胡蝶の舞姫

友秋

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激震

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 明治以後に財を成した周防麟太郎は、老舗の財閥が戦後GHQに屋敷を接収される中、自らの邸宅を狡猾なやり方で守り抜いた。

 渋谷区松濤の周防家屋敷は、門扉が開くと豪勢な庭園を持つ二百坪余りの土地がお目見えし、奥に構える純和風の平家の邸宅が来訪者を迎える。

 母屋玄関口で車を降りた恵三は出迎えの小間使いに帽子とコートを渡した。框を上がり、美しい庭園を眺められる廊下を歩きながら恵三は息を吐いた。

 日曜日というのに、周防家当主の麟太郎が親族を本家に集合させた。

 こんな時はロクでもないお達しが待っている。今日の内容の大体の予測は付いていた。

 屋敷奥の二十畳はあろうかという畳の間には、上座に白髪白髭、羽織り姿の老人が座っていた。齢八十の老爺、周防家当主の麟太郎は、一同に介する親戚を平伏させるほどの威光を放っていた。

 ここに集まる親戚連中は全て、媚を売る為に来ている。いかにして、他の者を蹴落とすかしか考えていない。

 麟太郎の隣には、牡丹の染め抜き艶やかな着物姿の茜が当主夫人として座っている。最も安泰の地位にいる女は、顎を少し上げ、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

 ここは血を分けた親戚同士の親交の集まりなどではない。魑魅魍魎の世界だ。家族単位でヒソヒソと話し合う声が不気味な細波となっていた。

 私生児であり独り身である恵三は冷え冷えとした心で下座に着いた。ここでの自らの地位など虫けら以下だ。

「揃ったな」

 麟太郎のシワがれたたった一言で空気が緊張する。皆、改めて背筋を伸ばした。

「今日集まって貰ったのは、跡目についての大事な話があるからじゃ」

 跡目? 恵三は、そういえばと上座に視線を走らせた。

 直也がいない。

 こんな集まりに顔を出さずとも許されるのは、麟太郎が最も愛し、溺愛する嫡出子、直也のみだ。

 また何か我が儘を言い出したか、と考えた時、不敵な笑みを浮かべる茜の視線とぶつかった。

 恵三はこの先に起こる事態を悟った。

 直也、まさか。

 上座の空席を睨みつけた。

「以前、ワシの跡を継ぐのは直也しかおらぬ、とハッキリ申した。それを皆に認めさせ、直也をこちらに連れ戻したのじゃ。最初は渋っておった直也もここ数年でやっと社長らしくなって来て、ワシもホッとしておったのじゃが」

 麟太郎の話しに恵三は笑い飛ばしてやりたい感情を押さえ込む。膝の上の拳を力一杯握り締めた。

 お人好しの直也がつけ込まれぬよう社外交渉にどれほど神経を使っていると思っている!

 感情を押し殺し聞いていると、話しは直也の跡目問題へと移って行った。

「直也に後継としての自覚が生まれて来たな、とワシは喜んどったのだが」

 麟太郎の語気が荒くなった。

「先日、直也が突然、一線から退きたい、後は継がないと申し出て来たのじゃ」

 親戚連中のワザとらしい「まああ」という吐息があちらこちらから聞こえた。

 やはりか、と恵三は覚悟を決めた。

 恐らく銃口は自分に向かう。

「恵三!」

 予感は的中した。麟太郎はゆっくりと膝を立て、側にあった杖を持ち、先を下座に座る恵三に向けた。

「お前じゃろう。お前が、直也に何かを吹き込んだんじゃろ!」

 恵三は表情も変えずに麟太郎を真っ直ぐに見つめた。

「生憎、私は直也と跡目の話などした事はございません。父上は何故そのように思われるのですか」

 周囲を凍らせるほどに冷たく冷静な恵三の声に麟太郎は余計に逆上する。

「直也は何も言ってはおらぬ! しかし、ワシには分かる。お前のその態度じゃ! その何処までも冷徹なお前の姿を見て優しい直也は一緒に働くのが嫌になったのじゃろう! 後を継ぐにはお前がずっとそばにおるからの」

 どの口が言っている。反吐が出そうだ。直也の側に自分を置いたのは他でもない父じゃないか。

 内心で吐き捨てる言葉、込み上げる怒りをグッと呑み込み、恵三はあくまで冷静に父と対峙する。

「では、父上は私にどのようにしろと申されたいのですか」

 場の空気が凍りつく。当主麟太郎には平謝り原則だ。責められて一切頭を下げないのは恵三くらいのものだ。

 妾の子のくせに。全て同じに見える親戚連中の顔に貼り付けられた感情は敵意だ。

 ここに味方などいない。



 怒れる当主の隣で澄まして座る茜は熱を帯びた目で恵三を見つめていた。

 自分に靡かなかった男。どんな時も芳香を切らさず、自分に痺れをもたらす男。

 わたくしに目もくれずあんな女に執心するあなたには相応の罰よ。

 茜の隣で麟太郎は杖をバシッと畳に叩きつけた。

「お前には、周防商事から出て行ってもらう。九州に最近買収した製鉄会社があったじゃろ。そこにいけ。周防から追い出されないだけ有り難く思うんじゃな」

 目を閉じ、麟太郎の言葉を聞く恵三の美しい姿に茜の胸が痺れる。

 さあ、あなたはこの窮地をどう切り抜けるの。





「や、ぁっ、あ」

 万理子の白い乳房の膨らみに巽の指が喰い込んでいた。

「いた、いっ、ああぁっ」

 強く押し込まれた高熱の芯に万理子は跳ね、躰を仰け反らせた。

「やっ、あ、あぅ、あ、ひっ、そこはやめて、ああああーっ」

 幾度も突き上げられ、結合部を弄られ万理子は悲鳴を上げた。

「いやっ、いやぁっ」

 泣きながら巽の腕に爪を立てた。

「やだっ、ぅ、んあっ」

 抗っても抗っても攻めてくる熱に首を振る。巽は引っ掻いていた万理子の手を払い、掴んだ。

「正直になれよ、喜んでんじゃねーか。テツよりいいだろ」

 万理子は巽を睨む。

「あたしは巽さんなんかをテツさんと並べない! 比べる対象になんてならない!」

 爆ぜた音と共に万理子の頬に焼かれたような痛みが走った。巽の平手だった。

 髪を掴まれ顔を正面に向けられた。

 泣くものか。

 頬を腫らしながら睨む万理子に巽はクックと喉を鳴らす。

「馬鹿な女だな。こんなにして何言ってやがる」
「ひ、ぁあっ、いやぁっ」

 意識を塗り潰す勢いで水音が迫る。万理子は髪を掴まれたまま顔を仰け反らせ身を捩った。

「やっ、あ、ーーっ」

 意識が飛んでいく。白くなる。

 テツさん、助けて!



 徹也が入院し、心配は現実になった。

 階下の門司青果店は、登四郎が実家の農園を継ぐ為に年末で閉店した。

 登四郎は住居付き店舗の建物自体を徹也に売り、故郷に帰って行った。

 徹也も入院し誰も居なくなってしまったここに、巽は直ぐに入り浸るようになっていた。

 もとは兄弟で住んでいた家だったが、万理子が住むようになって間もなく巽は帰らなくなっていたのだが。

「はぁっ、あっ」

 白く染まりかけた意識が、激しい突き上げに引き戻された。

「ん、ぅ」

 乳房を吸う頭を掴み、離そうと悶えるが動けない。

「いたっ、やっ」

 噛まれ、万理子は悲鳴を上げた。

 徹也が入院後、毎夜続く。こんな事、入院する徹也には話せない。

 テツさんが帰ってくるまでの辛抱。

 唇を噛み締めた万理子の顔を巽がグイッと掴み、視線を合わせた。

 冷たい海の底のような、光の無い暗い目に万理子は身震いした。巽は薄い笑いを漏らした。

「マリー、この躰で一人の男を落としてこい」

 意味が分からない。

 眉根を寄せ、万理子は睨む。巽はクククと不気味に笑った。

「お前に出来る事なんてこのくらいしかないだろ」



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