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第3部 あの恋の続きを始める
1-1【空白の五年間の埋め合わせ】
しおりを挟むしんしんと降り続く通夜は陽菜を一層と孤独にした。
弔問客の中を掻い潜ってまで、目を疑いに行ったのは、その大きなシルエットが見えたのは正直、幻覚でも見ているのかと思ったからだった。
焼香に現れた男は、弟が敷居の外で大きな声で責め立てていた。
陽菜と対面した時は、既に傘は畳まれており、眉を下げて久し振りだなと話した。
喪主を務める弟から、人生をぶち壊した男が来ているとだけ聞かされた。会う会わないは陽菜の自由にしたって良い、と。
「……お久し振り、です……最賀先生」
別々の道を進み始め、辿り着いたのは安息地ではなかった。
黒々とした喪服に身を包んだ最賀は、眼鏡が水捌けの代わりにならなくても雨水を拭わず陽菜を見詰めた。
「ああ……この度は、ご愁傷様、で……」
短い言葉だった。掠れた声は雨の滴る音が無情にも掻き消してくれる。
屋根の下にすらおらず、最賀は傘をもう一度開くことは無かった。
「母の……葬儀、で。その……」
「焼香は……悪いな、招かざる客と言うか…此処から先は入れないんだ」
ぐっと堪えた喉元は微かに震え、言葉を飲み込んだものの、最賀は陽菜が中にどうぞと招いても一歩も歩みを進めなかった。
弟は焼香すら許さなかったのだと、陽菜は悟った。
だから、敷居の外で亡き人を弔っているのだと。
陽菜は敷居を跨ぐことを許されなかった男が踵を返して、背を向けたのに気が付いた。
この五年間は陽菜を弱くした様に見えて、大人として成長するには十分過ぎる時間だった。
現職場で担当医師から叱責されても負けず、食らい付く。
チワワには、チワワの戦い方があるんだと陽菜はポメラニアンになるのをいつしかやめたのだ。
中型犬には小型犬は生育上不可能であることを知ったからである。
陽菜は、男と次再会した際には恥ずかしくない立派な自立した女性になると言う野心を抱いていた。
いや、殆ど意地である。
陽菜は苦手なテーブルマナーも、ペン字も、ドクターズクラークを現場で叩き上げの実務を培って五年を有した。
無駄な一日すら無くて、ひたすら前だけを見て足を動かしたのである。
明るくない未来であったとしても、その先には最賀忠がいると信じていたのに。再会が実母の葬式だなんて、あんまりだった。
母の死は、ひっそりと迎えが来たようにも見えた。
元よりホスピスで酸素飽和度の数値が悪く酸素投与をしつつ、経過を見ていた。
痛みを全て取り除くことは困難であったが、本人の強い希望によって自宅介護よりも穏やかに過ごせる施設を選択した為その意向に寄り添った。
だが、次第に食事の摂取量も落ちたことから胃瘻造設を視野にと医師から相談を受けた時は覚悟をしていた。
食事を経口摂取では難しくなると、小さな穴を胃に開けて食事を摂取する方法を胃瘻と呼ぶ。
その道を造って、意思疎通が段々と困難になっていく人を生かし、延命させるのは冒涜なのだろうか。
陽菜は何度も選択を迫られ、そして悩み、苦しんだ。
体動が困難になると、褥瘡が出来て処置をするスタッフを横目に延命措置をどう決定するか、弟と話し合った。
在宅介護は?と弟が何気無く言うので、緊急連絡先の第一人者は貴方だが、結局身辺の世話をするのはキーパーソンである陽菜である。
設備や環境を整え、福祉用具のレンタルサービスや訪問看護の申し込みを誰がするのか?!と陽菜は弟がした"軽はずみ"な提案の裏に隠された重さを流石に指摘する。
一人の力ではどうすることもできないのだ。急変時の対応や、ケアマネジャーとの連携も必須である。
事の重大さにやっと気が付いたのか、ホスピスへの転院が決まったのである。
転院先は海の近い場所で、漣が聴こえるホスピスに決まった。
母が余命宣告を受けてからは、何だか生きた心地はしなかった。
カレンダーを捲る日が早いなと感じる程に、惰性で息をしていた気がする。
日に日に衰弱していく家族を見て、陽菜は複雑な感情に襲われた。
そうやって、母を亡くして、初めてもう殴られたりしないんだなと薄情な感情を持ち合わせていたことに、陽菜は驚かなかった。
弟だけが悲しんでいた。愛情を沢山受けて育ったのだから、当たり前だ。
参列者には頭二つ飛び抜けた弟のパートナーであるルイスが焼香を上げに来ていた。
喪服を身に纏う外国人は、田舎では珍しいのか少ない参列者の中でも目立っていた。
陽菜は軽く挨拶をすると、ルイスは悲しいことだけれど大丈夫だよとだけ言うのだ。
陽菜が親から虐待を受けていたのを間接的に聞いていたらしい。病室での扱いを見たら察しがついたのだろう。
何も触れないルイスに、陽菜は深々と会釈をした。
額縁には十年以上前に撮られた笑顔の遺影が、陽菜を嘲笑っているようにも見えた。
目を合わせられずに、葬儀は淡々と行われる。
僧侶が読経し、弔いの儀式をしているのに、陽菜は暫く正座のまま棺桶の前から動けなかった。
闘病生活は長く、険しく、そして母の命を無情にも奪った。
病気は等しく人々に巣食うが、共存するのも容易くは無い。ましてや周囲の人々の手厚いサポートは不可欠である。
陽菜の二十八年間に決着がついたには、あまりにも質素な幕引きだったと思う。
見捨てて、とっとと新天地で暮らしたって良かったのに。吸い込まれる様に舞い戻ったのは、必然なのだろうか。
────呆気なく、終わった……。私の地獄はこんな形で終わるなんて。
だから、最賀が訪れることなんて想像していなかった。
蛹から蝶になれずに殻に閉じこもって、災難を膝を抱えて過ぎ去るまで怯えていたのに。
線香の匂いが陽菜を纏って、現実世界とかけ離したのだろうか。
ともかく、それくらい最賀との再会は奇跡にも近く、信じ難かったのである。
男は瞳を伏せたまま、踵を返した。
背中はひっそりと悲哀を滲ませているのに、陽菜へ背を向けて歩き始めた。
多くを語らず、少ない言葉しか交わさない男の姿に陽菜は、咄嗟に一歩を踏み出した。
追い掛けないと駄目だと頭の中で思考の結び目が絡まっている。
五年間待ち望んだ再会とは大きくかけ離れており、状況の目紛しい変化についていけなかった。
でも、今は男を追い掛けるのが先だ。後の祭りになろうが、その時は腹を括れば良い。
この一瞬を逃しては、もう後にも先にも行けないのだから。
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