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ホワイトデイズ【SIDE: マルク】二年前

ファースト・コンタクト

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 おれたちが暮らしているのは、高い塀に囲まれた学園都市だ。同じような形をした真っ白な建物が見渡す限り並んでいる。おれは生まれてからずっと――もう二十年ここで暮らしているが、この街で迷子になるのは簡単だ。どこまで行っても、同じような白い建物しかないからな。月に一度ぐらいの割で、クラスメートの誰かが迷子になり、管理本部の人に居住棟まで連れ帰られる。

 都市には、研究所ブロックと学校ブロックと居住ブロックがある。
 おれたちは皆、居住ブロックで生活し、昼間は学校ブロックへ通う。

 学校には学者クラスと運動家クラスがある。
 学者クラスは、将来研究所ブロックで働く研究者を育てるためのクラスだ。だから授業は難しく、宿題も多いらしい。

 運動家クラスには、ほとんど教室での授業がない。週に何時間かはスポーツ理論の授業があるが、それ以外は一日の大部分をグラウンドか体育館で過ごしている。

 おれの所属するV89クラスは、生徒は四十人。男女それぞれ二十人ずつ。物心ついた時からずっと一緒に育ってきた同い年の仲間たちだ。
 みんな身体能力が高い。得意種目はそれぞれ違うが、[外]の試合では優秀な成績を残す。

 そんな中でも、おれの身体能力はクラス一だと言われていた。

 おれは年長の運動家クラスの生徒よりも良い記録を出すことができた。どんな競技でも、誰よりもうまくやれた。


 整ったトレーニング施設。熱心なコーチ。切磋琢磨できる仲間ライバルたち。
 高さ五メートルの塀に囲まれたこの真っ白な街で、おれたちは何にも邪魔されず記録を伸ばしていく。塀で[外]の刺激から遮断されているおかげで、トレーニングに集中できる。
 おれたちは純粋培養の幸せなアスリートなのだ。




 それは冬になったばかりの、晴れた日のことだった。
 
 おれたちのクラスの授業は走り込みで始まり、走り込みで終わる。学園都市を囲む塀に沿って一周する九十キロメートルのコースだ。
 午後の授業を締めくくる走り込みを終えると、みんな課外トレーニングのため、思い思いに体育館や「バンプアップ」センターへ向けて移動し始めていた。正規の授業だけで満足するような奴はほとんどいないのだ。 

 今日は何のトレーニングをしようかと考えながら、おれもグラウンドを歩いていた。
 バスケットコートに近い所に一個だけ転がっているボールが気になった。片付けようと歩み寄った。

 グラウンドの隅には生垣がある。その枝の隙間から何か黒っぽいものが見えた。おれは近づいてのぞき込んでみた。
 生垣の向こうは、テニスコートへ向けてなだらかに伸びる芝生の斜面になっていて、そこに例の問題児の下級生ヴァレンチンが仰向けに寝そべっていた。

 おれは、胸の上から心臓を叩かれたような心持ちがした。

 今まで遠くから眺めたことしかないから気づかなかったが、癖の強い黒髪の下の顔は幼く、意外と可愛い。女子と間違われることもあるかもしれない。
 芝生に投げ出されている手足は細っこくて柔らかそうに見える。あまり鍛えていない体だ。おれたちとは明らかに人種が違う。

「サボリか?」

 おれは尋ねてみた。

 ――学者アカデミッククラスの授業時間はおれたちよりはるかに長いはずだ。いつも日暮れ過ぎまで教室に灯りがついているからな。
 Dクラスの生徒がこんな時間に外に出ているのは変だ。

 ヴァレンチンは視線だけを動かして、おれをぎろりと見上げた。
 可愛い顔に似合わず、眼光が鋭い。されそうだ。

「教官でもないあんたに答える義理なんかねーだろ。脳筋はあっち行ってろよ」

 意外と低い声が、不愛想なセリフを吐き捨てた。

 手の中にあるバスケットボールが天からの助けのように感じられた。おれは立てた人さし指の上でボールを回転させてみせた。

「ちょっと、シュート打ってみろ」

 そう言ってやると、回るボールを見上げるヴァレンチンの瞳に、はっきりした興味の色が宿った。


 おれたちはバスケットゴールの下へ移動した。ヴァレンチンは三本シュートを打ち、そのうち二本はゴールネットをくぐったが、おれには言いたいことが山ほどあった。違う、そうじゃない、ボールはこうやって持つんだ。で、左手はこんな風に添える。投げるのは、このタイミング。視線はこっちだ。ほら、見てみろ、こんな感じだ。そうそう。じゃあ始めからもう一遍やってみろ。

 ヴァレンチンはおれが教えた通りのフォームでボールを投擲した。
 ばすっ、と音を立ててゴールが決まった。

「よし、いいぞ。そのフォームだ」
「……楽に投げられるようになったよ。力まないで済むって言うか」
「そうだ。おまえ、覚えが速いよ。学者クラスに置いとくのはもったいない」

 生意気な下級生に尊敬のまなざしで見上げられるのは、どんな試合に勝った時よりも気持ちいい。

 おれはふと、ラムダ棟の薄暗いベッドルームのことを思い出した。暗い情動がずくんと下半身で脈打った。

 ――おれたちは十八歳の誕生日にセックスを解禁された。セックスは完全な許可制で、まず申請書を担当教官に提出し、教官から許可が出たらラムダ棟へ行くのだ。採血とメディカルチェックを済ませてから、ベッドルームでやることをやって、終わった後にもう一度採血とチェックを受ける(噂では、セックス中のデータを、ラムダ棟の地下ラボで全部収集してるという話だ。そんなデータを集めて何をするつもりかは知らないが)。無許可のセックスは固く禁じられていて、バレたら大会出場停止などのペナルティを受ける。

 セックスは、大きな試合の後の心身の揺れを抑えるには最適で、一種のコンディション調整手段だった。だから、クラス内で気軽に声をかけ合って、スケジュールの合った者同士でやっていた。男も女も関係なかった。おれはそんなものに頼らなくても自分のコンディションを調整できたから、めったにラムダ棟へ行くことはなかったが。

 下級生を相手に、おれは何を考えてるんだ。冗談じゃないぞ。
 ガニーの奴がおかしなことを言うせいだ。だから変に意識しちまうんだ。

「今日、うちのクラス、《遠足》なんだ。だから授業がねーんだよ」

 ボールをドリブルしながら、ヴァレンチンがひとりごとのようにつぶやいた。
 「サボリか?」というおれの最初の質問に、今になってようやく答えてくれたのだ。

「おまえは行かなかったのか?」
「俺一人だけ連れていってもらえなかったんだ。ふだんの行いが悪いから、その罰さ」
「ひどい話だな」

 おれは心の底から同情した。

 おれたち運動家クラスは対外試合や競技会などで塀の外へ出る機会が多いが、学者クラスの生徒は二、三か月に一度の《遠足》の時しか[外]へ出られない。その貴重な機会を奪われることがどんなに残念か、たやすく想像がつく。

「あーあ、雪を見たかったな。俺まだ一度も本物の雪を見たことねーんだよ」

 ヴァレンチンが叫んだ。冗談めかしているが、その言葉は本音なのだろうと思えた。

「そうがっかりするな。きっとまた機会はあるさ。雪は毎年降る」

 おれはドリブルされているボールを奪おうと攻撃を仕掛けるそぶりをした。ヴァレンチンはするりとおれの傍らを抜け、呼吸をするような自然さでレイアップシュートを決めた。
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