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第二章
ミレーネの覚悟
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少しだけ時は遡る。
レオナルド達が一時間目の勉強をしている頃のこと、ミレーネは私服姿となり、誰にも別れを告げることなく、クルームハイト公爵家の屋敷を出た。そこで一度立ち止まると振り返り、遠い目で屋敷を見つめる。その表情には幾ばくかの寂しさが滲み出ていた。
昨日、フォルステッドから最後に言われた言葉が蘇る。
「ならば私から言えることは一つだ。私は君のご両親に君を守ると誓った。もちろん君との約束も忘れてはいない。だからもしも君が今抱いている想いを抑えてくれるのならこれからもここで働いてもらいたいと思っている。今回の件も私が処理する。だが、そうでないならば、その力を使い自身の衝動に従うというのなら……、公爵家とは無関係の者として、ここを辞めてもらわなければならない」
そこまで言ってもらえて嬉しくなかったと言えば嘘になる。
賊を追跡するレオナルドを追うためとはいえ、あんな非道な―――少なくともミレーネ自身はそう思っている―――暗殺対象をどこまでも逃がさないための闇魔法『ハイディングエイム』を使ったのは自らの意思だ。
身体強化魔法『エンハンスフィジカル』や探知魔法『エリアサーチ』といった使用者の魔力属性に関係なく多くの者が使える魔法は、一方で使用者による効果の差が大きいものだ。ただ、その理由については属性の影響を受けているからだとか、使用者の魔力量の差によるものだとか、育ってきた環境によるものなんていう説まであるほど、現在でもまだまだ解明されていない。だから考えついた言い訳で誤魔化せると思っていた。
けれどフォルステッドは誤魔化せなかった。そもそも、あのときのレオナルドはミレーネが闇魔法を使えると知った上で、騎士を連れてきてほしいと願った。直接闇魔法を使ってくれと言われた訳じゃないし、確認こそしていないが、知っていたのは間違いないだろう。すでにレオナルドに気づかれていたのだから、フォルステッドに気づかれないだろうなんていう考えは甘かったのだ。
それなのに、フォルステッドは厄介者でしかないだろう自分に、これからも居ていいのだと言ってくれた。
クルームハイト公爵家に引き取られてからの日々は本当に穏やかだった。優しい人達ばかりの中、親の仇を目にすることもなく過ごすことができたのだから。特にここ一年くらいはレオナルドを時々揶揄って、主にレオナルドやセレナリーゼのお世話をする日常が楽しかった。楽しめている自分に驚いたが、そんな自分も嫌ではなかった。
これからもそんな日々が続いて、いつの日かフォルステッドがクルエール公爵家とブルタル伯爵家の罪を暴き、ジェネロ男爵家の汚名を返上し、再興してくれる未来もあったかもしれない。
でもそんな未来はもう来ない。他でもない、自分自身でその道は閉ざしてしまった。
あの日、グラオムとネファスに絡まれたときからこうなる運命だったのだ。
自分には彼らの家への恨みを忘れることなど決してできないのだと痛感したから。
もしも彼らがもう少し心根の良い人間だったなら、なんて詮無いことが頭を過るが、自分の抱える恨みがそんなことで薄らぐとは思えない。結局は出会ってしまった時点で殺意を抑えることなんてできなかっただろう。
だからやっぱり今このタイミングで自身の闇魔法のことを問い質されたのはいい機会だったのだ。フォルステッドも言っていたが、これで心置きなく自分の衝動に従える。
もうここに戻って来ることはない、そう考えると胸の辺りに息苦しくなるような痛みを感じるがこれは自分で決めたことだ。
ミレーネは、未練を断ち切るように前を向くと一歩一歩しっかりとした足取りで歩み始めた。向かうのはもちろんネファスに渡された紙に記載のあった場所だ。グラオムとネファス、この二人を殺すために―――。
その場所にあったのは、二階建ての酒場だった。
指示された正午にはまだ早いがそんなことはお構いなしに、ミレーネは扉を開けて中へと入る。
もしまだ来ていなかったら待ち構えてやればいい。
まだ昼間だからだろう、一階に客は一人もいなかった。
ただカウンターの中に店主と思しき男が一人立っていた。筋骨隆々で禿頭の男は、店主というよりも、いかにも荒事に慣れた裏稼業の人間に見える。
「あんたミレーネか?」
そんな風貌の男が虚ろな目で入ってきたミレーネを見やり、確認してきた。
「はい」
ミレーネの声が硬くなる。どうやら彼にも話は通っているようだ。
「ネファス様達は二階でお待ちだ」
ミレーネの返事を聞いた男は親指で階段を指差し、それだけを言った。
当然かもしれないが、この男もネファス側の人間なのだろう。そして、ネファス一人ではなく複数人いることもわかった。昨日の感じからすると、グラオムも一緒にいる可能性が高い。
一対多数での戦い、しかもそれなりの魔力を持っていることが確定している貴族を同時に相手するのは正直厳しいが、今さらそんなことを気にしても仕方がない。むしろ彼ら二人とここで決着をつけられるのなら望むところだ。
ミレーネは一つ深く息を吐くと、決意を新たに、警戒しながら慎重に階段を上っていく。
ミレーネが階段の踊り場を越えた瞬間、彼女は奇妙な違和感を覚えた。それと同時にそれまで感じなかったむせ返るような嫌な臭いが鼻をつき、思わず眉を寄せる。
一層警戒心を増しながら階段を上りきったミレーネは、
「っ!?」
広がる光景に目を見開き固まってしまった。
そこは広々とした部屋で、大きなベッドが二つに、ソファとテーブルがある。それだけでなく、拷問器具のようなものがあり、一目で卑猥な道具とわかるものもあちらこちらに転がっていた。
さらには床に裸の女性が二人倒れており、気を失っているのかピクリとも動かない。彼女達がここで何をされていたのか、想像するのも悍ましい。ミレーネの中で怒りが沸々と湧き、心が冷たくなっていく。
そんな部屋で、ガウン姿のグラオムとネファスがゆったりとしたソファに座り、優雅にワインを飲んでいた。
二人は、ミレーネの姿を目にとめると、ニヤリと下卑た笑みを浮かべる。そして、
「ミレーネか。約束の時間よりも随分早いじゃないか。こちらの準備のことも考えてほしいなぁ」
固まっているミレーネを面白がるように見つめながらネファスが言った。
「…………」
ミレーネは言葉を返さない。いや、もしかしたら返せないのか。
「まあいい。それらはすぐに片づけさせよう」
ミレーネが無反応なことも楽しんでいるのか、ネファスがニヤニヤしながらそう言うと、どういう理屈なのか、すぐに下から店主の男が上がってきて、ネファスの指示に従い、倒れている女性二人を抱えて下りていった。
ミレーネは顔を顰めつつも、その様子を見ていることしかできなかった。今の自分に彼女達を助ける余裕はないから。
「さあ、いつまでもそんなところに立ってないで入ってくるんだ」
ネファスは少し興奮気味なのか、嗜虐的な笑みでミレーネに命令した。
レオナルド達が一時間目の勉強をしている頃のこと、ミレーネは私服姿となり、誰にも別れを告げることなく、クルームハイト公爵家の屋敷を出た。そこで一度立ち止まると振り返り、遠い目で屋敷を見つめる。その表情には幾ばくかの寂しさが滲み出ていた。
昨日、フォルステッドから最後に言われた言葉が蘇る。
「ならば私から言えることは一つだ。私は君のご両親に君を守ると誓った。もちろん君との約束も忘れてはいない。だからもしも君が今抱いている想いを抑えてくれるのならこれからもここで働いてもらいたいと思っている。今回の件も私が処理する。だが、そうでないならば、その力を使い自身の衝動に従うというのなら……、公爵家とは無関係の者として、ここを辞めてもらわなければならない」
そこまで言ってもらえて嬉しくなかったと言えば嘘になる。
賊を追跡するレオナルドを追うためとはいえ、あんな非道な―――少なくともミレーネ自身はそう思っている―――暗殺対象をどこまでも逃がさないための闇魔法『ハイディングエイム』を使ったのは自らの意思だ。
身体強化魔法『エンハンスフィジカル』や探知魔法『エリアサーチ』といった使用者の魔力属性に関係なく多くの者が使える魔法は、一方で使用者による効果の差が大きいものだ。ただ、その理由については属性の影響を受けているからだとか、使用者の魔力量の差によるものだとか、育ってきた環境によるものなんていう説まであるほど、現在でもまだまだ解明されていない。だから考えついた言い訳で誤魔化せると思っていた。
けれどフォルステッドは誤魔化せなかった。そもそも、あのときのレオナルドはミレーネが闇魔法を使えると知った上で、騎士を連れてきてほしいと願った。直接闇魔法を使ってくれと言われた訳じゃないし、確認こそしていないが、知っていたのは間違いないだろう。すでにレオナルドに気づかれていたのだから、フォルステッドに気づかれないだろうなんていう考えは甘かったのだ。
それなのに、フォルステッドは厄介者でしかないだろう自分に、これからも居ていいのだと言ってくれた。
クルームハイト公爵家に引き取られてからの日々は本当に穏やかだった。優しい人達ばかりの中、親の仇を目にすることもなく過ごすことができたのだから。特にここ一年くらいはレオナルドを時々揶揄って、主にレオナルドやセレナリーゼのお世話をする日常が楽しかった。楽しめている自分に驚いたが、そんな自分も嫌ではなかった。
これからもそんな日々が続いて、いつの日かフォルステッドがクルエール公爵家とブルタル伯爵家の罪を暴き、ジェネロ男爵家の汚名を返上し、再興してくれる未来もあったかもしれない。
でもそんな未来はもう来ない。他でもない、自分自身でその道は閉ざしてしまった。
あの日、グラオムとネファスに絡まれたときからこうなる運命だったのだ。
自分には彼らの家への恨みを忘れることなど決してできないのだと痛感したから。
もしも彼らがもう少し心根の良い人間だったなら、なんて詮無いことが頭を過るが、自分の抱える恨みがそんなことで薄らぐとは思えない。結局は出会ってしまった時点で殺意を抑えることなんてできなかっただろう。
だからやっぱり今このタイミングで自身の闇魔法のことを問い質されたのはいい機会だったのだ。フォルステッドも言っていたが、これで心置きなく自分の衝動に従える。
もうここに戻って来ることはない、そう考えると胸の辺りに息苦しくなるような痛みを感じるがこれは自分で決めたことだ。
ミレーネは、未練を断ち切るように前を向くと一歩一歩しっかりとした足取りで歩み始めた。向かうのはもちろんネファスに渡された紙に記載のあった場所だ。グラオムとネファス、この二人を殺すために―――。
その場所にあったのは、二階建ての酒場だった。
指示された正午にはまだ早いがそんなことはお構いなしに、ミレーネは扉を開けて中へと入る。
もしまだ来ていなかったら待ち構えてやればいい。
まだ昼間だからだろう、一階に客は一人もいなかった。
ただカウンターの中に店主と思しき男が一人立っていた。筋骨隆々で禿頭の男は、店主というよりも、いかにも荒事に慣れた裏稼業の人間に見える。
「あんたミレーネか?」
そんな風貌の男が虚ろな目で入ってきたミレーネを見やり、確認してきた。
「はい」
ミレーネの声が硬くなる。どうやら彼にも話は通っているようだ。
「ネファス様達は二階でお待ちだ」
ミレーネの返事を聞いた男は親指で階段を指差し、それだけを言った。
当然かもしれないが、この男もネファス側の人間なのだろう。そして、ネファス一人ではなく複数人いることもわかった。昨日の感じからすると、グラオムも一緒にいる可能性が高い。
一対多数での戦い、しかもそれなりの魔力を持っていることが確定している貴族を同時に相手するのは正直厳しいが、今さらそんなことを気にしても仕方がない。むしろ彼ら二人とここで決着をつけられるのなら望むところだ。
ミレーネは一つ深く息を吐くと、決意を新たに、警戒しながら慎重に階段を上っていく。
ミレーネが階段の踊り場を越えた瞬間、彼女は奇妙な違和感を覚えた。それと同時にそれまで感じなかったむせ返るような嫌な臭いが鼻をつき、思わず眉を寄せる。
一層警戒心を増しながら階段を上りきったミレーネは、
「っ!?」
広がる光景に目を見開き固まってしまった。
そこは広々とした部屋で、大きなベッドが二つに、ソファとテーブルがある。それだけでなく、拷問器具のようなものがあり、一目で卑猥な道具とわかるものもあちらこちらに転がっていた。
さらには床に裸の女性が二人倒れており、気を失っているのかピクリとも動かない。彼女達がここで何をされていたのか、想像するのも悍ましい。ミレーネの中で怒りが沸々と湧き、心が冷たくなっていく。
そんな部屋で、ガウン姿のグラオムとネファスがゆったりとしたソファに座り、優雅にワインを飲んでいた。
二人は、ミレーネの姿を目にとめると、ニヤリと下卑た笑みを浮かべる。そして、
「ミレーネか。約束の時間よりも随分早いじゃないか。こちらの準備のことも考えてほしいなぁ」
固まっているミレーネを面白がるように見つめながらネファスが言った。
「…………」
ミレーネは言葉を返さない。いや、もしかしたら返せないのか。
「まあいい。それらはすぐに片づけさせよう」
ミレーネが無反応なことも楽しんでいるのか、ネファスがニヤニヤしながらそう言うと、どういう理屈なのか、すぐに下から店主の男が上がってきて、ネファスの指示に従い、倒れている女性二人を抱えて下りていった。
ミレーネは顔を顰めつつも、その様子を見ていることしかできなかった。今の自分に彼女達を助ける余裕はないから。
「さあ、いつまでもそんなところに立ってないで入ってくるんだ」
ネファスは少し興奮気味なのか、嗜虐的な笑みでミレーネに命令した。
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