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そのとき、ほんの一瞬できた僅かな隙を、遥は見逃さなかった。
「死ね!ヴァン!!」
渾身の力を込めて放った白銀の矢、だがそれは狙った軌道を大きく逸れて曲がり、ヴァンではなく聖の身体を貫こうと襲いかかった。
「!!!!」
とっさのことで避けることも身を伏せることもできず、聖は硬く目を瞑って身を強張らせた。
強い力が身体を地面に打ちつけ、瞼の裏が白く染まる。
だが、予想した衝撃も痛みもやってくることはなかった。
「……」
薄目を開けたとき、聖の目に飛び込んできたのは、抱きしめるようにして自分の上に覆いかぶさるヴァンの姿と、彼の身体を貫く白銀の矢の光だった。
聖は喉からひゅっと音を立てて息を漏らした。
「ヴァン!!」
滴り落ちてくる紅い雫が雨のように頬を打つ。聖は金切り声を上げた。
ヴァンは両腕を聖の身体の横についたまま、がくりとバランスを崩して身体の上にのしかかった。
流れ出る血が地面に海のように溜まる。ヴァンが荒い息を繰り返すたびに、全身が大きく上下する。
彼の顔色が青白くなり、体温が石のように冷たくなってゆく。
その傷が致命傷であることは疑うべくもなかった。
「何で……」
ヴァンの身体の下で、聖はうめき声をあげた。
胸が押しつぶされたように痛いのは重みのせいか、別の何かのせいか。
「聖君!!」
這うようにしてやってきた遥は、聖とヴァンの様子を見て言葉を失った。
ヴァンの表情から血の気が失せ、彼が纏う空気からいつもの不敵さが消えている。
「何でだよ。何で俺のこと、かばったりなんかしたんだ!」
激しい動揺が心臓を握りつぶす。聖は額をくすぐるヴァンの髪をはらい、鋭く問いかけた。
何でもいい、何かに対して怒りをぶつけなければ、気が変になりそうだった。
もはや生気を失った蒼白な美貌が恐ろしく、聖は肩を掴んでゆすぶった。
「応えろよ!ヴァン!」
こんな幕切れを望んでいたわけじゃない。自分はもっと――気丈でいられると思っていたのに。
情けなくて憤ろしくて、聖は思わず涙ぐんだ。
ヴァンはそんな聖の困惑を海の底のように澄んだ瞳で読み取ると、その唇に薄く笑みを浮かべた。
「顔に似合わず、無茶なことをするな。お前は」
ヴァンの血に濡れた手が聖の頬を撫でる。
その凍りつくような冷たさに、聖は身を震わせた。
「もう、身を危険にさらすような真似は二度とするな。お前はずっと……俺の傍で守られていればいいんだよ」
まるで何事もなかったかのような口ぶりに、聖は一瞬、ヴァンは大怪我をしても平気なのかと思ったほどだった。
だが、彼の身体からは急速に力が抜けていくのが感じられる。身体の端が薄れて透けかけている。
霊体が四散しようとし、身体の形を保てなくなっているのだ。
「だって俺は……俺はお前を消そうとしたのに」
聖が思わず伸ばした手を握り締め、ヴァンは睦言のように囁いた。
「そうだな。だが、いずれにせよ同じことだ。お前が死ねば俺も力を失い、封印の力が枷となって消滅するのだから」
「どういう……ことだよ……」
ヴァンが咳き込むと、鮮血が点々と散った。黒の服がどす紅く染まっている。
「そのままの意味だ。血の契約は契約者同士を分かちがたい力で結びつける。俺たちを必ず巡り合わせ、封印を破るだけの強力な鍵となる。
だが、吸血鬼が一度でも人間と契約すれば、その者は二度と他の人間の血を吸うことができなくなる。……未来永劫に」
聖の身体に稲妻のような衝撃が走った。
音楽室でつかの間聞いた、栞の声の響きが耳元で蘇る。
『血の契約は彼のためでなく、私のための契約』。彼女はそう言わなかったか。
「じゃあお前は……ただ栞さん一人のためだけに、長い寿命を捨てたっていうのか。封印されて、転生するまで二百年も時を待って……?」
震える声で問いかけた聖に、ヴァンは安らかな笑みを向けて頷いた。
「……そうだ。聖、お前は俺の命そのものだ」
聖は脳天に鉄槌を食らったようにして、ぐらりとよろめいた。
「そんな……」
他の人間の血を吸えば、それを糧にいつまでも長く現世に留まることができた。
いや、それだけではない。
ヴァンが封印されたのも、栞の血だけを飲むという契約が足枷になったのではないか?
栞は命を投げ出し、全ての血を吸われてもいいと願っていた。
それでも、ヴァンが彼女の生命を守るために、あえて吸う血の量を抑えていたのだとしたら?
「じゃあ、栞さんが死んだのは?お前が血を奪ったからじゃないのか」
ヴァンは悼むような表情で目を伏せる。
「栞はもともと病弱な体質だった。俺は吸った血を自分の生命力に還元し、それを再び栞の身体に注ぎ込むことで、あいつを少しでも生き長らえさせようとしたが……そうなる前に封印されてしまった。
俺は……あいつを守りきることができなかった」
「死ね!ヴァン!!」
渾身の力を込めて放った白銀の矢、だがそれは狙った軌道を大きく逸れて曲がり、ヴァンではなく聖の身体を貫こうと襲いかかった。
「!!!!」
とっさのことで避けることも身を伏せることもできず、聖は硬く目を瞑って身を強張らせた。
強い力が身体を地面に打ちつけ、瞼の裏が白く染まる。
だが、予想した衝撃も痛みもやってくることはなかった。
「……」
薄目を開けたとき、聖の目に飛び込んできたのは、抱きしめるようにして自分の上に覆いかぶさるヴァンの姿と、彼の身体を貫く白銀の矢の光だった。
聖は喉からひゅっと音を立てて息を漏らした。
「ヴァン!!」
滴り落ちてくる紅い雫が雨のように頬を打つ。聖は金切り声を上げた。
ヴァンは両腕を聖の身体の横についたまま、がくりとバランスを崩して身体の上にのしかかった。
流れ出る血が地面に海のように溜まる。ヴァンが荒い息を繰り返すたびに、全身が大きく上下する。
彼の顔色が青白くなり、体温が石のように冷たくなってゆく。
その傷が致命傷であることは疑うべくもなかった。
「何で……」
ヴァンの身体の下で、聖はうめき声をあげた。
胸が押しつぶされたように痛いのは重みのせいか、別の何かのせいか。
「聖君!!」
這うようにしてやってきた遥は、聖とヴァンの様子を見て言葉を失った。
ヴァンの表情から血の気が失せ、彼が纏う空気からいつもの不敵さが消えている。
「何でだよ。何で俺のこと、かばったりなんかしたんだ!」
激しい動揺が心臓を握りつぶす。聖は額をくすぐるヴァンの髪をはらい、鋭く問いかけた。
何でもいい、何かに対して怒りをぶつけなければ、気が変になりそうだった。
もはや生気を失った蒼白な美貌が恐ろしく、聖は肩を掴んでゆすぶった。
「応えろよ!ヴァン!」
こんな幕切れを望んでいたわけじゃない。自分はもっと――気丈でいられると思っていたのに。
情けなくて憤ろしくて、聖は思わず涙ぐんだ。
ヴァンはそんな聖の困惑を海の底のように澄んだ瞳で読み取ると、その唇に薄く笑みを浮かべた。
「顔に似合わず、無茶なことをするな。お前は」
ヴァンの血に濡れた手が聖の頬を撫でる。
その凍りつくような冷たさに、聖は身を震わせた。
「もう、身を危険にさらすような真似は二度とするな。お前はずっと……俺の傍で守られていればいいんだよ」
まるで何事もなかったかのような口ぶりに、聖は一瞬、ヴァンは大怪我をしても平気なのかと思ったほどだった。
だが、彼の身体からは急速に力が抜けていくのが感じられる。身体の端が薄れて透けかけている。
霊体が四散しようとし、身体の形を保てなくなっているのだ。
「だって俺は……俺はお前を消そうとしたのに」
聖が思わず伸ばした手を握り締め、ヴァンは睦言のように囁いた。
「そうだな。だが、いずれにせよ同じことだ。お前が死ねば俺も力を失い、封印の力が枷となって消滅するのだから」
「どういう……ことだよ……」
ヴァンが咳き込むと、鮮血が点々と散った。黒の服がどす紅く染まっている。
「そのままの意味だ。血の契約は契約者同士を分かちがたい力で結びつける。俺たちを必ず巡り合わせ、封印を破るだけの強力な鍵となる。
だが、吸血鬼が一度でも人間と契約すれば、その者は二度と他の人間の血を吸うことができなくなる。……未来永劫に」
聖の身体に稲妻のような衝撃が走った。
音楽室でつかの間聞いた、栞の声の響きが耳元で蘇る。
『血の契約は彼のためでなく、私のための契約』。彼女はそう言わなかったか。
「じゃあお前は……ただ栞さん一人のためだけに、長い寿命を捨てたっていうのか。封印されて、転生するまで二百年も時を待って……?」
震える声で問いかけた聖に、ヴァンは安らかな笑みを向けて頷いた。
「……そうだ。聖、お前は俺の命そのものだ」
聖は脳天に鉄槌を食らったようにして、ぐらりとよろめいた。
「そんな……」
他の人間の血を吸えば、それを糧にいつまでも長く現世に留まることができた。
いや、それだけではない。
ヴァンが封印されたのも、栞の血だけを飲むという契約が足枷になったのではないか?
栞は命を投げ出し、全ての血を吸われてもいいと願っていた。
それでも、ヴァンが彼女の生命を守るために、あえて吸う血の量を抑えていたのだとしたら?
「じゃあ、栞さんが死んだのは?お前が血を奪ったからじゃないのか」
ヴァンは悼むような表情で目を伏せる。
「栞はもともと病弱な体質だった。俺は吸った血を自分の生命力に還元し、それを再び栞の身体に注ぎ込むことで、あいつを少しでも生き長らえさせようとしたが……そうなる前に封印されてしまった。
俺は……あいつを守りきることができなかった」
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