デブ猫大福とチビ熊勇気

めるポックル

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4月8日 本当の友達って

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 春眠暁を覚えず、なんてよく言うけれども、そんな春の極上の眠りにも打ち勝つ高揚感で僕は目を覚ます。
 部屋の時計は六時半を示していた。七時にセットしたアラームよりも先に目が覚めて、なんだか旅行の日の前日のような、もしくはそれ以上の感覚を覚える。久しぶりの、懐かしい感覚。当然今日は旅行の日でもなく、ただの平日で、学校がある日。いよいよ今日から新学期、授業が始まるのだった。

「今日の教科は一限目から体育で、これとアレと……。放課後には体験入部もあるから体操服だけは絶対忘れないようにっと。よし!」

 朝の準備を済ませ、家を出る足取りはかつてないほどに軽かった。
 昨日訪れた春の嵐で地面いっぱいピンク色に染め上げられた道を、雲の上を歩くような感覚で歩いてゆく。

「桜はほとんど散っちゃったけど……ふふっ、それでも春は気持ち良くていいなぁ」
 まだまだ色濃く残る春の香りを鼻で感じながら、ひとりごちる。

 ふと時計を確認してみると、まだまだホームルームの時間には程遠い時間を指していた。このペースで行けばだいぶに早く学校に着いてしまうけれど、それでもよかった。


 教室に着いた僕は小さな期待を胸に抱きながら、真っ先に小さな熊の子がいるか確かめてしまう。しかし、ホームルームの始まる三十分前の教室にはなんだか真面目そうな女子が一人と、携帯をチラチラ見ては落ち着かない様子の男子が一人いるだけだった。

「流石に早すぎたかな。席について本でも読んどこ……」

 期待していたのは僕だけだったのか、と落胆すると同時に、
「そりゃあ当然だ、特別何もない日に早く来る人なんてほとんどいないよね……」
なんて、自分に言い聞かせてみる。
 諦めた心持ちで席に着こうとしたところで、僕の耳はピンと立てて音をキャッチする。廊下をパタパタと音を立てて走ってくるその足音は──
 次の瞬間、ドアが勢いよく開けられ、僕の待ち人は姿を見せた。

「だいちゃん!! おはよー!!! だいちゃん朝早いね!」

 恐らく僕の姿を見かけて走ってきてくれたのだろう、小熊くんは肩で息をしながら可愛らしい笑顔でとびきり元気な『おはよう』をくれた。朝から天使だなぁ。

「おはよう。小熊くん! うん、二人とも早くきちゃったね」

 勝手に抱いた期待に裏切られ、それをさらに裏切られるというなんとも忙しい出来事に若干動揺したけれども、なんとか平静を装い、僕は挨拶を返した。

(あ……そうだ、ニックネーム。やっぱり『だいちゃん』呼びで確定しちゃうんだ……。確かに、だいちゃんと呼ばれるのは新鮮で、何だか可愛くて結構気に入ってしまったけれども)
 それにしても、ニックネームで呼ばれるってどうしてこうも胸がきゅんとするっていうか、ときめいてしまうんだろう。

 席に着くなり、早速小熊くんは柔道部に決めてくれたか問い詰めてくる。確か、昨日の帰り道に明日の体験入部まで待ってくれと言ったはずなんだけどな……。あれ、言ったっけ……? まぁどっちでもいいけれど、それだけ僕と一緒に入部したい気持ち故の言葉だと思えば悪い気はしない。むしろ、その気持ちは愛おしくて、そして何よりも嬉しくて。


 朝のホームルームが終わり、いよいよ最初の授業が始まろうとしていた。一限目は体育。男子は更衣室で着替えてからグラウンドへ集合するようにとの連絡があった。

(ん……? 更衣室……? 着替え……!? そっか、完全に忘れてた。そりゃそうだ、体育なんだから体操服に着替えないことには始まらないよね。小熊くんの生着替えと体操服姿、絶対見よう……!)

 ちょっぴり邪な気持ちを抱きつつ、小熊くんと更衣室に向かう。手足が少し冷えだし、心拍数もちょっとヘンになるこの感じ……今更になって緊張してきたのが分かる。


 ところで、着替えというものは実は個性の塊だと思う。人にはそれぞれ着替える順番があるからだ。服もズボンも両方脱いでから着替えるタイプ1、服から先に着替えるタイプ2、ズボンから着替えるタイプ3……。ちなみに僕はタイプ2だ。なぜなら、伸縮性のあって丈の長い体操服でパンツをできるだけ隠しながら着替えられるから。僕調べによると、体育会系ややんちゃな子はタイプ1で、僕みたいな恥ずかしがり屋はタイプ2、タイプ3は不明……恐らく個人の好み。そんなの、もはやどうでもいいけども。

 着替えについての持論はさておき、隣へと目を向ける。小熊くんは……タイプ1……!全部脱いでる。
 体型なんて服の上からでもある程度推測はつくけれども、やっぱり「生」を見てみないと分からない部分も多い。ぷにぷにのまんまる体型だと思っていた体は、思っていたよりも筋肉が付いていて、男の子の逞しさを感じさせる。それでいて胸部や腹部はたっぷりの脂肪を蓄えており、触り心地の良い、柔らかさそうなボディであることに変わりはなかった。

 目を少し下に落として驚愕する。白ブリーフじゃない……。僕の予想に反して、小熊くんは普通の青色ボクサーブリーフを履いていた。してやられたな……。しかし、ここで気を取られて最も大切な部分のチェックを逃してはならない。それは言うまでもなく、男の子の大切な部分。
 バレないようにチラッと視線を動かすと、膨らみ具合が目につく。背の低い体型の割にタマは平均よりも少し大きいようで、そのふっくら具合がなんとも可愛らしい。チンチンの方はと言うと、パンツの上から大きさや形状を読み取るのは不可能なほどに主張が弱い。満点合格。

 改めて小熊くんの全身を観察してみると、周囲との身長差が顕著だということに気がついた。この年頃の男子は大方成長期を終えているか、終盤に差し掛かっているかで、平均身長は170センチ前後にもなるはず……なんだけれども、この小さい熊の子は160センチもあるか怪しかった。
(チビっこくてかっわいいなぁ……あぁ後ろからぎゅっと抱きしめたい……)

 小熊くんの生着替えを見ながら、悶々と考え事をしていると、下腹部あたりが少し熱くなるのを感じて──ムクムクと隆起させてしまった。
(あ……やばい、やばいかも…!! こんなとこでヘンタイになっちゃうのだけはゴメンだ。高校生活もあと丸々三年も残っているんだぞ、頑張れ大福! そうだ、こんな時は……)

 幸いにも、僕のものはそんなに大きくもないし、こういったエマージェンシーにも対応できる秘策があった。それは……美味しい食べ物のことを考えること。思い出せ、昨日食べた入学祝いのケーキに、夕飯食べた海老フライ。

 なんとか鎮まってくれた僕のリトル大福くん。難を逃れ、無事に着替えることができた。これからは気をつけよう……。
「バレてない……よね?」
 小熊くんの方を見ると、早々と着替えを終えたらしく、更衣室のドアの前で早くいこーよ、とぴょんぴょん跳ねながら片手を上げて手招きしている。兎にも角にも、この様子なら大丈夫そうだ。


 集合場所のグラウンドへ向かうべく、急ぎ足で廊下を歩いていると、突然背後から声がかけられ、尻尾がビクッと反応してしまう。願ってもない再会を果たしてしまったかも知れない。聞き覚えのあるこの声は……。

「おまえ……! だいふくだろ! まさかお前もこの高校だったとはな」

 ハイエナ獣人の灰枝君。
 中学の同級生で、僕をいじめせいていた張本人。イジメと言うほどのイジメでも無かったけれど、僕はコイツによく泣かされていた。きっと言い返す勇気がなかったから、遊ばれていたんだろうな。デブだデブだと言われたり、カバンを隠されたり、掃除を押し付けられたり。些細なことだけど、思い出したくもない。

 そういえば灰枝君、僕が中学に入学したての頃はここまで酷くなかったというか……。どこか冷めててコワイ印象の彼だったけど、悪い感じはしなかったんだ。むしろ最初の頃は仲良く話してたりもしたような。勉強を教えてもらったこともあったっけ。
 でも、いつからだろう。どうして僕をいじめるようになったんだろう。


「へぇ。なんだお前、もう友達いんのかよ? しかしまぁ揃いも揃ってデブだこと。どんくせぇオマエにはお似合いだけどさ。せいぜい高校では虐められ──」
「うるさいッ!! 黙れ黙れっ!!!」

 僕は反射的に大声をあげていた。自分でもこんなに感情を露わにする行為を珍しく思う。
 かつての意気地なしの僕ならこんなことしなかっただろう。でも、もう今は違った。僕だけじゃない。小熊くんも侮辱したことに、何故だか強い憤りを感じたんだ。

「……ダイフクさんよぉ、そんな口聞いて大丈夫か?」
 灰枝君も僕の大声は予想外だったらしく、癪に触ったような顔つきで言う。

「うるさいうるさい! 僕はともかく、小熊くんは関係ないだろ!! 撤回しろ!」

「だいちゃん……」
 小熊くんは、両手をぎゅっと握り締め、二人のやりとりをじっと見ているしかない様子だった。

「ん……オマエ、ちったぁ変わったみたいだな……。んなら──殴られても大丈夫だよな!?」

 その瞬間、灰枝君が僕を目掛けて走り出し、勢いよく突き飛ばしてきた。
「いってて……」
 ドスンと尻餅をついて倒れ込んでしまった僕は、そのまま馬乗りにされる。
「あぅっ。やめろ!!このっ」力一杯暴れてみる。足をドタバタさせ、手を振り回し、精一杯足掻く。
「ってーなァ、生意気なんだよオマエ! そうかよ、そんなにヤられてーか…!!」
 灰枝君は僕が暴れられないように全体重を預けて負荷をかけてくる。そして右手の拳を振り上げ、左の頬目掛けて──
(……!! このままじゃ、ほんとに殴られる……!?)

 拳が振り下ろされる直前、小熊くんがその腕を掴んで、既の所で僕は助かった。灰枝君の腕を掴んだ小熊くんは、被毛を逆立てソイツに向かって吠える。

「この卑怯者!! だいちゃんとの間に何があったかは知らないけど、それ以上は許さないからな!」
「フン……なかなか素晴らしいお友達じゃねぇか。ならコイツの代わりにオメェとやるか? 弱っちいデブネコ殴ったところで面白くもないもんなァ?」
「待ってよ、それって僕の代わりに小熊くんが戦うってこと? だめだよ、そんなの!」
「あぁいいぜ、やってやるっ! だいちゃん、ちょっと見てて!!」
「ちょ、ちょっと!? そんな、悪いよ小熊くん!」
「これでも柔道経験者だからさ、しかもちょうど柔道を見せてあげれる良い機会だよ!」

 喧嘩を押し付けてしまう申し訳なさを覚えつつも、冷静に考えて僕が勝てるわけがないので、ここは大人しく退くことにした。ここで怪我とかしたらもっと心配かけちゃうよね、なんてもっともらしい言い訳をつけて自分を納得させながら。

 何故か自信満々の小熊くんはパッチリとウィンクをしながら、こちらに向かってびっしりと親指立てている。緊張感ないなぁ、大丈夫かな。

「ほらほら、とっとと来なよ、かわいいチビクマくんよ?」
 見た目からして完全に小熊くんのことを舐めている様子で、煽り口調で挑発をかける。
「いいの?? じゃ、いくよ……!」

 物腰柔らかい言葉とは裏腹に、その目は真剣そのもので、相手を威嚇するかの如く睥睨し、いつもよりも八重歯を強く覗かせる。普段の愛らしい顔からは想像もつかない顔つきで、その全貌はまるで大きい雄熊のようにも見えた。

 熊の子の、廊下を蹴り出すキュッと鳴る音によって戦いの火蓋は切り落とされた。相手も咄嗟に動き出すが、両者の俊敏さは天と地の差だった。
 意外も意外、小熊くんは体格からは想像もつかない素早さで間合いを詰め、相手の胸あたりの服を掴んだ。
「ッ! コイツ……!?」
 刹那、胸元に潜り込んでは足を絡めとり、ベルトを掴んだかと思えば、次の瞬間にはズドーン!と大きな音が響き、既に勝負はついていた。
 あまりの速さに何が起こったのか頭が追いつかなかった。

(あの一瞬で、身長差のある相手を易々と投げた…?)

「なぁんだ。口ほどに大したことないじゃん!」
 両手を腰に当て「えっへん」状態の小熊くんは、ぐでっと伸びたソイツを見下ろして言い放った。そして僕に向き直り、
「どぅお見てた? すごいでしょ!? これがおれの『柔道』なんだよ!」
 勝ち誇った様子の小熊くんは、屈託のない笑顔で柔道の誘い文句へと繋げてみせた。

「……すごい、すごいよ小熊くん!! カッコいい……!!」

 心の底からの、素直な称賛。
 正直に言うと、僕も小熊くんのことを舐めていたのかも知れない。いくら柔道経験者でも、こんな小さくて可愛らしい子が本当に勝てるのか、体格差で押し飛ばされたりしないか、と。しかし目の前の子は宣言通り、確かにやってのけた。
 ギャップゆえか、その勇気ある行動は僕にはあまりにも眩しくて、かっこよくて、そしてなんだかとても羨ましく思えて。

 それと同時に、何もできない無力な自分が惨めに思えて仕方なくなってくる。自己嫌悪に加えて、小熊くんを僕個人の事情による喧嘩へ巻き込んでしまったことへの罪悪感までもが襲ってくる。

(でもまずは伝えなきゃ。ごめんね、ありがとうって……)

「……ごめんね小熊くん。僕がアイツを怒らせるようなこと言ったばかりに巻き込んでしまって……」
「何言ってんの!! ごめんだなんて、そんなの全然いいよ! ケガもなかったんだしさ!」
「でもでも! 僕が弱いばかりに小熊くんが代わりに戦うハメになって……。僕なんかのためにホントごめんね……」
「だいちゃん!! 謝るのはナシだって! それにね、お礼を言いたいのはこっち」
「……え?」

 分かんない、分かんないよ。
 僕のせいなのに、感謝を伝えなきゃなのは僕の方なのに。そもそもどうして僕なんかのために──

「あいつがおれのこと悪く言った時、だいちゃん自分のことよりも怒ってくれた。おれはそれが何よりも嬉しかった。……だから、ありがとね!」
「そ、それはそうかも……だけどっ! お礼を言わなきゃなのは僕のほう──」
「あははっ、だいちゃんってばマジメな子だね。だいちゃんがおれのこと守ろうと思ってくれたのと同じ! だからおあいこなのっ!」

 おあいこ──
 その言葉を聞いた瞬間、ハッとさせられた。確かに、僕はアイツが小熊くんを侮辱したことに大声をあげた。反射的に激昂したのはそう。だけれども、その事実だけしか見えていなかった。なぜ他人の侮辱に対してこうもエネルギーを消費できたのか、そこまで思考が及んでいなかった。
 でも、今なら分かる気がする。それは、僕が小熊くんのことを慈しみ、傷つけられるを是としていなかったからに他ならない。そんな小熊くんは、僕を傷つけようとしたアイツに怒り、僕を守ろうとしてくれていたんだ。


 互いが互いを想いあう、この関係性って……。あぁそうか、これこそが本当の『ともだち』、そう気づいた。

 僕らが出逢って二日目、共に過ごした時間なんてせいぜい多くとも三時間程度。なのに、こんなにもこの子のことを想う理由って一体なんだろう。

 どうして僕は小熊くんのことを──
 小熊くんもどうして僕なんかのことを──

 ものすごく単純な理由のはずなのに、今はまだそんなことにも気づけない。

 今はそれよりも、僕がだいちゃんを友達として思うように、少なくともだいちゃんも僕のことを友達として思ってくれているという、その事実が嬉しくてたまらない。


 僕の中に渦巻く種々の感情が、涙という形になって外へ溢れ出てくる。

「だいちゃん泣いてるよ!? 大丈夫!?」
「えへへ……なんだか嬉しくて泣いちゃった。小熊くん、ホントにありがとうね」

 小熊くんはお礼なんていいって言っていたけれど、それでも伝えなければ僕の気が済まない。笑った顔で涙を流しながら、感謝を述べる僕の姿ったら、おかしい以外のなにものでもないんだろうな。

「ううん、そんなの全然いいんだよ。おあいこさま、ね! 友達なんだから気にしないで!」

 どうしてそこまで優しいのだろう。優しいソプラノボイスで僕を宥めてくれるキミに、僕はそのままぎゅっと抱きつく形で、ひっぐひっぐと嗚咽を漏らしてしまう。

「だ……だいちゃん……? 本当に大丈夫? そんなに怖かったの?」
「んっ、それもあるけど……っ、小熊くんとこうして友達になれたことが嬉しくって」
「……ずるいよだいちゃん。そんなの、おれだって嬉しいに決まってんじゃん」

 小熊くんは僕を抱きしめかえした。その抱擁は強くて、でも優しくって、これ以上の言葉は要ぜずともキミの気持ちが伝わってくるような、ぎゅっ。

 小熊くんの体温が、匂いが、鼓動が、全身で感じられる。
 体はあったかく、匂いは甘いようでどこか少し酸っぱくて、心臓のリズムは落ち着いていて──キミのことを最も近くで感じられるこの時間が、永遠に続けばいいと思えてしまう。


 思いっきりカッコ悪いとこ見せちゃったし、心のうちも洩らしてしまったけど、気分は清々しくて、むしろ心地いいぐらい。
 いつもの僕なら感情を露呈させることを嫌っているだろうけど、今日はもういいや。とことん素直になってやる。


 溜まっていた感情を吐き尽くして、漸く少し冷静になれた僕は、すぐさま時計を探す。
「やばっ……体育、間に合うかな?」
「あと三分!? だいちゃん急ご!!!」
「あ……待って。僕いま酷い顔してるかも……顔洗ってくるから先行ってて!」

 泣きじゃくった後の顔というのは目が充血していて、涙袋が腫れていて、とても人に見せられるものではない。こんな顔で体育に出たら先生に何か言われて注目の的となってしまうのは目に見えている。
 僕は急いでトイレで顔を洗ってから授業に出ることにした。

 予想通り、鏡はヒドイ顔をしたシロクロ柄の猫獣人を映していた。
「ふふふっ、変な顔だ。でも、もうこれからはこんな顔見せるわけにはいかないな」
 蛇口を捻り、冷水で顔を洗う。
 冷んやりした水は、皮毛についた涙の跡をきれいに洗い流してくれて心地が良い。不思議と心もサッパリ清められたような心境になる。


「よし、僕も強くならなきゃ。もう逃げない! やってやる!!」

 誰もいない廊下でケツイを言葉にする。僕の心はもう決まっていた。
 正確に言えば昨日の段階でかなり傾いていたのは否めないのだけど、やっと今、100%の決意をすることができた。


 きっかけなんて些細なことでいいんだ。
 やりたいと思ったからやってみる。
 憧れる姿があるから追いかける。
 もっと友達の側にいたい。ただ、それだけ。
 大事なのはそれを思う強さだって、知ってるから。


 自分から進んで何かを始めるのってなかなか度胸がいるんだけど、僕にもそんな決断できる力が身についてきていることを実感できて胸が躍ってくる。

「んふ、僕が言ったら小熊くんどんな顔するだろ? また尻尾振ってくれるのかな?」

 お昼休みにでも伝えよう──楽しみを胸に秘めながら、新品の運動靴へと履き替えてグラウンドへと駆け出した。


 僕の心に芽生えたばかりの勇気は、昨日よりも着実に成長していってるみたいだ。






 *    *    *    *







 一瞬でぶちのめされちまった。

 確かに俺はあのチビ熊に投げられ、清々しいほどの負けを見せた。アイツらは、少なくとも大福のやつは、俺が意識を失ったと思っているらしく、何だかいいフンイキになって喋ってやがる。だが、俺はまったくそんなことはなくて、“フリ”をしてやっていた。
 もう一度立ち上がって奇襲をかけてやろうと思えばやれるが、もういい。そんな気力は今の俺にはなかった。

(チビ熊のやろう、手加減しやがったな。あれほどの技量があれば、もっとぶちのめすこともできたろうに……)


 俺は意識を失ったフリを続け、聞き耳を立てる。

(ケッ、なんだ友達ごっこかよ? シアワセな奴らだな。友達なんて……くだらねぇ)

 あいも変わらず捻くれた俺だが、心の奥底で羨ましさを感じていたのを知っていた。でも、そう思いたくなかった。だから己の気持ちにウソをついてでも、否定したかった。


 大福の嗚咽が聞こえてくる。
 あぁ、久しぶり聞くアイツの泣き声はやっぱり変わっちゃいなかった。でも、あの頃と違うのは、圧倒的に違うのは──涙の質。大福が今流している涙は、俺が流させた涙とは違う、尊い涙。


 大福を泣かすたび、あの声を聞くたび、俺は自分自身が黒く染まっていくような感覚に襲われていた。
 いくら俺だって、人の悲しみを餌として生きているわけじゃない。泣き声が聞きたくて虐めていたわけじゃない。
 もう、引くに引けないところまで来ていてしまった。虐めることしか自分に道がないと思い込んでいた。


 振り向いて欲しかった。
 もっとアイツに頼られたかった。
 本当はあんな風に友達になりたかった。



 ちょうど三年前の春、入学したての頃の思い出が蘇ってくる。
 大福とは同じクラスだった。確か最初は俺から話しかけたんだっけな。愛嬌のあった大福は、コミュニケーションが不得意とは言えど、なんだかんだ周りに人が寄ってきていたし、馴染みの奴らもいた。
 俺は愛らしいコイツと仲良くなりたかったが、独り占めは上手いこといかなかった。

 六月にもなると、大福と俺はお互いに接する時間がだいぶと短くなってしまっていた。
大福は俺以外の奴らといる時、楽しそうに笑ったりしていた。俺に見せないような顔を、奴らには見せたんだ。そんな顔を見るたびに、俺は苦しくて仕方がなかった。
 得意だった勉強も、もはや俺には教える権利はなかったようだった。

 アイツが俺から離れて、自立していくのに耐えられなかったんだ。取り戻す方法を知らなくて、自分に正直になれなくて……俺は遂に歪んでしまった。
 そしてとうとう取り返しのつかない、大変な間違いを犯してしまった。

(ハハハッ、どうしようもないバカ野郎だな……俺は)

 乾いた笑いが出てくる。別に今になって後悔しているわけじゃない。もしもできることなら、アイツとの関係をもう一度やり直したいと、ずっと思っていた。


 だけど、それももういい。 

 あんなにいい友達ができて、幸せそうな顔して泣いて、弱い自分を変えて強くなって。

 眩しく成長した大福を見て俺は────嬉しい……?
 『嬉しい』なんて、そんなまさか……また否定しそうになったけど、やっと分かった。きっとこれは本心に違いない。

 俺の中で凝り固まっていた卑しい感情が、春の山の雪解けのように、少しずつ溶けだしていくのを感じる。


(フッ、せいぜい高校では俺みたいなヤツに捕まんねぇようにな……。んで、アイツとは上手くやれよ。アイツはきっとオマエのいい友達になるだろうからさ)

 ──幸せになれよ

 俺なんかとは逆方向へ走っていく大福を送り出して、自己の抱える矛盾と決別できた。


 長くて暗い冬の時代を通り越して、やっとこさ春の芽が顔を見せ始めたような気がする。この芽を絶やさないように、俺は変わり続けていかなければならない。


「大福なんかにばっかり負けてられるかってんだ……!」


 春はまだまだ始まったばかりだ。

どんなことが起こるかはまだ分かんねぇけど、少なくとも今よりかは良くなるってことだけは間違いないと思った。
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