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九月『子猫の嫁さがし』

その四

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「……ね。おとね、おとね」

 音音は夢の中にいた。
 そして『彼』は、音音の夢枕に立っていた。

「……? どちら様ですか……」

 音音は身を起こす。寝室は静寂に満ちていた。
 声の主を探して、音音は辺りを見渡す。

「おとね、僕だよ。こっちこっち」

 声はどうやら、勝手口の方からしているようだった。隣で眠っている夫を起こさないよう、音音は部屋を静かに抜け出し、台所へ向かう。すると、勝手口を小さく控えめに叩く音が聞こえてきた。
 そこを開けると、立っていたのは――

「……? ええと」

 やはり、見知らぬ顔――唯助や世助より少し年上で、柄田よりは年下に見える、風変わりな青年である。
 白っぽい肌に、茶色と黒が斑に混ざった髪色。頭の上には三角の柔らかそうな物体。着物は白地に金の刺繍。豪奢な着流しであったが、青年は若いながらも決してそれに見劣りしない風格であった。そしてなにより特徴的であったのは、先の千切れた尻尾に、左の隻眼。
 見知らぬ顔であっても、音音はその青年の正体が分かった。

「貴方は――!」
「気づいてくれた?」

 青年は柔らかく微笑むと、音音の手を両手で握った。

「あの時はありがとう。君が手当てをしてくれたおかげで、こうやって命拾いしたよ」

 青年の姿になった猫の目は、黄金色に輝いている。その背後に浮かぶ月のようにくっきりとしていて、音音の黒い瞳を眩く照らしていた。音音は黄金色の瞳に見入っていた。

「君は可哀想な子だね」
「可哀想……?」
「冷徹で意地悪で貧相で、変な前髪をした男、あいつは酷いやつだ。優しい君のことを脅かして。手下たちもみんな酷いやつだ。狭いお家の中に閉じ込められて、君は虐められているんだね」

 青年は音音の手を握ったまま持ち上げると、その手の甲に――恭しく口づけた。

「愛しくて優しい、僕のおとね。もう少し待っててね。僕が君を助けてあげるから。そしたら、僕と――」

 ――そう、夢と言ってもそれは【夢】。
 譚本の禁書が見せた【夢】であった。
 月が煌々と輝く【夢】の中で、そんな会話がなされたのは、三毛猫と七本屋の男衆が壮絶な追いかけっこを繰り広げたその日の夜である。


 *****


 さて、現在――結界で怪我をした猫をめぐり、七本夫妻が大喧嘩した日の翌朝である。
 はっきり言って、というか、誰がどう見てもはっきりと分かるほど、音音の状態は悪化していた。

「お、音音、音音さんや…あの、そこから出てきてくれんか」
「しゃ――ッ!」

 部屋を訪ねた三八が目にしたのは、猫耳どころか尻尾まで生やし、毛並みを逆立てて自分を威嚇してくる音音の姿だった。
 その日の朝、いつも日の出前に起きるはずの音音が起きてこなかった。双子も柄田も、三八も起きたというのに、音音だけが起きてこなかったのである。このままでは音音がいつも行く朝市が終わってしまうと危惧した三八が恐る恐る音音を起こしに行ったところ、このような有様だったのである。
 髪を梳かし着替えるなどの身支度もせず、寝間着のまま部屋の隅で怯えて、極めつけは人語ではなく猫語を話すようになってしまった。

「おいおい、姉御! どうしちまったんだよ!?」

 様子を見に来た他の三人に対しても、音音は敵意を露わにしていた。怯えた子猫が大きな犬などに向かって精一杯の虚勢を張っているようなものだ。

「ど、どうするんですか……あれじゃあ守るどころか、姐さんに近づけないですよ!」
「……っ」

 守りたいはずの存在。
 守ると誓った娘が、よもや自身に牙を剥くなど、誰が想像できようか。
 まして、音音は――元・実井寧々子は、父を殺された時ですら、そのわざわざ真意を語られずとも理解し、殺した相手である三八を恨まなかったほど聡い娘だ。
 それが今はどうか――音音は完全に三八に対して怯え、近づくなと威嚇している。

「……は」

 三八はひとつ大きく息を吐き出すと、敵意をむき出しにしている音音を静かに見つめた。

「……音音、悪かった。今すぐ出ていくから、そこにいておくれ」

 そして、茫然としている三人を引き連れ、居間へと戻った。


「どうするんだよ? これじゃあ姉御が本当に猫になっちまうのも時間の問題だぜ」

 双子にはもちろんだが、三八でさえも――この状況を打破する手段が浮かばなかった。猫を捕まえれば音音を怒らせ、結界によって隔離しようとすればなじられ、挙句近づいただけで威嚇されるこの始末。音音の目が届かない場所で元凶の猫を見つけて対処したいところだが、それも難しい話であろう。

「……七本。ここまできたら最終手段に出た方が良いのではないのか。もはや、これを除いては万策尽きたも同然だろう」
「………」
「貴様にはできんことかもしれんが、私ならできる。その気になれば――」
「柄田」

 柄田の台詞を三八の声が途中で遮る。
 もちろん、単純に名を呼んだわけではない。牽制である。

「貴様らは何のためにいる? 中央図書館は何のためにある? 小生はそれを絶対にやるなと教えたはずだが」
「だが、このままでは……」
「柄田」

 三八はまた、柄田の名を呼んだ。それだけで、柄田の声はぴしりと止まる。
 三八は決して大きな声を出していなかったが、三八が本当に怒っている時は自分の心臓の音が鮮明に聞こえてくるほど静かになる。
 唯助も、六月でつゆのやの主人に対して怒りを表したときに、間接的に経験している。しかし、この男の普段があれなものだから、喉の奥が締め付けられるようなこの空気にはちっとも慣れない。

「……分かった。それはなしだ。だが実際問題、どうするつもりだ? 貴様の言葉さえ、音音殿はもう受け付けないぞ。人間の言葉はまだ辛うじて理解しているようだが」
「……なあ、一つ思うんだけど」

 恐る恐る、というように控えめに手を挙げたのは世助だった。

「姉御がおれらの話を聞き入れないんだとしたら、おれらじゃない他の人が説得するってのはないか?」
「他の人?」
「例えば――姉御にとって、おっさんより大事な人、とか」

 もちろん、音音はここにいる人物以外にも交流はあるし、住んでいる以上は近所付き合いもそれなりにあるはずだ。
 問題は、三八と同等かそれ以上に、という条件である。
 唯助にも柄田にも、それを満たせる人物は思い当たらない。

「この棚葉町に音音殿にとって七本に匹敵するほどの大事な人がいるだろうか」
「姐さんが一番好きなのはやっぱり旦那だよな。旦那以上にってのはちょっと難しいかも……」

 世助とてこれは駄目元の意見なのだが、やはり三八よりも、という条件が厳しい。しかし、三八はぱっと何かを思いついたようだった。

「――! 待て、考え自体はいいかもしれん」

 音音は三八が一番好き――というのは現在の話である。三八と出会うまでほとんど外界と交流することのなかった音音だが、交流自体がなかったわけではないし、当然ながら、その三八と出会うまでは、三八以外の人物が彼女の一番にいたのだ。
 もっとも、もうこの世にはいないのだから、この場に『その人物』を呼ぶことは叶わないのだが――。

「音音は小生と出会う前、なにより両親を慕っていた。ここには呼べないが、再現だけでいいならこの上ない適役がいる」

 三八は一度、臙脂色の暖簾の向こうに姿を消し、再びある禁書を手にして戻ってきた。

「紫蔓、おいで」

 そう、柄田も唯助も知る禁書・『ある女』である。

「はいはーい」

 お気楽な返事と共に、禁書から紫陽花の花びらを舞わせて紫蔓が現れる。
 淑やかな藤紫の着物に身を包み髪をしっかりと結い上げた姿には、あまり似合わないお気楽さだ。

「あら、いつかの色男じゃない。お久しぶり~」

 紫蔓は柄田に愛想を振りまくが、柄田はそれに反応することなく、ただ黙殺した。自身の部下を三人殺されているのだから、反応は当然と言えよう。
 紫蔓は柄田の鋭い視線に構うことなく、「ご用かしら?」と三八のほうへ向き直る。

「君、ちょっと音音を説得してもらえんか?」
「説得? なによ、それ」
「これこれこうこうかくかくしかじかで」

 三八が経緯をさらさらとさわりだけ説明すると、紫蔓はそれだけで三八の意図を察したようだった。仕方ないわねぇ、と若干男たちを小馬鹿にしつつも、腰に手を当てて胸を張り、自信満々といった様子で

「いいわよ、可愛い音音ちゃんのために一肌脱いであげましょ」

 と、すんなり引き受けた。

「この女を使ってどうするつもりだ。信用はできるんだろうな」

 柄田が紫蔓を親指で乱暴に示しながら尋ねる。

「【夢】を見せるのよ。音音ちゃんの大好きなお母様、会いたくてたまらないと願ってたお母様になって、『その猫は危ないから離れなさい』って言い聞かせるの。『ある女わたし』の能力は『懐古』だからね。女性限定なのが少し不便なんだけど、女性であればどんな人でも再現可能よ」

 懐かしい記憶の中にある女性の【夢】――唯助は六月に、それを身をもって体験していた。

「そういうわけだ。ともかく紫蔓、よろしく頼んだよ」
「はいな、音音ちゃんがお昼寝してる時にでも行かせてもらいましょうかね」


 *****


「おとね、おとね」

 音音の枕元には青年がいた。
 二日前の月夜に現れた、左目のない青年である。
 青年は眠っていた音音の髪を撫で、外を向いて垂れていた猫耳を撫でる。

「……猫ちゃん?」
「ごめんね、おとね。こうして【夢】でしか話しかけられなくて。あともう少しの辛抱だからね」
「ん……」

 青年の手は音音の頬に触れる。
 猫をもみもみと撫でるようなときの仕草をするその手からは、なんだか愛おしい匂いがした。

「……猫ちゃんは」
「ん?」
「猫ちゃんは、大丈夫? 反対の手、怪我したでしょう?」

 撫でていなかった方の手に、音音は気づいていた。音音が昨日、手当で包帯を巻いた手である。
 その下には酷い火傷があるのも、音音は知っている。

「大丈夫だよ、ちょっと怪我しただけ。これくらい、君を助けるためならどうってことないさ」

 猫の青年は健気に笑う。音音はその笑顔に、酷く心を痛めた。

「……本当に、ごめんなさい。あの人が酷いことをして。わたくしを守るためと言って、貴方を虐めてるのね。……あんな人、大嫌い」

 昔はあんな人ではなかったはずなのだけど、どうしてこの青年に対して、こんなに残酷なことをするのだろう。
 ――そもそも、あの人は優しかったのだろうか。音音は思い出そうとするが、思い出せなかった。思い当たらなかった。

「でも、もうすぐ行けるよ。君を助けに行く。君を迎えに行くからね」
「迎えに?」

音音に向かって青年はふわりと微笑むと、――彼女をそっと抱きしめた。

「ねえ、おとね。僕のお嫁さんになって。優しい君のことが大好きなんだ。あの男が意地悪しないよう、君を守るって約束するから。――僕と結婚しよう」


 *****


 さて、日が傾き、空が茜色になる時分である。
 煮炊きのできる双子が手分けして飯を作っていたその時、紫蔓は書斎に現れた。その顔に貼り付けていたのは、心底不愉快そうな、見事なしかめっ面である。

「失敗したぁ?」

 紫蔓の報告を聞いて、結界を張っていた三八はたいそう驚いていた。

「音音ちゃんの夢枕に立てなかったのよ。先客がいて、弾き飛ばされちゃった」
「先客だと?」

 横で聞いていた柄田の眉尻が釣り上がる。
 三八も一瞬で周囲の空気を強ばらせた。

「本当にまずいわよ、音音ちゃん。記憶や感情にまで干渉されてる。大事なお母様の記憶も見つからなかったのよ」

 聞こえてくる不穏な報告内容に、双子も飯の準備を止めて書斎の入り口まで駆けつけた。
 紫蔓が次に口にしたのは、全員が揃って声を上げる内容であった。

「あの猫、あんたの妻を奪って自分の嫁にしようなんてとんでもないことを考えてるわよ」
「「「「はぁ!?」」」」

 四人の男が、全員同じ反応を、一秒一瞬たりともズレることなく返す。

「たまにいるでしょ。勘助ってやつ」
「「勘助??」」

 今度は双子だけが同時に首を傾げる。
 勘助さんとはどこぞの勘助さんだろうか、などと思って傾げたのだが、もちろんそんな意味で紫蔓は使ったのではない。

「あの猫は七本三八のことを冷酷無比な魔界の王様かなにかだと思ってんのよ。そして、音音ちゃんはその魔王に囚われている可哀想なお姫様。自分は可哀想なお姫様を助ける正義の味方なんだ! …………っていう勘違いをしてるのよ、あの雄猫。だから勘助」
「「あぁ、なるほど……」」

 それは勘助さんが可哀想だ。この棚葉町にもし勘助さんがいたら、絶対に今ここにいて欲しくない。

「そこから上手く結婚にこぎつけてやろうって考えてる時点でいけ好かないけどね。人妻好きの勘違い妄想野郎、あぁ気持ち悪い気持ち悪い! 勘助ってつまり、『違い兵衛野郎』の略なのかしら。だとしたらおあつらえ向きの呼び名ね」

 紫蔓はおええと吐き出すように舌を出して、毛穴の粟立った体をさすっている。上品に白粉と紅を差して顔を整えているのに台無しである。
 柄田はそんな紫蔓を見て鼻白んだ。

「男を貪っていた貴様が言うことか」
「やぁだ、ごっちゃにしないで。それはそれ、これはこれよ。いーじゃない、もう貪ってないんだもん。心が狭い男はチ〇コも小さくなるわよ。七本三八くらいデカい男になりなさいよ」
「およしなさいな、紫蔓。淑女が『チ〇コ』なんて言うもんじゃないよ」
「……」

 悪びれない。さすがは男を色んな意味で貪っていた悪女である。下ネタまで容赦ない。
 柄田はますます顔を顰めた。

「魔界の王様ねえ。このふざけてばっかのおっさんにはご大層な肩書きだぜ」
「おい、世助。お前、ちょっと失礼だぞ」

 その横で双子もやいのやいの言っている。
 話が脱線気味だ。

「魔王か。よもやそんな不名誉な扱いをされていたとはなぁ」

 既に変人の烙印を押されているお前が何を言うか。そんな当然のツッコミを入れる人物は今更いない。

「でも、禁書わたしたちにとっては、それもあながち間違った表現ではないのよ。ねぇ、『毒の王様』?」
「なんだそのいかにも悪逆無道そうな呼び名は」
「本棚のご近所さんたちが言ってたわ。あの優しそうなツラした腹黒先生がそう呼びはじめてね。みんな面白がって呼んでるわよ」
「……あの似非エセ教師め」

 しかし、禁書たちからしてみれば言い得て妙である。
最強の【毒】を持つ禁書『糜爛の処女』――その【毒】を操り、その支配でもってあらゆる禁書を従える禁書士。
 畏怖嫌厭いふけんえんの念からか、あるいは主人に対する多少の敬意もあるのか――どちらにしても、これほど簡潔に、巧妙に言い表した呼び名があるだろうか。

「あんなに怖い蛇を自分の思うがままに操れるんだもの、人間だろうと屈服して従うしかないわ。ねえ、『毒の王様』?」

 にやにやしながらあてつけのように名を呼ぶ紫蔓に向かって、三八は盛大にため息をついた。部屋全体に聞こえるような、盛大なため息をついた上で、紫蔓を恨めしげに見た。目は見えないので威力は無いに等しいが。

「まるで小生が奴隷を恫喝して無理やり働かせているかのような物言いだけどね。小生はその最強の【毒】で君たちを必要以上にいたぶったことはない。この店で君たちを自由にさせているだけ、帝国司書隊よりも優しいと思うぞ。恩着せがましい言い方をするのは小生の流儀じゃないけれど、君は本来牢獄行きだったんだよ? 意地汚く尻軽で男を散々食い荒らすような救いようのない悪女に目をかけ拾ってやったのは誰だ? 裏で呼ぶ分には口出しせんが、小生本人を前にして不興を買うなら、今すぐこの柄田に引き渡して中央図書館行きにしてもいいんだよ?」
「まあ、怖い怖い。やっぱり魔王じゃない」
「やかましい。実行されたくなかったら機嫌のひとつでも取ってみろ」

 三八が懐から取り出した煙草を咥えると「はいはーい」と紫蔓がすかさず燐寸マッチの火を差し出す。
 吸い込まれた酸素で煙草がじいと燃え、ふー…と煙が吐き出されたのを合図に、脱線した話は元の場所へようやく戻る。

「で、問題なのはその勘違い妄想も甚だしい泥棒猫の思考に音音ちゃんも染まりかけてるってことなんだけど。あんた、なんでこうなるまでこんな回りくどいことばっかしてたの? この場合、一番手っ取り早くて有効な手段があるじゃない」

 紫蔓は本気で分からないというような顔で聞いていた。まさかあんたみたいなさかしい人間が気づかないわけないでしょうに、という皮肉と呆れまじりの態度である。

「それってどんな手段なんだ?」

 世助が聞くと、紫蔓はなんてこともないように答えた。

「簡単よ。本体を見つけ出して燃やしちゃうの。あのクソキモイ泥棒猫は即お陀仏だし、音音ちゃんの洗脳だって一発解除よ」
「なんでそれを言わなかったんだよ、おっさん!」

 世助がそう言うのも当然である。
 それは根本的なところから問題を解決できる方法である上に、本体の禁書を探すという難問さえ乗り越えれば一番迅速な手段でもある。
 しかし、唯助もそうは思った反面、三八がこの方法を言わなかった理由もすぐに、何となくわかった。

「私が先ほど言いかけたさ。却下されたがな」

 柄田は先ほど、それを最終手段と言い表した。――否、本来はそれは最終手段にはなりえない。最終手段としても取るべき方法ではない――いわゆる禁忌である。

焚書ふんしょは七本が最も忌み嫌うものだ。――それに帝国司書隊も、十年前から焚書は禁じている。理由は分かるな?」
「…? あー、っと?」
「あ、藤京禁書事件!」

 まだ世間知らずな世助はすぐに思い当たらなかったが、物を知り始めた唯助はすぐに分かった。
 藤京禁書事件、またの名を藤京大震災――言わずと知れた、大陽本史上最悪の禁書事件である。

「震災以前は、回収した禁書は焼却するのが当たり前だった。それが一番確実な方法だと信じられていたからな。それ以前から唯一焚書に警鐘を鳴らし続けていたのが七本だ。――とはいっても、帝国司書隊はそれに一切取り合わなかった。あの巨大な震災が起きて、ようやっとその危険性を知ったということだな」
「そもそも災害の危険性以前に、本を取り扱う職の人間が本に敬意を払わぬということ自体が片腹痛いわ。ましてや火をつけて燃やすなど、罰当たりにも程がある。たとえ相手が禁書であっても許されない愚行だ」
「あら。毒の王様は禁書に対してずいぶんとお優しいのね」

 三八の口にする信念に、紫蔓は皮肉にも聞こえるような口調で、しかして純粋に疑問に思いながら言う。

「禁書だろうが本は本だ。そこに人の紡いだ譚があることに変わりはない。作家たちの魂を消し炭にするなど決して許されぬ」

 禁書を忌避し、譚本も恐れる世間的から見れば、三八の思想は異端といえる。しかし、無類の本好きである三八からすれば、異端でも何でもない。扱いに気をつけなくてはいけないだけで、全て同じ譚本なのである。

「あの猫も殺さない。殺さないで音音を助ける。それだけは譲らん」

 三八は音音のいる寝室に目をやった。
 ――その時であった。
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