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ホワイトデイズ【SIDE: マルク】二年前
いつもあんたを見てた
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別に、それがきっかけで親しくなるとか、そういうことはなかった。二年の学年差は大きい。そもそも運動家クラスと学者クラスの間に接点はほとんどない。
おれは毎日体を鍛え、練習を重ね、あらゆる陸上競技で記録を伸ばし続けた。
放課後など、バスケットコートでじゃれている下級生の中で、ヴァレンチンの姿を見かけることがあった。おれが教えた通りの端正なフォームでシュートを決めているのを見ると、胸がツキンと痛くなる。「あんたのことは忘れてない」と告げられているような気がする。
それでもおれは近づいていって声をかけたりはしなかった。
――そんな間柄じゃない。そうだろう?
二か月が過ぎた。
おれはポラツクで開かれる有望な若手陸上選手の特別強化合宿に招待され、出発を間近に控えていた。教官によると、ポラツクはここよりだいぶ北にある寒い街らしい。
夕方、「バンプアップ」センターで筋トレをしていると、おれの正面でトレーニングをしているガニーが、おれに向かって妙な感じで目玉を動かした。――目に汗でも入ったのか?
続いて、口をぱくぱくし始めた。その唇の形は「後ろ」と言っているように読めた。
おれはダンベルを下ろし、振り返った。
センターの入口のところにヴァレンチンが立っていた。学者クラスの生徒がこんな所へ来るのは珍しかったから、ひどく目立っていた。
振り向いたおれと視線が合うと、ヴァレンチンはばつが悪そうな表情になり、すっと姿を消した。
逃がすかよ。おれは校舎へ向かう渡り廊下の途中でヴァレンチンに追いついた。すでに日が沈み、辺りは夜に包まれていた。煌々と照らし出された白い廊下で細い腕をとらえると、相変わらず鋭い眼光が、恐れげもなくまっすぐこちらを見上げてきた。
「なんで追いかけて来るんだよ。トレーニング続けてろよ」
「おれに話があって来たんじゃないのか」
「話なんかねーよ」
「じゃあ……どうして来たんだ?」
ヴァレンチンはつかまれた腕を振りほどこうとしたが、おれの力にかなうはずがない。あきらめたのか、怒ったようなため息と共に言葉を吐き出した。
「あんたを見たかったんだよ。……あんたが運動してるところを見ると、胸がスカッとするんだ。あんたは誰よりも強くて速いから」
そんなことを言われるとは、思いもよらなかった。
おれがこいつを遠くから眺めていたのと同じように、こいつもおれを見ていたのかと思うと、なんだか不思議な感情で胸が苦しくなった。
日が落ちた後でもグラウンドは明るく照らし出され、生徒が自主的に運動できるようになっている。
無人のバスケットコートで、おれたちはなんとなくボールを投げ合いながら話をした。
「いろいろ調べて、[外]の世界のことを知れば知るほど……息苦しくなるんだ。『閉じ込められてる』って感覚が強くなる。俺はいつも《遠足》に行くと、[外]の住人に声をかけて話をするんだけど。俺たちの暮らしているここは、[外]と比べると、ずいぶん変な所みたいだぜ」
ヴァレンチンが投げたボールがおれの掌に飛び込んでくる。
それを投げ返しながら、おれは首をかしげた。「閉じ込められている」と感じたことなど、これまで一度もない。この学園都市は確かに高い塀で囲まれているが、十分に広くて快適だ。
「あんた、『親』って何だか知ってるか」
ボールと一緒に質問が飛んできた。おれはふんと鼻を鳴らした。
「馬鹿にするな。それぐらい知ってる。おれを産んでくれた人間を、おれの『親』というんだろう? すべての人間には『親』がいる」
「じゃあ、どうして俺たちには親がいないのか、考えたことはあるか? 俺たちは全員、この学園都市で生まれて育ち、自分の親を見たことがない」
考えたことはない、と認めざるを得なかった。
手にぶつかるボールが固い。
ヴァレンチンは胸に押し込めていたものを吐き出すように、強い口調でしゃべり続けた。
「俺の誕生日は十二月四日だ。クラスメートは全員、同じ誕生日だ。俺たち四十人はみんな同じ日に生まれた。……あんたのクラスだってそうだろう?」
もちろんそうだ、とおれはうなずいた。
この学園都市では、学校のクラスというのは、同じ日に生まれた生徒たちの集まりだ。そんなのは常識だ。だから毎年、クラスごとに盛大に誕生パーティを開く。
「そんなことは、[外]の世界じゃ、あり得ない。異常な状況だ」
そう言いながらヴァレンチンがおれの胸にボールを投げ込んだ。
「[外]の世界じゃ、人は誰でもランダムな日付に生まれる。親が選んだ出産希望日か、ひとりでに陣痛が始まった日か。学校のクラスでは、生徒の誕生日はみんなばらばらだ。クラスメイト全員の誕生日がたまたま一致する確率はとんでもなく低い」
「よく……わからん。クラス全員が同じ誕生日だと、そんなにおかしいか? おれはずっと、それが当たり前だと思ってたから……」
おれは混乱した。ヴァレンチンの言葉を理解するのが難しい。相手はおれより二つも年下なのに。
脳が思考を拒否する。おれは基本的に、ごちゃごちゃ面倒なことを考えるのが苦手だ。
「俺は……俺たち全員、この[研究所]で『作られた』んじゃないかと思ってる。研究材料に使うために。親がいないのも、クラス全員の誕生日が同じなのも、俺たちが『人造人間』だからさ。ここは学園都市なんかじゃなくて、研究材料を実験に使える大きさまで育てる養殖場なんだ、きっと」
「……」
「そう考えると……息がつまりそうになる。俺たちは、研究所ブロックの研究者たちに観察されながら、将来の実験のために飼育されてるのかと思うと……耐えられない」
ヴァレンチンは言葉を切って、ひどく真剣な表情でおれをみつめた。
「そんなとき、あんたを見たくなるんだ。あんたならどんな制約でも軽々と越えていけそうに思えるから」
おれは毎日体を鍛え、練習を重ね、あらゆる陸上競技で記録を伸ばし続けた。
放課後など、バスケットコートでじゃれている下級生の中で、ヴァレンチンの姿を見かけることがあった。おれが教えた通りの端正なフォームでシュートを決めているのを見ると、胸がツキンと痛くなる。「あんたのことは忘れてない」と告げられているような気がする。
それでもおれは近づいていって声をかけたりはしなかった。
――そんな間柄じゃない。そうだろう?
二か月が過ぎた。
おれはポラツクで開かれる有望な若手陸上選手の特別強化合宿に招待され、出発を間近に控えていた。教官によると、ポラツクはここよりだいぶ北にある寒い街らしい。
夕方、「バンプアップ」センターで筋トレをしていると、おれの正面でトレーニングをしているガニーが、おれに向かって妙な感じで目玉を動かした。――目に汗でも入ったのか?
続いて、口をぱくぱくし始めた。その唇の形は「後ろ」と言っているように読めた。
おれはダンベルを下ろし、振り返った。
センターの入口のところにヴァレンチンが立っていた。学者クラスの生徒がこんな所へ来るのは珍しかったから、ひどく目立っていた。
振り向いたおれと視線が合うと、ヴァレンチンはばつが悪そうな表情になり、すっと姿を消した。
逃がすかよ。おれは校舎へ向かう渡り廊下の途中でヴァレンチンに追いついた。すでに日が沈み、辺りは夜に包まれていた。煌々と照らし出された白い廊下で細い腕をとらえると、相変わらず鋭い眼光が、恐れげもなくまっすぐこちらを見上げてきた。
「なんで追いかけて来るんだよ。トレーニング続けてろよ」
「おれに話があって来たんじゃないのか」
「話なんかねーよ」
「じゃあ……どうして来たんだ?」
ヴァレンチンはつかまれた腕を振りほどこうとしたが、おれの力にかなうはずがない。あきらめたのか、怒ったようなため息と共に言葉を吐き出した。
「あんたを見たかったんだよ。……あんたが運動してるところを見ると、胸がスカッとするんだ。あんたは誰よりも強くて速いから」
そんなことを言われるとは、思いもよらなかった。
おれがこいつを遠くから眺めていたのと同じように、こいつもおれを見ていたのかと思うと、なんだか不思議な感情で胸が苦しくなった。
日が落ちた後でもグラウンドは明るく照らし出され、生徒が自主的に運動できるようになっている。
無人のバスケットコートで、おれたちはなんとなくボールを投げ合いながら話をした。
「いろいろ調べて、[外]の世界のことを知れば知るほど……息苦しくなるんだ。『閉じ込められてる』って感覚が強くなる。俺はいつも《遠足》に行くと、[外]の住人に声をかけて話をするんだけど。俺たちの暮らしているここは、[外]と比べると、ずいぶん変な所みたいだぜ」
ヴァレンチンが投げたボールがおれの掌に飛び込んでくる。
それを投げ返しながら、おれは首をかしげた。「閉じ込められている」と感じたことなど、これまで一度もない。この学園都市は確かに高い塀で囲まれているが、十分に広くて快適だ。
「あんた、『親』って何だか知ってるか」
ボールと一緒に質問が飛んできた。おれはふんと鼻を鳴らした。
「馬鹿にするな。それぐらい知ってる。おれを産んでくれた人間を、おれの『親』というんだろう? すべての人間には『親』がいる」
「じゃあ、どうして俺たちには親がいないのか、考えたことはあるか? 俺たちは全員、この学園都市で生まれて育ち、自分の親を見たことがない」
考えたことはない、と認めざるを得なかった。
手にぶつかるボールが固い。
ヴァレンチンは胸に押し込めていたものを吐き出すように、強い口調でしゃべり続けた。
「俺の誕生日は十二月四日だ。クラスメートは全員、同じ誕生日だ。俺たち四十人はみんな同じ日に生まれた。……あんたのクラスだってそうだろう?」
もちろんそうだ、とおれはうなずいた。
この学園都市では、学校のクラスというのは、同じ日に生まれた生徒たちの集まりだ。そんなのは常識だ。だから毎年、クラスごとに盛大に誕生パーティを開く。
「そんなことは、[外]の世界じゃ、あり得ない。異常な状況だ」
そう言いながらヴァレンチンがおれの胸にボールを投げ込んだ。
「[外]の世界じゃ、人は誰でもランダムな日付に生まれる。親が選んだ出産希望日か、ひとりでに陣痛が始まった日か。学校のクラスでは、生徒の誕生日はみんなばらばらだ。クラスメイト全員の誕生日がたまたま一致する確率はとんでもなく低い」
「よく……わからん。クラス全員が同じ誕生日だと、そんなにおかしいか? おれはずっと、それが当たり前だと思ってたから……」
おれは混乱した。ヴァレンチンの言葉を理解するのが難しい。相手はおれより二つも年下なのに。
脳が思考を拒否する。おれは基本的に、ごちゃごちゃ面倒なことを考えるのが苦手だ。
「俺は……俺たち全員、この[研究所]で『作られた』んじゃないかと思ってる。研究材料に使うために。親がいないのも、クラス全員の誕生日が同じなのも、俺たちが『人造人間』だからさ。ここは学園都市なんかじゃなくて、研究材料を実験に使える大きさまで育てる養殖場なんだ、きっと」
「……」
「そう考えると……息がつまりそうになる。俺たちは、研究所ブロックの研究者たちに観察されながら、将来の実験のために飼育されてるのかと思うと……耐えられない」
ヴァレンチンは言葉を切って、ひどく真剣な表情でおれをみつめた。
「そんなとき、あんたを見たくなるんだ。あんたならどんな制約でも軽々と越えていけそうに思えるから」
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