としては気に入らないが、全ての加害者を把握出来ない為にやむを得ない処置だった。

「そう言えば最近、美鈴から葉っぱが飛んでこないけど?」
「ほぇ?…………や、そんな頻繁に私も葉っぱ飛んでこないからねっ?」
「そ?でも俺、二日前に有弘なおひろから休憩室の事を聞いたけど」
「ん~……?え、あれってそういう嫌な意味?」

 脩一は美鈴に、他者から不快と思われる事がなされたら知らせるように何度も言っている。けれども恐らく、全ての事案を把握する事は不可能だ。何せ、美鈴がそう・・と認識出来ていない。
 脩一が聞いた内容によると充分嫌味であったのだが、今回に限らず美鈴にしてみれば本当に些事さじな場合が多いのだ。

 ──俺の方が、他者の言葉を曲解して受け取り過ぎるのかとも思えてくるよな。
「いや、美鈴が不快に思わなかったんなら良いよ。日本人は特に、回りくどい言葉を使うからさ。でもちゃんと嫌だと思う事があったら、俺に知らせてくれよな?」
「え~、もう大丈夫だよぉ。脩一さんってば、心配し過ぎだし」
「俺の知らないところで美鈴が何かされるかと思うとハゲそう」
「いやいや、ちょっと待って?!」
「俺がハゲたら困るなら、俺のため・・・・だと思ってさ?」
「う、うん、分かった。……何だか、おかしな脅しを受けたような気もするけど……まぁ、脩一さんの頭髪が寂しくなったら困る……よね?うん」

 脩一のマンションに向かいながらも、美鈴へ言い聞かせる。
 このやり取りで最終的に小首をかしげている美鈴ではあるが、脩一が美鈴の周囲に気を配っているのは事実だった。
 二度と美鈴を危険にさらしたくない。しかも原因が脩一自身であれば尚更と、彼の過保護度合いが増すのだった。
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