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【聖者の薔薇園-開幕】

248.反撃の予兆

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「はっ、はぁ…」


 壁に手をつき荒れた呼吸を整える。
 小柄なことが幸いしたのか、物陰に隠れながらの移動は案外簡単だった。

 とは言え、どうしても見つかってしまう場面は少なからずある。そういう時は遅い速度ながらも全力で駆け抜けて、こうして神官達を撒いた後に息切れすることを何度か繰り返した。
 そろそろ体力も底をついてきた頃。聖者の気配はまだ少し先だけれど、流石に歩く気力がなくなってしまったので休むことにした。
 比較的人気の少ない狭い廊下に潜み、膝を抱えて木箱の裏に蹲る。声や足音が聞こえる度両手で口を覆って、呼吸すら聞こえないよう飲み込んだ。


「……」


 やがて落ち着いてきた頃、冷静になった頭で今後の事を考える。
 また一人ぼっちになってしまったけれど、それでも聖者が居る場所まではもう少し。どうにか孤独に耐えて、神殿の人間に見つからないように進むしかない。
 とにかく、マーテルを早く倒して神官や聖騎士達の暴走を止めないと。今もまだローズやトラード、ギデオンが死の瀬戸際で戦っているかもしれないから。これ以上大切な人達を危険に晒したくはない。

 そう考えると焦燥が湧いて、早くマーテルの元に向かわなければと顔を上げる。
 軽く立ち上がってその場から離れようとした時、不意に廊下の曲がり角の向こうから人の声が聞こえてハッと木箱の影に戻る。耳を澄ましてみると、会話をする人物達の恐怖と焦りに塗れた声が聞こえてきた。


「おい聞いたか!?向こうの応接室に熊が現れたんだとよ!!」

「熊の相手なんて冗談じゃねぇ…!食い殺されるなんて御免だ…!」

「な、なぁ…今なら逃げてもバレないんじゃねぇか…?」


 ぎこちなく続く肯定の言葉。
 どうやら神殿の内部に熊が現れ混乱が広がっているらしい。その情報を聞き付けた下級の神官達がこっそりと、けれど続々と神殿の敷地外に逃げ出しているようだ。
 魅了の効果でマーテルの指示に絶対服従しているとはいえ、流石に本能的な恐怖には抗えないのか。確かに熊が目の前に現れたら、どんな心理状態でも真っ先に恐怖が生まれるだろうけれど…。

 それにしても、どうして熊が神殿に?ここは帝都の真ん中で、周囲に森があるわけでもないのに。
 仮に熊が本当に現れたのだとすれば、その熊は一度も巡回の騎士に見つからず街中を進んできたということになるけれど…。そういうこともたまにはあるのだろうか。

 ちっちゃくて可愛いデフォルメもふもふクマくんを無意識に思い出す。クマくんは大柄で厳つくて凶暴な熊とは全く違うけれど。


「っ……!」


 クマくんが燃やされる光景が蘇り、慌ててぶんぶんっと首を振ってその記憶を隅に追いやった。
 今は悲しい記憶を思い出して落ち込んでいる場合じゃない。クマくんのためにも、僕がきちんと全てを終わらせないと。悲しむことも後悔もその後でいい。

 幸運なことに、今は熊を恐れた神官達が逃げ出しているから警備は手薄。聖騎士達の目から逃れさえすれば、マーテルの居る場所まで駆け抜けることも出来るかもしれない。
 神官達が立ち去ったのを確認して恐る恐る木箱の影から顔を覗かせる。そろりそろりと廊下に出ると、そそくさーっと表の広い廊下まで忍び足で歩み寄った。


「む……」


 左右きょろきょろ。一応上と下もきょろきょろ。うむ、気配は何もなし。この廊下にはもう誰もいないようだ。

 そろりそろり。気分は忍者。音を立てず踏み出した直後、不意に背後からぬるっと腕が伸びてきた。
 その腕にむぎゅっと抱き締められ、背に広がった温もりに驚いて「ぴゃっ!!」と思わず声を上げる。すぐに口を塞いでびくびく振り返り、はっと表情が輝いた。



「ライネス…!」

「やぁフェリ。ようやく会えたね」



 嬉しそうに頬を緩める見慣れた綺麗な顔。
 馴染みの笑顔と纏う香りと温もり。途端に気が抜けてへなへなと腕の中に倒れ込む。むぎゅーっと抱き着いてうりうりすんすん、強張っていた体からふにゃあと力が抜けた。


「らいねす…らいねす…うぅ…」

「わ、再会早々かわいすぎる…。よしよし、私が来たからにはもう大丈夫だからね」


 圧倒的な安心感。封じていた緊張やら悲しみやら後悔やらが全部ぶわーっと決壊して外側に零れ始める。その表れみたいに、たちまち視界が滲みだした。
 ぐすぐす涙を堪えつつむぎゅーを強くすると、ライネスも当然のようにひょいっと抱き上げてくれてほわほわ心が温まる。
 もう大丈夫。ライネスの自信に満ちた言葉通り、もう大丈夫だと確かに思えた。

 少し落ち着いて涙も収まった頃。不意にハッと我に返って、そもそもの疑問をライネスに投げかけた。


「どうしてここに?どうやって入ったの?一人できたの?」


 思わず質問攻めしてしまう僕にもふわりと優しい笑みを浮かべるライネス。宥めるようにぽんぽん撫でられしょんと冷静になる。
 ライネスは辺りを警戒する素振りもなくいつも通りの様子で歩き出し、そのまま静かに説明してくれた。


「一人じゃないよ。父上と一緒に来たんだ」

「パパと?パパが来てるの?」

「うん。フェリのお父様も来ているよ。それと団長…フェリの伯父様もね」


 予想外の回答にぱちくり瞬く。
 パパが来ているだけでも驚愕なのに、お父様とおじさんまで?ということはつまり…特に影響力のある騎士団の団長たちが神殿に集まったということだろうか。
 一体どうして。疑問がいまいち解決できずきょとんとする。そんな僕のほっぺをふくふくと突っついて遊んでいたライネスがにっこり笑った。


「団長達…と言うよりは、騎士団全体、と言った方が正しいかも」


 む?と首を傾げる。サラッと告げられた言葉の規模が大きくて、理解が少し遅れた。
 どこか含みのある、何か企んでいるような愉しそうな笑顔にびくりと肩を揺らす。まさか、ライネスはパパ達と何かをするつもりなのだろうか。


「安心して。もうすぐ神殿の全ての機能が停止する。浄化活動も終わり。聖騎士も全て捕らえられる事になるからね」


 ニコニコ笑顔のライネスの裏に、魔王様みたいな笑みを浮かべたパパが見えたような気がした。

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