84 / 87
83
しおりを挟む
そのとき、ほんの一瞬できた僅かな隙を、遥は見逃さなかった。
「死ね!ヴァン!!」
渾身の力を込めて放った白銀の矢、だがそれは狙った軌道を大きく逸れて曲がり、ヴァンではなく聖の身体を貫こうと襲いかかった。
「!!!!」
とっさのことで避けることも身を伏せることもできず、聖は硬く目を瞑って身を強張らせた。
強い力が身体を地面に打ちつけ、瞼の裏が白く染まる。
だが、予想した衝撃も痛みもやってくることはなかった。
「……」
薄目を開けたとき、聖の目に飛び込んできたのは、抱きしめるようにして自分の上に覆いかぶさるヴァンの姿と、彼の身体を貫く白銀の矢の光だった。
聖は喉からひゅっと音を立てて息を漏らした。
「ヴァン!!」
滴り落ちてくる紅い雫が雨のように頬を打つ。聖は金切り声を上げた。
ヴァンは両腕を聖の身体の横についたまま、がくりとバランスを崩して身体の上にのしかかった。
流れ出る血が地面に海のように溜まる。ヴァンが荒い息を繰り返すたびに、全身が大きく上下する。
彼の顔色が青白くなり、体温が石のように冷たくなってゆく。
その傷が致命傷であることは疑うべくもなかった。
「何で……」
ヴァンの身体の下で、聖はうめき声をあげた。
胸が押しつぶされたように痛いのは重みのせいか、別の何かのせいか。
「聖君!!」
這うようにしてやってきた遥は、聖とヴァンの様子を見て言葉を失った。
ヴァンの表情から血の気が失せ、彼が纏う空気からいつもの不敵さが消えている。
「何でだよ。何で俺のこと、かばったりなんかしたんだ!」
激しい動揺が心臓を握りつぶす。聖は額をくすぐるヴァンの髪をはらい、鋭く問いかけた。
何でもいい、何かに対して怒りをぶつけなければ、気が変になりそうだった。
もはや生気を失った蒼白な美貌が恐ろしく、聖は肩を掴んでゆすぶった。
「応えろよ!ヴァン!」
こんな幕切れを望んでいたわけじゃない。自分はもっと――気丈でいられると思っていたのに。
情けなくて憤ろしくて、聖は思わず涙ぐんだ。
ヴァンはそんな聖の困惑を海の底のように澄んだ瞳で読み取ると、その唇に薄く笑みを浮かべた。
「顔に似合わず、無茶なことをするな。お前は」
ヴァンの血に濡れた手が聖の頬を撫でる。
その凍りつくような冷たさに、聖は身を震わせた。
「もう、身を危険にさらすような真似は二度とするな。お前はずっと……俺の傍で守られていればいいんだよ」
まるで何事もなかったかのような口ぶりに、聖は一瞬、ヴァンは大怪我をしても平気なのかと思ったほどだった。
だが、彼の身体からは急速に力が抜けていくのが感じられる。身体の端が薄れて透けかけている。
霊体が四散しようとし、身体の形を保てなくなっているのだ。
「だって俺は……俺はお前を消そうとしたのに」
聖が思わず伸ばした手を握り締め、ヴァンは睦言のように囁いた。
「そうだな。だが、いずれにせよ同じことだ。お前が死ねば俺も力を失い、封印の力が枷となって消滅するのだから」
「どういう……ことだよ……」
ヴァンが咳き込むと、鮮血が点々と散った。黒の服がどす紅く染まっている。
「そのままの意味だ。血の契約は契約者同士を分かちがたい力で結びつける。俺たちを必ず巡り合わせ、封印を破るだけの強力な鍵となる。
だが、吸血鬼が一度でも人間と契約すれば、その者は二度と他の人間の血を吸うことができなくなる。……未来永劫に」
聖の身体に稲妻のような衝撃が走った。
音楽室でつかの間聞いた、栞の声の響きが耳元で蘇る。
『血の契約は彼のためでなく、私のための契約』。彼女はそう言わなかったか。
「じゃあお前は……ただ栞さん一人のためだけに、長い寿命を捨てたっていうのか。封印されて、転生するまで二百年も時を待って……?」
震える声で問いかけた聖に、ヴァンは安らかな笑みを向けて頷いた。
「……そうだ。聖、お前は俺の命そのものだ」
聖は脳天に鉄槌を食らったようにして、ぐらりとよろめいた。
「そんな……」
他の人間の血を吸えば、それを糧にいつまでも長く現世に留まることができた。
いや、それだけではない。
ヴァンが封印されたのも、栞の血だけを飲むという契約が足枷になったのではないか?
栞は命を投げ出し、全ての血を吸われてもいいと願っていた。
それでも、ヴァンが彼女の生命を守るために、あえて吸う血の量を抑えていたのだとしたら?
「じゃあ、栞さんが死んだのは?お前が血を奪ったからじゃないのか」
ヴァンは悼むような表情で目を伏せる。
「栞はもともと病弱な体質だった。俺は吸った血を自分の生命力に還元し、それを再び栞の身体に注ぎ込むことで、あいつを少しでも生き長らえさせようとしたが……そうなる前に封印されてしまった。
俺は……あいつを守りきることができなかった」
「死ね!ヴァン!!」
渾身の力を込めて放った白銀の矢、だがそれは狙った軌道を大きく逸れて曲がり、ヴァンではなく聖の身体を貫こうと襲いかかった。
「!!!!」
とっさのことで避けることも身を伏せることもできず、聖は硬く目を瞑って身を強張らせた。
強い力が身体を地面に打ちつけ、瞼の裏が白く染まる。
だが、予想した衝撃も痛みもやってくることはなかった。
「……」
薄目を開けたとき、聖の目に飛び込んできたのは、抱きしめるようにして自分の上に覆いかぶさるヴァンの姿と、彼の身体を貫く白銀の矢の光だった。
聖は喉からひゅっと音を立てて息を漏らした。
「ヴァン!!」
滴り落ちてくる紅い雫が雨のように頬を打つ。聖は金切り声を上げた。
ヴァンは両腕を聖の身体の横についたまま、がくりとバランスを崩して身体の上にのしかかった。
流れ出る血が地面に海のように溜まる。ヴァンが荒い息を繰り返すたびに、全身が大きく上下する。
彼の顔色が青白くなり、体温が石のように冷たくなってゆく。
その傷が致命傷であることは疑うべくもなかった。
「何で……」
ヴァンの身体の下で、聖はうめき声をあげた。
胸が押しつぶされたように痛いのは重みのせいか、別の何かのせいか。
「聖君!!」
這うようにしてやってきた遥は、聖とヴァンの様子を見て言葉を失った。
ヴァンの表情から血の気が失せ、彼が纏う空気からいつもの不敵さが消えている。
「何でだよ。何で俺のこと、かばったりなんかしたんだ!」
激しい動揺が心臓を握りつぶす。聖は額をくすぐるヴァンの髪をはらい、鋭く問いかけた。
何でもいい、何かに対して怒りをぶつけなければ、気が変になりそうだった。
もはや生気を失った蒼白な美貌が恐ろしく、聖は肩を掴んでゆすぶった。
「応えろよ!ヴァン!」
こんな幕切れを望んでいたわけじゃない。自分はもっと――気丈でいられると思っていたのに。
情けなくて憤ろしくて、聖は思わず涙ぐんだ。
ヴァンはそんな聖の困惑を海の底のように澄んだ瞳で読み取ると、その唇に薄く笑みを浮かべた。
「顔に似合わず、無茶なことをするな。お前は」
ヴァンの血に濡れた手が聖の頬を撫でる。
その凍りつくような冷たさに、聖は身を震わせた。
「もう、身を危険にさらすような真似は二度とするな。お前はずっと……俺の傍で守られていればいいんだよ」
まるで何事もなかったかのような口ぶりに、聖は一瞬、ヴァンは大怪我をしても平気なのかと思ったほどだった。
だが、彼の身体からは急速に力が抜けていくのが感じられる。身体の端が薄れて透けかけている。
霊体が四散しようとし、身体の形を保てなくなっているのだ。
「だって俺は……俺はお前を消そうとしたのに」
聖が思わず伸ばした手を握り締め、ヴァンは睦言のように囁いた。
「そうだな。だが、いずれにせよ同じことだ。お前が死ねば俺も力を失い、封印の力が枷となって消滅するのだから」
「どういう……ことだよ……」
ヴァンが咳き込むと、鮮血が点々と散った。黒の服がどす紅く染まっている。
「そのままの意味だ。血の契約は契約者同士を分かちがたい力で結びつける。俺たちを必ず巡り合わせ、封印を破るだけの強力な鍵となる。
だが、吸血鬼が一度でも人間と契約すれば、その者は二度と他の人間の血を吸うことができなくなる。……未来永劫に」
聖の身体に稲妻のような衝撃が走った。
音楽室でつかの間聞いた、栞の声の響きが耳元で蘇る。
『血の契約は彼のためでなく、私のための契約』。彼女はそう言わなかったか。
「じゃあお前は……ただ栞さん一人のためだけに、長い寿命を捨てたっていうのか。封印されて、転生するまで二百年も時を待って……?」
震える声で問いかけた聖に、ヴァンは安らかな笑みを向けて頷いた。
「……そうだ。聖、お前は俺の命そのものだ」
聖は脳天に鉄槌を食らったようにして、ぐらりとよろめいた。
「そんな……」
他の人間の血を吸えば、それを糧にいつまでも長く現世に留まることができた。
いや、それだけではない。
ヴァンが封印されたのも、栞の血だけを飲むという契約が足枷になったのではないか?
栞は命を投げ出し、全ての血を吸われてもいいと願っていた。
それでも、ヴァンが彼女の生命を守るために、あえて吸う血の量を抑えていたのだとしたら?
「じゃあ、栞さんが死んだのは?お前が血を奪ったからじゃないのか」
ヴァンは悼むような表情で目を伏せる。
「栞はもともと病弱な体質だった。俺は吸った血を自分の生命力に還元し、それを再び栞の身体に注ぎ込むことで、あいつを少しでも生き長らえさせようとしたが……そうなる前に封印されてしまった。
俺は……あいつを守りきることができなかった」
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説

王様のナミダ
白雨あめ
BL
全寮制男子高校、箱夢学園。 そこで風紀副委員長を努める桜庭篠は、ある夜久しぶりの夢をみた。
端正に整った顔を歪め、大粒の涙を流す綺麗な男。俺様生徒会長が泣いていたのだ。
驚くまもなく、学園に転入してくる王道転校生。彼のはた迷惑な行動から、俺様会長と風紀副委員長の距離は近づいていく。
※会長受けです。
駄文でも大丈夫と言ってくれる方、楽しんでいただけたら嬉しいです。
いとしの生徒会長さま
もりひろ
BL
大好きな親友と楽しい高校生活を送るため、急きょアメリカから帰国した俺だけど、編入した学園は、とんでもなく変わっていた……!
しかも、生徒会長になれとか言われるし。冗談じゃねえっつの!

なんか金髪超絶美形の御曹司を抱くことになったんだが
なずとず
BL
タイトル通りの軽いノリの話です
酔った勢いで知らないハーフと将来を約束してしまった勇気君視点のお話になります
攻
井之上 勇気
まだまだ若手のサラリーマン
元ヤンの過去を隠しているが、酒が入ると本性が出てしまうらしい
でも翌朝には完全に記憶がない
受
牧野・ハロルド・エリス
天才・イケメン・天然ボケなカタコトハーフの御曹司
金髪ロング、勇気より背が高い
勇気にベタ惚れの仔犬ちゃん
ユウキにオヨメサンにしてもらいたい
同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます
[BL]デキソコナイ
明日葉 ゆゐ
BL
特別進学クラスの優等生の喫煙現場に遭遇してしまった校内一の問題児。見ていない振りをして立ち去ろうとするが、なぜか優等生に怪我を負わされ、手当てのために家に連れて行かれることに。決して交わることのなかった2人の不思議な関係が始まる。(別サイトに投稿していた作品になります)
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

周りが幼馴染をヤンデレという(どこが?)
ヨミ
BL
幼馴染 隙杉 天利 (すきすぎ あまり)はヤンデレだが主人公 花畑 水華(はなばた すいか)は全く気づかない所か溺愛されていることにも気付かずに
ただ友達だとしか思われていないと思い込んで悩んでいる超天然鈍感男子
天利に恋愛として好きになって欲しいと頑張るが全然効いていないと思っている。
可愛い(綺麗?)系男子でモテるが天利が男女問わず牽制してるためモテない所か自分が普通以下の顔だと思っている
天利は時折アピールする水華に対して好きすぎて理性の糸が切れそうになるが、なんとか保ち普段から好きすぎで悶え苦しんでいる。
水華はアピールしてるつもりでも普段の天然の部分でそれ以上のことをしているので何しても天然故の行動だと思われてる。
イケメンで物凄くモテるが水華に初めては全て捧げると内心勝手に誓っているが水華としかやりたいと思わないので、どんなに迫られようと見向きもしない、少し女嫌いで女子や興味、どうでもいい人物に対してはすごく冷たい、水華命の水華LOVEで水華のお願いなら何でも叶えようとする
好きになって貰えるよう努力すると同時に好き好きアピールしているが気づかれず何年も続けている内に気づくとヤンデレとかしていた
自分でもヤンデレだと気づいているが治すつもりは微塵も無い
そんな2人の両片思い、もう付き合ってんじゃないのと思うような、じれ焦れイチャラブな恋物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる