彼方の大地で綴る【四章まで完結済み】

しいたけ農場

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第三章 名無しのエトランゼ

3‐2

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 イシュトナル自治区。

 先日王都に呼び出されたエレオノーラ達は見事にそこで起こった一つの事件を解決し、本拠地であるイシュトナルに帰還することに成功した。

 とはいえ彼等に休む暇などはなく、主要メンバーであるヨハンやエレオノーラは今日も様々な政務に追われている。

 そしてここにも一人、彼等の留守を護りそして戻ってきた今こそその手腕を遺憾なく発揮するべく張り切っている一人の女性がいた。

 彼女の名はサアヤ。肩口ほどで切り揃えられた黒髪の、エトランゼの女性である。年齢はカナタ達よりも若干上で、今年ようやく元居た世界の法律に照らし合わせてお酒を飲むことができるようになった。

 リザレクションという珍しく有用なギフトを持ち、ウァラゼルを巡る戦いでは地味ながらも最大級の功労者と言っても過言ではない。

 そんな彼女は戦いの後冒険者に戻ることはなく、イシュトナルで仕事を貰うことに成功していた。


 しかし、周囲からは医療部門への配属を期待されていたのだが、サアヤはそれを断った。

サアヤは偶然そのギフトを持っただけで医者ではない。そんな自分が医療の場で口を出すなど、許されることではないと考えたからだ。

 勿論、それは別として自分の力が必要な時は力を貸すつもりではある。

 さて、ではそんな彼女がどんな仕事をしているかと言えば、それは誰にも判らない。そう、彼女自身にも。

 まずは要塞内での家事手伝い。食事や洗濯を含む雑用係としてエトランゼの女性を中心に多く雇っているので、彼女達の取りまとめ、時には率先して家事を行うこともある。

 次にエレオノーラへの取次や彼女の身の回りの世話。身一つで逃げてきたエレオノーラは当然侍女など雇う余裕もなく、流れ的にサアヤがその役割を担っている。

 三つめは各部への情報の伝達や、書類の受け渡し。この業務に関しては別にサアヤ一人の仕事と言うわけでなく、いつも要塞内を行ったり来たりしているためついでとして頼まれることが多い。

 先の三つが組み合わさった結果、サアヤはなし崩し的にイシュトナル本部の顔役として兵士達や勤めている給仕達から妙な親しみを受けることになった。

 そんな彼女の自分の中では最大の仕事であり、最も楽しみにしている最後の仕事がヨハンへのお茶入れや仕事の手伝いなどを含めた秘書役だった。

 かつて憧れていたエトランゼは、力を失って戻ってきた。もう昔の自分とは違うと彼は言うが、力のあるなしなどサアヤにとっては些細なことである。

 救われて、憧れたのだ。

 そしてウァラゼルの時も、彼は尽力した。自分の力のあるなしに関わらず。

 それだけでサアヤにとっては充分だった。

 先日までオル・フェーズに行っており寂しい思いをしていたものだが、今日はもう執務に取り掛かっているだろう。彼が処理すべき案件も溜まっており、そろそろ疲れも出てくる時間帯だ。

 まずはお茶とお菓子を差し入れて、休憩がてら少しお喋りをして。更には仕事の手伝いをすることで一緒にいる時間を最大限に引き伸ばすという、サアヤ渾身の策がそこに込められていた。


「おお、サアヤさん。ご機嫌ですね?」

「はい! それはもう!」


 盆を持ち、三階へと階段を上がっていくサアヤに、兵士がそう声を掛ける。見た目も可愛らしいサアヤに満面の笑顔で返されて夢見心地になった彼だが、実際のところ彼女の頭は他の男のことで一杯で、彼と挨拶をしたことすらもう覚えていないということは、永遠の秘密にしておいた方がいいだろう。

 そしていい香りのするお茶とお菓子の乗った盆を持ったサアヤは、若干緊張した面持ちで部屋の扉を二度叩く。


「サアヤです。お茶をお持ちしました」

「入ってくれ」


 片手に盆を持ち変えて、扉を開けて入室する。


「失礼します」


 そう言って入った部屋は、最奥に外からの光を取り入れるための大きな窓と、その手前に大きなテーブル。

 そこに腰かけた短髪の男性の名はヨハン。サアヤの憧れの人物でこの部屋の主でもある。何故かいつものローブではなく、簡素なシャツを着ていた。


「お茶が入りましたので……」


 言葉が途中で切れる。

 視界の隅に見慣れないものが映る。サアヤの知る限りでは一つしかテーブルがなかったこの部屋に、何故かソファとそれに合わせた高さのガラス製のテーブルが置かれていたのだ。

 いやそれよりも。

 部屋のインテリアはどうぞご自由に変えてもらって構わないし、むしろ声を掛けてくれたのなら一緒に家具も選べたのになぁとか、そんな余計なことが一瞬頭を過ぎったが、問題なのはそこではない。

 ヨハンの横に、見慣れない人物が見える。

 ショートの金髪、一見少年のようにも見えるが、幼いながらも醸し出される不思議な色香はすぐにその印象を撤回させる。

 年齢はサアヤより大分下のように見える少女が、ヨハンの横にくっついて一緒に書類を見ているのだった。

 そう。くっついて。

 サアヤから見て二人の距離は大分近い。普段のヨハンと、その弟子であるカナタほどの近さがある。いやそれもサアヤとしては問題があるとは思うのだが、その二人に関してはそういうものだとまだ自分を納得させることができる。


「……サアヤ?」

「お久しぶりですヨハンさん王都はどうでしたかエレオノーラ様の護衛も大変でしたでしょうそれで今後のことに関して何ですけど見ての通り書類が大量にたまっていてわたしができることはお手伝いしようとしてここに来たんですけど後お茶が入りましてそれから珍しいお菓子が手に入ったんですほらチョコレートですよチョコレート行商人の方から買ったんですけど何処かでカカオの栽培もやってるんでしょうかねところでその子は誰ですか?」

「待て待て。なんでそんなに早口なんだ……。こいつはアーデルハイト。アデル、彼女はサアヤ。このイシュトナルの……」


 ヨハンは言い淀む。その役職がなんであるかを問われれば、誰も答えることはできない。


「まぁ、あれだ。雑務全般の責任者だ。多分」


 至急、サアヤにちゃんとした役職を与える必要があると、ヨハンは心の中に刻み込んだ。


「で、サアヤ。こっちはアーデルハイト。えっと……昔一緒に暮らしてた、世話になった人の孫娘だ」

「家族よ」


 きっぱりと、アーデルハイトはそう宣言する。


「家族!?」

「ええ、家族」


 深々と頷くアーデルハイト。


「……まぁ、家族か」


 その関係は他に言いようもない。


「あー、なんだ……。説明し辛いんだが、関係としては姪っ子とか、従妹とか、その辺りを想像しておいてもらえると助かる」

「そ、そうなんですか……。えっと、それでアーデルハイトさんは何をしているんです?」


 姪っ子と言われれば、サアヤも多少は安心して落ち着きを取り戻す。実際のところは何も問題は解決していないのだが。


「書類の書き方を学んでいるの。わたしでもできそうなことがあれば手伝おうかと思って」

「へぇー、偉いですねー。ヨハンさん、可愛い姪っ子さんですね」

「いや、実際に姪っ子ではないがな」


 そう言われてみれば随分と可愛らしく見えてくる。若いどころか幼いと呼んでもいいぐらいの年齢の彼女に対して、サアヤが警戒することなどないだろう。


「えっと、改めてお茶が入りました。アーデルハイトさんの分もチョコレート、持って来ましょうか?」


 ヨハンのテーブルの端に、お茶とお皿に乗ったチョコレートを乗せていく。一個つまみ食いしたが味は殆ど元の世界の物と変わらず、美味しいだけではなく懐かしい気持ちにもなるものだった。


「自分で煎れるから大丈夫。それから、今後は彼の世話もわたしがするから」

「いいえ、大丈夫です。それもわたしの仕事ですから。お姉さんにお任せですよ」

「サアヤさんには色々な仕事があるみたいだし、いつも傍にいるわたしがやった方が手っ取り早いと思うわ」


 椅子に座ったままこちらを見上げるその目を見て、サアヤは己の読みの甘さを悔やんだ。

 彼女は全く安全ではない。むしろそれどころか、下手をすればこのイシュトナル全域で最も危険な可能性すらありうると。


「いいのよ。あまり子供が働き過ぎるものではないから。ねぇ、ヨハンさん?」

「ん、ああ。そうだな」


 お茶を飲み、書類と向かい合いながら、ヨハンからは気のない返事が返ってくる。それはちょっと面白くはないが、今だけは好都合でもあった。


「ほら、ヨハンさんもこう言ってますし」

「でもわたしが他にすることがないのは事実よ。彼の部屋でずっと待っているわけにもいかないし、だったら少しでも仕事を手伝うべきじゃない?」

「ああ、そうかもな」


 またも聞いているのかいないのか、空返事だけが帰ってきた。


「いいんです! 子供は遊ぶのが仕事ですよ!」

「そう言われても、わたしは一応は捕虜なのだから……。捕虜には労役が課せられるものでしょう?」

「……そういうことになるのか?」


 首を傾げながらも、ヨハンは書類から顔を上げない。実はこの面倒事から全力で回避しているのではないかという疑問すら浮かび上がってくる。


「捕虜? いえ、そんなことよりもさっきすっごく聞き捨てならないことが聞こえてきたと思うんですけど! 彼の部屋って言いました? ひょっとして一緒に暮らしてるんですか!?」

「ええ、暮らしているわ。家族だし」


 びきりと、サアヤの身体が固まる。

 それは拙い。実に拙い。例え年齢差があるとはいえ、若い男女が同じ部屋で生活すれば、いつ間違いが起こるか判ったものではない。ただでさえヨハンの住居は狭いのだから、お互いに自然と距離も近くなる。

 ぎぎぎと、油が切れた機械のような動きで、サアヤの顔がヨハンの方を向いた。


「……一日泊めただけだろう。そのうちに住居も探さなくちゃならん」

「そうね。あそこは二人で暮らすにはちょっと手狭だもの」

「いや、そういう意味じゃないんだが」

「ヨ……」


 二人の会話も、最早断片的にしかサアヤの耳に入っていない。


「ヨハンさんのロリコン! 変態! むっつりすけべ!」


 そう叫び声を上げながら、哀れサアヤはショックのあまり思考を破棄して、その場から走り去っていくのだった。
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