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第12章 領主の日常

第177話 この子飼ったらダメです……?

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 アティアスはエミリスとふたりで、テンセズに向かってマドン山脈の上を越えようとしていた。
 ウメーユの自宅に一度帰ってすぐ、折り返すように再出発したばかりだ。

「アティアス様とこうしてふたりで飛ぶのは久しぶりですねぇ」
「そういえばそうだな」

 以前と同じように、エミリスは彼の背中から抱き抱えるようにして密着していた。
 ちょうど彼女の小ぶりな胸が、彼の肩甲骨のあたりに触れている。
 離れていても飛べるのに敢えてそうするのは、彼女がしたいからというのが唯一の理由だ。

「――ん?」
「どうした?」
「下にヘルハウンドがいますね。誰かと戦ってます」

 探知に引っかかったのか、彼女は速度を緩めた。

「何人くらいだ?」
「人は2人ですね。ヘルハウンドは1体。……どうします?」
「ついでだ。助けてやるか」
「ふふ、そう仰ると思ってました。……降りますね」

 エミリスはそのまままっすぐに降下する。
 元々それほど高い場所を飛んでいなかったこともあって、すぐに地面に降り立った。

 ――その瞬間。

「――爆ぜろ!」

 ――ドォン!!

 発動の言葉と共に、周囲を爆炎が覆い尽くす。
 その威力はかなり強く、かなり力のある魔導士だということがすぐにわかった。
 ふたりもその威力の範囲内にいたが、それはエミリスが涼しい顔であっさりと防御する。

「いきなりかよ」
「でもヘルハウンドには効いてませんね」

 爆炎が晴れたあと、そこには――。
 ヘルハウンドが1体と、男女の冒険者。
 アティアス達には見覚えがあった。

「……トーレスか!」
「ミリーさんもいますね」

 ナハトはいないようだが、見知ったふたり――それもこれから会いに行こうとしていた――が、偶然にもヘルハウンドと戦っていたのだ。

「――アティアスか!」

 驚いた顔で、慎重に視線だけをちらっとこちらに向けて、トーレスが叫ぶ。
 ミリーは真剣な顔で、ヘルハウンドから視線を離さない。

「手伝ってやろうか?」
「すまん。依頼で来たが、普通のヘルハウンドとは違うんだ。手強い」

 アティアス達がトーレスに近づくと、ミリーもバックステップで軽やかに合流する。

「……久しぶりね」
「ミリーさん。ご無沙汰しています」

 エミリスがヘルハウンドを気にも留めず、ペコリと頭を下げる。
 もちろん、攻撃してきても楽に防げるという余裕があるからだ。

「今は剣を持ってないからな。……エミー、頼む」
「はいはい。……あー、今日の私、働き者ですよねぇ?」

 何かに期待するような視線で、エミリスはわざとらしく彼を見る。

「ははは。確かにな。期待しとけ」
「ふふ。その言葉、間違いなく記憶しましたからね」

 エミリスは含んだ笑顔で頷くと、ヘルハウンドのほうに一歩踏み出した。
 対峙するとよくわかるが、今まで見てきた個体よりも小ぶりで、まだ大人になりきっていないように見えた。
 と言っても、大型の犬と比べてもはるかに大きいのだが。

「あなたのお相手は私のようです。ごめんなさい」

 そう言いながら、エミリスは魔力を練る。
 殺すのは忍びないが、仕方ないと思いながら。

 しかし――。

「くぅーん……」

 エミリスが攻撃する前に、ヘルハウンドはその体躯を伏せて、か弱い声を発した。
 明らかに怯えているような声だった。

「……うーん」

 攻撃してくる意思がなさそうに見えて、エミリスは困った。
 敵対してくれれば、あまり気にせずに殺せるのに。

 とりあえず様子を見るために、ゆっくり歩いてヘルハウンドへと近づく。

「……どうしました?」

 エミリスが声をかける。
 ヘルハウンドは肩を伏せて、低い位置から彼女を見上げる。

「くぅーん、くぅーん」

 そして、ごろんと仰向けになって、お腹を見せた。

「……おお? なんか可愛いですねぇ」

 まだ恐る恐るだが、手を差し出して、お腹を触ってみた。
 思っていた以上に柔らかい毛並みが気持ちいい。

 しばらく撫でたあと、ヘルハウンドは起き上がって、しゃがみ込んだエミリスの手をペロペロと舐める。

「これは……殺せませんね」

 なぜかヘルハウンドと戯れあうエミリスを、呆然としながら残る3人は見ていた。

 アティアスが歩いてエミリスの横に立つと、今度はアティアスの膝に顔を擦り付けてくる。

「アティアス様も好かれてますねぇ……」
「なんなんだろな。こんなのは初めてだよ」

 アティアスがヘルハウンドの頭を撫でると、気持ちよさそうに舐め返してくる。
 敵対するような意思がなさそうなのは明らかだ。

「……まさか、王都で会ったあの子じゃないですよねぇ?」

 エミリスは、昨年の冬、王都での依頼で討伐に行ったヘルハウンドのことを思い出した。
 あのときの仔犬も、こうしてか細い声で鳴いていた記憶がある。

「わからないが、王都からかなり遠いしな。……まぁ、こいつもまだ若そうに見えるが」
「きっとそうですよ。――ですよね?」
「バウ!」

 エミリスそう聞くと、タイミング良く吠える。

「おいおい、言葉がわかってるんじゃないだろうな。それじゃ……以前会った子犬とは違うよな、お前?」
「…………」

 そう聞くと、ヘルハウンドはプイッと顔を背けた。

「やっぱりあの子ですよね?」
「バウ!」

 エミリスが嬉しそうに吠えるヘルハウンドの首を抱いて、ヨシヨシと頭を撫でた。
 それを横目に、アティアスはトーレスに話しかけた。

「こいつって、攻撃してきたのか?」
「いや……最初から攻撃はしてこなかったな。ただ、私たちが攻撃しても全く効かなかったが……」
「ヘルハウンドにしては珍しいな」
「確かに……それは思ったが」

 襲ってこないヘルハウンドなら、わざわざ殺す必要はないのだが……。
 しかし、放置するのは無駄に冒険者達を恐れさせてしまう懸念もあった。

「どうするかなぁ……」
「アティアス様、この子飼ったらダメです……?」

 悩んでいると、エミリスが聞く。彼女のすぐ横でそのヘルハウンドは座って尻尾を振っていた。
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