七人の囚人と学園処刑場

田原摩耶

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第五章『図書室ではお静かに』

08

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 場所は変わらず図書室・カウンター内。
 暫くして、篠山が戻ってくる。その後ろに、進藤と木賀島を引き連れて。

「どうしたんだ? 篠山……ってうわ、周子どうしたんだよ、その血!」
「うっわ、委員長いたそ~~」
「はは……ちょっと色々あってね」

 拭おうとして余計血で汚れた周子は、進藤たちに囲まれてどことなくばつが悪そうだ。血は固まり始めていたが、怪我した場所が場所だ。傷口を手当した方がいいのだろうが、生憎こんな場所に救急箱のような気の利いたものがあるはずもない。

「それで? ルイルイどしたの、急に俺達引っ張ってきて」

「それ大丈夫なのか?」と周子を心配する進藤の横、木賀島の態度は相変わらず冷めたものだった。
 尋ねられた本人である篠山は、相変わらずの無表情のまま「旭陽太がいなくなりました」とだけ述べる。
 木賀島なその言葉に驚くわけでもなく、「ふーん、それで?」と先を促してきた。

「いまから右代宰が彼を探しに行くと言って聞かないので、君たちの内の一人、右代宰に付き添ってもらいたいのですが……」
「そういうことだ。進藤、お前ついてこい」

 話は早い方が助かる。そう、周子の傷を覗き込んでいた進藤に向かって声をかけたときだった。

「いや、俺が行く」

 そう割り込んできたのは意外なことに木賀島だった。
 あまりにも予想してなかったため、「は?」と間抜けな声が漏れてしまった。
 だって、そうだ。陽太絡みでこいつが自分から協力的な態度を取るとは思えなかったし、俺としても期待してなかった。
 それなのに、こちらに目を向けたまま木賀島は大きく伸びをした。

「篤紀はまだ本調子じゃないじゃん? だーかーらー、俺が行くって言ってんの」

 木賀島の言い分も分かるが、分かりたくない。それは純粋にこいつと二人きりになりたくないという気持ちが強い、というのが大きいだろう。
「断る」と口を開けば、「宰に拒否権はぁありませ~~ん」と木賀島は猫背のまま俺の側までやってくるのだ。

「おいっ、クソ……触るな!」
「どーせ、俺と二人きりになるのがはずかち~~とかいうしょうもない理由なんでしょ~~?」
「っ、うるせえな……というかお前が勝手に話進めてんじゃねえよ」

「進藤」と俺は進藤の答えを求めた。名前を呼べば、こちらのやり取りを遠巻きに見て笑っていた進藤は、少しだけばつが悪そうに眉尻を下げるのだ。

「んー、ご指名ありがたいんだけど、俺も連れていくなら木賀島が適任だと思うぞ」
「……っ、な、」
「ほら~~」
「それに、今の俺だと逆に右代の足手まといになるしな」
「なんでこういうときだけお前は物分かりがいいんだよ」
「ま、まあ、そう考えたら僕たちは三人固まっていた方が丁度良いかもしれないね」

 そう宥めるように口を挟んできた周子だったが、ばつが悪そうに「けど」となにかを言いかける。
 そのままちらりとこちらを見てくる周子。
 なんだよ、と睨めば周子は慌てて顔を逸した。
そして、

「じゃ、じゃあ僕も一緒に行こうかな……」
「「ダメだろ(です)」」

 あまりにも素っ頓狂なことを言い出す周子に、思わず篠山と被ってしまった。
 どうやらやつは俺と木賀島のことを気にかけてるらしい。

「はー……クソ、お前は大人しくしてろ」
「でも、右代君……」
「怪我人にまで心配される筋合いはねえよ」

 それは本当だ。
 そんな俺の言葉に納得したのかはわからないが、周子は「そっか」と小さく口にした。
 その矢先だった。いきなり首に冷たいものが触れ、ぎょっとする。顔をあげれば、そこにはにやついた木賀島がこちらを見下ろしていた。冷たいそれはやつの指だったようだ、慌てて振り払う。

「相談は終わったぁ?」
「……っ、うるせえ」
「あは、意識しすぎだっての。……ま、じゃ、行ってきま~す」
「二人とも、気を付けてね」

 最後まで不安そうな顔してる周子に「てめえは自分の心配してろ」と吐き捨て、「行くぞ」と木賀島に声をかけた。

「……はいは~い」
 
 どさくさに肩を掴んでくる木賀島の手を退かしながら、俺は周子がもごもごとなにかを言いかけていたのを無視してカウンターを出てそのまま図書室を出を後にすることになった。
最悪な展開ではあるが、それを言ってしまえば最初から少しでも良かったときなどないだろう。
 そう自分に言い聞かせ、俺は木賀島とともに陽太を探しに行くことになった。



 ――図書室前。
 木賀島とともに出た通路はどことなく先程よりも空気が淀んでいるように感じた。

「それでえ? 委員長ってどこで倒れてたの?」
「ここから一番近い男子便所の近くだ」
「あー、あそこかぁ」

 そう思い出したように、そのままふらりと歩き出す木賀島。その猫のように丸められた背中を睨んだまま、俺は「どういう風の吹き回しだ」と声をあげた。すると、ぴたりと木賀島は立ち止まる。

「どういうって、なにがあ?」
「なんでなにも聞かないんだ」
「聞いたじゃん、どこで委員長倒れてたのかってさぁ」
「俺が言ってるのはそういう意味じゃねえよ」

 ゆっくりとこちらへと振り向いた木賀島の顔には、いつものようににやけ面はなかった。無表情の木賀島になんとなく嫌なものを感じたが、今更引き返すつもりもなかった。

「宰って本当、ピュアっピュアだよねえ。……正直、聞かなくてもこれくらい予想できたっしょ」
「どういう意味だ」
「そーのーまーま、委員長を殴ったのってどうせ陽太のやつだろ?」

 そうさらりと口にする木賀島。興味なさそうにぽりとぽりと首を掻き、そのままはあと息を吐く。

「俺がついてきたのは、多分俺じゃないと無理でしょ。進藤も元気だったらいけただろうけどさあ、ねえ」
「無理って……」
「んあ? あれぇ? 今から報復しにいくんでしょ~?」

 あいつに、と木賀島はスラックスのポケット、そこから除くナイフの柄を撫でて笑うのだ。ずっと待ってた、とでもいうかのように。
 その笑顔に、やはり選んだ相手を誤ったのだと思い知らされた。

 確かに、あいつは限りなくクロに近い。だとしても、それを決めつけて殺すという考えに至ることはなかった。

「なに言葉に詰まってるのぉ~? あいつの性格は宰の方がよく知ってるはずでしょ?」
「お前は、短絡的すぎるんだよ」
「でもさあ、それは向こうも同じじゃね? 実際委員長ぶん殴ったってことはぁ、あいつ一人ずつ俺たちを殺していく気なのかもよ~」

「そんでぇ、最後の最後。メインディッシュに残していた宰のことを“ぱくり!”っていただくつもりなんでしょ、陰湿な童貞らしいよねえ~」くすくすと笑う木賀島の声が辺りに反響し、背筋が震えた。
 それは考えてなかったわけではない。寧ろ、木賀島の言う通りだ。今までだったら他の奴らを殴ることはギリギリ留めていた、それは俺の言葉を聞いていたからだ。
 そして今回、これが本当に陽太の仕業だったらあいつは俺の命令に逆らったということになる。

「でも、陽太のやつだったら本気で殺そうとしないか? あの出血量からして、少なくとも殺すために思いっきりぶん殴るっていうよりも気絶に近いだろ」
「そりゃ、死んじゃったら自分じゃなくて陣屋のやつが疑われるからでしょ」

 どういう意味だよ、と言い返そうとし、その言葉の意味を理解する。そして、足元から頭のてっぺん、髪の毛の先までよだつようだった。

「……委員長の言葉を聞いて、宰だったら“自分”の犯行だって解ってくれる。そう思ってんだろうねえ、本当キモいよねえ。野郎の構ってちゃんって」
「つまり、俺をおびき寄せるためだって言いたいのか?」
「逆に、それ以外なくない?」
「……」

 木賀島に言い返す言葉もなかった。

「だーかーらー、今度は本気で殺してくる可能性も高いわけだよねえ」
「……なら、わざわざ二手に分かれない方がいいんじゃないか?」
「はは、宰のくせに保守的じゃん。めっずらしー」
「茶化してる場合か」
「まあ確かに本当だったらこのまま無視でも良かったんだけどお、もしかしたら次、必要になってくるかもしれないからさあ」

 どういう意味だ?と木賀島を見上げたとき、やつは唇の両端を持ち上げて笑った。

「死んでもいいやつ、一人」

 木賀島は、この男は陽太を殺すつもりなのか。
 含みのある物言いに違和感が覚えずにはいられなかった。

 どういう意味だ、と木賀島を睨めば、やつは「まあまあ」と適当に宥めてくる。

「それって、お前らが見つけたっていう学習室となにか関係あるのか」
「あーなんだ、もしかして宰もう聞いてんの?」

「なんだぁ」とあからさまにがっくりと肩を落とす木賀島。
 ただの勘で、実際のところまだ俺は例の学習室についてまだちゃんと聞いたわけではない。「いや、知らねえ」と答えれば、ぱっと顔を上げて木賀島は嫌な笑みを浮かべた。

 先程の口振りからすると、考えられることは一つしかない。

「……また、なんかあんのか。死人が出そうなのが」
「えー、それは見てからのお楽しみってことで」
「あ?」
「だってつまんないじゃん、先に知ってたら」

 この男がこんなやつだということは知っていた。
 今更一々咎める気にも、倫理について説くつもりもない。
 けれど、明白な陽太への殺意を持った木賀島に対して俺は胸の奥が妙な感覚を覚えた。それは不快感、怒りとも違う。

「それとも、なに。宰はやっぱりぃ、あんな人殺しでも大切なワンちゃんは殺しちゃだめ~っ! ……って思ってる?」

 ねっとりと絡みつくような木賀島の視線がこちらを向く。にたにたと緩んだやつの口元が腹立ち、「関係ねえよ」とだけ応えた。

「……俺からしてみりゃ、危害を加えたお前も同じようなもんだ」

 人にナイフを向けたことをもう忘れたわけではないはずだ。
 睨みつければ、木賀島は今更そんなことを言われると思っていなかったようだ。少しだけ目を丸くし、それからまたあの気持ち悪い笑い方をするのだ。

「さっすが宰、優しいねえ」
「馬鹿にしてんのか」
「いーや? ……そんなんだから自分の飼い犬に噛まれるんだよって思ってさ」

 こいつ、喧嘩売ってんのか。
 煽るような態度で詰め寄ってくる木賀島にムカついたが、こいつが露骨にこんな態度を取るときは大体なにかを企んでいるときだ。
 わざと、俺を怒らせようとしている。
 その手に乗るつもりはない。その意思表示の代わりに木賀島から顔を逸らす。そのまま俺は木賀島を置いて歩き出した。

「あれ、宰ぁ? どこ行くの~?」
「もういい、俺一人で行く」
「なに、拗ねてんの? 無理無理、やめときなってえ」
「餌になれって言ったのはお前だったな、木賀島」

 後ろからペタペタと着いてくる木賀島を振り返る。
 そして更にその奥、そう遠くない場所から地面に散らばったガラスの破片を踏むような音が聞こえてきた。

「言ったねえ」と木賀島は答える。
 その背後、きらりと何かが光ったのを見た。

「――寧ろ、餌はお前だろ。木賀島」

 ナイフや金属片の輝きとは違う、光を反射するそれは鏡の破片だ。鋭利に尖ったその破片を手にしたそいつは、木賀島の背後に立ち、その頭部目掛けて振り下ろす。
 薄暗い廃校の廊下、ただでさえ静まり返った空間に音はよく響いた。木賀島は振り返るよりも先にそのまま振り下ろされる破片を避け、そして腕を掴んだ。
 包帯でぐるぐるに巻かれた不揃いな指先、その包帯に血が滲もうが構わず剥き身の破片を握ったその手からはボタボタと赤黒い血が滲む。

「触んじゃねえ、性病野郎……ッ!!」
「うーわ、本当に出てきたよ」

「宰、一旦潰すけどいい?」そう、陽太の攻撃を塞いだまま目配せをしてくる木賀島に「俺に聞くな」と吐き捨てる。

「そいつはもう、俺のもんでもなんでもねえよ」

 ただでさえ乱れたその髪はところどころ血で固まっているようだ。乱れた前髪の下、見開かれた目がただ一点、こちらを睨みつけた。
 ――酷い有様だ。
 もしかしたらそれは、あいつの――陽太から見ても同じなのかもしれないが。

 木賀島は「りょーかい」と間延びした声で答えると同時に、くるりとその場で回転するようにそのままその首目掛けて回し蹴りを叩き込む。ぎりぎりのところで陽太はそれを腕で庇ったが、陽太の腕の怪我の具合は俺が一番よく知っていた。
 利き腕である右腕にもろにダメージを喰らう陽太、そのほんの一瞬にできた隙きを木賀島は一切見逃さなかった。

「ぅ゛、ぐ……ッ!!」

 容赦なく凶器を手にした陽太の腕を蹴り飛ばす木賀島。相変わらず身軽な男だと思う。
 けれど、俺は陽太のしつこさを知っている。こいつは指が千切れようが凶器を手放さないだろう。
 陽太の手にした鏡の破片が木賀島の足の筋を狙って突き立てられるが、自分の腿に刺さったそれを見ても木賀島は顔色を変えなかった。
 それどころか逆に突き刺さった破片を抜き取り、そのまま陽太の眼球に向かって突き立てようとする木賀島。
 見開かれる陽太の目、迫る切っ先――それを見て、気付けば身体が動いていた。

「――おい」

 木賀島の腕を掴む。
 木賀島はこちらを振り返りもせず、そのまま動きを止め、「宰なあに~?」と応えるのだ。

「もう充分だろ」
「何言ってんの? ゲロあますぎでしょ」
「そいつの上腕骨は折れてる」
「だから?」
「潰れてる」

 そう答えたときだった。
 陽太は自分の瞼、眼球が傷つくのも構わず、木賀島の手ごと破片を掴む。

「お、まえ……ッ!」

 陽太の手の下、木賀島と手が赤く染まっていく。そこで木賀島は初めて声色を変えた。
「いい加減にしろっ」と木賀島から陽太を引き剥がそうとしたときだった。陽太の目がこちらを向いた。長い前髪の下、二つの目に自分の顔が反射する。ほんの一瞬、まばたきをした瞬間だった。
視界が暗くなった。

 なにが起きたのか俺にはよくわからなかった。
 けど、何故か俺の目の前には木賀島の背中があった。

「なんの、つもりだよ……お前……」
「……な、んのって……さあ?」

 陽太の怯えたような、呆れたようなその声に対し、なんだろうね、と小さく動く唇。頬からどろりと流れる赤黒い血。それを辿るように視線を持ち上げる。
 そして木賀島の右目に突き立てられたガラスの破片を見た瞬間、心臓が跳ねる。
 木賀島が自分の眼窩に刺さったそれを引き抜いた拍子に、ぱっくりと開いた瞼の下で眼球が覗いていた。
 それもすぐ。溢れ出す血に埋もれ、見えなくなった。

 破片の長さからして間違いなく眼球まで辿り着いているはずだ。血に混じって濁った液体が滲んでるのを見て、脳の奥が熱くなる。
 こんなことしてる場合じゃねえだろ。怒りがこみ上げてきて、目の前、破片を引き抜いては再び木賀島に突き立てようとする陽太の手を掴む。

「っ、なんで、止めるんだよ……ッ! アンタが! 俺を!」

 が、すぐに乱暴に振り払われる。暴走してるのだろう、話が通じるとは思えなかった。
 それどころか、再び執拗に木賀島を狙おうとする陽太。相手はあくまで怪我人だ。それでも、蛇のようにしつこい陽太だ。

「っ、退けよ、宰……ッ!!」

 半狂乱、感情のままに声を荒げる陽太。そのまま今度はその矛先をこちらに向けてくる陽太に不思議と頭の中は冷静だった。
「宰」と背後で木賀島の声が聞こえてきたが、無視した。その切っ先が腕を掠める。血が溢れるのを感じながらも、避けようとしない俺に陽太が目を見開く。そのまま腕に刺さる破片に、どこかしらの筋が傷つくのを感じた。患部が焼けるように熱くなるが、ドーパミンのお陰で痛みを感じることはなかった。だから、そのまま俺は間合いに入った陽太の頬を思いっきり殴りつけた。

「……っ、ぅ、ぐ……ッ!」
「…………」
「つ、かさ……」

 ほんの一瞬、捨てられた子犬みたいな顔でこちらを見る陽太だったが、それもほんの一瞬。陽太のやつは顔をぐしゃぐしゃにし、そのまま逃げ出したのだ。
 その後を追いかけようとする木賀島の腕を掴めば、そのままふらりと木賀島はバランスを崩し、その場に座り込んだ。

「追わなくていいのぉ? 宰~」
「こんな状態で追ってもなんもできねえだろ」
「大丈夫だよ、これくらいなら」
「いいから黙れよ」

 そう、木賀島の前に座り込む。出血量は酷く、顔の半分が既に真っ赤に染まっている。

「……ねえ、宰。今俺どうなってんの?」
「瞼ごと右目潰れてる。けど、脳に達してなくてよかったな」
「うえ~、最悪」
「痛みは」
「あんま。違和感のがやばいって感じ」

 興奮状態だからだろう。このあとのことを考えたらあまり想像はしたくないが、今の内にやれることはやった方がいい。「立てるか」と手を伸ばしたが、一瞬俺の動きにも気づかなかったようだ。
 ぼんやりとこちらを向いていただけの木賀島は言葉に反応し、片手で立ち上がろうとするが、バランスを崩してた。それを見て、俺はそのままやつの腕を引っ張り上げる。そのまま肩に回せば、思いの外木賀島の顔が近い。

「……宰、泣いてんの?」
「泣いてねえよ、両目なくなってんのかお前」
「いやぁ、優しいなあと思って」
「……お前をこのまま放ったらかしにしたら、あいつらに何を言われるかわかんねえし」

「確かに~」と木賀島は笑う。が、その笑顔も歪なものだった。それに、と自分の腕に目を向ける。突き刺さったままの破片を引き抜き、俺はそのまま地面に放り投げて踏み潰した。凶器として役に立たなさそうになるくらい何度も踏み潰し、靴の底で足元の瓦礫や破片と一緒に散らした。

 ――最悪の展開だ。
 あのまま陽太が立ち去らなければ、きっと俺も無事では済まなかったはずだ。
 制服の下、血で濡れたシャツが肌に張り付く感触が気持ち悪かったがそんなことを気にしてる暇はなかった。

 とにかく木賀島の傷口を洗い流させるため、綺麗な水が出そうな場所を当たる。
 便所は出ない。手洗い場へと向かい、まだ水が出る蛇口を見つけて木賀島に目の周りの血を洗い流させることにした。

 最初は「いやだ」「いらない」「別に死にやしないってえ」と渋っていた木賀島だったが、無理矢理胸倉掴んで傷には触れないように顔を拭く。が、明らかに出血量が多い。
 あっという間に血液を含むハンカチに諦め、俺は木賀島を屈ませて顔を洗われた。

「っ、いってえ~……沁みる~」
「お前にも痛覚あったんだな」
「あのさぁ、宰ぁ。お前俺のことなんだと思ってんの?」
「変態」
「はは、ひっで……いてて」

 血が止まるのには時間がかかりそうだった。ある程度収まったところで俺は洗ったハンカチを渡した。

「なにこれ」
「止血、……図書室に戻るまでなら使えるだろ」
「つか宰ハンカチちゃんと持ってんだ。偉」
「……戻るぞ」

 くだらない話をしてる暇はない。陽太のことをあいつらにも告げなければならないし、現状大分時間が経ってる。進藤たちならまだしも、周子のやつが胃を痛め始めてる頃だ。
 しかし、木賀島は動こうとしなかった。それどころか、「宰」と俺の左腕を掴む。

「あ?」
「宰も怪我、してんでしょ」
「こんなの大したことねえよ」
「腕、さっきからまともに上がってねえじゃん」

 そういうところは見えてるのか。
 木賀島を見上げれば、「脱いで」と言い出す木賀島に「馬鹿が」とつい声が漏れる。

「俺は後ででいい。……それより、戻るぞ。あいつらのところに陽太が戻ってたら厄介だ」
「嘘吐き」
「おい……いい加減にしろよ」

 こんなことやってる場合じゃないだろ、と木賀島の手を掴み、引っ張れば木賀島はそのまま俺の右腕に手を回す。そして、そのまま血が滲んだ制服越しに撫でられ、息を飲んだ。

「っ、やめろ」
「ほら、痛いんじゃん」
「お前が触るからだろうが!」
「なんで怒るのぉ?」

 今すぐこいつを捨て置きたかった。
 けれど、そうしなかったのはどうしてもさっき陽太から俺を庇ったあいつの背中が浮かんだからだ。
 それさえなきゃ、捨て置いていた。「ねえ無視しないでよ」とむくれる木賀島を無視し、俺はそのままやつを背負ったまま歩き出した。
 頭の中、『随分と丸くなったね』という周子のやつの声が木霊しては余計ムカついてきたので思考を振り払う。

 満身創痍とはこのことだろう。
 俺は後から待機してた連中に何言われるか考えながら図書室まで戻ることにした。
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