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雑賀良平 Ⅱ

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 雑賀良平は、九州の炭鉱町で生まれた。
 小学校5年生の時に両親を喪った。
 落盤事故だった。
 二人は炭鉱夫をしていた。

 姉と妹二人。
 親戚も貧しく、やっと一人ずつ引き取ってもらい、兄弟はバラバラになった。
 時折親戚同士の集まりで顔を会わせ、その度に泣きながら再会を喜んだ。
 幼い二人の妹たちは特に辛かったようだった。
 親戚にも自分たちの子どもがおり、雑賀たちは冷遇された。
 みんな貧しい時代で、それは仕方が無かった。
 しかし悲しかった。

 姉が中学を卒業し、働き出した。
 雑賀を訪れ、一緒に住もうと話してくれた。
 嬉しかったが、現実には無理なことは分かっている。
 紡績工場で働く姉の稼ぎは少なかった。

 雑賀は中学を卒業し、地元のホテルでバーテンダーの助手として働き出した。
 雑賀は徹底的に鍛えられた。
 バーテンダーとはどういうものなのか、厳しく叩き込まれた。
 ある時、そのバーテンダーが大会へ出場するように言った。

 「お前には基本的なことは全て教えた。一度自分がどこまでやれるのか確認して来い」

 その日から更に徹底的に鍛えられ、大会で必要な訓練を施された。
 毎日朝方まで練習させられ、先輩のバーテンダーもそれに付きっ切りで教えてくれた。

 大会では入賞も出来なかったが、自分に足りない技術が明確になった。
 雑賀は一層研鑽を重ねて行った。

 先輩が別な場所へ移ることになり、雑賀が主任バーテンダーになった。
 先輩の教えを守り、自分で更に努力していった。
 雑賀は幾つかのバーラウンジを回り、更に様々なことを身に着けて行く。
 ある有名ホテルで働いていた時、そこにいた初老のバーテンダーから客を見ろと言われた。
 一瞬でどういう人間なのか、どういうものを好むのか見通せと。
 雑賀は新たな修行の道を歩み始めた。

 収入も安定し、念願の兄弟を呼び寄せて一緒に生活出来るようになった。
 姉と妹たちが喜び、自分たちも働きながら、雑賀の仕事を応援してくれた。
 一番下の妹には大学にも通わせてやれた。

 国内での大会で何度か優勝し、海外の大会へも出場するようになった。
 そこでも優勝を果たした。
 IBA(世界バーテンダー協会)主催の大会でも優勝し、雑賀は世界最高のバーテンダーの一人となった。
 しかし、そこで留まることなく、雑賀は更に修行を進めて行った。
 「人間を見ること」。
 そのことに於いて、修行が終わることは無かった。




 姉が肺結核で死んだ。
 長年無理をしてきたのが祟った。
 気が付いた時には、もう肺は冒され切って、抗生物質も効かなかった。
 雑賀は落胆した。
 自分がもっと気を付けていれば姉を助けられた。
 その自責の念が残った。
 姉が望んだようにもっと早く一緒に暮らしていれば。
 そう思うと涙が止まらなかった。
 それでも、雑賀は店に立ち、修行を続けた。

 二人連れの客が入って来た。
 初めての客だった。

 「石神、こんな店は俺には合わないよ」
 「何言ってるんだよ。お前の折角の成果の祝いなんだ。いいじゃないか」
 「でもなぁ」
 「山中は立派な人間だよ! 誰もが小さな成果ですぐに認められようとするけど、お前は本当に役立つ研究に挑んだんだ。そしてちゃんとその成果を出した! 俺は嬉しくて堪らないぜ!」
 「そうかな」
 「そうだよ! さあ、飲もうぜ! もちろん俺の奢りだからなぁ!」
 「悪いな」

 石神様と山中様。
 雑賀は瞬時に名前は覚えた。
 特に石神様はなんという人だ。
 これまで見たことが無い。
 器の大きな方、何事か大きな仕事を成し遂げる方は大勢見て来た。
 しかし、この人は違うと雑賀は思った。
 表現の仕様が無かった。
 器は多分大きい。
 でも、そういうことではない。
 意志が途轍もなく強い。
 でも、それだけではない。
 生きている人には見えなかった。
 おかしな表現だが、人間ならばとっくに死んでいるはずがまだ元気に生きている。
 そんな感じがした。
 優しい人なのは、今の遣り取りだけで十分に分かった。
 それと同時に、相当な悪いことも出来そうな人だった。
 そこだ、と雑賀は思った。
 この人は汚れない人なのだ。
 この人が何をやろうと、それは誰かのためのことなのだ。
 だからどんなに悪いことをしても、汚れない。
 そして、どんなに良いことをしても、それが自分の誇りにならない。
 雑賀は他のバーテンダーを遠ざけ、自分が二人の前に立った。




 二人は楽しそうに話し、雑賀の進めるカクテルを喜んで飲んでいった。
 全ての会話を耳に入れていた。
 それはバーテンダーの倣いだ。
 そしてそれは絶対に口外しない。
 反応もしない。
 しかし、ある会話を耳にして、雑賀は驚いた。

 「石神、もしもさ」
 「ああ、なんだ?」
 「もしもの話だよ、万が一っていうな」
 「だから何だよ!」
 
 山中という客が石神に話していた。

 「俺にもしものことがあったらさ。美亜さんと子どもたちを頼むな」
 「何言ってんだよ! 俺はお前が死ぬなんて嫌だよ!」
 「だから万が一だって!」
 「いやだ!」

 石神が声を荒げた。

 「おい、だからさ。まあ、俺も死なないよ。でもな、人間いつ何があるのか分からないだろう」
 「そりゃそうだけどよ」
 「それにうちって、あんまり貯えが無いだろ?」
 「お前ならそのうちに稼ぐよ」
 「でもその前にさ。ああ、お前に金で助けて欲しいんじゃないんだ! そういうことじゃないから」
 「分かってるよ」
 「美亜さんも大変になるから。お前に支えて欲しいんだ」
 「そりゃもちろんそうするけど、お前は死ぬなよな」
 「うん」
 「美亜さんも、子どもたちも、俺に任せろ!」
 「ああ! やっとそう言ってくれた! じゃあ安心だ!」

 雑賀は石神の言葉を聞いて感動した。
 もしもの話だったが、石神が言えば必ず大丈夫だ。
 雑賀はそう思った。

 山中が席を立って化粧室へ行った。

 「すみません。今のお話を聞いてしまい、感動しました」
 「えぇ? ああ、あいつは心配性でどうも」
 「いいえ、石神様が約束されて、山中様も随分と嬉しそうでしたね」
 「まあ、気のいい奴なんですよ」

 一人になった石神に、雑賀は話し続けた。
 突然、石神から言われた。

 「バーテンダーさんは大丈夫ですか?」
 「はい?」
 「ああ、すみません。最初に見た時からちょっと気になっていて」
 「はい、どういうことでしょうか」
 「うーん、こんなこと初対面の人に言うのはどうかと思うんですけどね。何か大変悲しい出来事があったんじゃないかと」
 「え!」
 「俺にも覚えがありましてね。最愛の人間を喪うと、どうしてもね。何と言うか、自分の一部を捧げてしまうと言うか」
 「!」
 「でもね、時間が何とかしてくれます。悲しい時には目一杯悲しめばいいんだと思いますよ。塞がらない傷もありますが、それでも生きて行くしかない。いつか、その痛みと共に生きられるようになりますよ」

 「石神様……」

 自分の姉が死んだことは話せなかった。
 でも、深い感謝を捧げたくなった。



 その後石神に再会したのは、雑賀が恵比寿に出来た新しい大ホテルのバーテンダーとして働き始めた時だった。
 そのホテルでのパーティに出て、抜け出して来たとのことだった。
 石神も雑賀のことを覚えており、随分と話し込んだ。

 「山中様はお元気ですか?」
 「え! あいつのことも覚えているんですか!」
 「もちろんでございます。石神様と随分と仲の宜しい方でしたので」

 雑賀は石神から、山中とその奥さんが亡くなったことを聞いた。
 
 「さようでございましたか。残念でございます」
 「ええ。それでね、子どもたちがバラバラに引き取られると聞いて、俺が四人とも引き取ったんですよ」
 「え!」
 「ずっと独身で独り暮らしだったんですけどね。今じゃもう騒がしいのなんのって」

 石神が笑って話してくれた。

 「え! ちょっとバーテンダーさん!」
 
 雑賀は不覚にも涙を零していた。
 
 「申し訳ございません!」
 
 一度下がり、顔を洗って気を取り直した。
 戻った雑賀に、石神が心配そうに声を掛けて来た。

 「大丈夫ですか?」
 「本当にお見苦しい所を」

 雑賀は石神に自分の生い立ちを話した。
 
 「バーテンダーは自分のことを話すのは厳禁なのですが。石神様にはどうしても」
 「そうだったんですか」
 「前に山中様とお約束されていたことが、我が事のように嬉しくて。そして今日、本当に石神様がそのお約束を果たされたと聞いて、もう自分で抑えきれず。申し訳ございません」
 「いいんですよ。雑賀さんも苦労されたんですね。お姉さまの事は御愁傷さまです」

 雑賀は石神から名刺をもらった。
 都内の有名な大病院の人間だと初めて知った。

 「今後何かあったら、いつでもいらして下さい。俺が必ず何とかしますよ」
 「ありがとうございます」

 また雑賀は泣きそうになった。




 雑賀のバーラウンジに石神が時々寄ってくれるようになった。
 いつも楽しい話を石神から聞いていたが、その中で「城戸」の名前が出た。
 詳しく聞くと、雑賀が昔一緒に働いた人間であることが分かった。
 二人で城戸の話で盛り上がった。
 バーテンダーとして少々脱線してしまった。

 そして、昨年の冬に思いも寄らぬ誘いを受けた。
 
 「雑賀さんに、俺が作る場所に来て貰いたいんです」

 その場では話せない内容だと言い、後日あらためて二人で会った。
 本当に想像を絶する話をされた。

 「俺が酒が好きなのはもちろんあるんですが。そこでは命を懸けて働く人間たちが集まっているんです。そいつらに、雑賀さんの超一流の酒を飲ませてやりたい」
 「そうですか」
 「今すぐに返事はしなくても結構です。何しろ常識的な話じゃないですからね」
 「はい」

 雑賀の心は決まっていたが、石神がそう言うので少し返事を待つことにした。
 恐らくそこへ行けば、自分は二度と表の世界には帰れないことは分かっていた。

 その後、石神は「そこ」で働く人間だと言って、5人程の客を伴って来た。
 一目で「ヤクザ」と分かった。
 石神も真っ先に「千万組」の人間だと明かした。

 「おい、整列して歩け! お前らこんな素敵な店は来たことないだろう!」
 「「「「「はい!」」」」」
 「何か持って来て貰ったら、「ありがとうございます!」と言え!」
 「「「「「はい!」」」」」
 「迷惑をお掛けしたり、少しでも店の人の顔を歪ませたら、覚悟しろ!」
 「「「「「はい!」」」」」
 「上品な会話は期待してねぇ! だから小さな声で話せ!」
 「「「「「はい!」」」」」

 楽しい方々だった。
 主に石神が中心に話し、みんなが笑っていた。
 時々笑い声が大きいと叱られ、「それは石神さんの話が」と言ってまた叱られていた。

 雑賀が料理を持って行った。
 
 「おい、この方は世界最高のバーテンダーの方なんだ! 世界大会で優勝したんだぞ!」
 「そうなんですか!」
 「宜しければカクテルなど御作りしましょうか?」
 「こいつらには贅沢なんですが、じゃあお願い出来ますか? ああ、この諸見というのは酒が飲めないんです。すいません」
 「いいえ。ではアルコールの無いものを御作りしましょう」

 雑賀はそれぞれに合ったカクテルを作って持って行った。

 「諸見! クランベリーキューティーかよ!」

 石神が名前を知っているので雑賀は驚いた。

 「お前にピッタリだな! 雑賀さんは客を見通して一番似合うカクテルを作ってくれるんだ」
 
 また雑賀が驚いた。
 
 「諸見さんはとても純粋な美しい心の方だと見受けまして」
 「その通りなんだ!」

 石神が大変喜び、他の人間も笑いながら「なるほどね」と言っていた。
 数杯の酒を呑み、料理は沢山食べて店を整列して出て行った。
 店のみんなが笑って見送った。

 それから石神は米海兵隊という人間たちや様々な人間たちを連れて来た。
 みんなとても良い人たちだと雑賀は思った。

 ある日、石神に連絡し、アラスカでの仕事を引き受けると言った。
 石神は大層喜んだ。

 「自分が一生を掛けて働ける場所と思いました」
 「ありがとうございます」






 雑賀は翌春からアラスカへ移動し、広大なバーラウンジを任された。
 雑賀は全バーラウンジの総支配人となり、また雑賀専用のスペースも与えられた。
 石神が選んだと言う銘酒の数々に驚き、特に棚の中心に置かれた「ディーヴァ」の由来を聞いて感動した。

 「ここのお酒は雑賀さんにお任せします。自由に補充していって下さい」
 「かしこまりました」

 「虎の穴」に大勢の人間が働くようになり、バーラウンジ「True Tiger Hole(ほんとの虎の穴)」には、毎日大勢の客が集まるようになった。
 一流のシェフが料理を担当し、美味い酒と料理にみんなが喜んだ。
 食事はどこでも無料だが、ここは有料施設だ。
 だから酒が好きな人間が集まって来る。
 石神の与えた権限で、雑賀が判断して酔客を自由に帰すことが出来る。
 それが有難かった。
 どこにいても、酔った客のトラブルが最も悩ましい。

 雑賀は毎日を充実して過ごすようになった。 
 



 ある日、雑賀は石神に相談した。

 「妹の一人はもう結婚しているのですが、もう一人下の妹をここに呼び寄せたいのですが」
 「そりゃいい! 是非そうして下さい!」

 嬉しそうに笑う石神に、雑賀は感謝した。
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